第35話:バター・フェイス
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・六月:月輪皇國/石橸子爵領/雨江市場の加工場/時刻は午後
声を聴かなければ垉六カズハとは分からなかっただろう。
なぜなら顔の一部がクチクラ化しており、『昆虫に成り損なった人間』とでもいうべき奇怪な外見になっていたからだった。
蟲系變化身の幼體變化身は『肉食バエ』の特徴が強く出て、吸血能力と飛行能力が強化される。
ただし下級吸血鬼はまともに飛行できない。肉翼を生成して完全な飛行能力を得ているのは、ひとえに靑血による能力の底上げゆえだろう。
俺と少尉は加工場の出口に向かって走りだした。
機關雷銃のリロードを開始。機関部上部に突き刺さった空弾倉を新しい弾倉で突き飛ばす。
背後からバサバサと空気を叩く音が聞こえる。
どうやらカズハが追ってきているようだ。
「せっかく他の客がいない日に人血畜を買い付けに来たというのに……。逃亡奴隷どもが人間牧場恋しさに帰ってきたのかしら⁉」
――だからわざわざ休市日に来たのか? 市場の労働者にとっては迷惑すぎるだろ。どんだけ身勝手なんだよ……。
カズハは再生したばかりの肉翼を羽ばたかせ、地面スレスレを飛行しながらこちらに迫る。
二人の機關雷銃が後方に向かって火を噴き、飛行するカズハの肉翼を穴だらけにして墜落させた。頭を狙ったはずだが、蜃氣樓の盾で防がれたか……。
「ああああああッ! ウゼぇですわ! さっさと殺させろ!」
背後ではカズハが冷蔵庫から人肉ブロックを取り出して噛り付いていた。またもや肉翼が再生し始めている。これではキリがない――。
廊下を駆け抜け、人間の屠体が吊るされた大広間にまで戻ってきた。
棚に並んでいたボトルを引っ掴んでネックを叩き割り、赤熱した銃身に血液をぶっかけて冷却する。香ばしい硝煙の臭いに混じって、甘い鉄の匂いが立ちのぼった。
『甲班分隊より各班に報告。靑血と遭遇、戦闘に突入した。ブツは別分隊に持たせてある。終わり』
俺は他班に通信を入れ終えた少尉に話しかける。
「俺がアイツを排除します。少尉は撤収を。……それと、冷蔵庫に社長令嬢の写真がありました」
空のボトルを投げ捨て、彈藥盒に入れていた白黒写真を差し出した。
「飛行能力持ちは屋内で処理しないと厄介です。洋上に出た船を空から追ってくるかもしれない。……いざとなれば俺は潜れますので」
「……分かった。任せるぞ」
そういうと少尉は写真を受け取り、加工場から離脱して集結地点に向かっていった。
正直言って少尉のことは好きではないが、恩を売るに越したことはない。俺は魚類系變化身持ちだ。いざとなれば海中に飛び込んで逃げることができる。
――それに、この場であの盲禿芥虫を抹殺したいというドス黒い激情が湧き上がっていた。
千載一遇のチャンス、”飛んで火に入る夏の虫”だ。……まだ夏じゃないがね。
すると、ようやくカズハがお出ましになる。
「チッ、一匹逃がしたか。……よくも私の柔肌に傷を付けましたわね? 脳ミソ啜り殺してあげますわ」
「料理を零しただけの女中もそうやって殺したと聞いたぞ、垉六カズハ。脳に執着するのは自分に足りないものを欲しているからか?」
「……あ゛? なんで私の名前を知ってるんですの? ストーカーかしら?」
「”天網恢恢疎にして漏らさず”だ。お前に天誅を下してやるために遣わされたのさ」
「そうですか。では、どこのどいつに遣わされたのか吐かせてから殺しませんと……。ヤシマ派とかいうゴミどもかしら?」
カズハはスカートをめくり上げ、足に巻いていた拳銃嚢からリボルバー拳銃のようなものを引き抜くと、そのまま左腕の青い動脈に銃口を押し当てた。
――マズい、助硏劑注射器の《PS md.87注射拳銃》だ!
「主神よ、我に祝福を!」
祝詞と共にバンバンバン!と引き金を引き絞ると、カズハの左腕に三本の注射彈が突き刺さった。すると全身に青い稲妻が奔ったかのごとく動脈が青く浮き上がる。
直後、二階回廊部の窓硝子を突き破って大量の鬼コウモリたちがカズハに殺到した。
機關雷銃を向けようとするも、鬼コウモリたちに集られて妨害されてしまう。
「あ゛~っ、キタキタキタキタ……」
汚らしい喘ぎ声をあげるカズハの体を鬼コウモリたちが覆い、頭上から降り注ぐ硝子片をはじく。昇華體から発信された電波により召集された鬼コウモリたちは、自らその肉体を捻じ曲げて青い肉塊へと溶けて、交わり、融合していく。
《廿五式機關雷銃》のトリガー上部を何度も引き絞り、単射で邪魔な鬼コウモリたちを撃ち墜とす。
一瞬の隙をついて包囲から脱出し、吊るされた屠体を避けながら接近する。しかし時すでに遅く、射線が通った時にはすでに肉蛹が形成されていた。
爆発――。脈動する巨大な肉塊が爆ぜ、周囲に真っ青な血肉を撒き散らす。吊るされていた人間の屠体が衝撃で吹き飛ぶ。
その中心には青い血に塗れたバケモノがいた。
使役獸の肉体を捻じ曲げて作り出した異形の鎧――、それが肉襦袢だ。
「ギャハハハハハハ! 気持良ィィィィィィィィィィィィッ!」
肉蛹の残骸から高らかな哄笑が響いた。中心部から巨大な白い翅が広がり、一気に羽ばたく。
――猛烈な暴風とともに”人型の蝶”が突進してくる!
機關雷銃のトリガー下部を引き絞って連射するが、カズハは怯むことなく突っ込んできた。命中した雷銃彈のほとんどが蜃氣樓の盾によって弾かれてしまう。
装弾を撃ち尽くした機關雷銃を槍のように構え、銃身に着剣した銃剣を突き出す――。しかし交差する瞬間にカズハが繰り出した二つの正拳突きにより機關雷銃は粉々に砕かれた。
鎧袖一触とはこのことか。銃剣は単純な硬度で正拳に負けていた。とっさに機關雷銃全体を盾にして地面に転がっていなければ被甲の装甲をへし折られて死んでいたかもしれない。
「ギゃハっ! おハジキが無くなッちャいましたわよォ?」
白い翅が宙を舞う。肉襦袢に穿ったはずの銃創は即座に再生していた。
大広間二階の回廊部へ”人型の蝶”が降り立つ。
しかしそれは可愛らしい妖精ではなく、醜悪な化け物だった。
青い毛髪を垂らした女の顔だけ見れば人間と思うだろう。
しかし、その首から下は巨大な芋虫だった。
芋虫の胴体からは同じく巨大でありながら華奢な女の腕が四本と、スラリと長い脚が二本生えている。女の手足とは別に、短い胸脚と腹脚が手持ち無沙汰にウネウネと蠢き、ゾワっとした生理的嫌悪感を掻き立てた。
そして背中からは巨大な肉翼が広がっている。白地に黒い翅脈が走り、そこだけ見れば綺麗な蝶の翅だった。
――”蝶の成體變化身”。ソレに対して人類解放條約機構が付けたHULTOコードネームは『バター・フェイス』だった。
カズハは二本ある右手の人差し指を同時に噛みちぎり、迸る青い鮮血を螺旋状に絡ませて巨大な刺突剣状の血劍を生成。それを前方へ突き出すようにして構える。
二つある左手を眼前に翳して頭部を守る兜とし、後ろへ引いた左脚に重心を置いた。
――なるほど、一撃離脱に優れたアリコーン型血劍術か。
「その首を侯爵閣下に捧げて褒美の人血畜をフルボディでいただきますわ。十年モノにしようかしら? それとも十五年モノ? 今から楽しみですわァ~!」
ニヤリと笑った口角が耳まで裂ける。
「さて、お前の脳ミソはどんな味がしますかねェ?」
ペロリと唇を舐めた青い舌がどんどん伸びていき、蝶の口吻のように巻かれた。
俺は背負った《卅五式振銀刀》の柄を掴み、引き金を引いた。すると引き金と連動する駐爪のロックが解除され、銀色の刀身が圧搾空気によって一気に鞘から弾き飛ばされる。飛び出した刀の勢いを回転運動に変換することで手中に手懐け、そのまま霞の構えを取った。
親指でレバーを下ろして引き金を引いたままの状態で固定すると、柄の雷電甁から供給される電力によって銀合金の刀身が一秒間あたり二万回の振動を開始する。
俺の頭の中は”どうやって彼奴を嬲り殺すか”でいっぱいだった。
俺は自分のことを殺したいほど嫌いだ。
だからこそ、自分よりもさらに下劣な存在がのうのうと生きていることが許せないのだ。




