第32話:餓鬼畜生
※人肉食描写がございます。苦手な人はご注意ください。
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・六月:月輪皇國/架筧町/高級レストラン『サルマナザール』/時刻は夜
俺は意を決してこちらから”本題”を斬り出した。
「いきなりで申し訳ないのですが、サユリさんのお兄さんってどんな人なんですか?」
「え……」
「すみません、何度も間違えられたので、さすがに気になってしまいまして」
「……いえ、大丈夫です。私もお話ししなければならないと思っておりました」
そういうと、サユリは青い口紅が付いたグラスをテーブルに置き、ゆっくりと話し始めた。
「私のお兄さまはシンという名前でして、……もうこの世にはおりません。協和國に亡命しようとして国境警備隊に射殺されたと聞きました」
「亡命? そりゃまたなぜ?」
「……他言無用でお願いしたいのですが、お兄さまは『皇太子暗殺犯の血族』だったのです。私は腹違いでしたので族誅の対象にはなりませんでしたが……」
「へぇ……」
俺は他人事のようにすっとぼけた。
こういう時は”本気で他人事だと思い込む”ことが大事だ。
「うーん、でもそれを聞いてしまうと……、さすがに不愉快ですよね」
俺は突き出しとして供された『耳餃子』を口に放り込みつつ、わざとイラついた口調で話し始めた。
「皇國は皇帝陛下あっての国家です。ヴァラヒアの植民地になっていないのも、すべては皇帝陛下のご尽力あってのものでしょう? ヤシマ統合の象徴たる皇室に弓を引くというのは、すべての皇國臣民に対して弓を引くのと同じことではありませんか?」
前菜として供された『人肉のソーセージ』をナイフで切り分ける。
「皇帝陛下がいなければ全てのヤシマ人はヴァラヒア帝國の奴隷となり、最後は人種として消滅していたでしょうね。弑逆者というのは”ご恩”が理解できない低能です。そして、その血を引く連中も低能と考えていい。死んで当然の輩でしょう。そんな輩と間違えるというのはとんでもない名誉棄損ですよ」
「もっ、申し訳ございません……」
「あなたが謝罪したとしても、女中さんは俺が兄に間違えられたところを見てましたよね? もしモモカさんが警兵隊に通報していたら、俺は捕まって殺されていたかもしれない」
「……モモカはお兄さまの話を知りません。それに、昔の友人と勘違いしたと言っておきました」
「そうでしたか。しかしねぇ、警兵隊が冤罪を認めない隠蔽体質の組織であることは囎唹伯爵家のあなたもよく知っているはずだ。少しは自分の行動に責任を持っていただきたい」
囎唹伯爵家は皇室からの信任が厚いヤシマ派であり、血族の者たちを多数警兵隊に輩出している。
警兵隊は皇國軍直属の組織であるため、皇國貴族の領地に許可なく土足で入り込むことができた。しかも捜査手法が強引なため皇國貴族から蛇蝎のごとく嫌われている。
「とにかく、私はあなたの兄なんかではありませんので、よろしくお願いしますね」
「……はい、申し訳ございません」
汁物として供された『マンディンカ種のコンソメスープ』を静かに啜りながら、サオリの謝罪を聞き入れる。
……二百憶匁がパァになるかもしれないと考えれば、本気で怒っているフリくらいできる。
「あの、それで……、私の過失を償うと言ってはなんですが、ご提案がございまして……」
「はい、なんでしょう?」
「私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか? ……ゆくゆくは子供も設けたいと思っております」
「…………ゑ?」
肉料理として供された『チェルケス種の臀部ステーキ』を切り分けるために取り上げたナイフを落としそうになり、間一髪で握りなおした。
「私にはジンさまを犯罪者の血族と誤認してしまった”過失”と、鬼オオカミから助けていただいた”ご恩”がございます。どうか償いと恩返しの機会をくださいませ。私と結婚を前提にお付き合いしていただければ、ジンさまに皇太子暗殺犯の血族という疑いもかかりません」
「いや……いやいやいやいやいや。そもそも家格が合わないでしょ。俺は男爵家の分家で、あなたは伯爵家の本家ですよ?」
「私は分家から本家に引き取られた身です。伯爵家から大切に扱われている存在ではございません。私がどこの誰と婚姻しようと、誰の子を産もうと本家にとってはどうでもいいことのはずです」
サユリはどこか寂しそうな表情を見せた。
「その証拠に、私はヴァラヒア派の巣窟である学園に送り込まれた牽制でしかないのです。あの鬼オオカミもヤシマ派の囎唹を狙ってヴァラヒア派が差し向けられたものだと思います。先日摘発された補陀落敎の報復とも思えませんし……」
「……ヤシマ派? ヴァラヒア派? なんの話かさっぱりなんですけど。っていうか、それは俺に言っていい話なんですか?」
「あっ……。すみません、先ほどの話は忘れてください。とにかく私が言いたいのは、身分の差については気にしなくて良いということです」
「はあ、そうですか……」
政治の話には興味ないですと言わんばかりにグラスを傾ける。
しかし、今の話が本当だとするとヤシマ派の囎唹伯爵家がヴァラヒア派による人間拉致事件を捜査しているということなのだろうか?
そこでステムを持つ右手に根性焼の痕が見えた。
……少尉にハニートラップを仕掛けろと言われていたことを思い出す。
――よくよく考えてみれば絶好のチャンスではないか。何を悩む必要がある? このまま恋人になって肉体関係を結べば、彼女も周囲も俺を”実兄”と疑うことはないだろう?
「富國強兵法もありますし、早めに子供を持たなければ重税で首が回らなくなってしまいます。それはジンさまも同じですよね?」
「いや、俺は子ども欲しくないんで……」
――なに言ってんだ⁉ これは任務だぞ! 二百憶匁がパァになってもいいのか⁉
「ご存じの通り囎唹家は警兵隊と繋がりがあります。そのため、富國強兵法の遵守には厳しいのです。このままでは伯爵家の圧力で適当な殿方とお付き合いさせられてしまうかもしれません」
「……」
「お恥ずかしながら、私は身内以外の殿方と接点が無く……。ジンさま以上に親しい男性がいないのです」
「……」
「……私を好きでなくても構いません。どうか私を助けると思って、お付き合いください」
そういうと、サユリは潤んだ眼でこちらを見つめてきた。
緑の瞳が俺を捕らえて離さない。
長い沈黙のあと、俺は観念して口を開いた。
「…………分かりました。よろしくお願いします」
任務のためを思えば、ここは了承するしかなかった。
とりあえず付き合っておけば、少なくとも自分が『皇太子暗殺犯の血族』であることはバレないはずだ。
どうせこの国には一年もいない。とにかく今は二百憶匁のことだけを考えなくては……。
「そうですか、良かったぁ!」
サユリの顔がパアっと明るくなり、食後甘味として供された『桃娘のタルト』を美味しそうに食み始めた。
どうやら随分と嬉しそうだ。
一方の俺はまったく食事の味がしなかった。
……ダメだ、気持ち悪い。苦くて酸っぱい風味が胃から喉へと逆流してくる。
すべては二百憶匁のためだ。
他者を殺してきたのも、実妹と恋人のフリをするのも、すべては二百憶匁のためだ。
俺はカネのためなら何でもできる有財餓鬼だ。カネのためなら畜生道に落ちたっていい――と、”本気でそう思い込む”ことしかできなかった。
帰り道、路地裏で胃の内容物をすべて吐き出した。
ネズミたちが吐瀉物を美味しそうに食べてくれていたのがせめてもの救いだった。




