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第28話:和泥合水作戦

星曆(せいれき)一九〇七年(光分(こうぶん)四〇年)・六月:月輪皇國(がちりんこうこく)架筧町(かかけいちょう)のタクシー乗り場/時刻は夕方


 夕暮れ時、俺はタクシー乗り場に停車した黒いワゴンの後部座席に乗り込んだ。

 日傘をたたんで車内に入ると、むせ返るほどタバコの煙が充満していた。


「よう、シン。久しぶりだな」

「元気にしてたか、ボウズ」


 広々とした後部座席には牙白(きばしろ)少尉が座っていた。

 運転手は得上(えがみ)軍曹だった。

 隆満(たかみつ)伍長はいないようだ。


 二人は色鮮(いろあざ)やかなアロハシャツの上から黒い背広(スーツ)を羽織り、襟元から彼岸花の文身(タトゥー)をのぞかせていた。その出で立ちは完全に忘八(ヤクザ)者である。もし警兵隊に捕まりスパイ活動について調べられても、忘八(ヤクザ)組織に罪を(なす)りつけることができるというわけだ。

 吸血鬼は文身(タトゥー)を入れても再生してしまうため、ペイントするかシールを貼っている。おそらく二人の文身(タトゥー)もそんな感じだろう。


「お二方(ふたかた)とも、お久しぶりです」


 俺は会釈しながら挨拶を返した。


 『16時40分に、”乙”のタクシー乗り場で、黒い|セクイアナ社製の自動車マリスステラに乗れ』――それがピンクチラシに埋め込まれた指令の内容だった。


 扇情的なポーズを取る女性の顔は引き裂かれていたが、その瞳の中に配されたマイクロフィルムは無事だったため、なんとかここに来ることができた。


 黒いタクシーがなめらかに動き出す。

 クラッチを繋ぐときの不快な振動はまったく感じられなかった。

 得上(えがみ)軍曹はかなり運転が上手いらしい。


 この車両――《セクイアナ・マリスステラ》はヴァラヒア帝國のセクイアナ社が製造している自動車だ。もちろん吸血鬼の技術者がイチから設計したわけではなく、アージェンティア合衆國製の大衆車を元に、再現できない部分を遅れた技術で補ったモデルである。

 セクイアナ社はエンジンのすぐ後ろに冷却装置(ラジエーター)を設置することに固執(こしゅう)しているため、客室にまで熱が伝わって暑くなりがちだ。にもかかわらず車内は外気温と大差ない。《マリスステラ》の外見的特徴である石炭バケツ(コールスカットル)型ボンネットを被せてあるだけで、おそらく中身は別の車両なのだろう。


得上(えがみ)軍曹、この車の中身って《マリスステラ》じゃないですよね?」

「おっ、よく分かったな。中身(シャシー)は《ウェムル・ミカエラ》だぜ。トルクが有り余ってるんで装甲も仕込んであんだ。スゲぇだろ?」

「スゲぇっす」


 ウェムル・グループといえばアージェンティア合衆國のコングロマリットであり、最先端科学技術の研究や、航空機エンジンの開発を行っている。その傘下のウェムル・カーズ社は航空機エンジンの開発技術を活かした高級車を製造していた。

 《ウェムル・ミカエラ》はウェムル・カーズで一番人気の高級車であり、航空機顔負けの蝶々鋼(アルミニウム合金)製フレームや、四輪すべてに搭載されたメカニカル・サーボブレーキが特徴だ。

 エンジンは同じ水冷直列6気筒だが……、サイドバルブで鋳鉄製の《セクイアナ・マリスステラ》と、SOHCで蝶々鋼(アルミニウム合金)製の《ウェムル・ミカエラ》では比べものにならない。

 この車はまさに”羊の皮を被った狼”だった。


 フルスモークの窓硝子(ビードロ)越しに沈みゆく夕日が見える。

 協和國だとフルスモークなんて警察に睨まれそうだが、皇國においては一般的だった。吸血鬼は日光を嫌うためだ。

 少尉は足を組みなおしてから口を開いた。


「さっそく本題に入ろう。ヘマしたんだって?」

「……はい、そうです。学園で”腹違いの実妹”と遭遇しました。実妹の名前は囎唹(そお)サユリです。彼女は靑血スンジェ・アルバストルだったので、分家から本家に引き取られたのだと思います」


 俺のヘマじゃねぇよと思ったが黙っておいた。


 俺が五月に『コロアナ・アウリエ』で接触したのは安平機關(やすひらきかん)の諜報部員であり、支隊のメンバーではなかった。

 少尉は実働部の現場指揮官なので、いつもは軅飛(たかとび)男爵領内で通信傍受や実働作戦の準備をしている。俺の”ヘマ”は諜報部越しに聞いただけだろう。


「チッ。諜報部の連中、マジで使えないな。……で、どの程度までバレてる?」

「なんとも言えません。兄ではないかと言われましたが、人違いだと説得しました」

「一度は兄貴だと疑われたってことか? はぁ、もう無理には動かせないか……」


 少尉はため息をつくとタバコを咥え始めた。

 ライターのオイルが切れているのか、車内に置いてあった箱からマッチを取り出すと、組んだ足の靴の裏側でマッチを擦って点火。そのままタバコに火をつけた。

 少尉と初めて会ったときに嗅いだ匂いと同じ、淹れたての紅茶のような品のある香りが車内に充満する。


「俺も一本貰っていいですか?」

「……ん」


 俺は差し出された口付煙草(タバコ)の口紙を十字につぶしてから咥えると、自分のライターで火を点けた。ゆっくりと紫煙を呑み込み、ため息をつくように紫煙を吐き出す。


「……美味いです」

「だろ?」


 いつも皇國製の『リリアクル・アウリウ』とかいうマズいタバコばかり吸っていたからか、余計に美味く感じる。車載ラヂオからは正にその『リリアクル・アウリウ』のコマーシャルが流れていた。

 なにが『ウマい! 絶対にウマい!』だよ。誇大広告だろ。


「あの、俺はどうなりますかね?」


 さすがに気になったので聞いてしまった。

 これにて作戦終了となれば五千万(もんめ)相当の人間化手術レネゲイド・プロトコルが遠のく。

 それでは二百億(もんめ)の埋蔵銀も取りに行けないではないか。


「それについては安心しろ。まだ作戦は継続中だ。伊泥延(いでいえん)キッカの所在さえ確認できれば人間化手術レネゲイド・プロトコルは受けさせてやる。今回のヘマは諜報部の責任だ。俺たち実動部のせいじゃねぇ」

「そうでしたか」


 それを聞いて安心した。

 吸っていたタバコがさらに美味しくなった。


「予定どおり害獸驅除委員會がいじゅうくじょいいんかいには入会しました。委員会活動を通じて『学園周辺の下水道の地図』を入手し、俺が下水道から人間牧場(ヴィエ)に潜入するのが当初の予定でしたよね?」

「『学園周辺の下水道の地図』についてはそのまま入手できるように努めろ。ただし、下水道からの人間牧場(ヴィエ)潜入はいったん中止だ。お前の魚類系變化身(ズメウ)の能力を前提にした作戦だからな。まずは他のスパイに調査させる。……それより、お前には別の仕事に参加してもらう」


 そう言うと、少尉は車体中央部の収納から作戦資料を取り出して俺に渡した。


「別の仕事……?」

「ああ。今日呼び出したのは他でもない。皇國内に潜入できてる実働部員は少ないんでな。少しでも人手が欲しい」


 資料の表紙には『和泥合水(わでいがっすい)作戦・作戦概要』と印字されていた。

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