第26話:入浴介助
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・五月:月輪皇國/石橸子爵領/太平寮302号室/時刻は夜
「はい、お兄ちゃん。あーん♪」
「あむ。……うん、マジでおいしい」
「えへへ、よかったぁ」
俺は鬼オオカミとの激闘により重傷を負った。
しかし、すぐに学園長が大きな病院での手術を手配してくれたため死ぬことはなかった。高級で新鮮な人血もたらふく飲ませてもらったので再生も早く、命に別状はない。
問題は両手だった。
左腕は鬼オオカミの顎に噛み砕かれていたし、右腕も前脚の爪でズタズタに引き裂かれていた。そのため、神経が修復を完了し、うまく動かせるようになるまで三日ほどかかるそうだ。
そのため日常生活にはかなり苦労することとなった。単位を落としたくないので学園にすぐ復帰したが、手が震えてペンを持つのにも苦労した。これでは箸を持つのも難しい。
そんな俺を見かねて、手が治るまで妹が世話してくれることになったのだった。
「どうよ、言ったとおりでしょ? 親子丼には自信あるんだから」
「うん。マジで美味いよ。……もう一口」
「はい、どうぞ♪」
サオリが俺の部屋のキッチンで作ってくれた親子丼に舌鼓を打つ。サオリが来てくれなかったら定食屋で犬食いしなきゃならなかったので、本当にありがたい。
ツユダクの親子丼は非常に俺好みの味わいだった。汁気たっぷりの卵雑炊のような親子丼を、まるで飲み物のように嚥下していく。
濃厚な割下には紫河車の出汁が溶け出しており、強い旨味と豊潤な風味が舌の上に広がった。一口サイズに切られた軟らかい削ぎ切りの鶏肉には隠し包丁が入っており、飴色の玉ねぎと共にしっかりと割下の味が染みている。それでいて、ふわふわでトロトロの卵が濃厚な味わいを円やかに包み込み、料理全体を調和させていた。
しかし……。
「美味いよ? 美味いんだけど……、やっぱり玄米より銀シャリのほうが良かったな」
「むっ……。男の一人暮らしだし、どーせいつもの食事は栄養価が偏ってるんでしょ? 玄米はオリザニンたっぷりなんだから、たまにはこれで体を労わりなさい! ”家族には体に良いものを食べさせたい”っていう妹心、兄知らずだね!」
サオリは俺の頬をプニプニと指で突き、歯列を頬肉越しになぞった。
俺に親知らずは無いんだが。
「それに銀シャリは銀だから縁起が悪いでしょうが!」
「……はい、すみません。ありがとうございます」
それでも、基本の美味さは変わりようがない。俺はまたたく間に親子丼を呑みほしてしまった。
洗い物を減らすため、大きめの丼一つに盛り付けた親子丼を二人で食べていたのだが……、ちょっと俺のほうが食べすぎたかもしれないと反省した。
「いやぁ、美味かった。ごちそうさま」
「お粗末さまでした♪」
「洗い物は……」
「あー、いいよ。私がやっとくから。手がうまく動かないんでしょ? 食器割ったら大変だよ」
「……おう。あのー、俺の方が多めに親子丼食べちゃっただろ? 透水軒の乾パンあるから、帰るときに持っていきな」
「ありがと♪ ……あ、そうだそうだ。ねえ、今日はここにお泊りしていい?」
「えっ、急だな……」
「だってさぁ~……。ねぇ、聞いてよお兄ちゃん。隣の部屋の先輩が男連れ込んでてさ、毎晩アンアンアンアンうるさかったんだよね。最初は鼓膜破って寝てたんだけど、もう毎晩うるさいから昨日寮の管理人にチクったの。そしたら管理人よりも家格が上だから、すぐに注意できないんだって! 一週間後にお偉いさんが来て注意しますぅ~だってさ。そんなに家格が高いならカネ持ってんだろうしホテル行けっつーの!」
「うん、そうだな。……それよりも、鼓膜は大丈夫か?」
「まあ鼓膜についてはどうでも良いよ。どうせ再生するし」
「いや、どうでも良くない。そういうことなら今日は泊まっていきな。じゃあ、洗い物はお願いする。俺は風呂洗っとくから。……風呂入るだろ?」
「うん、ありがと♪」
サオリは丼を持ってキッチンシンクに行くと、割烹着を着て洗い物を始めた。
――うーん、改めて見ても美人だな。
風呂を洗う前に並四のトランスレス虛空管ラヂオの電源を入れた。
しかし、調整ツマミを協和國放送局の周波数帯に合わせたままだったため、あわてて皇國放送局の周波数帯に変える。
調整ツマミと再生ツマミをプルプルと震える両手で同時に操作するが、再生ツマミを回しすぎてピー!という不快な音が鳴り響いた。十秒ほど悪戦苦闘した末に、なんとか皇國のラヂオ放送を受信することができた。
ラヂオからは下らない皇國のプロパガンダばかり垂れ流されていた。
馬鹿の一つ覚えで『京師還幸』がどうたらこうたらと……。
旧帝都奪還が本当に可能だと思ってるのだとしたら救いようのないアホだ。どう考えても国力で劣っている皇國に勝ち目はない。
プルプルと震える手で浴槽をゴシゴシと擦る。
いつもより念を入れて掃除しておく。
震える手では2ハンドル混合水栓でちょうどいい熱さのお湯を出すのにも苦労した。
「お兄ちゃーん、食器洗い終わったよ」
「おう、ありがとう。悪いが、浴槽を洗い終わったばかりでな。お湯が張れるまでちょっと待っててくれ」
「うん、分かった。……それにしてもさあ、お兄ちゃんって本当に皇國のラヂオ聞いてるの? これ、つまんなくない? 協和國の放送に変えていい?」
「……そのセリフ、外で言ってないよな?」
「当たり前だよ。お兄ちゃんだから話してるんじゃん」
「そうか……。音量は下げてくれよ。ほかの連中に聞かれたら厄介だ」
皇國の吸血鬼が協和國を褒めるような言動をするのは本当によろしくない。
警兵隊にでも聞かれたら最悪だ。
俺の返答を聞いたサオリが慣れた手つきで調整ツマミと再生ツマミを回し、協和國のラヂオ放送にチャンネルを変える。
すると陰気なプロパガンダを垂れ流していたスピーカーが、今度は明るいポップミュージックを奏で始めた。落差で風邪をひきそうだ。
「おっ、アタリだ。私この曲好きなんだ~♪」
「……確かにいい曲だな」
吸血鬼の社会において人間側の作り出したモノを褒めるのはご法度である。自分たちが人間よりも劣っていることを認めることになるからだ。
身体能力だけで言えば、人間よりも吸血鬼の方が圧倒的に優れているため、基本的に吸血鬼は人間を見下している。しかし、吸血鬼は人血を摂取しないと知能が低下するだけでなく、そもそも人間よりも知能が高くなりにくいという人間側の研究結果がある。
なお、吸血鬼側が見下しているはずの人間側の技術を恥ずかしげもなくコピーするのは『奴隷が作ったものは主人のモノ』という意識が根底にあるからだった。
時計を見て、ある程度時間が経ったことを確認する。
浴室を覗くと、ちょうど浴槽に九割ほどお湯が溜まっていた。
「よし、風呂の準備できたぞ。先に入りな」
「え、一緒に入るんじゃないの?」
「……は?」
「いや、だって手がうまく動かないんでしょ? 私が背中流すよ」
サオリは、さも当たり前といった口調で言い放った。




