■星曆一九〇七年(光分四〇年)・五月:月輪皇國/平坂吸血鬼學園/裏山/時刻は昼
俺は茂みの中で息を潜めていた。草と土の青い臭いが鼻を突く。
目の前には囎唹サユリと曾我部モモカがいた。
……そして二人は鬼オオカミの群れに囲まれていた。
すでに拳銃は撃ち尽くしたと見え、二人とも血劍を生成している。
吸血鬼としての能力を底上げする助硏劑も持ってきてはいないだろう。あったらとっくに使っているはずだ。
壹念化生していないのは長期戦に備えて体力を温存するためか?
もしくは、二人とも戦闘には向かない變化身なのかもしれないな。
例えば俺は魚類系變化身なので、第一段階目である幼體變化身は魚類系共通である『ピラニアの特徴が強く出た魚人』になる。しかし、たいした能力もないため水中での戦闘以外ではあまり役に立たない。無駄に消耗するだけで割に合わないから、陸上の戦闘だと滅多なことでは壹念化生しない。
それに、強力な能力が使用可能になる第二段階目――成體變化身の維持は大変な消耗を強いる。俺のような藍血では助硏劑の助けがないと成體變化身の維持は難しい。
二人ともかなり疲弊しているようだ。――重畳、重畳。
もう一度、自分の立場を思い返す。
俺は協和國軍のスパイだ。
皇國には任務のために来ただけ。
任務が成功すれば、俺は人間になれる。
人間になったら、師匠が隠した二百憶匁相当の銀塊を回収しに行く。
それで俺の人生を買い戻す。
だというのに、十年前に生き別れた実妹とたまたま再会してしまったせいで作戦が失敗するかもしれないというのだから笑えない。
幼いころに仲が良かった妹なんて、どうでもいいはずだ。
そのはずだ。
俺は地面に伏せて《PT md.55回轉式雷銃》を構える。――狙うは実妹の胸部だ。
頭を狙うと丸い頭蓋骨に弾かれる可能性がある。吸血鬼は高い再生力を持つが、脳と心臓と生殖器だけは再生しない。だから、胸部を何発か撃って心臓を破壊してやればいい。
死体を犬に食わせてやれば、完全犯罪の出来上がりだ。
粗末なアイアンサイトの先に、形は良いが慎ましい胸部を重ねる。その上には美しく成長した顔が映えていた。
再開してからじっくりと顔を見たのはこれが初めてかもしれない。ずいぶん美人になったんだな。
鬼オオカミの強靭な前脚が会心の一撃を放ち、鋭い爪が女中の血劍を叩き割る。
すかさず別の鬼オオカミが女中の右足に咬みついた。その鬼オオカミはサユリの血劍で首を刎ね飛ばされたが、首は咬み千切ったモモカの右足を咥えたままどこかへ飛んで行った。
――よしよし、いいぞいいぞ。
動けなくなったモモカを庇うようにしてサユリが血劍を構える。しかし、その動作は明らかに精彩を欠いていた。そろそろ体力も限界だろう。
右足を咬み千切られる前からモモカは消耗していたらしく、地面に伏せたままピクリとも動かない。すでに何本か血劍を叩き割られていたのだろう。貧血で気絶していると見た。
つまり、このままサユリが戦闘不能になれば二人ともお陀仏というわけだ。
鬼オオカミたちは二手に分かれて挟み撃ちにしようとしている。サユリは仕方なく右側に回り込もうとする鬼オオカミたちを追尾するように体を右に旋回させる。
すると、ちょうどサユリの背中がこちらを向いた。
この状況なら絶対に当たる。
鬼オオカミたちが襲い掛かったら今の態勢が崩れてしまう。
もう撃つしかない。
いいのか? 本当にいいのか? 相手は実妹だぞ?
――何やってんだ、早く殺せよ。
その女を見逃すことに二百憶匁と同じだけの価値があるのか?
その女体に二百憶匁と同じだけの価値があるのか?
無ェだろ! 少しは考えろよ莫迦が。
ヤれない女に情けをかけてどうする?
ヤれない女に優しくしてどうする?
そんな優しい俺を、いったい誰が救ってくれる?
誰も救いやしないんだよ。
みんな俺なんかより河原に捨てられた犬の方を可哀そうだと思ってる。
犬よりも安い俺の命に価値なんてない。
カネが付いてこなきゃ俺の命に価値はない。
カネが無きゃ、俺は幸せになれねェんだよ。
カネだけだ。俺を救ってくれるのはカネだけだ。
カネが欲しい。喉から手が出るくらいカネが欲しいんだ。
だから、さっさと殺せ。
俺が幸せになるために、殺せ。
殺せ!
殺せ! 殺せ! 殺せ!
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺――
――煩エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ‼
頭の中の有財餓鬼の声をかき消すために、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も引き金を引いた。