第17話:左手薬指
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・四月:月輪皇國/架筧町/時刻は朝
前方から突っ込んでくる鬼コウモリに《VP-803拳銃》を向け、引き金を引く。
発砲――。鋭いリコイルと共に歯形のついたスライドが後退し、薬莢が後ろに飛んでいく。
鉛玉が鬼コウモリの眉間に直撃し、青色の血肉が爆ぜて地に堕ちる。
バウンドして跳ねた死体がぶつかりそうになるも、とっさにハンドルを切って回避した。
――そこで俺は鬼コウモリの流血が青色であることに気が付いた。
野生の鬼コウモリならほとんどの個体が紫色の血のはずだ。青色の血ということは”吸血鬼によって厳選され、飼育されている個体”の可能性が高い。
バックミラーに映る鬼コウモリが攻撃を仕掛けようと斜め後ろから滑空を開始する。それに合わせて、俺は闘牛の角みたくリバース型となっているブレーキレバーをギュッと引いた。
急ブレーキで車体を減速させ攻撃を回避。鬼コウモリを追い越させる。
無防備に曝された背中に向けて拳銃を向ける。
発砲――。ケツの穴を二つに増やされた鬼コウモリは青い血便をまき散らしながら地面に墜落した。
周囲の上空に鬼コウモリがいなくなったのを確認して拳銃嚢に《VP-803拳銃》を戻す。
青信号を左折し、路地に入る。
すると、学園を一周したときに見た風景が目の前に広がった。
「あと少しだ!」
裏門にバイクを突っ込ませて停車する。
――しかし、そこで一瞬だけ油断してしまった。
「お兄ちゃん、危ない!」
サオリが右腕を掲げ、上空から突進してきた鬼コウモリの足爪から俺の頭を守る。
右手が切り裂かれ、藍色の鮮血が宙に噴き出した。
「サオリ!」
拳銃嚢から引き抜いた《VP-803拳銃》を鬼コウモリ目がけて乱射する。その鬼コウモリが死体になったのを確認すると、残弾がなくなった《VP-803拳銃》を拳銃嚢に戻した。
すぐにサオリの右手を確認する。
「大丈夫か⁉」
「あはは、そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
健気に笑う妹の右手を見ると、手の甲に一筋の傷口が出来ている。
しかし、確かに出血は止まっていた。さすがは吸血鬼だ。
ほっそりとした手を引いて裏門すぐ近くの手洗い場まで連れていき、傷口を水道水で洗わせる。
俺はその間にエンジンをキンキンと鳴らすバイクを駐車場まで押し、裏門の受付に向かった。
さっきの爺さんは居なかったので、カウンターの内側に万札を置き、その上にバイクの鍵を乗せておいた。
サオリと合流して正門に向かう。
「……やっぱ痕になったらマズいよな。あっちに購買あるから人血買ってくる。先に正門行ってな」
そういって学園の購買部に向かおうとすると、サオリに左手を掴まれて引き留められた。
「かすり傷だし大丈夫だって。それにもう入学式まで時間ないし……」
「そうは言っても……」
「そんなに心配ならお兄ちゃんの血を飲ませてよ」
「えっ? それは……」
「兄妹なんだから、いいでしょ……?」
『吸血鬼同士の吸血』というのは、緊急時を除いて基本的に親しい仲でないとやらない……はずである。たとえば、吸血鬼の赤子が母親の乳房から初めての吸血をおこなう時とか、恋人や夫婦どうしで軽い傷を治療する時などだ。
人間でいえば『飲み物の間接キス』とか、『人工呼吸によるキス』のようなものだろうか……?
長らく皇國を離れていたせいで吸血鬼同士の距離感がわからない。
昔の常識って今となっては違うのか? ここで断ったらおかしいのか?
そうこう考えているうちに、俺の左手はサオリの両手に掴まれ、そのまま口元まで引き寄せられていた。
カプ――と、俺の左手薬指にサオリの犬歯が突き立ち、藍色の血液が吸い出されていく。
痛みはない。吸血鬼の犬歯に繋がっている吸血管からは麻酔成分が分泌されているからだ。
人間牧場の人血畜たちが反乱を起こさないのも、この麻酔成分を麻薬として与えられているからだった。
藍色の唇と舌が俺の左手薬指を丹念にしゃぶる。
喉を鳴らして俺の血液を飲み込むたびに、彼女の右手に刻まれていたはずの傷口が高速で癒着していき、完全に消えたのが見えた。
「おい、もうキズ治ってるぞ」
どう見ても右手の傷が治っているにも関わらず、ゴクゴクと俺の血を飲んでいたので、さすがに注意する。
サオリは、ぷは……。と左手薬指から口腔を離した。
長らく咥えていたからか、ネットリとした唾液が長い糸を引いた。
「ごめーん。美味しかったから、つい飲みすぎちゃった♪」
「まったく……」
左手首の腕時計を確認しようとした時、青い汚れのようなものが視界に入る。
よく見ると、左手薬指の付け根に青い口紅の跡がうっすらと残っていた。
桜の花が雪のように舞い散っている。
俺が日傘を差すとサオリは自分の日傘を差さずにこちらの傘の下に入ってきた。
そのまま桜吹雪の中を二人寄り添いながら小走りで歩く。
正門前では教員たちが学生たちを家格ごとの待機場所に誘導していた。
自分よりも家格が上の学生の相手をするのは大変そうだな……。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「あのさ……。さっきのお兄ちゃん、すっごくカッコよかったよ♪」
「そうかい。ありがとう」
俺は左手で妹の右手を握って傷口を確認する。傷口はすでにしっかりと塞がっていた。
サオリはしっかりと俺の左手を握り返していた。




