第13話:入学式当日
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・四月:月輪皇國/太平寮302号室/時刻は朝
ついに入学式の日がやってきた。
俺は朝日が昇る前に起き上がると、顔と腕に日焼け止めクリームを塗りたくり、詰襟の黒い学生服をまとった。もちろん頭巾付きである。
吸血鬼とは厄介なもので、日光が苦手なくせに夜は眠くなる。そのため活動するのはもっぱら昼間であり、紫外線対策をして出歩かなければならない。
学生鞄の中身を確認する。財布、路面氣動車の定期券、筆記用具、学生証――名前は鷹野ジンになっている。……雪シンの名前は任務が終わるまでいったん忘れよう。
部屋の鍵を閉め、学生寮の一階にある共用スペースに向かう。大型の氷式冷蔵庫前に足を運び、同じ鍵を使って302号室用の冷蔵庫を開けた。
中から輸血パックを取り出して犬歯を突き立て、よく冷えた人血を啜り上げる。ひんやりしつつもドロリとした咽喉ごしがたまらない。
「ふぅ……」
蕩けるような甘みが脳に浸み込んでいくのがわかる。
吸血鬼は人血か人肉を定期的に摂取しないと、知能が低下して獣と変わらない狂鬼になってしまう。一度狂鬼になってしまえば二度と吸血鬼には戻れない。
居間の椅子に腰かけて、冷蔵庫に入れておいた透水軒の乾パンをボリボリと齧った。乾パンといいつつ、実際にはシロップが浸み込んだ甘いラスクだった。
透水軒は皇國の老舗ベーカリーチェーン店である。軅飛男爵領の喫煙所でたまたま一緒にタバコを吸っていた吸血鬼から協和國製の煙草をねだられたので、残り少なくなった俺の煙草を箱ごとあげたところ、後日お返しにと透水軒のパンを貰ったのだった。
食べてみたらマジで美味かったので、ここに来てから朝食は透水軒のパンばかり食べている。
寮が契約してくれている新聞の天気予報を見ると『残念ながら今週は晴れが続きます』という表記が目を引いた。
まだ早朝だからなのか、俺の他には誰もいない。
入学式は午前10時からだから急ぐ必要もないが、なるべく余裕を持って行動したいと思い、俺はそのまま太平寮を出ることにした。
手袋をして、帽子をかぶり、外套を羽織って、日傘を差し、まだ薄暗い早朝の道路を歩きだす。頭巾は邪魔だったので被っていない。
別にいつも余裕を持って行動するタイプというわけでもないのだが、今日は戸籍上の妹――鷹野サオリに初めて会うので遅刻したくなかったのである。
手紙によると、住む女子寮がなかなか決まらなかったらしく、入学式の二日前にようやく引っ越し作業をするそうだ。家格が高いほど優先的に住む寮や部屋を決められるシステムなのだが、そういった権利のある連中がチンタラしていたせいらしい。
そんなわけで入学式が始まる一時間前に現地集合でご対面することになった。
停留場に着くと、タイミングよく路面氣動車が到着した。急いでいないときほど乗り物がドンピシャで来る現象はいったいなぜ起こるのか?
後ろの扉から乗車すると、早朝だからか乗客がほとんどいない。チンチンと鐘が鳴り、路面氣動車が動き出した。
車両の中央部に行くと床下に設置されたヘッセルマンエンジンの振動がモロに伝わってくる。そのまま通り過ぎて前の方の席に腰を下ろし、窓から街並みを眺めた。
東洋風よりも西洋風の建物のほうが多く立ち並んでいる。西洋風の建物には多数の屋根窓が設置されていた。あれは直射日光を部屋に入れずに換気するための設計なのだが、外から見ると”人の目”のように見えて不気味だった。
ポンポンポンポン!と独特の排気音が近づいてきたかと思うと、燒玉發動機のトラックがえっちらおっちらと対向車線を走っていた。協和國ではとっくに絶滅した車種だ。
遠くに見える線路上では、蒸気機関車が黒煙を噴き上げながら走っていた。協和國製の蒸気機関車である《D58型》の無断コピーだ。あれで港から令嬢たちを学園の人間牧場まで輸送してきたのだろう。
戦時は装甲列車化できる貨客戦兼用だから厳密には”コピーではない”らしいが、そもそも装甲列車の存在意義からして疑問がある。俺のような工作員が線路に爆弾を設置したら、すぐに行動不能になると思うのだが……。
朝焼けが空にオレンジ色を垂れ流し、青色と混ざり始めた。協和國を出発した日のことを思い出す。……あのときは夕方だったが。
なんだか、もうずいぶん昔のことみたいに感じる。
そろそろ眩しくなってきたので、俺は窓のカーテンを下ろした。
■星曆一九〇七年(光分四〇年)・四月:月輪皇國/平坂吸血鬼學園/正門前
「正門前で待ち合わせってのはミスだったかな……」
待ち合わせ時刻の9時よりも前に正門前に来てみたが、人だかりがすごいことになっていた。
学園前の停留場で路面氣動車を降りたところ、早すぎたのか正門が閉まっていた。そのため、学園の敷地を一周してきたのだった。
地図を見ただけではピンとこなかったが、やはりこの学園はとんでもなく広い。
正門前に戻ってきた時にはすでに多数の新入生とその家族がたむろしていた。
お付きの従者が桜並木でポーズをとる坊々たちにゴツいカメラを向けはじめたので、写真に写りたくなかった俺は正門前から離れた場所に移動した。
俺のような分家の準貴族と、本家の貴族が同じ学校に通うのは『使う側と使われる側の顔合わせ』のためだという。ありがたい話だね。
正門から少し離れた所に立っていた桜木の下で、改めて白黒写真を見直す。
鷹野サオリはかなりの美人だ。この娘を見つけられないほど俺の目が腐っているとは思えない。
『本物の鷹野ジン』は吸血鬼として能力の劣る紫血だったため孤児院に捨てられた。しかし、その後に産まれた鷹野サオリは紫血よりも格上の藍血だったため、そのまま育てられたそうだ。
吸血鬼というのは血が青ければ青いほど強力で格上であり、ほとんど産まれた瞬間に格が決まっている。
紫血は最下級、藍血は下級、靑血は上級となる。
ちなみに俺は藍血だ。
なお、蒼血は皇家の血筋なので、普通に生きてたらお目にかかることはない。
ではなぜ鷹野ジンが今更になって実家に呼び出されて学園に通うことになったのかというと、『血液の後天的青化が起こったから』という理由になっている。起こる確率は1パーセントくらいだから、ありえない話でもない。
うーん、鷹野サオリは時間にルーズな性格なのか? でも、手紙の内容からして適当な性格とも思えなかったが……。
すると、いきなり左側から声をかけられた。
「お兄さま……?」
その声を聴き、反射的に背筋を伸ばす。
ついに妹とご対面か――。
「おっ、君がサオリちゃん? よろし…………」
絹糸のごとく滑らかな純白の長髪が風に靡く。
宝石のような緑色の瞳が煌めく。
そこに立っていたのは、俺の本当の妹である曾根井サユリだった。




