2.藤川ダンジョン第一層
初回は二話連続更新。
頭上には空があって、眼前に広がるのは草原。特別に暑くも寒くもない気温。天気晴朗なり。
知識としては知っていた。画像だって、原始的なカメラで撮影されたものが出回っていて。けれど、実際に足を踏み入れた私を襲ったのは混乱だった。
だって、あまりにも長閑な景色が広がっているから! とてもじゃないけれど魔物が出没するダンジョンのイメージとはかけ離れすぎていて、自然公園に間違って入ったんじゃないかと錯覚した。
ただし。足元にのたりのたりとスライムが動いているのを見る前は。
半透明の不定形ゲル状の何か、であるスライムには、手足はもちろん、触手もない。移動後に粘液が付着しているわけでもないので、どうやって移動しているのかも謎。それがスライム。目も鼻も口もない。何かを捕食している様子もない。弱点である核だけが内部にあるのが分かる。こちらから攻撃しない限りは無害で、攻撃されると酸性液を射出してくるが、肌にかかってもピリッとする程度で服さえ溶かさない弱酸性。大抵は射出する前に倒してしまえる超・雑魚である。ダンジョンにいる魔物を倒すと必ず魔石が残されるが、スライムも小さな一センチ程度の魔石を残して消える。ちなみに売価五十円。場所によっては落ちているのを発見できないほど。例えば、こんな草原地帯だと。
なんとなく倒す気力もないままに見送ってしまったが、それでようやくダンジョンにいるという実感がわいて来た。そこで手にしたマップを頼りに歩き出す。
平日の午前中ということもあってか、人影はあるもののまばらで。しかも第一層ということで、出て来る魔物はほぼスライムしかいない場所。どの人も急ぎ足で第二層の入り口方面に向かっているようだった。
私の目的にはこの第一層で十分ではあるが、入り口付近にいつまでもいては後続の迷惑になるだろう。ボール遊びかハイキングするに相応しい風景の中をのんびり歩く。ウォーキングになって、良い運動と言えるかもしれない。
藤川ダンジョンは深さも第十層までしかない上に、ダンジョンの中ではそれほど広くない方だそうだ。と言っても、よく比較にされる「東京ドーム何個分」とかいう目安も、東京ドームに行ったことのない私にはよくわからないが、感覚としては結構広いと思う。聞くところ(両親談)によると、一番端までいくと不可視の壁があって、通り抜けることも壊すこともできないらしい。
ダンジョンというのは、ダンジョン由来のもの以外を吸収してしまう性質があるらしく。ただし人間のような生物は別らしい。発生直後には人間を送り出す前に動物で試そうという動きもあったらしいのだが、外の動物はどんなに宥めすかし、餌で釣っても、暴力を振るっても、絶対にダンジョンに入ろうとしなかったようだ。無理に抱えて放り込んでも、すぐに戻ってきてしまうということを繰り返したあげくに断念された歴史がある。結局、ダンジョンに踏み入ることのできる生物は人間しかいなかった。虫すら無理だったようで。おかげで虫嫌いの人間はむしろ積極的にダンジョンに潜るとか。
人間が身に着けている限りは服や物はダンジョンに吸収されることはない。持ち込んだ物品も、すぐには吸収されるわけではなく、完全吸収までには通常は一週間程度。
尾籠な話にはなるが、人間の排泄物はほぼノータイムで吸収されるらしく。どこでもトイレ状態が可能。ただ人目を避けるためにも、目隠しになるものを用意するのが特に女性DDには広まっている。最たるは小型テントだが、それこそアイテムボックス持ちでもないと持ち運べない上に、深層では魔物の脅威から視線が遮られるために非推奨らしい。結局、物陰で羞恥心を捨てる羽目になるのだとか。
私は母からも従姉からも話は聞いていたので、アイテムボックス内に親戚から譲ってもらった小型テントを組み立てたまま収納しているので問題なし。だいたい、低層にしか行かないから、魔物に襲われる危険も度外視して良いし。
ダンジョンには各階層の出入り口付近が魔物が入り込まない安全地帯になっているらしく、人力でそこまで運んだかクラフターに運搬依頼したかで、有料テント内トイレを営業している強者もいるらしい。普通に寝るための貸しテントや貸し寝袋、水や食料の販売も兼ねているとか。場合によっては人命救助にもなるので協会からもお目こぼしされているんだって。深く潜れば潜るほど、お金では買えない食料や疲労回復に繋がる睡眠とか得難いものね。しかもダンジョンの階層は、下に向かうほど広くなるから。
攻略組と呼ばれるパーティの場合、荷物持ち担当の人間か、アイテムボックス持ちのクラフターを同行させるのが普通だと聞くけれど、「創造職」に選ばれる人間で行きたがるのは少なそうな気がする。私なら絶対無理。
そういった心配が一切いらない平和な第一層で、私は目的の薬草の群生地に無事辿り着いた。協会でも薬草採取の依頼は出されているけれど、行きがけの途中で見つけたとかいう以外に、あまり持ち込まれないとか。上級ポーションの材料になる薬草には高値がつくけれど、低層で採取できる程度の薬草なんて買取金額も低いから、協会職員が持ち回りで採取しているとも聞く。一種のリポップ扱いなのか、採取してもまた同じ場所から薬草はすぐに生えて来るので、採り過ぎで注意されることもない。
スコップを取り出して、まずは土をざくっとな。
ポーション作成のスキルは、関連するスキルも呼ぶ。ポーションは中身だけ作るというわけにはいかないから。ダンジョンの土はポーション容器の作成のために必要。そう。まずは土を掘りだして、スキル発動。そうするとまあ不思議。蓋付きの小瓶が出来上がる。土の量で瓶の個数が変わるから、沢山作ろうとすると、土だって大量に必要になるのも当然のこと。ポーション作成スキル持ちは、だからフィールド型ダンジョンにしか用がないともいう。
私の初めての容器作成で作れたのは五個。アイテムボックスから折り畳みの小机とボウル、きれいな水を取り出す。摘んだばかりの薬草の葉をさっと水で洗ってボウルに入れ、きれいな水を注いでスキル発動すると、ちょっと光ってから中身がポーションになる。それを瓶に詰めていく。どういうわけか、作れるポーションの量も、用意された瓶の数分丁度しかできない。蓋をして、何故か瓶と一緒に出て来る封紙を貼って出来上がり。
この容器に入って、この封紙が貼られていないものはポーションと認められない。そうでないものは偽物ということで買い取っても貰えないのだ。そして封紙がついたままだと品質が劣化しない不思議。
ポーション専用小瓶は、ガラス容器に見える。蓋ははめ込み式。ゴムパッキンもないのに、一旦閉めると中身が零れない。サイズは市販の二百円くらいの栄養ドリンクと同じくらい。封紙を剥がして開封したら、飲むか振りかけるかの一回使い切り。開封してすぐに使わないと中身は蒸発してしまう。で、使うなり放置するなりした後の小瓶は消えてしまう。記念に空き瓶を置いておくとか、他の液体を入れて使うとかできない仕様。あくまでもポーションを容れるためだけの容器ということらしい。
肝心の、私のはじめて作った低級ポーションは。濃い緑色をしていて、透明感すらまったくない。見た目は青汁にしか見えないブツである。
「まずそう」
思わず本音が出た。私、青汁飲めないので。でも、これがちゃんと低級ポーションであることも間違いではない。というのも。ポーション作成に付属するスキルの中には、容器作成の他に、薬草鑑定とポーション鑑定があるからだ。
『低級ポーション。軽い外傷、微熱、頭痛、筋肉痛、微量の疲労回復効果。製作者:高邑璃乃』
制作者名は、出来上がった後から、伏せるなり、好きな名前を入れることができる。作った人間の特権で、たとえば。
『低級ポーション。軽い外傷、微熱、頭痛、筋肉痛、低度の疲労回復効果。製作者:りののん』
名付けると一回で作成したものすべてが同時に記載内容が変わる。五本作れた低級ポーションの制作者名が今は『りののん』になった。もう誰が鑑定しても『高邑璃乃』の本名は出てこない。野菜や果物の「私が作りました」みたいなアピールをする必要もないので、本名は伏せておきたい。手放すまでにまだ変更は可能なので、どういう名前にするかは後でじっくり考えよう。
本日、初日の作成ポーションに関しては、家族・親戚・友人に配るつもり。救急箱に入れておくと安心な一品です。封紙を剥がさない限り効果は薄れません。記念に一本どうぞ。
同じ要領で、瓶とポーションを交互に作っていく。
このポーション作成スキルは、使用するとMPが下がる。まだレベルが5の私の数値はどれも低いので、すぐに枯渇しそうになった。低いから、逆に回復は早い。休憩したらすぐに戻る程度。
結局、五本ポーションを作るを四回繰り返してMPが無くなった。慣れていないせいもあって疲労感もある。折り畳みの椅子に座って作業してたのにね? そこで時間も丁度良いのでお昼休憩することにした。
小机の上からボウルを片付けて、お弁当を広げる。はじめてのソロ・ダンジョンということで、朝早くに目が覚めてしまったから、手作りサンドイッチだ。ツナとキュウリのマヨネーズ。卵焼きとケチャップ。ハムとレタスのマスタードソースの三種類。耐熱水筒から熱い紅茶を注いでいただきます。外で食べるとより美味しく感じるのは不思議。
気持ちはピクニック以外の何物でもないけれど、周囲には鳥の声さえしないから、静まり返って、風が草を揺らす音だけが耳に届く。少し寂しくて人恋しいような気持にもなるが、開放感のある明るい場所のせいもあって、それほど深刻にはならない。誰かを付き合わせてまでする作業でもないから、ソロで丁度いい。それに、こんな風に一人になるというのも普段はないから、誰かしらが側にいる環境だから、新鮮なのも本当。
人目がないのを良いことに、防水レジャーシートの上に空気マットを重ねて、ブランケットにくるまってのお昼寝までした。やはり疲れていたらしい。一時間くらい眠ったらぱちりと目が覚めて。MPも完全回復していた。眠ることで得られる回復って、ポーションに頼るより健全。もっとも、私にはMPを回復するような中級のポーションはまだ作れないけれど。熟練したらスキルが生えるとは聞いているけれど、それにどのくらいの練度が必要なのかも分からない。当分は低級ポーションでやっていくだけ。
お昼寝のあと、もう四回繰り返して本日は終了。
帰宅して家族に配ってから、制作者名が『りののん』のままだったことに気が付いた。これが「もう遅い」ってやつ?
ダンジョン内には電波が届かない上に、電子機器のすべてが動きません。時計もアナログな螺子巻き式のみ使用できます。なので、他の方の書かれるダンジョンもののように動画配信とか不可能。使い捨てカメラでは撮影できるので、内部画像や魔物画像はネットで広まっています。なので意外に使い捨てカメラの需要は高い。電池式のあれこれもすぐに放電してしまうので荷物になるだけという。
あえて語られないダンジョン内トイレ事情に踏み込んでみました。だって気になるし。完全中世的ハイファンタジーならば草陰でうんぬんがまかり通っても。現代日本に繋がっているローファンだから。




