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婚約破棄された悪役令嬢は辺境で花を咲かせます 〜氷の辺境伯の手は意外にあたたかい〜

作者: 七星鈴花
掲載日:2025/10/24

「エリシア・ノースブルーム。今この場をもって、お前との婚約を破棄する!」


 音楽が止み、シャンデリアの光が冷たく煌めいた。王都で最も華やかな舞踏会。王太子アルベルト殿下が、私の名を噛むように呼ぶ。隣には涙に濡れた瞳の少女。異世界から召喚された「聖女」だというユナ嬢。白いドレスに金の装飾、いかにもそういう物語のヒロインといった姿。


 彼は続けた。


「ユナを虐げ、学園で陰湿な嫌がらせを繰り返し、階段から突き落とそうとした卑劣な女……!」


 ああ、来ました来ました。前世の記憶を取り戻してから、だいたいこうなる未来は見えていた。乙女ゲームの断罪イベントってやつ。理不尽な会議で鍛えられた私のメンタルをもってすれば、この公開処刑みたいな場でも、ちゃんと笑顔は作れる。


 私はドレスの裾をつまみ、深く一礼した。


「殿下。お言葉の重さは理解しました。……ただ、事実を少しだけ整えてからにしませんでしょうか?」


 くすくすと笑いが上がる。断罪される側の余裕など、滑稽に見えるのだろう。殿下が苛立ちを隠さず、吐き捨てた。


「黙れ」


 その時、会場の壁から小さな音がした。貴族たちの視線が泳ぐ。天井のクリスタルが、淡い青を帯びる。


 私が設置した事実の記録水晶。精霊術を少し工夫することによって、会場の照明と繋げてある。


 空中に映し出される映像。そこに映るのは、学院の裏庭。ユナ嬢がメイドを呼び止め、封筒を渡し、こう囁く姿だ。


「ねえ、あの子の靴に泥を塗っておいて。あ、ばれたら困るから、私のせいにしないで」


 ざわめきが走る。さらに映像は切り替わり、階段の上へ。ユナ嬢が自分で足を滑らせ、振り向いてから涙を溜める様子。抱きしめるように駆け寄る殿下。そして、私が遠くから足を止め、救護を呼ぶ姿。音声も鮮明に響く。


「……ユナ、これは……?」


 青ざめた殿下の声と前後して、新たな足音が響いた。会場の扉が音もなく開き、冷たく澄んだ空気とともに、彼が現れる。


 彼は、フェンリース辺境伯レオン・フェルナー。氷の魔術を得意とし、厳冬の地を守る貴族。銀灰の髪も氷のように見られがちだが、実際には陽だまりに溶ける雪のように静かな人だ。私が困っていた時、最初に手を伸ばしてくれた人でもある。


「王都監察局の立ち合いは済んでいる。事実の記録水晶は改竄不能。これは、精霊契約に基づく真実の証左だ」


 彼の低い声に、会場の空気が引き締まる。王城の紋章を付けた監察官が二名、前に出た。殿下が何かを言おうとしたが、その前に映像は最後の一幕を映した。


 夜。聖樹の前。ユナ嬢が私の手首から光る紋を剥がそうとしている。


「どうして……どうしてアンタに聖女の印なんてあるのよ! 私のものなのに!」

「知らないわ。私も聖女だなんて望んでいないの。ただ、ここの土や風や水を好きだと思ったら、勝手に芽吹いてしまっただけ」


 木の根元で、淡い光が踊る。精霊たちがからかうように笑い、私の手首の蔦紋がひときわ輝いた。記録水晶はそこまで映すと静かに暗転した。


 数秒間の沈黙。重い衣擦れを破ったのは、国王の声だった。壇上の別扉から現れた国王陛下が、深く息を吐く。


「アルベルト。お前は王太子の肩書きを剥がされたいのか?」


 殿下の顔から血の気が引いていく。ユナ嬢は、震える手でドレスの裾を掴み、私を睨んだ。


「どうしてよ、これは私の物語なのに。王子様は私のものなのに。異世界に呼ばれて、努力もした。なのに、なんで、なんで……!」


 その悲鳴のような叫びを聞いて、私は少しだけ胸が痛んだ。努力したい気持ちは、誰にだってある。ただ、他人の土台を壊してまで掴むものじゃない。


 レオンが私の手を取った。ひやりとするはずの指が不思議とあたたかい。


「エリシア。君は何も奪っていない。土を耕し、枯れかけた村に水を引き、芽吹くものを守っただけだ。俺は見ている」


 その言葉が、私の胸に落ちた。彼は知っている。王都で何を言われようと、冬の畑で膝を汚し、寒風の中で苗を抱え、凍えた子どもに温かいスープを配っている私を。前世では、数字と上司の機嫌ばかり見ていた私の目をこの世界で土と空へ向け直してくれた人だ。


 王が静かに言い渡す。


「アルベルトは、王太子位剥奪。ユナ・サカイは、保護観察処分。世界の来訪者であることを情状とするが、記録水晶の前で取り繕いはできぬ。この場での婚約破棄は、エリシアの側に非はない。むしろ王家からの謝罪が必要だ」


 会場の空気が大きく揺れた。その波の中、私はレオンの手を握り返す。彼はわずかに目を見開き、口元に笑みを浮かべた。レオンは、言う。


「では、こちらからも宣言を一つ」


 氷の辺境伯が、王の前で片膝をつくなんて、王都の紳士淑女は誰も想像していないだろう。


「フェルナー辺境伯レオンは、エリシア・ノースブルーム嬢に求婚する。彼女の望みと春を必ず守ると誓う」


 会場中の視線が燃える。ざまぁと爽快の間に、甘さが落ちてくる。私は思わず笑った。ああ、この空気。前世の承認欲求の延長じゃない。もっと、土と香りのする温かいもの。


「……はい。わたくしで良ければ。レオン様」


 彼の指の温度がようやく肌に現実として溶け込んだ。


 ◇◇◇◇


 あれから半年。フェンリースの冬は厳しい。けれど、私の庭は小さな白い花でいっぱいだ。雪解け一番に咲くクロッカス。精霊と相談して、凍らないようにするために、小さな温室を作った。前世の知識が役に立つ時、少しだけ照れくさいけれど嬉しい。


「指、冷たいな」


 背後からレオンの声がする。振り向くと彼がマントを広げていた。けれど、彼の手は、やっぱりあたたかい。


「あなたの方が冷たいでしょう? 氷の魔術師さん」

「内側は君のせいで溶けてる」


 さらりとそういうことを言う。私はマフラーに顔を埋め、咳払いで誤魔化した。彼は笑って、私の指先に自分の手を重ねる。魔力の流れがそっと整えられ、しびれていた指が温もりを取り戻す。


「王都は、どう?」

「相変わらずだ。監察局は忙しそうだし、王は働き詰めで臣下が青ざめている。……元王太子殿下は、辺境の修道院で労作の日々だ。たぶん、人生で初めて土に触れている」


 レオンの言い回しが少しだけ意地悪で、私は吹き出した。


「それは、ざまぁ……ですね」

「君の口からそれが聞けるとは」

「たまには、言いますよ。ユナ嬢は?」

「保護観察のもとで読み書きと魔力の基礎訓練。彼女の世界では才能だったものが、この国では罪になりかけた。境目を知るのは、彼女にとっても必要だろう。彼女から君宛ての手紙が来ていた」


 差し出された封筒には、拙いけれど丁寧な文字。「ごめんなさい。あなたの春は、あなたのものですね」とだけ書いてある。私は、手紙を胸に当てて目を閉じた。許すことは、簡単じゃない。


「エリシア」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。レオンの瞳が、雪の反射で明るい。彼は少し躊躇ってから、言葉を結んだ。


「結婚式は、春にしよう。君の花がいちばん綺麗に咲く季節に」


 心臓が、跳ねる。私は笑って頷いた。


「では、誓いの花は私が育てます。氷の辺境伯が溶けるくらい、甘いのを」

「それは困るな。溶けたら抱き上げられない」

「じゃあ、ほどほどに」


 そう言って、私は彼の手に自分の手を絡めた。前世では触れられなかった温度が、今は指の間にちゃんとある。物語に期待される役柄に収まることは、もうやめた。私は、私の望む春を私の手と彼の手で作る。


 遠くで、雪解け水の音がする。庭の向こうにある白銀の境界を越えて、薄い緑が芽を伸ばした。精霊たちが笑う。今度は私も一緒に笑う番だ。

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