太輔の執着
「お母さん。最近リーダーと何かあったの?」
例の溜まり場で、歩が明奈に問いかける。
その質問に流夢も食いついてきた。
「この前の決起会の時とは、明らかに雰囲気変わってるよね! 主にリーダーの方が変わったような……ママにちょっかいかけたりとかが増えたんじゃない?」
「はあ……」
明奈が、ややうんざりした調子で息を吐く。
太輔が馴れ馴れしくなってきた理由は、彼女自身わかっていた。
私小説を読んでからだ。太輔の自分への態度が変わったのは。
わたしの過去を知ってから、やたらと絡んでくる。
この前だって、わざわざ家にまで来て……何がしたいんだろう、あの男は。
「お母さんとリーダーって古くからの仲なんだっけ? いいなあ……私ももっと早くにお母さんと会いたかった」
「だよねー。私たちの知らないママをたくさん知ってるのかと思うと、ちょっとジェラシー感じちゃう」
娘面コンビが、好き勝手なことを言う。
「私たちの知らないママ、って言っても、わたしあいつに自分のこと話した経験、ほとんどないよ」
「え? そうなの?」
「えー、いがーい」
「まあ、あいつの方はぺちゃくちゃ話してきたけどね」
「へー……あっ、そうだ!」
流夢がパン、と手を叩く。
「リーダーの過去とか胸糞エピソードで、私たちが知らないものってあるのかな? ママにしか話してないようなやつ」
太輔は自分の経歴や境遇について、開けっぴろげに話しているふうに見えた。
リーダーのそんな姿に感化されたおかげで、メンバーたちは自己開示に積極的になれた。
太輔の過去については、メンバー全員が大体知っていた。
だが、それで全てなのか。語られていない部分がありはしないか——流夢が気になるのはそこだった。
「あんた、性格悪っ!」
「うっさい。そんなこと言って、歩だって気になってるんでしょ」
「そりゃあ、気になるか気にならないかで言ったら、気になるけど……」
「ほら〜。ね、ママ実際のところどうなの? 解禁してない情報とか、やっぱりあったりするの?」
ある。
太輔が明奈にだけ話したことが、確かにある。
それは、明奈もつい最近本人の口から聞いたことだった。
太輔が明奈の家に泊まった日の夜のことだ。
布団に入る1時間前。聞こえる音と言ったらかすかな虫の音と二人の呼吸音。神聖なほど静まり返った空間に、弱弱しい太輔の声が落とされた。
「俺の親父なんだけどさ」
そこから、太輔の話は何分か続いた。明奈は一言も口を挟まず、頷くことすらしなかった。
太輔の話は、一方的に始まって一方的に終わった。
「あるよ」
「おお、あるんだ。ねえ、誰にも言いふらさないからさ、私たちにだけ教えてくれない?」
「ちょっと流夢——」
「いいじゃん。どうせもう少しで——」
流夢が何でもないことのように、あっけらかんと言う。
「顔を合わすこともなくなるんだし」
「……それはそうだけど。でもだからって、本人の許可を取らずに……」
明奈は歩の意見が正しいと思ったが、太輔の一番苦い思い出について、自分だけが背負わされているのも何だか癪な気がしてきた。
そんな重たいものをわたし一人に押し付けようとするな、と。
「別にいいよ。流夢の言うとおりもう会わなくなるんだし。そろそろなんだから、気まずくなる心配もないでしょ」
「やっぱママもそう思うよね!」
「…………」
歩は憎たらしそうに流夢を睨む。
流夢はそんな歩を見て、得意げだった。
「あいつがまだ、実の両親のところで暮らしてた頃の話なんだけど——」
明奈は話し始めた。
「まあ、別に珍しくも何ともないよくある胸糞家庭だよ。暴力的な父親と、その矛先が自分に向かないように子どもを見殺しにする母親」
そのことなら、太輔自身も話していた。
俺は、暴力でコミュニケーションを学んだと言っても過言じゃない。
殴る強い奴と殴られる弱い奴。それが対人関係の基本構造なんだと。
どちら側に回れるかが、問題なんだと。
太輔は子どもの頃は、そういう考えだった。
いや、今でも根本の部分は何も変わっていない。
大人になるにつれて、どんな状況も暴力で切り抜ける、ということが不可能になってきた。
だから太輔は、暴力以外の"力"を使うようになっていったが、力で支配する、という価値観が息づいているのは変わらない。
暴力以外では、例えば金や脅しを駆使してきた。
力を使って、相手を追い込めた時——弱いものが自分に怯える姿を見ると、彼は深い満足を覚えるのだった。
自分は今、こいつよりも強い。
自分は強い立場に立てているのだ。
強い奴と弱い奴。どちらが辛い思いをするのかは、火を見るよりも明らかだ。
「弱い奴は、何をされても黙って耐えることしかできない——」
「あ、それリーダーがよく言ってるよね」
「そっから『でも俺たちは違う』って流れになるのがお決まりだよね」
黙って耐えているのはもう終わりだ! いつまでも大人しくしてると思ったら大間違いだと、憎いあいつらに知らしめてやろう!
太輔は、同類たちの憎しみを思う存分焚き付けた。
言葉を使って人を支配する方法を、太輔は身につけていた。
このまま踏み躙られたままでいいのか。
何もしないでお利口にしていれば救われるのか。
いや違う。やり返さないと俺たちは救われない!
そんな強い言葉で、自分の元に集った大勢の若者の感情をコントロールした。
元々、集まってきた人たちの中に、冷静な頭を持っている者などいない。
みんな、爆発寸前の爆弾のようだった。太輔はそれに火をつけただけだ。
他人を、社会を、この世界を許せない。
全人類が憎い。
この思いをバーっと解放してやりたい。
そんなふうに感じている人間の集まりだった。
そして、太輔はその代表者にすぎないのだった。
「毎日半殺しにされて、歯が折れたこともあるんだって? でも、それなら別に新しい情報でもないよね〜」
流夢が続きを促すように、明奈を上目遣いで見る。
「そんな期待込めた目で見られても、大した情報でもないんだけど……」
太輔みたいな目に遭ってきた子どもは珍しくない。こうして話している今も、そういう目に遭っている子どもは大勢いる。
だから、明奈が太輔の口からそれを聞いた時も、そこまでの衝撃は受けなかった。
「性的虐待だよ」
明奈が、漢字四文字で太輔のトラウマを簡潔に表す。
「マジ? 父親から?」
歩が尋ねる。
「そうだって」
「あー、そりゃゴミカス呼びもするよね」
「へえ。そっかあ……」
歩の目に、意地の悪い好奇心が宿る。
こういう目で見られるのが嫌で、言わなかったんだろうな。
明奈はそう思った。
「見るからに腕っぷしの強そうな体のでかいリーダーが、そんなことされてたとは……あっ、でもリーダーのお父さんなんだから、ゴミカスもやっぱりデカいか……」
「いや、子供の頃からムキムキの人はいないでしょ。大人と子どもなら、そりゃどうあがいたって子どもが負けるって」
流夢がツッコミを入れる。
体が大きくなってきた時には、もう親の元から離れていた。
太輔は親から、支配する・支配されるという対人関係について教えてもらっただけで、正しい教育は一つも授けられなかった。
「そっか……そりゃあリーダーにもか弱かった時代はあるよね。今の様子からは想像もつかないけど」
太輔は見た目もさることながら、言動や態度にも威圧感があった。
大柄な体格に野太い声。凄みを感じさせる鋭い目元。
いつも強い言葉を使い、誰にでも乱暴な口調で接する。
大体の人間は、太輔に逞しい印象を抱いていた。
明奈は、実際はそんなことはないのだろう、と感じ取っていたが。
「リーダーとお母さんって似てるよね」
ふいに発された歩の言葉に、明奈は食いつく。
「似てるってどの辺が」
「えっと……雰囲気とか言葉遣いだよ。やっぱり付き合いが長いとそういうの似てくるのかな」
「あーわかる。狂犬みたいな感じが似てて——あっ、悪く思わないでねママ。別に悪い意味じゃないから。強気なところが格好いいって思ってるんだから」
わたしとあいつが似てる、か。
考えたことなかったけど、確かにそう言われるのも頷ける。
あいつにシンパシーを感じるのも、わたしと似ているからかもしれない。
明奈は、少しだけ不快な気分になった。
歩が流夢に呆れた目を向ける。
「でもそれにしたって、狂犬みたい、って……もっと他に言いようあったでしょ」
「学校にもろくに行ってなかったから、ボギャブラリーが貧弱なの!」
「どこらへんがそう思えるの?」
少し気になったので、明奈は聞いてみる。
「んーなんか」
流夢が顎に人差し指を当てて考える。
「他人が近づいてきたらすぐに噛みついてきそうな、攻撃力高い感じかな? 警戒心が強くて近寄ってくる人全員、ボコボコにしちゃいそう。信じられるのは自分だけ! って空気をビンビンに感じる」
「それじゃ、犬ってよりゴリラかライオンじゃん。リーダーのこと実は馬鹿にしてない?」
「してないって! ——ママ? どこ行くの?」
「帰る」
出口に向かって、スタスタと歩き出す明奈。
「ママ、怒ったの? 私、馬鹿にする気はなくて……私、馬鹿だからうまく表現できなかっただけで……」
「そんなこと知ってる。別にさっきの話にムカついたとかではないから。ただ飽きただけ。用事も済んだし」
明奈は、週に一回はアジトに顔を出すように言われているのだった。それでなくとも計画の立案者として、色々打ち合わせなどしなくてはならない。
用事が済んだら、さっさと帰るのが明奈の常だった。
明奈の東京嫌いは、メンバーたちに知れ渡っていたので、流夢と歩も「早く田舎に帰りたいんだなあ」と去っていく明奈を見て納得した。
「本当にお母さんは東京嫌いだね」
「でも一年前——いや、二年前だったかな? ママが田舎暮らしを始めたのは。わりと最近まで東京に住んでたんだ、ってリーダーが話してた」
「そうらしいね。東京の便利さに慣れちゃったら、余計に離れられなくなりそうなのに……お母さんの住んでるところ、すっごい田舎なんだって。コンビニまで車で15分らしいよ」
「うへえ」
歩がゲンナリと顔を歪める。
「何でそんな田舎に住みたがるんだろうね」
明奈の車のエンジン音が遠ざかっていく。
彼女は、東京から逃げるように去っていった。




