不吉な予感
イエローカフェは、朝9時に開店する。
ここから閉店の20時まで、店内は子どもの賑やかな声に包まれる。
「おはようございまーす!」
子カフェで働くにふさわしい、元気と愛嬌たっぷりの挨拶と共に、出勤してくる子どもたちは、大抵開店10分前には来て、スタンバイしている。
俺は集まった子どもたちに「みんなで食べな」と呼びかけ、大袋のお菓子をメインフロアの一番奥のテーブルに置き、バックヤードに向かう。
幼い子たちのわあっ、という歓声が上がった。
「やったー!」
「今日はチョコだー!」
「一人一個だからね!」
菓子一つで宝くじでも当たったかのようにはしゃぐ彼ら彼女らの声が、遠ざかっていく。
俺は3日に一度のペースで、子どもたちにささやかな差し入れをしていた。
子カフェの子どもたちは、家ではあまり菓子が出ない、という子たちばかりだから、たかが菓子一つでもこんなに喜んでくれる。
これで士気が上がるのなら安上がりだ。子どもは天真爛漫であればあるほど、大人に好かれる。
今日は月曜日だが、学校を休んで来ている奴もいる。学校の制度なども、俺が子どもの頃に比べて柔軟になってきているようで、事情があれば毎日出席しなくとも、そう目くじら立てられなくなっている。
俺の頃は、体調不良や葬式以外の理由では学校を休んだりできなかったのに、今では家族で旅行に行くから、という理由での欠席が公然と認められているらしい。
ゴールデンウィーク中でも、祝日以外の日は普通に学校があるのだが、そんな時の出席率は凄まじく低いみたいだ。せっかく親が連休に入っているのに、わざわざ自分だけ学校に行く気になどなれないのだという。家族みんなで休んでどこか旅行にでも行く、というケースが多い。
時代は変わったな、とつくづく思う。
学校を休む、ということのハードルがうんと下がっている。故に、平日の昼間でも子カフェで働いている児童は多い。保護者と本人がそれで良い、と納得しているのなら、授業時間に仕事をしても構わない、と法律によって認められている。
子カフェの子どもたちは、法律的にはアイドルやタレントのような芸能活動者の括りに入る。子役が撮影のために度々学校を休むことが認められているのだから、同じ芸能活動者である子カフェの子どもが学校を休んで仕事することにも、何の問題もない。
しかし、成績に支障をきたすようなら仕事は続けられない。学生の本文は勉強だ。
だから欠席日数の多い者は、定期的に学力テストを受ける手筈になっている。そのテストの合格ラインに達していれば、仕事を辞めさせられることはない。
前の店で、カフェでの仕事を辞めたいあまりに、あえて赤点を取った子がいたな、と思い出す。
でも、その子は結局親に再試験を受けさせられていた。
みんな、仕事を続けられるように、テスト前になると一生懸命勉強する。その時期になると、カフェのテーブルで問題集を開き、真剣に取り組んでいる子の姿がしばしば見受けられた。
その中の一人が、赤点取ったら親に殺される〜、と笑っていたのを思い出す。
「いらっしゃいませ〜」
宮内の声が聞こえる。今日一人目の客が来店したようだ。
俺は、店での大半の時間をバッグヤードで過ごしている。たまに店内を見て回ることもあるが、基本的に引きこもってパソコンと向き合っている。
だから、子どもらとの接点もあまりない。というか、必要以上に関わらないようにしている。
俺のいる場所は、建物の一番奥まった位置にある。
部屋の扉を閉めると、店内に響き渡っている声は完全に聞こえなくなる。あの溌剌とした声がいくつも集まった音を聞くと、何となく決まり悪くなるので、扉は毎回キッチリと閉める。
あの子たちの仕事ぶりを、客たちとどのように接しているのかを、俺はまったくと言っていいほど知らない。店長の俺よりも、一介の店員である宮内の方がよっぽど詳しいはずだ。
子カフェの店長というのは、多くがそういう風だと聞いている。
直接子どもたちに接する役割は、大抵副店長に押し付けられる。
俺は、イエローカフェの前にも、子カフェで働いていたことがある。といっても、同じ会社が経営しているところだが。
真面目な働きぶりが評価され、新しく出す店の店長にならないか、と誘いを受けたのだ。その『新しく出す店』というのが、ここイエローカフェだったというわけだ。
前の店で、俺は副店長だった。
その店は経営状態も良く、労働環境も良かった。一時的に注目されるのではなく、多くのリピーターを得ている名店だった。元はと言えば、学生の頃バイトとして採用されたのだが、就活に全敗して困っていたところを拾ってもらい、正社員の肩書きを得ることとなった。
そうして真面目に働いているうちに、副店長にまで出世したのだ。
前の子カフェは、問題を起こす子どもはいないし、店員同士の仲は良いし、変な客は少ないしで、居心地が良かった。
大っぴらに言えることではないが、どこの店にも変な客はいるものだ。正社員になると、研修で他の店舗に行かされるのだが、厄介な客がまったくのゼロ、という店は一つもなかった。
子カフェが生まれた当初は、この施設を歓迎する人間ばかりではなかった。倫理的にどうなのか、という議論が人々の間で活発に行われたことは忘れていない。
今はもうそんな歴史など存在しなかったように、当たり前に世間に受け入れられているが。
そうだ。子カフェが社会にとって、子どもたちにとって良くない、という考えはもう古い。そんなことを言うのは、古い常識に囚われている人間である証拠なのだ。
だから"あいつ"から言われたことを気に病む必要なんて、微塵もないはずだ……。
思考が過去に流されそうになるのを、ノックの音が防いだ。
「店長、すみません。今ちょっと良いですか?」
宮内だ。
「ああ、大丈夫だ。どうした?」
「それが……」
ドアを開けて、現れた宮内の浮かぬ顔を見て、トラブルの予感がした。
その予感は当たり、彼女の後ろから顔をクシャクシャにした7歳の少女が姿を見せた。
またか。これで何度目だ。
俺は、ため息を抑えようともしなかった。回数を重ねるごとに、対応が雑になっていくのを自覚しながらも、改める気はなかった。
「どうした。何が辛いんだ?」
それでも一応、聞いてやる。子カフェは子どもが要なのだ。子どもたちのケアも、仕事のうちだと思って我慢するしかない。
わかりやすく伝える、ということがままならない子どもの話を聞いてやるのは骨が折れるが、しょうがない。
その7歳の少女は、名を歩といって、この仕事を始めてまだ日が浅かった。
歩の要領を得ない話を辛抱強く聞いてやったところ、どうやら贔屓にしてもらっていた指名客と、もう1ヶ月も会っていないのだということだった。
「また近いうちに来るからね、って言ってたのに……歩ちゃんと会えるの楽しみにしてるって……言ってたのに……」
言ってたのに、言ってたのに……と歩はそればかりを繰り返す。
小さな両手で目を擦るので、俺は注意した。
「やめなさい。目の周りが赤くなるぞ」
うるさい人間はどこにでもいるのだ。あそこの子カフェにいる子は、泣いてばかりいる、とでも噂されてはたまらない。それに不細工になったら、歩の売り上げにも影響する。
——今月の給料、何でこれっぽっちなんですか。
そんなふうな言いがかりをつけてくる保護者もいる。お宅の子の人気がないんですよ、というわけにもいかないので、そういったモンスターペアレントの応対中は、胃に穴が空きそうな気がする。
「歩が笑ってくれた方が、俺も宮内も嬉しいんだ。だから泣くな」
精一杯の優しい声で、方便を吐く。
歩は疑うような目つきで、ジトっと見上げてきたが、ひとまず泣き止んでくれた。
「ほら、クッキーあげるから」
俺は持ってきていたクッキーを、歩の手に握らせる。
時折、ベソをかいて裏にやって来る子用に、俺はちょっとした菓子を常備している。「他の子には内緒な」と言って渡すと、機嫌が少し良くなるのだ。
しかし、今日の歩には大した効力を発揮しなかった。
「ありがと……」と弱々しい声を発して、どうでもよさそうにクッキーをポケットに仕舞う。
「きっとまた、来てくれるから。な?」
「うん。また会えるよね、お母さん……」
「その呼び方、駄目だって言ったでしょ!」
宮内が叱りつける。歩はしまった、という顔をして俯いた。
「ごめんなさい」
「顔洗ってきなさい。目の赤みが取れたかちゃんと確認して、それからまた店に戻って」
「はい……」
歩が手洗い場まで、パタパタと駆けていく。
ふう、というため息がシンクロした。
「どうしましょうね、例のこと。ずっと隠し通せるとも思えないんですよ」
「でもなぁ……幼い子どものことだから、時間が経てばケロッと忘れるんじゃないのか? いくらあの客に懐いてたからって、いつまでもあの調子で塞ぎ込んではいないだろう」
「忘れてくれますかね……だったらいいんですけど」
宮内は、不安を拭えない様子だ。
「歩、例の客のことお母さんって呼んでたんだな」
「はい。ここでのルールは定期的に全員に音読させてるんですが……歩みたいに守らない子もいるでしょうね」
子カフェには、そこで働く子どもが守るべき規則がいくつかある。
その中の一つに、客のことを『お母さん・お父さん、パパ・ママ』などと呼んではいけない、というものがあった。
働いている子どもの中には、実の親よりも足繁く通ってくれる客の方に愛着が湧く者が少なくない。
向こうはただ一時的に癒されに来ているだけなのだ。いくら優しくされても、本当の家族のように思ってはいけない。
この冷酷な真実を、子どもらには口を酸っぱくして日頃言い聞かせている。もっとも、言い聞かせる際は、もう少しオブラートに包んでいるが。
サービスを提供する側が重たい感情を抱いてはならない。気軽に来てくれる客の足が遠のかないように弁えること。
しかし、相手は分別のつかない小さな子どもなので、そこら辺が理解できていないことが多く、指名客に特別な感情を抱く子の存在は、業界全体の問題となっている。
それに、子どもたちもそうだが、客側が一線を超えた感情を子どもに抱く、というのも危険なのだ。
親のように慕われて、母性や父性に目覚めた客が、ストーカー化する可能性もある。そうなった場合、警察が介入するようだし色々面倒だ。
歩を指名していた客は、ストーカー化するタイプではなかった。
歩個人に愛着を抱いていたわけではなかったのだから。
3ヶ月前、歩と同じ7歳の少女が、イエローカフェに新しく入ってきた。
その子は、歩よりも見目が良く、明るく人懐っこかった。
今まで歩を指名していた30代の女性は、あっけなく新人に流れていった。
その女性は、小学校低学年の女の子なら、誰でも良かったみたいだ。
歩じゃなくても良かった。
歩が求めているその人は、来店していないわけではない。何なら昨日来たばかりである。例のごとく7歳の新人女児を指名した。
毎回、予約してから来店することが救いだった。人気の子ともなると、指名客が何人もいたりするので、フラリと立ち寄っても会えないことが多い。だから、指名したい場合はあらかじめ時間予約するのが王道だ。
俺は、その客から予約の相談を受ける際、できるだけ歩がいない時間を持ちかけた。
歩の出勤時間と被ってしまった場合は、来店時間が近づくと歩をバッグヤードに呼び出し、他の子には内緒でお菓子を与えたりして、指名客専用のスペースに客が引っ込むまで歩を食い止めた。
歩は客が『お店に来なくなった』と思っているだろうが、実際は頻繁に顔を見せていた。
俺や宮内をはじめとした従業員が工作していただけで、ちゃんと店を訪れていたのだ。
「何事も起こらないといいんですけど……」
宮内の言葉に眉を顰める。
「おいおい。不穏なこと言うなよ。何も起こるわけないだろ」
「でも、歩の落ち込みようを見ていると心がザワザワするんです。近いうちに、何かが爆発するしそうな——そんな予感がして……」
「杞憂に終わるよ。さっきも言ったけど、幼い子どもは移り気なんだ。目まぐるしく毎日を過ごしているうちに、過去のことなんかすぐに忘れる。子どもにとって大人ってのはな、ちょっと疎遠にしていたら、あっという間に記憶から抹消されていくんだよ。いくらお母さん、なんて呼んで慕っていたからって、そう長いこと赤の他人を覚えてられない。……でも思っていたより長いな」
会えなくなってもう一ヶ月も経ったのに、まだメソメソしているとは。
予想外だった。日が経てばすぐに元の調子を取り戻すだろう、と思っていたのに。
あの年頃の子どもというのは、もっと現金で単純なものじゃなかったか。
「あの子、辞めるかもしれませんね」
最後にそう言って、宮内は仕事に戻っていった。
毎日毎日、俺はパソコンに向き合って、売り上げを確認する。
誰が一番人気か、誰が一番不人気か。
誰が一番稼いでいるのか——。
売り上げ表を開くと、店に利益を生み出す者とそうでない者が、浮き彫りになる。
好成績の者は、月末に開店前の店内にて、皆の前で表彰される。さらに特別な手当が出て、給料にその分が上乗せされる。何と言っても、これが大きい。
自分の子どもがナンバーワンを取った時の親の喜びようは、凄まじいそうだ。一生分褒めてもらえるよ、というナンバーワンの言葉で、子どもたちは俄然やる気になるのだという。
皆、ナンバーワンを、その先に待ち受けている展開を求めて、日々の仕事に励んでいる。
純粋に頑張る姿を見ていると、健気で可愛いな、何やかんや言っても、子どもは良いものだな——という気持ちが湧いてくる。
そして、同時に苦い記憶が蘇ってくる。
俺のことを、悪魔の手先だとあいつは言っていた。
そう言われた瞬間、胸に強い痛みが走ったことも、ずっと忘れられずにいる。
さっさと忘れればいいのに。すでに別れた女に言われた暴言を、後生大事に覚えている必要なんてない。
俺は、彼女にあそこまで悪し様に罵られるほどの非道な行いはしていないはずだ。
あの程度のことで、婚約解消した女が悪いのだ。
俺は何も悪いことはしていないはずなのに、どうして忘れられないのだろう。彼女との最後の会話が、頭の奥で引っ掛かり続けている。
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