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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
子どもと子ども

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母が恋しい子どもたち

 道子は相変わらず、俺に入れあげて馬鹿みたいに金を注ぎ込んでいた。

 道子から、"家庭"の匂いはまるでしなかった。帰らない日々が続いているのだろう。


 彼方の変化にも何も気づかない。あいつと俺が会っていたなんて、つゆほども勘づいていない。

 息子に何があっても意に介さない。


 この調子では、彼方とのあれこれが発覚して、色々面倒なことになる心配はなさそうだ。俺は胸を撫で下ろした。


 「そういえばさー、最近私が働いている店、店長が変わったんだけど……」


 そこから、道子の愚痴が延々と続いた。


 こいつの愚痴を聞くのは割と好きだ。

 うんうんと頷いて、時折適当なコメントをしているだけで、時間が過ぎていくから。

 道子とのコミュニケーションは省エネで済む。


 道子の長々とした愚痴を省略すると、こうだった。


 自分が働いているソープランドの店長が変わったことで、店の方針が一変してしまった。

 前の店長の時は、とにかく若くてそこそこ可愛ければそれでいい、テクニックなんかなくてもいい——という方針でゆるく仕事ができていたのに、今の店長になってからは、それが許されなくなってしまった。


 客はまだまだ私を推してくれているけれど、店長に説教されるのがウザくてしょうがない。

 そのうち辞めちゃうかも、とまでこぼした。


 「お客さんを満足させようってプロ意識が足りないとか、そんなテキトーな接客で長くやっていけると思ってるのか、とか。ウザいんだよ、マジで! こんな仕事にプロ意識だの何だのって、クソウケる。意識高い系みたいなこと言っても、やってることはアレだよ?」


 こいつはすぐに消えるな。

 25歳にもなれば、どこの店でもやっていけなくなるだろう。


 今は20歳という年齢の圧倒的パワーでゴリ押しできるが、それを失えば無力になる。


 微塵も必要とは思えない変なプライドも近々捨てないと、より苦しくなるだけだ。

 まあ、教えてなんかやらないが。


 道子が20代半ばになる頃には、俺は仕事を辞めて、悠々自適に暮らしている予定だからだ。

 こいつの将来がどうなろうと、俺にはもう関係ない。


 今の道子なら、現在働いている店を辞めても、他のところにいくらでも拾ってもらえる。

 だから俺は「ワンチャン辞めちゃうかもしれない」という道子の言葉にも強いて反対しないでおいた。




 それから1週間くらい経って、怒り心頭の道子が店にやって来た。


 「聞いてよリオ! あいつマジでムカつく! 死ねばいいのに、あの汚ねえおっさん!」


 昨日、辞めまーす、と言いに来た道子に、"あの汚ねえおっさん"こと店長は、あれこれ言って引き留めて来たそうだ。


 「その見下すような態度をやめないと、どこに行ってもやっていけない、って! 上から目線でそんなこと言ってきやがったんだよ!? 冴えないジジイのくせして、若くてモテモテの私にそんな口の聞き方……って思ったよね。マジあいつ調子乗りすぎ」


 道子の興奮はなかなか治まらず、悪口は退店の直前まで続いた。

 1日時間を置いてこの有様ということは、昨日叱られた直後はさぞヤバかったのだろう。


 ありとあらゆる物に当たり散らす道子の姿が、容易に想像できた。


 「もう昨日は、誰でもいいから殴りたい! って感じだったもん。だからさ——」


 饒舌に語り散らかしていた道子が、急に言葉に詰まる。


 「……ぬいぐるみをさ、気が済むまでボッコボッコにしちゃったんだよね」


 あははー、と笑う道子からは、何かを誤魔化した気配がありありと感じ取れた。


 心に積乱雲が立ち込める。

 その質問をするのに、若干の勇気を必要とした。


 「昨日は家に帰ったの? 店長と話した後すぐに——」

 「うん。こんな状態で人と会うわけにはいかないな、って思ったから。珍しく真っ直ぐ帰ったんだよね」

 「そっか……」

 「リオ? どうしたの?」

 「いや……道子、ぬいぐるみなんて持ってたんだね」

 「あーうん。そりゃあ女の子だし? ぬいぐるみの一つや二つ持ってても普通でしょ?」


 俺は内心の動揺を、努めて表に出さないようにする。


 「まあでも、ストレス発散になったし……ちょっとかわいそうだけどね、ぬいぐるみには。リオに話せたおかげで、もうすっかり調子取り戻せたよ! これで明日から頑張れそう」

 「明日何かあるの?」


 道子はニヤッと含みのある笑みを見せた。


 「明日はデートなの」


 ああ、パパ活か。


 「うまくいくといいなあ」


 何てことのないように聞こえるセリフには、できるだけ多くの金を引き出せるといいなあ、という願いが込められている。


 どれだけ大金を手に入れたとしても、その大半が俺の懐へと入っていく。

 クズがクズから巻き上げた金を俺がいただく。

 一番のクズのところに金が入る仕組みだ。


 道子の家の前に来てしまった自分に、何やってんだよ、と苛立つ。

 退勤後、衝動に駆られてやって来てしまったけれど、来たところで何ができるというのか。


 彼方の様子をチラッとでもいいから見たいけれど、カーテンはぴっちりと閉じられていて、中の様子は見えそうにない。


 カーテンが開かれたら、それはそれで困るが。彼方に見つかるわけにはいかない。

 俺の方からあいつを突き放したのだ。合わせる顔なんてないし、また会ってしまえば、ああもきつい思いをしてまで拒絶した意味がない。


 彼方にバレずに、何とか様子を見る方法はないか——。

 家の周りをウロウロして、開いている窓などがないか探す。


 まだ朝早くて、周りに人が全然いないことが幸いした。こんな姿を誰かが見たら、通報されてしまうだろう。


 声や物音などは少しも聞こえなかった。まるで無人みたいだ。彼方が家にいないはずはないから、無人ということはありえないのだけど……。


 ろくに動けないほど酷い状態なのか。道子の興奮ぶりとその性格の短絡ぶりを鑑みれば、何をやってもおかしくない気がした。


 嫌なイメージが次々と浮かんでくる。

 確かめたい、という願望が抑え難いものとなっていく。


 目の前の窓のサッシを掴むと、あっけなくスルスルと開いた。

 鍵がかかっていなかったのか。不用心な。


 彼方くらいの子どもなら、窓の方にまで意識がいかなくても不思議ではない。ましてや、道子が戸締りの重要性について、息子にこんこんと教えている絵面はどう頑張っても見えてこなかった。


 窓が開いたことによる反応は感じない。それにホッとして、部屋の中を覗いてみる。


 ぺたんこの布団に横たわっている彼方がそこにいた。

 俺からは背を向ける体勢で、規則正しい呼吸を繰り返している。


 熟睡している。ラッキーだ。

 窓から、部屋の中に侵入する。

 そうっと顔を覗き込む。


 顔に目立った痕は見られない。服の隙間から見える手足には、ところどころ赤紫色のあざが見て取れたが、それもそこまで多くなかった。

 注意深い人が見れば、ちょっと気に留めるレベルの状態だ。


 想像上の彼方とはだいぶ隔たりがあったことに、えもいわれぬ安堵感に包まれた。

 もっと凄惨で目も当てられない状態を予想していたのだ。


 口も聞けないほど、目も見えないほど、痛めつけられて衰弱しているかと思っていた。

 緊張から解放されたら、体中の力が抜けて、ヘナヘナと床に崩れ落ちてしまった。


 目を覚ましそうにないのをいいことに、彼方の寝顔をじっと観察する。


 出会った時のように悪臭はしない。ちゃんとシャワーはしているのだ。俺がそうしろと言ったから。


 肌は荒れていた。触ってみるまでもなく、ガッサガッサに乾燥していることがわかる。首の辺りが何度も引っ掻いたように赤くなっていた。


 確かにこの空間にいるだけで体がかゆくなってくる。どれほどのダニがいるのだろう。


 その時、袋の陰で何かが動くような、ガサガサッという音がした。

 顔を顰める。俺はゴキブリが大嫌いだった。


 どんなに不潔で不快でも、彼方はどうすることもできない。

 どこに何を片付けて、どうやってゴミを出せばいいのか。掃除の仕方がわからないのだから。


 彼方が寝返りを打つ。その際、苦しそうに顔を歪めて、ううう、と唸った。

 彼方の薄く開いた唇から、かすかな声が漏れた。


 「お、かあ、さん……」


 固く閉じられた目の端から、一滴の涙がツゥ、とつたって、黄ばんだ敷布団の上に落ちた。


 心臓を拳で殴られたようだった。

 自然と手が動き、彼方の目の端を親指で拭っていた。


 あたたかい雫が、指の皮膚に染み込む。

 まるで涙を流した本人の悲しみが俺の中に入って、体の一部になっていくようだった。


 俺はさっさと立ち去らなかったことを後悔した。




 自宅に帰ってからも、あの家の様子がまざまざと思い浮かんできた。

 数分いるだけで鼻がムズムズしてくるような家で、ろくなものも食べずに一人で過ごしている彼方の姿を思い描いてしまう。


 やめろ、考えるな。

 そう言い聞かせても止められない。


 頭の中は、汚れきった部屋、彼方の暮らしぶり、息子に辛く当たる道子の様子で埋め尽くされていた。


 赤の他人だ。他人の家庭環境がどんなものだったとしても、俺には関係ない。

 俺が何もしなかったからといって、俺が悪い、ということにはならない。


 俺は何も見ていない。あの子どもとは何の関係もない。


 他人の事情に、首を突っ込むべきではないのだ。


 面倒ごとに巻き込まれたくはないし、首を突っ込んだところで、望み通りの未来が必ずやって来るとは限らないのだ。


 それに彼方だって。あいつだって、母親が大好きなのだ。

 愛されなくても、放置されていても、彼方は道子を愛していて、道子と一緒にいることを望んでいる。


 おかあさん、と寝言で漏らした時のあの感じからいっても、そのことは確かだ。


 母を呼ぶ彼方の声色からは、母に見てもらえない切なさや悲しみ。愛してもらえない不満こそ込められていたが、母に対する恨みや憤りみたいなものは、これっぽっちも感じられなかった。


 大人たちの計らいによって、あの環境から抜け出せたとしても、彼方は自分を助け出してくれた人に心から感謝を捧げたりはしないだろう。


 この人が余計なことをしたから、お母さんと会えなくなった、と恨み続けるかもしれない。


 そうなったら最後、ろくでもない人生が始まる——かもしれない。

 彼方の明るい未来が、俺にはどうしてもイメージできない。


 今、あの環境から抜け出したとして、その後どういう人生を送っていくのか。

 心に何の影もなく、ひたすらに笑える日々を送れるのか。


 自分が何かしたところで、あいつの人生を悪化させるだけではないか、という疑いが消えない。


 自分みたいな人間にはどうせ何もできない。できないはずだ、という思いも、こびりついて離れなかった。


 それに道子だって今はあんなだけど、昔はもっとマシだったではないか。

 お父さんがいた頃は風呂にも入れてくれて、オムライスやハンバーグを振る舞ってくれた、というエピソードを彼方から聞いた。


 今は俺に入れ上げているから男がいないけど、道子みたいな女にはそのうち彼氏ができるはず。


 今はシングルだからあちこちを飛び回っているだけで、彼氏と同棲でもすれば少しは大人しくなるはずだ。

 家にいる時間が増えて、経済と精神に余裕が生まれれば、息子に優しくしようという気持ちも生まれてくるんじゃないか。


 今はダメダメな母親でも、時間が経って状況が変われば、彼方への態度も改善されるかもしれない。


 学校から帰ってきた彼方に「おかえりなさい」と声をかける道子の姿が、ふっと浮かんできた。


 息子を優しく出迎えて穏やかに話を聞いてくれる母親を想像して、胸の辺りが楽になったような気がしたし、逆に苦しくなったような気がした。

 泣きたいような笑いたいような、ちぐはぐな気分になって戸惑う。


 道子が彼方を見てくれることを望んだ。そんなことを望んでいる自分自身に、何より驚いた。

 あの子どものことになると、俺はおかしくなる。感情が乱されて、普段の俺らしくもない考えを抱いたりする。


 道子に構ってもらえて喜んでいる彼方をイメージすると、気持ちが上向きになっていく。

 是非ともそうなってほしい、と祈るような思いすら抱いてしまう。


 それから俺は、あの親子についてしばらく思いを巡らせていた。


 道子が家に帰り、彼方を気にかけるようになるにはどうすればいいか。

 俺にできることで、かつ親子関係に不用意に干渉しないですむ方法を。


 答えは瞬時に出た。

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