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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
子どもと子ども

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健康的な生活

 彼方の体が骨と皮ばかりの状態なのだと、深く実感した日以来、俺は多少マシなものを彼方に与えるようにしていた。


 仕舞い込んでいたフライパンを取り出して、適当に野菜を炒めると、彼方は物珍しそうな目で調理風景を見ていた。


 醤油で味付けしただけの野菜炒めは、不味くはないが美味くもなかった。まあ、こんな味になるよな、という感じの出来ばえ。


 作り終わってから、そういえば子どもというやつは野菜が嫌いだった、と天を仰ぐ。

 いらない、食べたくない、と言われるかもしれないな……と思いつつも「これ食うか?」と興味津々な眼差しを向ける彼方に問うてみる。


 「え!? いいのっ?」

 「ああ。でも野菜しかないぞ。味付けも地味だし」

 「でもリオさんの食べる分が少なくなっちゃうじゃん」

 「いや、これお前用に作ったやつだから」

 「ええっ!? わざわざぼくのために作ってくれたの? リオさんが?」


 彼方の感動したような声に顔が赤くなる。


 「食べきれなかったら俺が食うから。好きじゃなかったら残していいぞ」

 「残さないよ! ありがとう、リオさん! うわっ! あったかい……」


 湯気を立てる野菜炒めを、キラキラした目で見る彼方。


 俺の懸念は無用だったらしい。彼方は掃除機のような勢いで、あっという間に食事を平らげてしまった。


 「ごちそうさまでした」

 彼方が手を合わせて頭を下げる。


 食事を与えるようになった当初は、彼方は食前と食後の挨拶をしなかった。

 家で教えてもらわなかったか、長らくしていないため忘れてしまっていたのか。


 別に「いただきます」と「ごちそうさま」を言われなかったからといって、そこまでムカついたりはしないが、ちょっと気になったので一言注意したのだ。

 それからは、彼方は挨拶を徹底するようになった。


 彼方の非常識さは、食事の時以外でもしばしば見受けられた。


 人間というのは、教えてもらわなければお礼を言うことも、謝ることもできないのだと、彼方を見て気づいた。


 悪気がないことはわかっているが、大人になってからもそんな感じでは、周囲の人間とコミュニケーションを取ることすらままならない。仕事でも日常生活でも苦しい思いをするのは目に見えている。


 最低限お礼と謝罪くらいはできないとダメだと思い、彼方に実践させるようにしたのが功を奏して、今では自然と出せるようになった。


 その他、風呂の入り方や片付けのやり方など、気になったことを片っ端から指摘していった。素直に聞いてくれたので、大抵のことはすぐに改善されていった。


 勝手に冷蔵庫を開けたり、タンスの中を漁ったりすることももうない。

 もう彼方の行動に、いちいちストレスを感じなくなっている。


 彼方はずいぶん変わった。

 体がどれほど汚れていようと気にしない。どこか擦りむいて血が滲んでいても、ほったらかし。フケまみれの頭をボリボリ掻いて、何でも手づかみで食べる動物のような悪臭を放つガキはもういない。


 数ヶ月前とは明らかに変わったこいつを、道子は一度でも目にしたのだろうか。

 檻の中の動物に食料だけ与えてすぐに去る、という日々を続けているのだろうか。まだ会っていないから、変化に気づいていないのか。


 それとも、なんか変わったな、と気づいた上で、この変化は自然なものだと納得しているのだろうか。


 何も教えなくとも、年齢と共に勝手に育っていくものなんだなあ、と呑気に思っているのかもしれない。


 道子ならあり得そうな話だ。元より我が子に興味などないのだし。


 「ぼく出来立ての物食べたの、すっごい久しぶりだよ。すっごい美味しかった。やっぱりご飯はあたたかい方が好きだなあ」


 彼方がしみじみと感じ入ったように言う。

 よほど久しぶりのあたたかい食事だったらしい。


 ここまで感動されるとは思っていなかったため、面食らってしまう。

 何だか騙しているような後ろめたさが湧いてくる。それと同時に、熱々のものを食べた直後みたいな力が、心身にみなぎってきた。


 だからだろうか。ついつい大口を叩いてしまった。


 「明日も作ってやるよ。今日よりもうまいやつ食わせてやる」

 「ホントに!?」

 「俺の分を作るついでにな」

 「じゃあ、明日はリオさんと一緒に食べれるってこと?」


 彼方の声が、楽しみで仕方ない、という調子になる。


 「そうだな」

 「やった! 嬉しいな」


 ああ。こいつは誰かと一緒に食事する、ということも久しくしていないのだ。


 抱きついてもいいかな? とモジモジしながら切り出してきた彼方を思い出す。


 彼方は人のあたたかさに飢えている。


 一人きりの家で母親の帰りを待ち続けるだけの暮らし。

 彼方の世界には、長らく他人が存在しなかった。


 彼方にとって俺は、母親を除けば唯一の大人なのだ。

 悪い予感がしてくる。


 ずっと抱き続けていた予感。努めて考えないようにしていた予感。

 彼方に依存されたらどうなる。愛してくれない母親の代わりのように思われたら。


 それは十分あり得そうな可能性に思えた。

 まったく温かみのない家庭環境で暮らす子どもが、ほんの少し優しくされただけで、自分にはこの人しかいないのだ、と救いを求める。


 客たちのことを思い出す。


 店に来る女たちにも、そういう人間は多かった。

 自分を受け入れてくれる誰かにどっぷりと浸かってしまう人間。


 どこにいったって見つからない。どれほど頑張ったって返してもらえない。

 彼女たちは自分を愛してくれる人を求めていた。自分が投げる愛を受け止めて、ちゃんと返してくれる存在を求めて、俺のところに来ていた。


 貢げば貢いだ分だけ、見返りが約束されているあの場所に通いたがる人間の気持ちもわかる気がする。


 あそこでは、愛情を金額で表現すれば、必ず存在を肯定してもらえる。様々な甘言やテクニックを駆使されて、逃がすものかと囲い込まれる。


 君はここにいていいんだよ、と自分の全てが受け入れられたような気分にさせられるのだろう。


 よくよく考えれば、愛されているわけではないとわかるはずなのに。愛するのに条件がある、という時点で、それはもう愛とは呼べないのに。


 多分、それも承知の上で尽くしているのだ。条件付きだとしても、愛してくれるなら万々歳、という心構えなのだ。

 そこまでしてでも愛が欲しいのだ。


 愛されたい、愛したいというのは、人間の根源的な欲求なのだろうか。


 彼方が帰った後、一人になった部屋で考える。


 道子みたいな人間でも、あいつは愛している。

 親という理由だけで、どんなに酷い扱いを受けても、愛している。愛されたいと思っている。


 あいつにとっては、食事を与えられないよりも、殴られるよりも、愛されないことの方がずっと恐ろしいのだ。

 人間は愛がないと生きていけない。


 彼方を見ていると、そのことを思い知らされるみたいだ。

 心臓に永遠に何かが突き刺さっているような気分になる。


 人間は、愛のためならどういう行動に出るかわからない。仕事の経験上、よく知っていた。


 もちろん気楽に遊びに来る客が大半だけど、中には自分の全てを捧げ切るかのようにのめり込む客がいる。

 そういった客がもう用済みになってホストに見放された時——殺人未遂などが起こる。または、客一人でひっそりと自殺するか。


 まあ、絶望して生きる気力をなくしてしまうのだ。

 相手を殺したことで、自分の一生を台無しにしてしまう……という心配など彼女たちはしていない。


 見放された時点で、もう自分の人生なんてどうでもいいや、となっているのだ。世界で一番愛しくて憎いあいつを殺して自分も滅びる。ある意味心中みたいなものだ。

 そういう女たちは、大概店の者たちに勘づかれ押さえ込まれて、殺し切るまでに至らずに姿を消すのだが。


 彼女らにとって、俺たちに尽くしてその報酬に愛してもらうということは、いわば生命活動なのだ。

 だから、それができなくなるのは命を絶たれたことと同じ。


 ゾンビのように見境ない行動に出ることも、当然だった。


 暗い予感が胸に湧いてくる。


 俺は、自分でも気づかない間に、客たちにしていることと同じことを、彼方にもやってしまっていたのではないか。


 甘い言葉も、優しい態度も取ってこなかった。

 でも、なんだかんだここに来ることを許してしまっていた。


 君はここにいてもいいんだよ、と言われているような気分になったとしても不思議ではない。


 時にはそこにいるだけで腹を殴られてきたような子どもにとって、それがどれほど尊いものかは想像に難くない。


 事実、あいつの態度や俺を見る目から、彼方の中で俺の存在が良い物になってきていると、判断できる。


 自惚れではなく、ハッキリと言い切れる。

 彼方は俺を慕っていると。


 それは俺にとって、とても良くない傾向だった。彼方にとっても、結果的には良くないだろう。


 だって俺は、あいつに何もしてやれないのだ。

 今のこの状態がずっと続くものではないと俺は知っていた。


 こんな生活は長くは続かない。彼方にまともな飯を食わせてやったからといって、抱きしめてやったからといって、それがなんだというのだろう。


 どうせ責任なんて持てないくせに。

 俺のやっていることは、一時しのぎでしかない。本当の優しさではない。


 俺は、なんの覚悟もない姑息なクズ野郎なのだ。

 所詮、何の力にもなれない。

 彼方を今の環境から助け出して、今後の人生の面倒を見る、なんて気概は持っていない。


 自分にとって何の得にもならないのに、リスクを背負って人のために何かする、なんて善人みたいな真似、こんな俺には無理だ。

 俺は良い人間にはなれない。


 俺が彼方にしていることは、残酷極まりないことだと言える。

 この人なら自分を受け入れてくれるかも、と光を見せて要らぬ期待を抱かせて……そしてそう遠くない将来にバッサリ見限るなど、俺が今まで散々やってきたこととまったく同じではないか。


 やめるべきだ。もう彼方には関わらない方がいい。


 こんな俺にも、少しは情けみたいなものがあるらしい。

 客たちは大した躊躇もなく失意の底に叩き落とせるのに、彼方相手だと気が引ける。


 それは、彼方があまりにも弱くて、何かあった時に頼れる人も、人への頼り方も知らないからだ。

 母親以外の大人とは、ほとんど関わってこなかったであろう、無知の極み。


 ちょっと前まで一人で風呂にも入れなかったようなやつだ。

 生きる力というものが致命的に欠如している存在に、一度光を見せてから暗闇に落とす。


 ダメだ、ダメだ! これ以上はもう——。

 いい加減にしないといけない。これまでぐだぐだと色んなことを許してしまっていたが、さすがにそろそろ拒絶しなくてはいけない。


 手遅れになる前に。


 最後まで面倒を見る気がないのなら、そもそも手出しするべきではなかった。


 こっちが気まぐれにやったことがデリケートな心にどう影響するかを、せめて想像しておくべきだったのだ。


 子ども時代に負った傷はなかなか消えない。

 特に期待していたのに裏切られた、という経験はずっと記憶に残り続けて、ふとした時に恨みがましく思い出される。


 子どもを健康的に育てたいのなら、間違った接し方をしてはいけないし、心から愛さなければならない。

 そのためには、接する側が山のようにどっしりと構えて、海のように広い心を持っていないと難しい。


 余裕のある人間でないとダメなのだ。他人を幸せにできる余力を持った人間でないと、人を育むことなどできない。


 俺とは真逆の人種だ。

 子どもの突拍子もない行動を笑って受け止められる寛大な心なんて、俺にはない。


 笑って受け止めるどころか、子どもには腹を立てやすい方だと自覚している。


 時には街中で楽しそうにしている子どもを見るだけで、転んじまえばいいのに、と思うこともある。


 自分の思うがままに振る舞っている姿を目の当たりにすると、イライラしてくるのだ。


 この世は楽しいことだらけ、とでも言わんばかりの笑顔に、何呑気にヘラヘラしてんだよ、と悪態をつきたくなる。


 俺は、本当に余裕のない人間なのだろう。

 こんな人間と一緒にいて、幸せになれるわけがない。


 そもそも俺自体、親にまともな扱いをされてこなかった。

 母も余裕のない人間だった。余裕がなくて息子に優しくできなかった。


 そんな母と同様、息子の俺も余裕のなさから、他人を利用して搾取している。連鎖しているのだ。親と同じような人間になっている。

 俺に育てられた子も、俺と同じようなろくでなしに育つんだろう。


 親が何なのかわからない俺が、親代わりになれるわけがない。

 俺は、道子の代わりにはなれない。


 彼方の親代わりになって、あいつの望むものを与えることなど、できやしないのだ。

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