失恋
俺は、以前よりも一層仕事に身が入るようになっていた。
母の遺産が手に入ったことにより、仕事をしなくても生活していける未来が見えてきたのも理由としてあるが、春奈さんとの破局も大きく影響していた。
こんな仕事をしている人間にも恋愛への憧れはある。むしろ、普段色恋営業に疲れ果てているからこそ、癒しを求めている奴は少なくない。
嘘の恋愛で荒んだ心のバランスを取るかのように、プライベートで彼女を溺愛する奴もチラホラいる。
俺も例外ではなかった。柄にもなく恋愛にのめり込んだ。
春奈さんとは、近所のスーパーで出会った。
そこで働いていた彼女と常連客の俺が、世間話を交わす仲になり——いつの間にかそういう関係になっていた。
仕事終わりに春奈さんが俺の部屋に来る。それが日常になっていた。
俺の仕事のことは話していた。それを聞いても春奈さんは、辞めてほしいとかそういうことは言わずに受け入れてくれていた。俺は彼女に仕事の愚痴も度々こぼしていた。
でも春奈さんは、本当は辞めてほしいと思っていた。
しょうがないと思う。俺だって自分の恋人が水商売をしていたら面白い気はしない。
なんで仕事をするの、と訊かれて、俺は「金が必要だから」と誰もが共感できるシンプルな理由を短く答えた。
すると、春奈さんがお金を渡してくるようになった。
最初は突き返した。
こんなもの受け取れない、何でこんなことするんだ——と叱りまでした。
でも、春奈さんも引かなかった。
「お金なら私が出すから。それが嫌だって言うなら、今の仕事を辞めて。別の仕事を見つけて」
春奈さんの目には涙が溜まっていた。
それで俺は、彼女がずっと我慢していたことを知った。
俺は、これまでどの仕事も長続きしなかったこと、今の仕事は自分にしては珍しく続いていること、ホストは俺の天職と言っていいかもしれない、だから簡単に辞めるのはちょっと抵抗があること——などなど、今の仕事を辞めたくない理由を順序立てて説明した。
春奈さんは、とりあえずしばらくの間はホストを続けてもいい、しかし私の我慢もいつまで続くかわからないから——と言った。
その話し合いからいくらか日が経って春奈さんが、
「理音君と結婚したい」
と言ってきた。
結婚して、私の稼ぎをメインにして生活すればいい。そうすれば、理音君はやりたくない仕事を頑張る必要はなくなる。
そう言うのであった。
大人二人きりで暮らすのなら、そこまで金はかからない。家賃、生活費を二人で折半すれば、だいぶ暮らしが楽になる。
春奈さんはスーパーのバイトで、そこまで高い給料をもらっているわけでもないが、1.5人分養っていけるほどの稼ぎはある。それに貯金も結構貯まっている、と力説するのであった。
結婚かあ……この俺が?
プロポーズされてから、春奈さんが隣にいる人生について、彼女との生活について考えてみた。
何日も何日も。何十回も何百回も考え続けた。
それはそれだけ俺が真剣だということを示す証で、こんな自分がここまで人を好きになれたのか、と感動が湧いてきた。
春奈さんと結婚すれば、俺はもう一生一人じゃなくなる。
家族を作るということは、一人の生活が失われると同時に、誰かと一緒に生きていけるということ——どちらが良いかは人によって変わる。
俺はどうなんだろう? 誰かと一緒に暮らす。家族になる。そういうのが向いている人間なんだろうか?
俺は他人と家族になれるのか?
春奈さんとの結婚に、希望と明るい未来を想像して胸が躍る反面、果たして自分に上手くできるのか、せっかく築けた幸せな家庭を俺が台無しにしてしまうんじゃないかと、そんな不安が拭えなかった。
俺は春奈さんを本気で好きだった。春奈さんとの結婚について、相当頭を悩ませた。
悩みに悩み抜いた末、俺は彼女と結婚することにした。
結局ダメになってしまったけれど。
春奈さんに子どもがいるとは思いもしなかった。
まだ小学生の子どもをほったらかしにして、夜も家に帰らないでいたのだ。
そうわかった途端、急に気分が変わった。
目の前の少女の「娘です」という固い声と恨みがましい目を受けた瞬間、俺の中の熱い思いが急速に冷めていった。
みるみる春奈さんのことが嫌いになっていて——我が子をほったらかして俺に縋り付く姿を見て『ああ、この人無理だ』と感じた。
合鍵は返してもらった。というより無理やり返させた。
鍵を返してもらった後も、春奈さんが俺の部屋の前に来て、謝罪とどうかもう一度チャンスを、と拝み倒したが無視した。
部屋に入れて。そんなに時間はかからないから。私にも事情があったの。
何を言われても無視した。ただ不快なだけだった。
そのうち完全に来なくなった。ようやく諦めてくれたな、とホッとした。
金はちゃんと返せたのだから、何も気にすることはない。あの人のことはもう忘れよう。
そう思ったのだが、決意してすぐに綺麗さっぱり忘れられるほど器用ではなかった。
どうして隠し事なんてしたんだ。
子どものことを秘密にしたまま結婚しようと、本気で思っていたのか。
馬鹿にされたような、踏み躙られたような惨めな気分になった。
あれほど真剣に悩んでいた自分がとんでもなく間抜けに思えて、恥と怒りで体が熱くなった。
騙された、と思った。
その悔しさを仕事にぶつけた。客に対して、より丁寧により楽しんでもらえるように、甘ったるいセリフを吐きまくった。
そうして、馬鹿な女がぬか喜びしているのを満足して眺めていた。
道子にも以前よりもうんと優しくしてやった。ただの八つ当たりなのに嬉しがっている彼女を見ると、胸がすく思いがした。
彼方は、大好きなお母さんが息子である自分よりも、くだらないクズ人間を愛していると知ったらどう思うんだろう。
俺がお母さんに酷いことをしていると知ったら。
お母さんが帰って来ないのは、俺のせいでもあると知ったら。
あいつは俺を大嫌いになるんだろうな。




