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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
彼女のこと

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空白の時間

 気づいたらお日様が登っていた。

 頭がクラクラするな、と思って体温計で計ってみたら、38度だった。


 体と頭が熱くてボーッとするので、おでこに保冷剤を当てて氷をかじった。一瞬楽になったけど治らない。


 服を脱いで、リビングの床に寝転がる。普段なら絶対にしないことをやってしまう高熱の力。


 グルグルと渦を巻く天井を見ていると、玄関の方で音がした。

 お父さんとお母さんは私を見て「なんでこんなことになってるの」という顔をした。


 それから私の部屋のベッドに連れていかれ、薬を飲むように言われた。錠剤タイプの風邪薬を飲むのは初めてだったから怖かったけど、何とか飲み込めることができた。


 私、風邪引いてたんだ……。

 昨日、寒気で震えが止まらなかったのも風邪のせいだったんだ。

 ショックのせいじゃなかった。

 良かった……。


 私は安心して、丸一日眠ってしまった。




 風邪は5日間引きずった。

 その間は子カフェにも学校にも行けないから、ずっと家で過ごした。熱がある間、お父さんとお母さんは代わりばんこで家にいてくれた。


 何かあったら言いなさい、と言ったきりリビングや寝室に引っ込んでいたけれど、それでも心強かった。


 二人は何よりも、私が子カフェに行けないことを残念がっていた。

 残念ねえ、残念だなあ、と何回も言うので、私は何度も「ごめんなさい……」と謝った。


 はるかのせいじゃないよ、とは一度も言われなかった。


 風邪を引いちゃってごめんなさい。お仕事休んじゃってごめんなさい。

 もう風邪引かないようにするから。熱なんか出してごめんなさい。


 ベッドでメソメソしていると二人は頭を撫でて、

 「早く元気になって、休んでた分まで頑張らないとね」

 と言った。私はそれに「うん、うん……」と頷いた。




 風邪が治ってから初めてチルカフェに行ったら、変わらない光景が広がっていて少し安心したけど、何も変わっていないということに逆に憂鬱になった。


 今日もお客さんは笑顔で、子どもたちの楽しそうな声がフロア中に満ちている。裏の控え室で沈んだ顔をしている子がいるなんて嘘みたいだ。


 子カフェにいることが徐々に苦しくなっていた。結局、ここでも私は上手く生きていけない。


 何か支えでもあれば。ここでの時間が息苦しくても、他の場所で伸び伸びと過ごせれば——と思うけれど、家でも学校でも私はまともに息が吸えない。

 唯一何も気にせず安らげる場所は、お兄ちゃんの部屋だけだった。


 大丈夫だよね……。あの部屋に行っても。

 この前は台風のテンションでおかしかっただけで、今日はいつも通りのお兄ちゃんに戻っているはず。


 そうだ。もうああいうことはしないで、と伝えてみたらいい。

 「お兄ちゃんの気持ちはありがたいけどもういいよ」と。


 お兄ちゃんを傷つけないように言えば、ギクシャクもしないはず。そうしてまた元の時間が帰ってくるんだ……。


 「はるか。指名が入ったよ」

 副店長に肩を叩かれて振り向くと、そこにはお兄ちゃんがいた。


 思わずギャッという声が出てしまった。おかげで副店長に、お客さんを見るなり叫ぶとはどういうことだ、と叱られてしまう。


 「久しぶりだね、はるかちゃん」

 最後に会ってから1週間しか経っていない。


 そんなに久しぶりでもないでしょ、と返そうとして、そういえばカフェに来るのはご無沙汰だった、と気づき慌てて話を合わせた。


 店の外で会っていることを知られてはいけない。台風の日にあったことについて話したかったけど、店の中では切り出せない。


 都合の悪いことに、この時指名客専用の部屋には、他のお客さんと子どももいた。

 二人きりなら、隣の部屋の監視の目を誤魔化しながら話し合えたのに。


 というか、どうしてお兄ちゃんはお店に来たんだ。

 お兄ちゃんが困り顔で言う。


 「もう会えないかと思ってたよ」

 その言葉から、あれから1週間私が来なかったので、もしや来ることをやめてしまったのではないか、と考えていたのだとわかった。


 欠かさず通い詰めていた私が訪ねてこなかったから、このまま蒸発してしまうのか? と思って子カフェの方に来たんだ。


 「熱出してたの。店も休んでた」

 「ああ、そうだったんだね。体調はもう大丈夫なの?」

 「うん……」

 「良かった。……また来れそう?」


 お兄ちゃんがウインクを繰り返して、合図する。また来れそう? というのは、お仕事にじゃなくて()()()()()()というのを意味しているんだ。


 私は少しフリーズしてから、コクンと頷いた。


 「よかった。またたくさん遊ぼうね」

 「うん」

 「ところで今日って何曜日だったっけ?」

 「水曜日……」

 「ありがとう、水曜日ね。そして明日は木曜日ね」


 せめて今日が木曜日であれば、まだマシだったのに……と思ってしまった自分を責める。


 そんなことを考えるな。まるでお兄ちゃんに会いたくないと思っているみたいじゃないか。




 仕事が終わった後、重たい足でお兄ちゃんの部屋に向かう。

 いつも通り部屋に通されて、飲み物を振る舞われる。


 前に私が好きだと言ったレモンティーを、グラスに注いで出してくれた。

 お兄ちゃんは何も変わりない様子だった。初めてこの部屋に招かれた時と同じような、優しくて面白い歳の離れたお兄ちゃん感を醸し出していた。


 違和感なんてなかったみたい——だんだん私もリラックスしてきて、お兄ちゃんと一緒に手を叩いて笑ったりなんかしていた。


 よかった。本当によかった。

 きっと悪い夢でも見ていたんだ。私たちはずっとこんな感じだった。これからもこんな感じだ。


 気が抜けると、目の前がジワッと滲んできた。私は笑いながら泣いていた。あははは、とお腹を抱えて涙を浮かべていた。もはや笑ってるんだか泣いてるんだか、わからなくなってきた。


 最高の気分だった。


 ***


 「……ちゃん。はるかちゃん」

 「ん……」

 「起きてよ。そろそろ帰らなきゃダメでしょ」

 「んん……起きる……?」

 「そうだよ、起きなきゃ。もう暗くなっちゃうよ」


 目を開けると、お兄ちゃんと天井が見えた。電球の光が眩しい。片腕で目を塞いだら、腕を掴まれ顔から離されてしまう。


 「ううーっ」

 「すっごい爆睡してたなあ。寝起きもこんなに悪いとは……」


 お兄ちゃんが感心したように呟くのを、使い物にならない頭で聞き流す。

 やがて意識がハッキリしてきて、自分がさっきまで眠っていたのだと理解する。


 「ヤバっ! 今何時!?」

 時計を見ると、午後6時近かった。もう少しで夜になってしまう。


 今日もお父さんとお母さんは夜9時くらいまで帰ってこない。だからそんなに慌てなくてもいいんだけど、真っ暗な外を一人で帰るのは心細かった。


 最後に時計を見た時は、確か午後1時だった。

 一体なんでこんなに眠りこけてしまったんだろう。

 久しぶりの仕事で疲れていたんだろうか。


 大慌てで帰り支度を済ませて、お兄ちゃんにバイバイする。


 走りながら体がだるいことに気づいた。なんか変だな、と思いつつも、起きてすぐだからだろう、と自分を納得させて、暗くなる前に無事家に辿り着いた。


 次の日になって、また私は仕事帰りにお兄ちゃんを訪ねた。今度は足取りも軽く、不安なんて一ミリも感じずにインターホンを押す。


 二言三言お兄ちゃんと会話してから、出されたアイスミルクティーを飲む。走った直後でカラカラの喉に一気に流し込むと、生き返る心地がした。


 それから、今日会ったお客さんのことや、控え室で給料自慢バトルに巻き込まれそうになったことなどを話しているうちに、またいつの間にか眠ってしまったらしい。ふと気づいて時計を見ると、夕方の5時半だった。


 昨日と同じように、私はベッドに寝かされていた。起こしてくれればよかったのに、と言ったら、お兄ちゃんが、

 「あまりにも気持ちよさそうにしてたから」

 と言った。


 スヤスヤと気持ちよく寝ていたらしい。疲れているんだろうな、と気を遣って起こさないでいてくれたんだろうな。

 でも、ぐっすり眠るのは家でもできる。わざわざお兄ちゃんの部屋に来て、何もせずに眠っているなんて損した気分だ。


 2日続けて寝落ちするのはよっぽどだな、と思い、この日は早めに寝た。おかげで次の日は一日中頭が冴えていた。


 そして、また水曜日が来た。


 この日、私は久しぶりに学校に行っていた。運動会だったから、いつものように欠席するわけにはいかなかったのだ。


 ちなみにお父さんとお母さんは来なかった。

 体操着を着たまま、私はお兄ちゃんの部屋に駆け込んだ。


 「はるかちゃん、今日はもしかして運動会だったの?」

 「うん。2年生はダンスと綱引きをしたんだよ」


 私は、運動会のことをあれこれ話した。自分の組である白組が負けちゃったこと。綱引きは一生懸命に縄に縋り付いているうちに、あっという間に勝敗が決まっていたこと。


 「うんうん。頑張ったんだね。えらいね、はるかちゃん。ところでその飲み物は?」

 「あ、これね。生徒全員に配られたの」


 お兄ちゃんが、私が手に持っていたペットボトルのお茶を指さしたので答えた。


 「ここに来る途中に開けて、ちょっと飲んじゃった。今日中に飲み終わらなきゃだから、今日は飲み物いらないよ」

 「ふーん……でもはるかちゃん、お茶飲めるの?」

 「飲めるよ。ジュースとかの方が好きだけど」

 「じゃあ、今ジュース出してあげるから。お茶は飲まなくてもいいよ。僕が飲むから」

 「えっ、いいよ。そんなにしてくれなくても。私、お茶もまあまあ好きだし」

 「いいんだよ。はるかちゃんが飲まなきゃ、せっかく買ったジュース飲む人いないんだから。僕、甘い物飲まないし」

 「そうなの? じゃあレモンティーとかそういうのは、私一人のためにわざわざ買ってきてくれてたってわけ?」

 「そうだよ。はるかちゃんが喜ぶと思って。だからはるかちゃんに飲んでもらわなきゃ、買ってきた意味がないよ」


 そこまで言われると、応じないのも申し訳ない気がした。


 「お茶は僕が飲むよ。飲みかけとか気にしないから大丈夫。ちょうどお茶が飲みたい気分だったんだ」

 「そうなんだ。じゃあお兄ちゃんにあげるよ」


 お兄ちゃんは「ありがとう」と言って、キッチンに向かった。


 「お茶、すぐに飲むの?」

 広い背中に向かって呼びかける。


 「んー……今すぐには飲まないかな」

 「わかったー」


 よいしょっとペットボトルを持って、キッチンにある冷蔵庫へ向かう。

 キッチンでは、お兄ちゃんがグラスにオレンジジュースを注ぎ終わっていた。


 紙パックの蓋を閉めて、冷蔵にしまおうと横を向いたところで——私に気づいて目をカッと開く。

 その驚きようが尋常じゃなかったので、私もギクリとしてしまった。


 「な、なんではるかちゃん——何しに来たの?」

 「えっと……お茶。すぐに飲まないなら、冷蔵庫に入れとこうかなって」

 「ああ……いいから。そういうの」

 「えっ?」

 「大人しく座ってなよ。勝手なことしないで」

 「え、あ、ごめんなさい」


 すごすごと元の場所に戻る。

 なんで叱られたのかわからなかった。今まで家の中のどんな場所に行っても、勝手に冷蔵庫を開けても叱られなかったのに。


 あんなふうに冷たい言い方をされたのは、初めてだった。いつものお兄ちゃんらしくもない。

 機嫌が悪かったのかな。


 しかし、戻ってきたお兄ちゃんはニコニコしていて、さっき垣間見えた苛立ちはどこにも見当たらなかった。


 もう寝まい、と決意したにも関わらず、この日も私は寝落ちしてしまった。


 起きてすぐに目を疑った。

 肌着とパンツだけ身に付けた状態で、横たわっていたからだ。


 「あっ、はるかちゃん」

 隣でお兄ちゃんの声がして、私は慌てて毛布で首まで隠した。


 「体操服汗まみれだったからさ。洗濯してあげて今乾燥機かけてるところ」

 「あ、ありがとう……」


 そっか……。砂やら汗やら色々染み付いている体操服を着た状態で、自分のベッドに寝かせたくはないよね、そりゃあ……。


 でも、やっぱり恥ずかしいな……。

 脱がされるところを想像して、カッと顔が熱くなる。


 子どもの下着姿なんか見ても、何か思うはずないのに。私、自意識過剰だ。


 「えっと……あと何分で乾きそう?」

 「あと15分くらいかな」

 「15分……」


 それまでずっと、こんな格好のままでいなくちゃいけないの?

 まあ、このまま毛布にくるまっていれば……。


 「はるかちゃん。僕、何だか寒くなってきたから、毛布貸してくれないかな」

 「えっ!? いや、それは……」

 「お願い、このままじゃ風邪引いちゃうかも」

 「でも……でも……」

 「ていうか、それ僕の毛布だよね?」


 お兄ちゃんの声色が微妙に変わった。


 「わ、わかった……」


 毛布を渡してすぐに、トイレへと向かう。

 このまま個室の中で、15分待てないか……?


 乾燥機のゴウンゴウンという音が聞こえる。

 便器に座りながら、早く乾いて、と強く祈った。




 「体操服ドアの前に置いとくね」

 トイレのドア越しに「わかった、ありがとう」と返す。


 狭苦しい個室の中で着替えをすませて、ホッと一息ついた。

 よかった。着替えを見られずにすんで。


 今日は運動会があってヘトヘトだったから、また眠ってしまったけど……次は絶対に寝ない。

 お兄ちゃんのところに戻り、時計を見ると午後5時だった。

 あと30分もしたら帰らなきゃ。


 「はるかちゃん。言うの忘れてたけど、体操服似合ってるね」

 「えっ? ありがとう……?」

 「写真撮ってもいい?」

 「いいけど……」


 ただの体操服だ。わざわざ写真に残すような面白みはないと思うけど……。


 スマホのカメラでパシャッと撮った後、お兄ちゃんは満足そうな笑みを浮かべた。

 何がそんなに良いのかはわからないけど、喜んでもらえたなら良かった。


 「はるかちゃん。次は水着を持ってきてくれる? スクール水着ね。それを着て僕に見せてほしいんだ」

 「えっ? な、なんで……」

 「お願い」


 過去一番の変なお願いだ。

 意味がわからないけど、別に嫌ってわけではないし大した面倒もかからないから、次来る時に持ってくると約束した。


 そして、それを着てまた写真を撮られて——今度は水着だから体操服よりも恥ずかしかった。


 でも写真を撮られたことよりも、今のスクール水着がどんな感じか知りたい、と言って、生地を引っ張られたり、水着で包まれている部分を触られたことの方が、ずっと恥ずかしかった。


 余計なことは何も言えない雰囲気だった。

 この頃のお兄ちゃんは、私が何か言いかけると、自分の言葉を被せたりすることが多い。


 怒る直前のピリッとした空気感が伝わってきて、私は黙り込んでしまうのだった。そうすると、また元の穏やかな空気に戻る。

 お兄ちゃんは優しいから怒ったりしない、と思ってても、私はつい大人しくなってしまう。


 なんか最近、楽しくないな……。

 何かおかしい、と感じていた。でも何がおかしいのか、と言われると、具体的なことは何も言えない。


 ただおかしいのだ。誰かに相談すれば教えてもらえるかな——そう考えて、それはダメだ、と首を振る。


 お兄ちゃんの部屋に行っていることは秘密なんだ。

 お兄ちゃんとの約束を破るわけにはいかない。

 お兄ちゃんを悲しませるようなことはできない。


 私にはお兄ちゃんしかいないんだから。お兄ちゃんに嫌われたら、おしまいなんだ。

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