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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
彼女のこと

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あいびき

 「お兄ちゃん! もう帰っちゃうの? もうちょっと遊んでよ〜。ねえ、いいでしょ? お願い!」


 いつものように指名コースを頼んだお兄ちゃんが、そろそろ帰る時間になってしまった。

 1時間かそこらでは、ちっとも満足できない。もう少しだけでいい。お兄ちゃんと一緒にいたい。


 なんで楽しい時間って、こんなにあっという間なんだろう。


 お兄ちゃんお兄ちゃん、とまとわりついて駄々をこねる。

 私はいつしか、実さんのことを「お兄ちゃん」と呼ぶようになって、今ではすっかり懐いている。


 お客さんのことを、『お父さん、お母さん』『ママ、パパ』と呼ぶのはアウトだけど、『お兄ちゃん、お姉ちゃん』呼びはオッケーだった。

 だから私は、実さんのことを本当の兄を呼ぶように「お兄ちゃん」と呼んでいた。


 お兄ちゃんは週に一回私に会いに来て、指名コースを頼んでくれた。


 私がまだ帰らないで、と駄々をこねて時間を延長することもしばしばだった。

 給料を多くするための作戦ではなく、純粋にもっと一緒にいたいから駄々をこねた。


 こんなふうにお願いすれば、お兄ちゃんは「じゃあもう少しだけね」と延長してくれる。

 でもこの日は違った。


 「ごめんね、はるかちゃん。もう今までみたいにここに来るのは難しいかもしれない」

 そう言って目を伏せたので、私は冷や水を浴びせられたみたいになった。


 「な、なんで? 私が嫌になった? 私と遊ぶのつまんない? 別の子カフェに行きたくなったの?」

 「違うよ。そういうわけじゃないんだ……」

 「じゃあ何なの?」


 悪い可能性をあれこれ想像する。

 私が嫌になったんじゃないなら、引っ越しとかで遠くに行ってしまうとか? それでここには通いづらくなる? もしくは勉強の方が忙しくなったとか。

 僕は学校の先生になるんだから、はるかちゃんと遊んでる暇なんてないんだよ——そういうこと?


 いや、気を遣って言わないだけで、私が何かやらかしていたのかもしれない。

 お兄ちゃんは優しいから我慢していただけで、実はとっくに嫌われていたのかもしれない……。


 涙が滲んでくる。

 これで最後だってことなら、笑顔で見送らなきゃ、と思うのに……無理だ、笑えない。


 「泣かないで、はるかちゃん。……言葉が足りなかったね。僕は子カフェに来るのが難しくなったってだけで、はるかちゃんとはもう会えないってわけじゃないよ」

 「え……?」

 「……ここから先は聞かれるとまずいな。はるかちゃん、今日何時上がり?」

 「えっと……夕方6時。あと1時間だよ」

 「じゃあ僕、待ってるから。この店の裏側にファミレスあるのわかる?」

 「うん。道路を挟んで向かい側にあるお店だよね?」

 「そう。そこで待ってるから、誰にも見つからないようにこっそり来てね」


 お兄ちゃんは、ずっと小声で話していた。店の人の目を気にしながら。


 お客さんと店の人で会うことは禁止されている。


 数あるルールの中でも、特に破っちゃダメだと言われているルールで、もしお客さんと外で会っていることがバレたら、すぐにクビにされてしまうほどだった。


 絶対にバレてはいけない。

 だから私は仕事が終わると、辺りをキョロキョロと見回しながら、重々気をつけてファミレスに入った。


 「はるかちゃん、こっち」

 窓から私の姿が見えていたんだろう。お兄ちゃんがドリンクバーのところで手招きしていた。


 お兄ちゃんが座っていたのは、店の中で一番奥の席だった。

 平日だからか、ファミレスは空いていた。


 ファミレスって、常に家族連れがいてワイワイしているイメージがあったけど、そんなこともないんだ。

 そんなふうに考えながら席に着く。


 「でね、もうカフェには来れないって話だけど……」


 お兄ちゃんが、声のトーンを落として話す。


 「実はお金が……ちょっと厳しいんだ。ほら、毎回指名コースを頼むと、結構な値段になるでしょ? 働いてるならともかく、学生の僕にはちょっとね……」


 恥ずかしそうに乾いた笑いをもらすお兄ちゃん。


 少し考えればわかることだった。

 指名コースを頼むと、1時間遊ぶだけでも五千円くらいになる。


 お兄ちゃんはここ2ヶ月くらい、週1回は来てくれていた。

 大学生のお小遣い事情はわからないけれど、ひと月で2万円は相当痛手なんじゃないか。


 しかもお兄ちゃんは、私の「もうちょっと遊んでよう」という駄々に、毎回応えてくれていた。延長した分だけ料金は高くなる。


 「ごめんね、私……自分のことしか考えてなかった。でも信じてほしいの。私は他の子たちと違って、お金を出させるためにあんなこと言ってたんじゃない。私、本当にただお兄ちゃんと一緒にいたかっただけで……」

 「わかった。わかったからはるかちゃん——ちょっと声を落とそうか」


 周りをチラチラ気にしながら、お兄ちゃんが手ぶりで制する。

 自然と声が大きくなっていた。「ごめん」と囁き声で謝る。

 確かにこの会話を誰かに聞かれるのは、ちょっと恥ずかしい。


 お兄ちゃんには、私が子カフェに来てから今まで見たものを、全部話してしまっていた。

 実はお客さんに仕事内容の話をするのも、他の子どもやお客さんのことをペラペラ話すのも、ルール違反なんだけど……私はとっくに破ってしまっていた。


 信頼できる人に話さないと、やってられないのだった。子カフェで働き出して時間が経つにつれて、どんどん嫌なところが目についてくる。

 今となっては辞めたくてしょうがない。辞められるものなら仕事を辞めたい。


 子カフェは、子どもも店員もお客さんもみんな怖くて、それぞれ違った気持ち悪さがあった。

 愚痴を吐き出さなければ、やっていられなかった。お兄ちゃんに愚痴を聞いてもらうことが、私の欠かせない癒しになっていた。


 「事情はわかった。でも私、お兄ちゃんともう会えないなんて耐えられないよ……」

 「もう二度と会えないってわけじゃ……ほら、給料が入ったら、また通えるようになるかもだし」


 お兄ちゃんはそう言ってくれたけど、そんなの当てにならない。

 お客さんは、少しでも子カフェから離れると、あっという間にこっちのことを忘れてしまう。


 通い詰めてくれるお客さんなんて、本当にレアなんだ。しょっちゅうやって来るお客さんは、大抵特定の子どもに入れ込んでいる。でも、()()()()()()のだって楽ではない。


 「ちょっと今はゴタゴタしてるから、落ち着いたらまた来るねー」

 そう言って、それっきり来なくなった人なんて、たくさんいる。


 お兄ちゃんは違うと信じたいけれど……。今はいずれまた来る、という気持ちでいるんだとしても、生活に追われるうちに気が変わるかもしれない。


 やっぱり信じきれない。今までの経験上、こう言い出してからまた通うようになるパターンなんて、100パーセントない。


 それに私は、何が何でもお兄ちゃんに会いたい。お給料なんてどうでもいい。なんだったらお給料を削られてもいいから、お兄ちゃんに会いたい。


 私が泣きそうなのをグッと耐えていると、お兄ちゃんは上体をこっちに近づけて、内緒話をするみたいに口元を手で隠した。


 「僕もはるかちゃんのことが気がかりだったんだ。でさ、良いアイデアがあるんだけど……」


 お兄ちゃんのアイデアは渡りに船だった。


 はるかちゃんさえ良ければ、これからはお店の外で会わないか、という誘いを受けた。

 お兄ちゃんと会うのに、お金なんていらないと思っていた私にとって、文句などあるはずない。


 「もちろん良いよ! あ、でもどうやっていつ会うかとか決めたらいいんだろう?」


 私は携帯を持っていなかった。通話やメッセージでいつでも気軽にやり取りができない身分だ。


 「携帯持ってないのは不便だけど大丈夫だよ。はるかちゃんのお父さんとお母さんは、夜にならないと帰ってこないんだよね?」

 「うん。どんなに早くても、夕方にならないと帰ってこない」

 「じゃあいつでも遊べるよね。あっ、わかってると思うけど、僕たちが会ってることは他の人には秘密だよ? お客さんと店の外で会うことはダメなんでしょ?」

 「わかってる。絶対に誰にも言わない。店の人はもちろん、お父さんとお母さん——あと学校の人にも」


 誰かに秘密を漏らして、回り回ってルールを破っていることがバレたら終わりだ。お兄ちゃんとは会えなくなる。それは絶対に嫌だった。


 「僕の家はここなんだ。ほら、すぐ近くにコンビニがあるアパート」


 そう言って、地図アプリの画面を見せてくれるお兄ちゃん。ここから歩いて10分もしない場所にある二階建てのアパートに、お兄ちゃんは住んでいる。


 「ああ、この辺なら知ってる。何度か散歩したことある」

 「ホントに? じゃあ迷子になる心配はなさそうだね」

 「結構年数経ってそうだね」

 「あはは、ボロアパートでしょ。築50年くらいだった気がしたな。家賃が安いことだけが取り柄だね」

 「一人暮らしなの?」

 「うん。実家はもうちょっと立派だよ」


 一人暮らしの大学生。実家がお金持ちならともかく、そうでないならみんなカツカツだろう。

 改めて、お兄ちゃんへの感謝と申し訳なさが湧いてくる。


 「ここの1階の5号室に住んでるんだ」

 「角部屋じゃん。いいね」

 「でしょ。水曜日と木曜日だったら午後はいつでもここにいるから。夜だったら金曜日以外は部屋にこもってる。でも夜は危ないから来ない方がいいね」


 こうして新しい生活が始まった。

 水曜日と木曜日の午後で仕事が入っていない時、私はお兄ちゃんの部屋のインターホンを鳴らした。


 水曜日と木曜日は学校を休むことにした。その日はできるだけ午前中に仕事を入れるようにしてほしい、とお願いすると、店長は何も言わずにその通りにしてくれた。

 お父さんとお母さんも、私が週2日学校を休みたい、と言っても「ああそう。別にいいよ」という反応だった。


 学校もそれほどうるさくない。先生は私が子カフェで働いていることを知っていて「休みたい」と言っても何も突っ込んでこなかった。

 先生たちの反応的に、私の他にも子カフェで働いている子が結構いるんだろうか。


 インターホンを押して、2回ドアをノックする。

 これが私たちの合図だった。


 お兄ちゃんが出なかったことはない。

 「基本的に部屋にいる時間帯だけど、もしかしたら出かけてる日もあるかもだから、1回鳴らして出てこなかったら帰っちゃって」


 ファミレスで会った日、そう言ってくれたけれど、今のところ会える日が続いている。


 アパートはただの待ち合わせ場所で、部屋の中に入ることはなかった。お兄ちゃんも入れようとはしなかった。


 知らない人の車に乗ってはいけない。知らない人の家に入ってはいけない。

 学校で耳にタコができるほど聞かされてきたことだ。


 お兄ちゃんは『知らない人』ではないから、これには当てはまらないけど、家族でもない大人の部屋に入ることに抵抗感がないわけではなかった。


 お兄ちゃんもそれを察していたらしく「部屋見てみる?」みたいなことを言ったことは一度もない。

 そんな気遣いができる時点で、お兄ちゃんは安心できる人間だとわかる。

 だから、近い将来お兄ちゃんの家で遊ぶことになるんだろうな、と予想できていた。


 私とお兄ちゃんがどこで遊んでいたのかというと、大抵近くの図書館や運動公園だった。


 図書館は、館内でお喋りはできないけど、カフェスペースではまったりできた。

 運動公園は、池があってカモや白鳥がポツポツいた。鯉が泳いでいるスペースもあった。


 池にいる鳥や魚に、二人でパンくずを投げた。お兄ちゃんがソフトクリームを買ってくれたこともある。


 私が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びながら歩いているので、周りの大人たちもみんな私たちのことを兄妹だと思っていた。

 訝しげな目で見られたことなど一度もない。時々散歩している人に「良いお兄ちゃんねえ」とか「仲が良いんだね」と笑顔で話しかけられることはあった。


 お兄ちゃんはそんな時、ニコニコと愛想良く応対していて、いかにも好青年という感じだった。


 お兄ちゃんは、イケメンと言われるタイプの人だ。しかも雰囲気も優しそう。

 こんなに感じの良い人を怪しいと思う人なんていないか。


 お兄ちゃんが褒められているのを聞くと、私も気分が良かった。


 ひと月ほど経った頃、私は初めてお兄ちゃんの部屋を見せてもらった。

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