グルーミング
「はるかちゃん、何か悩んでることはない?」
"一緒に遊ぶコース"で、実さんと折り紙をしていた時。ふとそう訊かれて、私は言葉に詰まってしまった。
実さんとは、この前指名されてからも度々会っていた。実さんは私を見つけると「おーい、はるかちゃん」と手を振って挨拶してくれた。
指名はあれっきりだった。指名コースは一番高いコースだからお財布に優しくない。
大学生の実さんにとって、そう何回も頼めるものではなかった。
「お金が無限にあれば、はるかちゃんを指名しまくるんだけどなあ」
そう言ってもらえて嬉しい一方、前のあたたかいひとときが忘れられずにいた。叶うならばまた指名してほしかった。
一緒に遊ぶコースで、実さんとペアになった時はラッキーに感謝した。
そうして遊んでいる最中、急に実さんがそんなことを訊いてきたのだ。
思っていることを言い当てられた気がして、ギクリとした。
「どうしたの? ……あるの? 何か嫌なこととか——」
「あ……その……嫌なことっていうか……私のことじゃないんだけど……」
どう言えばいいのか、何から説明すればいいのか整理できない。
流夢ちゃんのこと。その事件から私が感じたこと。
その全部を話そうとしたら、すごく時間がかかっちゃう。
「えっと……えっと……」
私が上手に話そうと気負うあまり、なかなかうまく切り出せないのを察した実さんは「大丈夫、落ち着いて」とストップをかけた。
そして店員を呼んで、
「すみません、指名コースの追加お願いします」
と言った。
「えっ……」
「大丈夫だよ。焦らずにはるかちゃんのペースで話してほしい」
ガヤガヤと騒がしいメインフロアから離れて、指名コース専用の部屋に入る。
部屋には誰もいなかった。完全に私と実さんだけの空間だ。
隣の部屋で、店員が時々窓ガラス越しにチラ見するだけ。
「どれだけ時間がかかってもいい。はるかちゃんが感じたこと全部聞かせて」
実さんは多忙な大学生だ。決してお金持ちなわけでも暇人でもない。
なのに、時間とお金を注ぎ込んで指名コースを頼んでくれた。
私と話すために。
私は、流夢ちゃんの事件をきっかけに、子カフェの見方が大きく変わったことを、辿々しく話していった。
「最初の頃は本当に嬉しかったの。お客さんはみんな優しくて、何もしてなくても褒めてくれた。ただそこにいるだけで認めてくれたの。私はたくさんの人に愛されてるんだ、って有頂天だった。こんな最高な気分がずっと続くんだって思ってた」
でも違った。常連だったお姉さんのことや、流夢ちゃんの一件で私は気づかされてしまった。
「お客さんは私に会いに来ていたんじゃない。明日私の代わりに別の子が店に出たとしても、お客さんはちっとも悲しんだりしてくれない、って」
悲しむどころか、新しい子の登場にはしゃいで、私がいないことにも気づかないかもしれない。
「お客さんは私を愛してなんかいない。私がどんなことを思っていて、どんな人間かなんて興味ないんだ。私はただ子どもだから好かれていただけ。……みんなそうだった。ここってそういう場所だったんだ」
初めて特別扱いされたんだと浮かれていた。
でも全然違ったんだ。たくさんいるお客さんの中に、私を見ている人なんていない。
子カフェに来る大人は、子どもが好きだから——つまり子どもの私を好きだったんだ。
私が大人になったら?
私が今よりも大きくなったら、お客さんたちはきっと——。
「そんな簡単なことにも気づかなかったの。……本当に馬鹿だった。私なんかが求められるわけなかったんだ。そんなうまい話はなかった……一歩子カフェから出たら、私は私のままで何も変わってなんかいない。好かれるよりも嫌われるタイプの人間のまま……」
涙が出てきた。泣いているのを向こうの部屋の店員に見られたら面倒だから、背中を向けて顔を隠す。
「気づいてないの私だけだった。他の子はみんなわかってたの。お客さんはただの子ども好きでしかないって。歳の近い子たちは全員知っていたの。わかってないのは幼い子たちだけ……。あとは私。私一人浮かれて……馬鹿みたいホントに……」
他の子たちは、私よりもずっと大人びていた。
私の知らない世界で生きる子たちは、今まで出会ったどんな子どもたちとも違った。クラスメイトとはまったく違う。
「私よりも小さい子たち——4、5歳の子どもたちでも給料の高さを自慢し合うの。なんかそういうのって……大人の世界のことでしょ。稼いだ金額がいかに大きいかで、マウントを取り合うなんて……」
給料の高さ=自分のすごさ。
ここの子どもは、一人残らずそういう考えを持っている。
給料の高さで自分の値段を決めている。ちょっとでも給料が下がると大袈裟に落ち込んで、泣き出してしまう子までいる。
給料が下がると親に怒られるから、という理由で泣いている子も多いけれど、自分の価値そのものが下がってしまったと言わんばかりに、気に病んでいる子も少なくはない。
そういう子を見ると、鳥肌が立つ。
ここでの給料がどれほど低かったとしても、人間としての価値が低くなったわけではない。
そんなのわかりきったことじゃないか。
給料が下がったから絶望するなんて、そんなのまるで子カフェの中でしか、生きていけない人みたいじゃないか。
でも流夢ちゃんは、多分そういう人だった。
流夢ちゃんがお店を辞めてから、ずっと考えていた。
流夢ちゃんがあるかちゃんにした嫌がらせは、ママに命令されたから、って理由も大きかったと思うけど、流夢ちゃん自身がやらなきゃ、と思ったんじゃないか。
このままじゃ、あるかちゃんに負けちゃう。
同年代の子の中じゃ、私が一番価値があったのに、このままじゃ——。
ずっと子カフェで過ごしてきた流夢ちゃんの焦りと不安を、私なんかがまるっとわかってあげることはできない。でも少しくらいは想像できる。
流夢ちゃんは、どうしようもなく苦しかったんじゃないか。
自分の価値を高めるためなら、他の子にどんなことをしてもいい、と思えるほどに——。
「しかもそれを店の大人たちが、まったく止めないの。それどころか、いいぞもっとやれ、って煽るスタンスで……変、だよね……」
最後のところで、自信がなくなっていく。
ずっとそんな空気の中にいると、だんだんわからなくなってくるのだ。私がおかしくて周りが正しいんじゃないかって気になってくる。
みんなと同じになれない私が変なんじゃないかと。
自分がのし上がるためなら何をしてもいい。
一部の子はそういう考え方に至っている。そして、店側も面倒なことが起こらない限り、その考え方を後押ししている。
そんなの間違ってる、と言えない空気感がある。
ただでさえ臆病な私が何か言えるわけがない。店長や副店長から、面倒くさい子だと思われて、ここに居辛くなっても困る。
目の前がじんわり歪む。
結局私も自分が可愛いだけなんだ。自分さえ良ければそれでいい、という考え方をしている。他の子に偉そうにどうこう言える立場じゃない。
流夢ちゃんの事件だって、私は何かしようと思って何もできなかった。何もしないうちに流夢ちゃんは去ってしまった。
「流夢ちゃんのお母さんが良くない人だってこと、私知ってたのに……言葉一つかけられなかったんだ。流夢ちゃんが泣いてるの毎日のように見てたのに。慰めることすらしなかったんだ」
苦しんでいる流夢ちゃんを見ることが怖かった。流夢ちゃんに話しかけて自分がいじめられるのが嫌で、流夢ちゃんから逃げ続けた。
これじゃ、施設にいた時と同じ——須美ちゃんにしたことを繰り返しただけだ。
私は何か変わったんだろうか。
子カフェに来て、大勢の人と接して、少しは明るくなったし自信もついた。前よりも自分が好きになれたと思ったのに、結局何も変わっていなかった。
「私って本当にダメな子なんだ……」
「そんなことない」
これまで大人しく話を聞いていた実さんが、食い気味に言う。
「はるかちゃんは本当に優しい子なんだね。友達を助けられなかったのは、はるかちゃんのせいじゃないのに、自分が悪いんだと思ってる。僕は今の話を聞いて、はるかちゃんが大好きになった。やっぱりはるかちゃんは、他の子とは違う。特別な子なんだ。だからこそ苦しんでいるんだね」
実さんの言葉は、一言一言が胸にすとんと落ちてきた。
私はずっと、誰かからこんなふうに言われたかったんだと気づいた。
君は悪くない。そうじゃなくて君は素晴らしい人間なんだと。
その優しさは自慢にしていい。その優しさのせいでずっと苦しかったよね。
他人から、こんなふうに褒められて認められたかった。私は悪くないんだと言ってほしかった。
心のどこかで、実さんなら私の欲しい言葉をくれるだろう、と確信していたんだろうな。だから素直に話す気になれたんだ。
気づけば私は、色々なことを実さんに話していた。
施設での辛かった日々、須美ちゃんのこと、お父さんとお母さんが私に冷たいこと——話す順序はぐちゃぐちゃで、説明もわかりにくかったと思うけど、実さんは辛抱強く聞いてくれた。
「そっか……はるかちゃんは本当に辛い思いをしてきたんだね。そして今も辛い状況は続いている——お父さんとお母さんは、最近じゃ夜遅くに帰ってくる日の方が多いんだよね?」
「うん……」
お父さんとお母さんは、私が子カフェに通うようになってから、だんだんと帰りが遅くなった。
朝、テーブルの上に夕飯代を置いて仕事に行く。もしくは、今日は冷凍のおかずをチンして食べて、と言われる。
冷凍のおかずは、あんまり美味しくない。出来たての食事とは比べ物にならない味だ。
2日3日くらいならそれでも良いけど、何日もそんな日が続くとうんざりしてしまう。
それに広い家に一人きり、というのは結構心細いもので、もし今泥棒が家に入ってきたらどうしよう、みたいな妄想をしょっちゅうする。
「それはよくないね……はるかちゃんも夜に家でひとりぼっちじゃ怖いでしょ?」
「そうなの! お化けとか強盗とか出てきたら……って心配をずっとしてる」
「でもお父さんお母さんには、遠慮が勝っちゃって言えないんだ?」
その通りだった。素直に「家にいてほしい」と二人に言えればどんなにいいか。
でもそれができないのが私だった。
それに、そう言った瞬間、二人が面倒くさそうにするのが想像できた。
面倒くさい子。うるさい子。
そう思われるのが怖かった。
私が言いたいことを飲み込んで、二人のお願いをちゃんときくと、二人は私を『手のかからないいい子』と褒めた。
——はるかはそこらへんの子どもとは違って、親に迷惑かけない良い子ね、お父さんもお母さんもいつも助かってるよ。
そして最後に「はるかを娘にして本当に良かった」と言ってくれる。
わがままを言って「はるかを娘にしたのは失敗だった」なんて言われるより、我慢する方がよっぽど良いんだ。
子どもは親に嫌われたら生きていけないんだ。
また施設に戻るなんて、私は絶対に嫌だった。
「だってお父さんとお母さんに面倒くさいって思われたら終わりだし。二人のお願いをちゃんと聞いて良い子にしてれば、お父さんもお母さんも私を好きになってくれるはずだし……」
二人の言いつけを素直にきいて、その通りにしていれば褒めてくれる。
はるかは手のかからない良い子。親の言うことをよく聞ける良い子。他の自分勝手な子どもとは違う——特別な子。それでこそ私たちの自慢の娘。
お父さんとお母さんは、私の我慢強さと聞き分けの良さを好きでいてくれている。
二人の期待に応えたかった。
雰囲気を壊したくない。ガッカリされたくない。
言いたいことはたくさんあったけど、何も言わないことが一番良い方法なんだと自分を納得させていた。
「なるほど……はるかちゃんは優しすぎるから、両親の気持ちを考えると何も言えなくなっちゃうんだよね。でも親にわがままを言えないのは悲しいね……」
実さんは私に寄り添って、気持ちを言い当ててくれる。
自分のことを丸ごと受け止めてもらえたような気がした。
「はるかちゃんのお父さんとお母さんに思うところはあるけど……はるかちゃんが二人を困らせたくないって言うなら——これからは僕に頼ればいいんじゃない?」
「え……?」
「これからわがままとかは僕に言えばいいよ。といっても、すぐには難しいかもしれないけど……でも少しでもはるかちゃんに楽になってほしいんだ。今のはるかちゃんを見てると、なんだか不安になってくるんだ」
「で、でも。そんなわけにはいかないよ。実さんはお客さんで——大切なお客さんにそんなわがままなんて……」
「子どもはわがままでいいんだよ。お客さんだからっていう遠慮はいらない。はるかちゃんがいざって時に、"頼れる存在"になりたいんだ。そんな堅苦しくならずに、歳の離れたお兄ちゃんができたと思ってほしい」
「頼れるお兄ちゃん……」
「そう。僕がはるかちゃんを守る"良いお兄ちゃん"になってあげる。お父さんお母さんの代わりに、はるかちゃんの願いをなんでも叶えてあげるよ」
……本当に?
幸せすぎて、これは夢かと思った。
ここまで親身になって話を聞いてくれて、なおかつこんな言葉を言ってくれた実さんを、信じてみたい。
でも——。
「いなくなったりしないよね? ある日急に会いに来なくなったりとかしないって約束できる?」
これまで何人ものお客さんを見てきたから、どうしても疑ってしまう。
絶対にまた来てね、と約束したからといって、安心できない。
大人と子どもの間で交わされた約束が、どれだけいい加減なものか私は知っている。
そもそも、ここに来て子どもと何を話したかを覚えているお客さん自体、ほとんどいないんじゃないかと思う。
子どもの言葉なんて大した意味はないし、話の中身もない。
お客さんがうっすらそう思っていることを、なんとなく察してしまうのだ。
約束はその場のノリでするもので、破っちゃダメだ、なんて意識は持っていない。約束した相手に対する責任感はハナから存在しない。
約束をしたこと自体、頭から抜け落ちているに違いない。
『どんな絵を完成させてくるのか楽しみにしてるから』
私はあの約束を大切に抱きしめていたのに、向こうからしたら、そんな約束どうでもよかったんだ。
幼い子どものことだ。どうせすぐに忘れてしまうだろう、と思っていたのかもしれない。
今思い返してみても悲しくなる。
いつまで気にしてるのかと笑われるかもしれないけど、悲しかったんだ。私なんてどうでもいいんだ、とクサクサした気分になった。
実さんだって今はこんなに優しいけど、一旦カフェを出てしまえば、私なんて意識の片隅に追いやられちゃうかもしれない。
「大丈夫だよ。僕は絶対にまたはるかちゃんに会いにここに来る。急にいなくなったりとかもしないよ。だから安心して」
そうして実さんは、なんなら明日も来るから、と言ってくれた。
約束通り、翌日も実さんは来てくれた。私を指名して、僕ははるかちゃんの味方だからね、と言ってくれた。
実さんを信頼するのに、時間はかからなかった。
この人は大丈夫だと思えた。
実さんに好かれたい。実さんともっと仲良くなりたい。
私はすっかり、実さんを歳の離れたお兄ちゃんとして見ていた。
誰にも言えないことも、実さんになら打ち明けられた。
今の私は、もはや実さんに会うためだけに子カフェで働いていると言っても、言い過ぎではないくらいだった。
そして、私たちは店の外でも会うようになっていく。
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