不理解——子ども
施設で眠る最後の晩、私は目が覚めてしまって、夜中起き出して、施設の中を歩き回っていた。
これでこの場所ともバイバイか。
寂しさや切なさみたいなものは、まったくなかった。
長かった……本当に。
明日からは、楽しい毎日が待っている。
私は"普通の子"として、クラスの子たちとも仲良くやっていけるだろう。先生に迷惑そうにされるのもおしまいだ。
一通り見て回って、最後に例の空き教室に来た。
扉を開けて、心臓が止まるかと思った。
「はるかちゃん……!?」
須美ちゃんが、部屋の真ん中に立っていた。
何でここにいるの、という驚きに目を白黒させている。私も同じ顔になっているだろう。
「あ……そうだ、はるかちゃん。親になってくれる人、見つかったんだってね。おめでとう」
「…………」
「えっと……私ね、はるかちゃんに伝えたいことがあってね……あっ!」
須美ちゃんが何か言おうとするのを無視して、私はその場から逃げ出した。
須美ちゃんは私を恨んでいる。
私に伝えたいこと。
『よくも裏切ってくれたね、信じてたのに。許さない』
そういうことを言いたいんだろう。きっと。
絶対にそうだ。
はるかちゃんなんて大嫌い、と思っているに違いない。
私は本当に酷いことをしたんだから。
友達に酷いことをした私みたいな子が、幸せになろうとしている。自分を愛してくれる人のところで、すこやかに育っていこうとしている。
私なんかより、須美ちゃんの方がずっといい子なのに。
***
須美ちゃんの悪口を、ここ最近私は毎日のように耳にしてきた。
「あ、ほら変態が来たよ」
須美ちゃんが部屋に入ると、指を指してそう言いふらす子が何人もいた。
私の告白で秘密がみんなにバレた須美ちゃんは、"変態行為をする子"として噂が広まっていた。
子どもは、変態とか、下ネタに結びつく言葉が大好きだ。特に男子は、そこまでの悪気なく相手を変態とかスケベとか言ってからかう。それに男子は、からかうという遊び自体が好きだ。
須美ちゃんは、よく男子たちに「変態」とか「ドスケベヤロー」とかはやされた。
「おい、あれやった後は、ちゃんと手洗えよ。汚いから」
ニヤニヤしながらそう言われたり、なあここでやってみろよ、と言われているのを聞いたこともある。
私は、できるだけそういう場面に出会わないように、気をつけて過ごしていた。
縄跳びでもしようと思って、縄跳びが置いてある部屋に入ろうとした時、須美ちゃんがいじめられているのを目にしたら、絶対に部屋に入ろうとはしなかった。
でも、食事の時間や掃除の時間など、終わるまではその場から離れるわけにはいかない状況では、どうしても避けられなかった。
掃除の時間はともかく、食事の時は先生も一緒だった。
でも先生は、須美ちゃんが酷いことを言われていても、酷いことを言った子を叱ることはしなかった。
食事の時間は先生も忙しすぎて、多少の暴言を言う子ぐらいは、放っておくしかなかったのだ。
幼い子もみんなで集まってご飯を食べるので、あちこちで喧嘩が起こった。
隣の子におかずを横取りされた子が隣の子を叩き、それで叩かれた子がお返しに箸で攻撃しようとしたり——毎回どこかしらで泣き声や金切り声が響く食卓だった。
そんなだから、須美ちゃんがからかわれて泣いていても、先生は構っていられる状態じゃなかった。
ご飯が美味しいな、とゆっくり感じる余裕もないほど、慌ただしい時間だった。先生なんて味を一つも感じなかったに違いない。
掃除の時間は、先生が見回りに来ることもない。掃除の時間が終わった後、綺麗になっていなかったら怒られるけど、逆に綺麗になってさえいれば、その時間は何をしても首を突っ込まれない。
だから、年長者が年少者に掃除を全部押し付ける、なんてことはザラにあった。
いじめっ子にとって、掃除の時間は退屈しのぎに費やす時間だった。
掃除は下の年齢の子に押し付けるからやらなくていいとしても、持ち場を去って遊ぶわけにはいかないから、チャイムが鳴るまで退屈を紛らわせなければいけなかった。
その場にいる気に入らないやつをいじめる、という遊びが、いじめっ子にとっては最高に魅力的だった。
幸い、須美ちゃんと私は違う班だったから、掃除の場所は一緒じゃなかった。
でも近かった。私が階段を雑巾掛けしている最中に、須美ちゃんの悪口が大声で聞こえてきた。すぐそこの廊下からする声だ。
それはどれも耳を塞ぎたくなるようなもので、ひときわ酷い言葉が出てきた時は思わず「何てこと言うの!」と口から飛び出しそうになった。
他にも、須美ちゃんのロッカーやカバンの中に、わいせつな、とでも言うのか——それを見た人がすごく嫌な気分になる、最悪な絵が入れられていた。
私が見たのは、須美ちゃんの似顔絵に大人の女性の裸を組み合わせた絵だった。
その絵の横には、カタカナでアーンアーンと犬の鳴き声のような叫び声が、吹き出しで囲んであった。
須美ちゃんのカバンに、その絵を入れようとしている男子を偶然見てしまっても、私は黙ってその場から離れるだけで、須美ちゃんのためにその子に怒ることすらしなかった。
女子は誰も、須美ちゃんに話しかけるどころか、話しかけられても返事することすらしなかった。
幽霊のように扱って、遠いところから指差してヒソヒソ声で噂するのだった。そして、時々キャハハ、やばーいとか大きな声が出てしまって、しー聞こえるって、などとやっていた。
須美ちゃんは、しょっちゅう私に話しかけたそうにしていた。私がトイレから出るのを、女子トイレの入り口で待ち伏せしていたことも一度や二度じゃない。
私はその度に気づかないふりをして、そそくさと立ち去った。須美ちゃんがどんな顔をしていたかは怖くて見れなかった。
でもきっと怒った顔をしているんだろうな、と思っていた。だってそうじゃなきゃおかしい。
須美ちゃんをこんな場所に一人残して、私は幸せな方に行く。
須美ちゃんは、きっとそのことも許せないだろう。
私が須美ちゃんの立場だったら、須美ちゃんは何も悪くないと知っていても、裏切られたような気持ちになってしまう。
初めての友達は大事にできなかった。
今度友達ができたら、その時はもうヘマはしない。須美ちゃんの時みたいなことは繰り返さない。
須美ちゃんのことは忘れて、新しい環境でうまくやっていけるよう頑張ろうと思った。
この失敗を成長のもとにしよう、と私は考えて、できるだけ早く須美ちゃんとの記憶を忘れられるよう願った。
そして、とうとう施設を去る日が来た。




