4ヶ月前
「ねえ、この辺にもできたらしいよ」
「マジで? 行ってみようかなー」
前を歩く二人組の女の甲高い声は、意識せずとも耳に入ってきて、会話内容を聞き取ってしまう。
「あんた子どもとか好きだったっけ?」
という言葉に、この辺にできたというのがあれだとわかり、不快感が湧く。
子カフェ。ネコカフェに名前を似せれば、残酷さを誤魔化せるとでも思っているのだろうか。
その軽い響きに騙されて、行こう行こうとキャアキャア騒いでいる前の二人組は馬鹿だ。何も考えない考えられない大馬鹿者が少なくないから、名前だけでも物々しいものにするべきなのに。
例えば児童売買喫茶店とか。そういう施設名にすれば、イメージも変わるだろうに。というか本来、そうするべきなのだ。
あそこは無垢な子どもにさもしい大人の相手をさせる、いわば一種の風俗店みたいなところなのだから。
倫理的に良くないことや反社会的な行為を、聞き手にとって好印象を与えるような軽い言葉で表す、ということは、私が学生だった頃から浸透し始めた文化だけど、最近はそれが行き過ぎているように思う。
売春。脅迫。暴力。かつては人々にちゃんとそう呼ばれていた行為たちは、今やふわっとしたワードで呼び交わされ、正しい呼称なんて普通の会話の中では使わない。
いつの間にか、行為自体が気軽に手を出せるもの、大したことないもののように思われている気がして、不安でしょうがない。
そのうち『殺人』さえも、軽い言い方をされるようになるかもしれない、なんてことを半ば本気で思ってしまう。
ふと、子どもの声がして振り向くと、4、5歳くらいの男児が母親らしき女性と手を繋いでいた。
珍しい。
そう思ったことが保護者にも伝わったらしく、彼女は気まずそうな表情を浮かべ、居心地の悪さから逃れるように、男の子と共にそそくさと曲がり角に姿を消した。
「ね、今の」
「うん。珍しいね、さっきの母親若かったけど、よくやるなあ」
前の女二人も、子どもの声に思わず振り向いたようだ。
珍しいね、にも、よくやるなあ、にも悪意の気配は微塵も感じない。純粋に子どもの面倒を見る若い女性をすごい、と思っているらしかった。
にも関わらず、私には彼女らの口振りに嘲りが含まれているように感じた。
——今はそういう時代でもないし。子どもを授からなかったからって、そんなに気を落とさないでよ。
善意に満ちた友人の言葉が再生される。頓珍漢な励まし方をしたその友人の連絡先は消した。
世間がどうだとか時代はこうなっているとかは関係ないのに。子どもを持たない、持ちたくないという考えの人が多数派になっても、それによって社会が子連れにとって不便になっても関係ない。
私はどうしても子どもが欲しかった。愛する人との子どもが。
「遥……」
またその名を呟いてしまう。たちまち視界が歪み、鼻水も出てくる。
歩くペースを早める。早く人目のない我が家に入り、思う存分悲しみに浸るために。
郵便受けを見ると、国から何か届いていた。
ああ、もうこんな時期か、と時の流れを実感する。
毎年、桜が咲く頃になると、全国民に配られる書類。“子どもについてどう思うか“というアンケートは、回答するだけで一万円相当の買い物ポイントが付与されるので、ほとんどの国民が提出している。
子どもを持ちたいと思うか、という質問に「いいえ」と答えた国民が90パーセントを切ったのは、確か5年前だったか……。
それ以前から、だんだんと街で子どもを見かけなくなっていたので、今は『子どもは欲しくない』という考えが基本になっている——とニュースで聞いた時も、やっぱりそうなっているんだな、と驚きはしなかった。
世間がどういう風潮でいても、私の願いは変わらない。私は私の悲願を成就させるために頑張るからどうぞ勝手に、という風だった。
このまま子どもが産まれないと困る。
そう思った政府は、対策を打った。
それがあの悪魔の施設——『子カフェ』の営業拡大の推進だった。
政府が対策を打った、というよりは、この時代から生まれた需要に目をつけた商売人を国が後押しした、とでも言うべきか。
経営者の儲けたいという欲望と、政府の出生率を上げたいという願いが合致した結果が、あの非人道的な施設の成立だった。
『子ども可愛い! でも育てるのは躊躇する……という方々のオアシス! その名も子カフェ! 子どもたちを見て癒されよう!』
こんな謳い文句で放映されたCMは、当然大炎上した。
そのカフェは、まるでネコカフェのように何人かの子どもたちがいて、各々好きなように過ごしている。特に何をしているわけでなくとも、子どもはただそこにいるだけで癒されるものだ。それこそ猫のように。
気楽に見ている分には子どもは好きだ、と感じている大人は相当いた。
アンケートでも『子どもが好きか嫌いか』という問いに『好き』と答えた人間は88パーセント。圧倒的だった。
CMの言う通り『子どもは可愛いしどちらかと言えば好きだけど、自分が責任持って育てるのはちょっと……』という大人は増えていた。それに目をつけて生まれたビジネスこそ、世間で子カフェと呼ばれている喫茶店だ。
無責任に子どもを可愛がることだけをしていたい。
そんな身勝手な大人たちの欲望を満たす場所。
忌々しいことこの上ない。
こんな施設が認められるわけない、と話題になった当初は思っていた。すぐに消えるだろうと。拡大するなどありえない、と呑気に構えていた。
そもそも子どもを働かせるのは、法律に違反することではないのか。
そう思ったのだが、経営側もそこはちゃんと考えていた。
カフェにいる子どもたちは『従業員』ではなく、アイドルやタレントのような芸能活動者というくくりに入る。だから児童労働禁止の例外になる——と言い張ったのだ。
子どもを売り物にして、私腹を肥やしているんだろうが、などといった批判的な声がいくつも上がっているが、断じて子どもたちから搾取しているわけではない。
子どもたちが自ら望んでやっていることだ。保護者も許可しているし、相応のギャラも払っている。
違法性はゼロだ——ニュース番組などで何度も繰り返された台詞は、国民に催眠術をかけ、批判的な意見を押さえつけるかのように感じた。
洗脳じみた報道が効いたのか『子カフェ』はだんだんと世間に受け入れられていった。不満の声は現在でも上がっているが、その声は日毎に小さくなっている。
あと3年もすれば、わざわざ耳をすまさなければ聞こえなくなる。
なんせ国が全力で推しているのだ。あの施設が栄えることを。
保護者としては、自分の子どもを『子カフェ』で働かせれば、お金が手に入る。そうやって懐に入ったお金を、そのまま子どもの養育費や教育費に回す親もいる。稼がせたお金を子どものために使うのならまだマシな部類で、自身のパチンコ代にあてるような親もいるはずだ、と私は思っている。
子どもを産むことにメリットが生じたのだ。『子カフェ』の登場によって。
その結果、損得勘定で子どもを作る人間が急増。出生率が一気に上がった。
この施設が少子化問題解決の頼みの綱、と睨んだ政府は『子カフェ』の店舗拡大にリソースを割いた。
政府からすれば、少子化問題の解決に繋がる上、そこまで多くはないかもしれないが、税金が得られる。
カフェで働く子どもの給料にも、所得税はかかる。政府にとっても得がある施設というわけだ。
故に、非倫理的な施設の誕生を糾弾するどころか、大いに祝福したのだ。これからの社会には子カフェが必要だと。
新聞やテレビでは、あの店に対する悪口や反対意見は一切出なかった。アナウンサーもコメンテーターも、皆気持ち悪いくらいに『子カフェ』を褒め、歓迎し、好意的に受け入れていた。
問題なんて何もない。みんなが幸せになれる仕組みなんだから、いつまでも聞き分けのないことを言うのはやめろ。
社会全体の流れがそういう風になってきた。
元々需要があったことも相まり、大人たちはカフェの利用に抵抗がなくなってきた。
最初は抵抗があっても、慣れてくれば何ということもないらしい。今ではみんな、友達などに「子カフェに行こうよ」と堂々と言えるくらい、あの店は世間の人間にとって、自然なものとして認められている。
この流れに危機感を覚えない世間の人たちは、頭がおかしい。
合法です、という言葉に踊らされ、はしゃいで例のカフェに行く姿に憤りを覚える。
あそこにいる子どもたちは、芸能活動者というくくりに入る、と言うが、まさにその通りだった。
あのカフェの子どもたちは、訪れる大人たちにとってアイドルだから。
カフェには、いくつかの“コース“があって、コースによって料金が異なっている。
一番安いコースだと、子どもたちがいる空間で遊び回る彼ら彼女らを眺めることしかできない。子どもに触れることはおろか、話しかけることすら叶わない。
少し料金が高めのコースにすれば、店側が適当に選んだ子どもとお絵描きをしたり、おままごとをしたり、絵本を読み聞かせてあげたりなど、子どもと遊ぶことができる。
そこからさらにグレードを上げていくと、今度は抱っこし放題のコースになる。子どもと思う存分触れ合えるこのコースは、客から一番の人気らしい。
そして最も高額なコースになると、いわゆる"指名"というやつができる。
客がお気に入りの子どもを選んで、一緒に過ごすことができるのだ。
アイドルというよりも、キャバ嬢かホストか。
働いている子どもの年齢は、4歳から12歳まで。
3歳までの子がいるところは、店側も大変なので通常のカフェよりも料金が高めになっているから敷居が高いし、店舗数も少ない。
4歳から12歳までの子どもがいる店は『子カフェ』、赤ん坊から3歳までの子どもがいる店は『赤カフェ』と巷では呼ばれている。
赤ちゃんは人気があるので、高額料金でも結構客が入る。
基本的に年齢が幼いほど人気がある。毎月の給料も4歳と12歳では雲泥の差なんだそうだ。
動画投稿サイトにて、子カフェで働いているという女の子が、そろそろナンバーワンの座が危ういかもしれない……と話している動画を見た。
その動画には、女の子の母親も出演していた。
どういう気持ちで自分の娘を“売り“に出しているのか、とのほほんとした顔に唾を吐き出してやりたかった。
そのチャンネルは、シングルマザーである母親と、母親を支えるために子カフェで働くことを決意した娘によって、設立されたチャンネルだった。
母親に対するバッシングも多いが、娘の献身的な愛を讃え応援する登録者もまた多い。
私はもちろんバッシングする側だ。新しい動画が投稿されるたびに、批判的なコメントを残すことを忘れない。
こんなチャンネルが存在することが、こんなチャンネルを支持する人がいることが許せない。あってはならない。
だから私は、今日も動画をチェックして荒々しくキーボードを叩く。母親を叱責するコメントを書き続けていく。
『娘を使って金稼ぎとか、恥ずかしくないんですか?』
『あなたみたいな人間が親だなんて、私だったら死んだ方がマシです』
『なんであなたみたいな女のところには、子どもがいるのに私には——』と打ちかけて、全部消す。
涙がドッと溢れてきて、思わず拳を机に叩きつける。
低いうめき声が、握りしめた拳と共に震えていく。
どうしてだろう。
どうして母親になるべきではない女の元には宿って、私のような人間の元には子どもが宿らないのだろう。
私だったら、子どもを金儲けの道具になんてしない。
無償の愛を与えるだけで、子どもには何も求めたりしないのに。
ここまで子カフェに嫌悪感を抱いている私が、それから程なくして、あの店に熱心に通うことになるとは——その時の私には想像もできなかった。
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