死因
理音さんが訪ねてきてから、一週間くらい経った頃——。
わたしは、家中を荒らし回っていた。必死に“ある物“を探していたのだ。
これからは他人なんて信じない。自分と金だけを信じる。
そう決めた時に、ふっと湧いてきた疑問。
春太の死に関して、わたしが知らないことがあるのではないか? と。
母はまだ、わたしに何かを隠している——そんな予感があった。
疑心暗鬼になりすぎて、何でもないことでも怪しくなっているのかもしれないが、確かめないことには気持ちを落ち着かせられなかった。
確かめたところで、余計に苦しむだけかもしれない——むしろ、そうなる気がビシビシしていたが、一旦湧いた不安を放っておくなんてできない。
嫌な予感がするからといって放置しておけば、それはそれで気が狂いそうだった。
だからわたしは、家の中のありとあらゆる場所をひっくり返して、探し続けた。
春太の死亡診断書を。
30分探してみて、もしかしたら母が持っていってしまったのか? と思った。
もしそうなら、ほぼ間違いなく怪しい。わたしに見られたくないから、持ち去ったとしか思えない。何か後ろめたいことがあったと断定していいだろう。
いくら家の中を探し続けても見つからなかった場合、何とかして母に会って問い詰めなければ。
だが、お目当ての物は無事に見つかった。
大型の冷蔵庫の上にポンと置いてあった。飛ばされないように、軽い重しをつけて。
引き出しの奥や、タンスに仕舞い込まれた服のポケットなどを探っていたが、こんなところを隠し場所にしていたとは。
下ばかりに意識がいって、上はノーマークだった。
脚立を持ってきて覗かなければ、まず気づかない場所だ。
その周到さに、疑いが確信に変わっていく。
死亡診断書に目を通した瞬間、目の前が真っ暗になった。
だからやめておけ、と言ったのに。ここでやめておけば、まだ取り返しがついたかもしれないのに。
そんなもう一人のわたしの声が、聞こえてきた。
これで完全に終わったね、と。
春太の死は、食中毒によるものではなかった。
猫アレルギーが引き起こしたアナフィラキシーショックが原因だった。
アナフィラキシーショックといえば、皮膚症状が有名だが、その他にも嘔吐や下痢、呼吸困難などといった命に関わる症状が出ることもある。
あの狭い公園の中には、たくさんの猫がいた。
春太は四方八方を大量の猫に囲まれて、重度のアレルギー症状を起こしたのだ。
わたしは、古い記憶を呼び覚ます。
春太は赤ん坊の頃、普通の子よりも身体が弱く、頻繁に体調を崩していた。
嘔吐物で汚れた服を手洗いしている母の姿が、記憶に残っている。
特にわたしが子カフェから帰ってきて、居間で夕飯を食べている時、春太のくしゃみと咳がよく始まった。
春太が生まれてからすぐ、わたしは仕事を始めた。
当時のわたしは、子カフェで過ごす時間が受け入れられなくて、仕事に行ったフリをして近所の野良猫と遊んでいたりしていた。
サボりはすぐにバレて、嫌々ながらも仕事には行くようになったが、仕事終わりに猫と戯れることは続けていた。
孤独な日々の中で、それだけが癒しだったから。
わたしは、あちこちに猫の毛が付きまくった状態で帰宅していた。
春太の病弱は、わたしのせいだった。
しかし、わたしが帰宅してから体調が悪くなる、というパターンを繰り返していたのなら、あの母だって気づきそうなものだ。
普通、子どもが嘔吐したり咳込んだりしていたら、医者に見せる。そしたら、猫アレルギーを持っていることも、判明するはずだ。
しかし、母は決して病院には行かなかった。あの時の母は精神を病んでいて、大勢の人が集まるような場所は、何が何でも行きたくなかった。
わたしだって、幼い頃に何度か高熱を出したけれど、母は薬すら貰いに行かず、自身の看病とわたしの自然回復力だけを頼りにしていた。
法律で義務付けられた健康診断などで、どうしても我が子を病院に行かせなければならない時は、金をはたいて何でも屋みたいな存在に同伴を依頼していた。苦しい経済状態の我が家にとって痛い出費だったろう。
病院にかからせなかったから、春太が猫アレルギーだということは、当時誰にもわからなかった。
そうこうするうちに、わたしは猫と遊ばなくなり、春太はアレルギー症状を起こさなくなった。
春太が体調を崩さなくなったことを、わたしは成長して体が丈夫になったから——とばかり思っていたが、そもそも春太は病弱ではなかったのだ。
母は、またしてもわたしに嘘をついた。
嘘の死因をわたしに伝えたんだ。
その理由は、春太が死んだことの責任を、全てわたし一人に押し付けるためだ。
多分母は、春太が猫アレルギーだということを知っていたのだ。少なくとも、そうなんじゃないか、と勘づいてはいたのだろう。
ある時期を境に、春太の体調がケロリと良くなったのだから、自分かわたしの方に何か原因があったのだと、そう考えるのは自然だ。
あとあと思い返してみて、そういえば明奈が猫の毛をたくさん付けて帰ってきた後に、くしゃみや咳が出ていたな——と気づいたのも自然な成り行きだ。
でも明奈が猫に触らなくなったのなら、もう取り立てて気にすべきこともないか——。
母はそう考えて、その後は猫アレルギーのことをわたしに話すのを、忘れたのではないか。わざわざ言う必要を感じなかったのかもしれない。
猫アレルギーで死んだ、なんて話は滅多に聞かないし、大した問題ではないと感じたのだろう。
母は、実はわたしたちのことなんてどうでも良かったみたいだし。
ある程度大きくなって、ちょっとくらい体調不良になっても『大丈夫大丈夫、死にはしない』と構えていられるようになったのだ。
そんな酷い親だったのだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。
今ならわかる。
自分の子カフェでの所業を美化させたいあまり、母もわたしと同じく頑張っているのだと思いたがっていたのだと。
どうしてわたしだけがこんな目に……という惨めさから自分を守るためには、母もわたしと同じように大変な思いをしているのだと、思うしかなかった。
そう思わなければ、やっていけなかった。
それに、自分の親までもが“まともじゃない大人"だという事実を、到底受け入れられなかった。
ただ一人の親さえ、“笑顔で子どもを搾取する大人"だなんて、辛すぎる——。
だからわたしは、何度となく感じてきた違和感を、その都度無視していた。
なんでもっと早くに、向き合わなかったんだ。わたしは過去の自分——春太が死ぬ前までの自分を心の底から罵った。
わたしがとてつもなく間抜けだったから。頭が悪くて心が弱くて、勇気が足りなかったから。
だから災厄を招いてしまった。
わたしが大切にすべき家族は、春太だけだったのに。
唯一家族と呼べる存在はすでにいない。
わたしが殺してしまった。
春太が猫アレルギーかもしれない、ということをわたしに教えておかなかった母にも責任はある。
病院に行って検査させなかった、という点だけでも十分非がある。
母は、春太の死はあんたのせいで、私は何も悪いところなどない、と娘を洗脳したかったのだ。
わたしを罪悪感で縛り、贖罪と称して残った家族である自分の言いなりにさせるために。
よくも私の息子を殺してくれたな。この先一生、私のために生きろよ。
母は一生涯、わたしを搾取するためにこの嘘をついたのだ。
もう完全に母への愛情はなくなった。
ただただ憎しみが湧き上がってくるのみだった。
よくも——よくもわたしの人生を!
わたしの時間を、思いを返してほしい。
奪われたものを取り戻したい。
わたしは強く願った。
金は戻ってきたけれど、それだけじゃまだ足りない。
わたしが新たな再スタートを切るためには、まだやらなければならないことがある気がした。




