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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
私小説

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22/123

大金に魅入られる

 母親は、その日の24時に帰ってきた。

 わたしが寝ている時間帯を狙ったのだろうが、無駄だった。

 彼女が帰ってくるまでは決して眠らない。何徹でもして待ってやる、という気概があったからだ。


 怒らないから話して、と嘘をつくと、彼女はひょっとしたら水に流してもらえるのではないか、という期待に顔を輝かせた。いやらしい顔だった。


 金は、家族の生活費のほかは、全てあの男に捧げられていたらしい。

 いい歳して、あんな若造の口車に乗せられて、言われるままにホイホイと金を渡していたとは——というようなことをわたしが言うと、母親は強く否定した。


 「彼が経済的に大変そうだったから、私が進んでやってたの。無心されたことなんて一度もない」


 最初に一万円ぽっち渡した時だってすっごい拒まれて、何日も受け取ろうとしなかったんだから——と自慢げに言われた。


 「次第にちょっとずつ受け取ってくれるようになってね。でも、少し経って『もういいよ、やめてよ』と言うから、どうせ私たちは結婚するんだから、お金なんてこの先いくらでも返せるよ、って言ったら、やっと納得してくれたの。家族から受け取るんだと思いなよって言ったら、必ず結婚する、って約束してくれた」


 力なき若者を金で支配した、ということだった。

 なるほど、あの青年に非はないらしい。人生経験の少ない彼は、この女のおぞましい執念に絡め取られ、結婚の覚悟を固めさせられてしまったのだ。


 しかし、結婚を予定している女に子どもがいる事実を知って、いよいよ我慢できなくなった。

 理由はわからないが、理音とかいうあの青年は、大層子どもを毛嫌いしているみたいだった。


 わたしは、それをむしろ好ましく感じた。

 無責任に可愛い可愛い、としか言えない子カフェの客たちより、よほど良い。

 勝手に子どもを無害な存在だと思っている大人たちより、よほど。


 母親に通帳を見させてもらい、ショックのあまり気絶するかと思った。

 預金は百万円もなかった。

 わたしがあれほどの苦労をして稼いだ金は、ほとんど消えていた。




 母は翌日から家に帰ってこなくなった。

 わたしに合わせる顔があるはずもない。わたしだって母の顔なんて見たくなかったから、好都合だった。


 母は、スーパーでの仕事を辞めてしまった。これからどうするつもりなのだろう。

 帰ってこないのは、新しい仕事探しに忙しいという事情もあるのかもしれない。

 早く仕事が決まって、バンバン働きに行ってほしかった。そうすれば関わらなくてすむ。


 もしくは新しい彼氏を作って、また男の家に泊まり込んだりしてもいい。わたしに迷惑をかけないのであれば、何をしても構わなかった。

 もう絶対に、彼女に金は渡さない。わたしの金は一円残らず、わたしのものだ。


 インターホンが鳴り、一体誰だ、と驚く。この家に来客なんて。

 覗き穴から来客の姿を見て、さらに驚いた。


 そこには、母の別れた彼氏——確か理音とかいう名前の青年が、佇んでいた。


 ドアを開けると、彼は小声で「春奈さんは今いないのか」と尋ねてきた。

 いません。しばらくは帰ってこないと思います、と答えると、ホッと息をついた。


 「これ……お母さんに渡しておいてくれないか」


 差し出されたのは、ジェラルミンケースだった。

 ギョッとして、すぐには受け取れなかった。


 「これで全部だ。春奈さんに借りていたお金は」

 「こんなに……」


 ドラマなどでよく見るジェラルミンケース。こんな仰々しいケースに入れるほどの金額を、母は貢いでいたのか。

 通帳を見て知ってはいたけど、改めて目の前にすると、母の馬鹿馬鹿しさ、無節操さに辟易する。


 受け取ってみると、案外軽かった。1000万円で1キロ、と聞いたことがあるので、こんなもんか。

 あまりに軽くて、この中に大金が入っているなんて、にわかには信じられなかった。


 こんなにふわふわで軽くて……。わたしは金というものが、絶対的な力を持っていて、金があれば最強だと信じていたが、その正体は幻のように不安定で、あやふやなものなのかもしれない——という考えが、一瞬頭をよぎった。


 「これだけのお金を、どうやって調達したんですか」

 「……言いたくない。でも、この金を受け取ったからといって、君たち親子に危険が及ぶというわけではないから、そこは安心してほしい」


 そう言うので、どんな方法を使ったのかについては、それ以上追求しないことにした。


 「じゃあ、俺はこれで——」

 「待って」


 思わず彼の手を掴んでいた。嫌そうな顔をされたので、急いで離す。

 単刀直入に、聞きたいことだけを言葉にする。


 「どうして子どもが嫌いなんですか」


 知りたかった。

 わたしの周りの大人たちは、自称子ども好きで溢れている。

 子どもが嫌い、という大人の考えが気になったのだ。


 「理由は色々あるよ。でも一番は、何を考えているのかわからないからだな」

 「わからない……」

 「何考えてるのかわからない存在が苦手なのは、当たり前じゃないか?」

 「他には? どんな理由があるの?」

 「そうだな……。あと、自己中でこっちの都合なんてお構いなしなところが嫌いだ。それが子どもなんだから、って周りは言う。それはわかってるんだ。しょうがないって理解してる。でもだからって、そういうところを絶対に受け入れて好きになれ、って強要してくるのは違うだろ」


 その通りだと思った。

 わたしは、しほさんのことを思い出した。


 彼女は、子どもを嫌いだという人間を許せない、と言っていた。


 「こんなに可愛いのに。というか生物としての欠陥だと思う。小さくて弱いものを守りたいって思うのは、当然でしょ?」


 私は正しい感覚を持っているんだよ。私は世間から称賛してもらえるような感覚を持っているの——という優越感に満ちていた。

 子どもが好きで子どもを可愛いと思える自身を、誇りに思っていることが伝わってきた。


 「まあそういうのは一部の人間だけで、人によって多少差はあっても、基本的にみんな子ども好きだと思うけど」


 しほさんは、大人の誰もが子どもを見て、可愛い、と少しは感じるはずだと信じていた。

 子ども嫌いの大人は冷たい人間であり、マイノリティなのだと。


 「自分勝手に振る舞う姿を見てると、イライラするんだ。そんで、こっちが距離を取っても、遠慮なくグイグイ踏み込んでくるだろ。そういうとこも我慢ならないんだ。自分のペースを乱されたくない。……こういうこと言うと、心が狭いとか何とか言われるから、周りには言わないようにしてるけどな」


 だから知り合いは、俺のことを幼い子どもを見たら普通にテンションが上がる、一般的な人間だと思ってるよ——理音さんは、少し寂しそうに言った。


 「子どもが嫌いってだけで、性格悪いとか怖いみたいなイメージが付きまとうけど、なんでだろうな。じゃあ子どもを見て、可愛い〜! って言ってる奴らが、将来子どもにとって良い親になれるかって言ったら、そんなこともないと思ってんだけど」


 これっきり会うことのない人間相手にだからだろう。彼はこの機会にモヤモヤしていること、納得いかないことを、ぶちまけようとしているように見えた。


 「今の大人たちって、子どもが好きなんです! とか言って、子カフェや赤カフェには行くけど、じゃあ自分の子どもを持ちたいか、って言うと、いやそれは……みたいな反応するじゃん。あれ、マジで気持ち悪いよ」

 「わかる」


 わたしの口から、自然と肯定の言葉が出ていた。


 「自分の何かを捧げるのは、絶対に嫌なんだよね。与えてもらうことだけを望んでて——しかも無自覚だから余計にタチが悪い」


 客たちは、おしなべて“子どもに優しくしてあげている自分はなんて良い人間なんだろう“という感覚に酔っていた。


 彼ら彼女らにとって、子どもとは、“守るべき弱い存在“であり、全ての子どもを愛するべき、と考えているのだ。

 全ての大人を愛さない、ということが許されているのなら、全ての子どもを無理に愛さなくてもいいじゃないか。


 全ての子どもを愛する、ということは、子ども一人一人の個人的な人格を、無視しているからこそ出来ることだ。


 自分たちの残酷さに気づかない奴らは、子ども好き=良いことだと思い込んでいる。子ども嫌い=悪いことだと。

 その式は酷い誤りだ。


 自分が“良いこと“をしていると思い込んでいる人間は、“悪いこと"をしている者を軽蔑したり、面と向かって責めたりすることもある。


 わたしは前に、しほさんの接客をしていた時に浮かんだ考えを思い出した。

 彼女の日々のストレスで荒れた心は、子どもという存在が最も癒してくれるのだと。


 ——わたしも含めた多くの人間は、自分に擦り寄ってくるか弱くて可愛い生物が大好きなのだ。

 ——人間の中には"ある理由"から、そういった存在が必要な者たちがいる。


 しほさんをはじめとした客たちは、そういった存在を必要としていた。


 子カフェに来る大人たちの中で、可愛いから、癒されるから、という理由で、子どもに会いに来ている人は少なかった。もちろんそれも理由に入ってはいるのだろうが、それがメインではない。

 客たちは、可愛くて癒されるから以外に、何の理由もないと思っているけれど。


 大人たちが子カフェに来るのは、子どもにしか満たせないものを求めているからだ。


 彼ら彼女らにとって、子カフェで一方的に子どもと関わるのは、アニマルセラピーのような効果があった。


 子どもは大人と比べると、純粋で疑う能力が低いので、支配しやすい。


 子どもは大人と比べると、出来ないことが多い。心身的に成熟していないのと、人生経験の多さでは、大人に太刀打ちできない。


 子どもに何かしてあげると、オーバーに喜んでくれるし、相手には出来ないことが自分は出来る、という喜びが得られる。


 立場の弱い存在に必要とされることによって、自己肯定感、承認欲求、自己受容感などが満たせる。


 彼ら彼女らにとって、子どもとは“圧倒的弱者“で、関わる上で自分が優位を取れる点が、子どもの素晴らしさだと思っている。

 自分よりも弱い存在を見ることで、安心感を得られ自己肯定感が上がるのだ。子カフェの客たちが、満足した顔で帰っていくわけだ。


 しかも、子どもというのは非常に愛らしい見た目をしている。多くの人間にとって、“可愛い“と感じる容姿なのだ。

 可愛い上に、自分を“必要な存在“として認めてもらえる。さらに、先述したような欲求を一挙に満足させることが出来る。


 さらにだ。

 社会の中、多くの人間たちの中には、子ども好き=良いことだという式が前提にあるから、子どもを愛でる、という行為は善行にあたるのだ。

 子どもを可愛い、と思うことは善だと。


 だから子どもを可愛がると、善行を積んでいるような気分になれる。自分が“良い人間“として“良い行い“をしている感覚に酔いしれるのだ。


 子カフェに来る客たちの本性というのは、こんなものだった。


 自分たちの傲慢さと、渇いた欲求を満たすために子どもを利用していることに関して、まったくの無自覚で、むしろ自分たちが与えてやっているのだ、という勘違いまでしている。

 子どもと“遊んでやっている"という恩着せがましい意識を持つ大人が大勢いた。


 人格を無視し、店側が“商品"として機能してくれるだろう、と認めた子どもしか愛さない独善的な大人たちばっかりだった。

 その愛し方だって、独善的なものだ。到底愛とは呼べない——。そもそも相手のことをまったく考えていない愛情が、果たして愛情と呼べるのか。


 溢れ出る衝動のまま、気軽に可愛い可愛いと繰り返し、顔を緩ませて、やたらと触り回したりすることが、模範的な愛し方とは思えない。

 誰にでもそんなことをされて、子どもたちは本当に幸せを感じたりするのか——。


 と、わたしの独自はこのくらいにして、話を青年との会話のシーンに戻す。

 彼はそれから、子カフェの話題を掘り下げた。


 「俺、最初に子カフェを始めた企業の社長の言葉を、時々思い出すんだ」


 それなら、わたしも知っている。


 「この圧倒的少子化社会で、再び大人と子どもを繋げる——大人と子どもの"心の交流"の橋渡しをしたい……」


 これを書いている今も、思わず吹き出してしまうほどのおためごかしだ。

 何が心の交流だ。


 「金儲けのために、子どもを利用します! って堂々と言うわけにも、いかないけどさ。明らかに子ども側が割りを食ってるよな、子カフェのシステムは」

 「本当に」


 わたしがため息混じりに肯定すると、理音さんは、やっぱり、とでも言うような確信に満ちた顔になった。


 「君も子カフェで働いているんだろ。俺が君のお母さんからもらっていた金は、君の給料から来ていたんだ」

 「もう働いてないけどね。12歳になっちゃったし」


 母はじゃんじゃん金を渡していたので、理音さんは母を金のある独身女性と思っていたらしい。

 しかし、このボロアパートを見て認識を改めた。

 隠すのもかえって怪しいので、一応住所を教えられてはいたが、実際に外観を目にしたのは初めてだと言うことだった。


 「住所を聞いていてよかった。君に金を返すことができたから。これは君の大事なものなんだから、誰かに奪われないようにしなよ」


 もう二度とね。

 彼と立ち話していた時間は、10分もなかった。


 しかしその短い時間は、わたしに心地よさと束の間の精神の安らぎをもたらした。わたしはたった数分のやり取りで、彼を好きになった。


 わたしは部屋に戻り、ケースを床に置いた。

 ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、ケースを開ける。


 中には、大量の紙幣が入っていた。

 一面にぎっしり、というほどではないが、一万円札の束がたくさん入っていた。


 12年間生きてきて、これほどの金を実際に目にしたことなど、一度もなかった。


 現実味がなくて、束のうちの一つを手に取って、一枚一枚パラパラとめくってみる。


 それを繰り返すうちに、金は本物で、しかもこの全部がわたしの物だという実感と歓喜が、湧き上がってきた。


 かつてないほどの興奮だった。

 失っていたものが返ってきた! 大事なものが!

 わたしのもの! わたしの金!


 目の前に広がる光景は、素晴らしいというほかなかった。

 大量の札束が、これほどの威力を持っているとは。全然知らなかった。


 ついさっき、一瞬だけ抱いた虚しさなんて、跡形もなく消え失せていた。

 それどころか、眼前にある大金だけが確かなものだという気さえしていた。


 わたしは唯一の宝物を、愛おしい我が子のように胸にかき抱いた。


 金は力だ。

 わたしはその言葉の意味を、身をもって理解した。


 心身全体に行き渡る全能感と高揚感。

 最強の武器を手にした勇者のように、今なら何でもできそうな気がする。


 生ける屍だったわたしに、希望が宿った。

 わたしは確信した。


 金がわたしを救ってくれる、と。

 その考えは、ストンと胸に落ちた。


 一旦そう思うと、肉親の情なんてものを信じていた自分がひどく愚かに見えた。

 人間なんて、そもそも信じるべきではないのだ。意思のある存在はいつ裏切るかわからない。常にビクビクと怯えていなくてはならない。


 それに比べて、何の意思も持たない物質は、なんと安心に満ちていることだろうか。

 金は決してわたしを裏切らない——。


 これまで金には、目的を叶えるための手段として必要な道具、という認識しか持っていなかった。

 しかしこの瞬間、わたしにとって金は新しいよりどころになった。


 これがあれば、わたしは何でもできる。

 失った金が返ってきたように、完全に潰えたと思ったわたしの夢も甦らせられる。


 絶望に打ちひしがれていた心が、立て直されようとしていた。

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