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子カフェ  作者: 絶対完結させるマン
私小説

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18/123

憐れむな

 ようやく瞼にかかっていた圧力が消えて、最初に視界に入ってきたのは、控え室の天井だった。

 体の上に毛布がかかっていた。長椅子に寝かされていたらしい。


 なぜ? と訝しんで、そうだ、急に体が変になったんだ、と思い出す。

 変になる直前、気持ち悪い、と心が叫んでいたことも。


 「気絶したってこと?」

 気絶するほどのショックに見舞われたことに、わたしは驚いていた。

 自分が極限まで追い詰められているという事実に、体が冷えた。


 お店で気絶してしまうなんて。しかもよりにもよって、メインフロアという大勢の客が集う場所で、あんな失態を晒してしまうとは……。

 こんなことは、今までに一度もなかった。働いていて気分が悪くなることは、数えきれないほどあったけれど、実際に表に出してしまうことは一度も……。


 ダメだダメだ! 引退まで頑張らないといけないんだから。これしきのことで再起不能になるわけにはいかない。


 まだ全部が台無しになったわけではない。わたしの人生はここからなんだ。確かにお母さんから真実を告げられ、心に大ダメージを負ったけれど、これからいくらでも巻き返せる。


 だから、これ以上クヨクヨ落ち込んでいられない。起こったことは起こったこととして、立ち上がらないといけない。


 うずくまっていても、ますます追い詰められるだけだ。どんなに辛くとも、不幸に心を囚われていては絶対に幸せになれない。


 「あっ、明奈ちゃん……起きたんだ、ね」

 控え室の入り口で、はるかが部屋に入ることを迷うように、つま先を床につけた状態で彷徨わせていた。


 なんでこいつが来るんだ。

 半身を起こして、座った状態ではるかを睨む。


 出勤日が被っていたのは知っていたけれど、ここは普通大人の店員、もしくは店長が来るべきなんじゃないか。


 雇っている人間が倒れたのだ。大事な大事な()()が。その上わたしはこの店のナンバーワン。

 商品として大切にされるのは不愉快極まりないけれど、かといって全然心配されないのも、それはそれで腹立たしいのだった。


 「店長が家の人に電話したから……」

 「あっそ」


 ほどなくお母さんが来るだろう。

 はるかに立ち去る素振りはない。わたしはすっごくむしゃくしゃしていたから、この機会に八つ当たりしてやろうと思った。


 「なに? お客さん待たせてんじゃないの?」

 「いや、今日はもう……あとはメインフロアにいるだけだから」

 「ああ、人気ないから暇なのね」

 「うん……」


 なんだやけに大人しいな。この前みたいに反撃する気配は感じなかった。

 相手が落ち着いていると、余計にむしゃくしゃしてくる。


 「メインフロアにいても、浮くだけだもんね。でっかい置き物になるくらいなら、ここでサボってる方がいいか。あそこにあんたみたいな年長者がいても——」


 そこまで言って、慌てて口をつぐむ。こんなこと言っても、ブーメランになる。それどころか、わたしの方が歳上なんだから、どの面下げて言ってるんだ、と思われる。

 失言によって、ますます苛立ちは増していった。


 「あんた、ママが欲しいんだよね?」

 「え?」

 「客をお母さん呼ばわりしてたじゃん。それだけなら、営業とかリップサービスの一環でよくあることだけど——まあルール違反だけどね。あんたの場合は、そういうんじゃないんでしょ」


 本当の家族にしてくれる? なんて詰め寄ったってことは、はるかの方が客に愛着を抱いていた。

 こういうケースは以前にもあった。店を辞めていった者の中には、客との間にちょっとした問題を起こした子どもや、そこまではいかなくても

今にも何かやらかしそうな危なげな子どももいた。


 問題の多くは大したものではない。表沙汰になるまでもないほどの、些細なハプニングでしかない。けれど、とにかく怪しい芽は摘まなければ——というので、店側が良くない傾向だな、と感じた子どもは、退職を促される。


 子ども側が辞めたくない、と拒否した場合は——正確に言えば子どもの保護者が、子どもの口を借りて拒否した場合は——その時はいくつかの段階を踏んだのちに、退職の運びとなる。


 客との間に起こる“ちょっとした問題“というのは色々あるが、一番ははるかのように子どもが特定の客に必要以上の好意を持ってしまう、というケースだった。


 客の多くは、癒されたいと思って気楽に子カフェに来るのだ。客が気楽に来れなくなるような、重たい感情を向けてはいけない。

 サービスを提供する側が、お客様に迷惑をかけるなど言語道断——店長や副店長、何人かいる店員から、そういった圧を日々感じていた。


 もっとも、お客さんに対しては大好きな人にするみたいに接するように——と研修期間中に言われてきた幼い子どもに、でも実際にお客さんを好きになってはいけないよ、と諭しても余計混乱するだけだから、口には出さない。


 はるかもそうだが、子カフェには家庭環境や家族との間に、何かしらの問題を抱えた子どもが多い。

 そのせいで、表面的には“優しくて自分を受け入れてくれる大人“に、依存してしまう……ということが、珍しくはないのだった。


 それくらいのこと、しょうがないだろう、と思うけれど、商品の気持ちなんて向こうからすればどうだっていいのだ。


 はるかも店長や副店長から、こっぴどく叱られただろう。

 自分の立場をわきまえろ。次に変なことをしたら、どんな手を使っても店を辞めさせるからな、と。ハッキリとは言わなくとも、そのような空気をひしひしと感じたはずだ。


 「……うん、そうだよ。私は絶対的に私を愛してくれる人がほしい。母性ってやつを向けられたい。紛い物じゃない本物の母性を。わたしだけを見て、わたしだけを愛してくれる“お母さん“がほしい」

 「本気でそういう人が見つかると思ってるの」

 「難しいと思う……けど、諦めなくてもいいんじゃないか、とも思ってる」

 「ひょっとしたら、現れるかもしれないって? 可能性はゼロじゃないから、これからも希望を持ち続けるつもりでいるんだ」

 「うん」


 今日のはるかは妙に従順だ。この前のギスギスした空気など、まるでなかったかのように普通に喋っている。

 自分の表立っては言えない願望も打ち明けるし……。

 今のはるかからは、気になるなら何でも話すし、突っかかってきたとしても反撃はしない——とでも言うような雰囲気があった。


 なぜそんなに慈愛に満ちた空気を纏っているのか——? わたしはハッと思い当たり、火山が噴火したような激情に支配される。


 「舐めんな!」

 拳を握りしめて、ダンッと長椅子に叩きつける。

 はるかは、わたしの急変にパッチリした大きな目を見張らせる。


 「あんた、前にわたしに言ったこと後悔してんでしょ。わたしの落ち込みぶりを見て、罪悪感生まれちゃったんでしょ。だからちょっと優しくしてやらなきゃな、と思って、こうやって顔を見に来たんだ?」


 ギクリ、とはるかの体がこわばる。自分の考えを全て読まれたことへの気まずさから、目を伏せる。

 わたしは立ち上がり、はるかを一層激しくなじる。


 「わたしが落ち込んでいるうちに、あんたはナンバーワンの座を掻っ攫う。そうこうしているうちに引退の時が来て、わたしは店から消える。あんたがわたしの様子を見に来たのは、憐れみからでしょ。私のせいでこんなことになっちゃってごめんね〜、って見下しに来たんだね! ほんのちょびっとは申し訳ないって気持ちもあるのかもだけど、でもそれも馬鹿にしてるから、生まれる感情なんだ。あんたの中で、わたしは“終わった人“で、お情けをかけるべき存在なんだ!」


 はるかを睨む眼差しに、殺意がこもる。

 わたしにとってプライドを傷つけられることは、相当に嫌な出来事だった。


 舐められる、見下されるといったことは我慢ならなくて、そんなことをされるたびに、心が鉛筆のようにゴリゴリと削られていくのだった。


 今までされてきたことによって、積もり積もった怒りの全部を、はるか一人に押し付けるように、ヒステリックに喚き散らす。


 「わたしを見下すな! 偉そうに何様のつもりなの!? わたしって、そんなふうに下に見られて、馬鹿にされるのが当然なの!? 舐められてもしょうがない——いや、舐められるのがむしろ当たり前で、それが普通の対応だって言うの!? 常識だって言うの!?」


 はるかはブルブル震えて、穴が空くほどわたしを見ている。

 その瞳に涙が溜まっていく。


 「何だよ。なんで泣いてんだよ」

 「あ、明奈ちゃんが——いや、何でもない」

 「わたしが怖いから? 怖いから泣いてんの? だったらさっさと消えれば?」

 「ちがう……ちがうよ」

 「じゃあ何なの。怖くないならなんで泣いてんの」


 言おうか言うまいか。はるかは少しの間迷っていたが、やがて言葉を絞り出した。


 「明奈ちゃんが可哀想で……」


 パァン、と頭の中で何かが弾ける音がした。

 次の瞬間、またもやパァン、という音が響く。しかし今度は、わたしの頭の中で鳴ったものではなく、現実の空間に鳴り響いた音だった。


 「この野郎!!」

 床に座り込み、頬を押さえる相手の髪を鷲掴みにして、持ち上げようとする。

 相手の体がブルブル震える。今度は本当に怯えているみたいだった。


 「いっ……! 痛い痛い! やめてやめて、止まって!」

 強引に振り切ろうとするから、何本かの髪の毛がブチブチッと音を立てて、抜けていった。


 許せない。許しておけない。こいつだけは絶対に!


 「何やってるの!!」

 駆けつけてきた店員が、わたしたちを見て悲鳴を上げる。


 わたしはすぐさま取り押さえられて、はるかは別室に連れて行かれた。

 騒ぎを聞きつけて、多くの子どもがワラワラとやって来た。何事か、と店員や店長と副店長も駆けつけて、入り口付近で大勢の人間がごった返していた。


 大混乱の中、ふとお母さんの顔が目に入り、一瞬心臓が止まるかと思った。

 どうしてここに、と思い、わたしを迎えに来たのだ、と寸秒で理解する。


 お母さんは、何人もの大人に囲まれているわたしを見て、不安で死んでしまいそうな形相をしていた。

 何が起こったの!? 私の娘に何があったの!? と周囲の者たちに問いただしたいのだが、声がまったく出なくなってしまったかのように、両目だけをキョロキョロと病的に動かしている。


 お母さんの顔を見て、わたしは正気に戻る。興奮状態から解放された瞬間、サーッと血の気が失われていった。


 なんてことをしてしまったんだ、わたしは。

 こんな暴力事件を起こしてしまったからには、問答無用で店を辞めさせられる。

 それどころか、はるかの保護者から、慰謝料を要求されたりするかもしれない——。


 お母さんにも迷惑をかけてしまう。それでなくとも、わたしがやったことを知ったら、死ぬほど心配するだろう。

 どうしよう……どうすれば——。


 突然大地震が起きて、全てが有耶無耶になればいいのに。もしくは地球が爆発して、何もかもが木っ端微塵になればいいのに。

 そんな馬鹿げたことを夢想したが、もちろん何にも起こらず、事態は滞りなく進んでいった。


 はるかは頑なに「何もなかった。ちょっとふざけていただけだ」と主張したが、当然聞き入れられず、わたしは強制的に店を辞めさせられることとなった。

 暴力を振るわれた事実を否定されたことは、余計にわたしを惨めな気持ちにさせた。


 ちょっとふざけていただけ、なんて苦しい嘘を、周りが素直に呑み込むわけがない。あいつはそう主張することで、周囲からより被害者として、憐れみの視線を向けられたかったんだ。同情心を煽るために、無抵抗でいただけだ。


 そうでなければ、わたしが“あまりにも可哀想“だから、お情けをかけたんだ。こんなに可哀想な人を、これ以上追い詰めることなんてできないわ、なんて思っていたのかもしれない。


 どちらにせよ御免だった。わたしはこの一件で、はるかのことが本格的に大嫌いになった。

 もう会うこともないだろうけれど。


 はるかが両親には連絡しないで、と店長にあまりにもしつこく泣いて縋ったので、この事件はわたしが店を辞めるだけで解決となった。

 はるかに大した怪我もなかったから、このまま闇に葬ろう、と店長は判断したのだ。


 子カフェで働く子どもたちの保護者は、モンスターが多い。極力保護者とは関わりたくない。ましてや店内でトラブルがあったことなど話したら、どんな人格否定をされるか。

 怖気づいた店長は、はるかが黙っていてほしい、と言ったのを幸いに閉口しようと決めた。

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