許されているから大丈夫
***
付き合ってしばらく経つと、愛理から結婚を仄めかされるようになった。
愛理となら結婚してもいい、と思っていた俺は、彼女にプロポーズした。それから互いの実家に挨拶に行く運びになった。
俺たちの関係に亀裂が入ったのは、彼女の実家に挨拶に行った時のことだった。
「勉さんは、カフェで働いているって聞きましたけど——なんていう名前のお店なんですか?」
父親にそう訊かれた。
俺は、この段階に来ても、子カフェで働いていることを愛理に説明していなかった。
どの道、一生隠しておくことはできないのだ。
そう思って、俺は彼女の父に店名を教えた。
すぐさまスマートフォンで検索した父親の顔が曇っていくのを見て、冷や汗が流れる。
横から画面を覗き込んだ母親の表情も、同じような暗いものになっていった。
両親の様子に、愛理は興味を掻き立てられて、自身もスマートフォンを取り出し、店名で検索した。
俺は、それを隣で眺めていた。
「子カフェ……」
画面を見つめた状態で、愛理がつぶやく。
そして次の瞬間、弾かれたように顔を上げて、俺を見つめる。
その顔色は青ざめ、目は驚愕に見開かれていた。
彼女の両親も同じような形相で俺を見ていた。
挨拶を終え、俺のアパートに帰ると、愛理に問い詰められた。
「何で隠してたの? 仕事のこと」
帰りの車の中で、愛理はずっと黙っていた。俺の部屋に入った瞬間、待っていたように口を開いた。
口調からは、怒りが滲み出ていた。
俺は慌てて弁解する。
「別に隠してたつもりはない。わざわざ言う機会もなかったってだけで——」
「私に責められるのわかってたんでしょ。だから言わなかったんだ」
その通りだった。俺は何も言えなくなる。
愛理が嫌っていたのは、子カフェに来る客だけではない。そこで働く店員や経営者のことも、軽蔑しているに決まっていた。
子カフェという存在自体が、愛理にとって地雷だった。
「二人に嫌な思いさせちゃったじゃん」
愛理が言う。
彼女の両親とは、会話らしい会話もせずに帰ってきてしまった。俺がどういう仕事をしているのかが発覚した途端、二人はまったく上の空になってしまい、愛理も押し黙ってしまったので、早めに引き上げるほかなかった。
「事前に私にだけ言っといてくれれば良かったのに」
そしたら勉の第一印象を悪くせずに済んだのに——愛理がそう言うので、おや? と思った。
ひょっとして愛理は、俺が隠しごとをしていたことに対して怒っているだけなのか?
存外平気そうな彼女の様子に、もしや、と希望が芽生える。
子カフェで働いている事実に関しては、俺が懸念していたほど気にしていないのではないか——。
「愛理」
勇気づけられた俺は、彼女を真っ直ぐに見据える。
「俺の職場、なかなかいいところなんだ。同僚も先輩も優しい人ばっかりだし、内定が決まらなくて困っていたところを拾ってもらった恩もある。それに今、副店長にならないか、って誘いも受けていて——」
「そうだったんだ。それなら勉が辞めにくかったのも頷けるよ」
「は?」
予想していなかった言葉に、思わず間抜けな声が出た。
ポカンとしている俺に頓着せずに、愛理は納得いったようにしきりに頷いている。
「そういう職場なら、辞めるって言うのにも勇気がいるよね。なかなか言い出せなかったんだよね?」
「え——いや、」
「でもね勉。そういう人たちのために、退職代行っていうサービスがあるんだよ。聞いたことない?」
「いや……知ってるけど」
そういうものがあることは知っている。それを使って、会社を辞めた知り合いの話も聞いたことがある。
だから、退職代行サービスという便利なものの存在を知らないで、仕事をずるずる続けてしまった——というわけではない。
俺は、俺の意思でこの仕事を続けていきたい、と思ったのだ。
でも愛理にとって、俺のその考えは到底受け入れられるものではなかった。
仕事を辞めるつもりはない、と伝えた時の愛理の顔は、とても好きな男を見る顔ではなかった。親の仇を目の当たりにしたかのようだった。
「許さない!!」
愛理は、断固とした調子で叫んだ。
「何考えてんの!? ありえないんだけど!!」
「愛理、落ち着いて——」
「子カフェがどれだけ酷い場所か、わかってないから仕事を続けたい、なんて言えるんでしょ! あんな場所で働く大人も、我が子を子カフェに送り込む親も間違ってる! あんな場所、存在しちゃいけないんだ! それがわからないなんて、あんた頭どうかしてるんじゃないの!?」
そんなことをヒステリックにわめく愛理に、カチンとくる。
「言っとくけど、うちの店の子どもたちの中に、辛そうな子なんて一人もいないよ。みんな楽しそうに働いてる。親に強制されて働かされてる子もいない。本人が好きでやってることなんだ。副店長が何度も何度もそう言ってる」
「そんなわけないじゃない……! それはあんたが子どもたちを、ちゃんと見ようとしてないだけ。副店長の言葉は真っ赤な嘘よ!」
「お前こそ、何で自信満々にそんなこと言えるんだ! 実際に働いている子どもたちや、店の内情を知ってるわけでもないくせに!」
「店に行かなくても、そのくらいわかるの!」
カッと血が上る。
口論するうちに、俺の頭から目の前にいるのが愛理だという事実が、すっかり抜け落ちていた。
今俺が言い争っているのは、愛理ではなく別の何かだ。
「わかるわけないだろ! 俺はな、お前らと違って子カフェで働いている子どもや、訪れる客がどんな感じかとかわかってんだよ! だからこそ言うけど、酷い目に遭ってる子どもなんて一人もいない! 子カフェの登場時こそ、倫理的に間違ってる、なんて名前も知らない大学の教授が、ネットでしたり顔で言ってたけどな。大衆だってそうだ! 子どもたちが可哀想とか、子どもを使って金稼ぎするなとか、私は人格者ですよ、みたいな態度で宣うな! 何も知らないで偏見だけで文句つけて、良い人ぶりたいだけだろ! 大体、子どもを使うな、って言うなら、子役とかジュニアアイドルとかはどうなんだよ? それだって『子どもを使って金を稼がせる』ことになるんじゃないのか? 子カフェだって赤カフェだって同じことだ! 実際法律では、アイドルやタレントの括りに入る、って言われてるしな。いいか、国のお墨付きなんだ。法律が許すって言ってんだよ! てことは実際、みんなが幸せになれるシステムだから認められてるんだろうが! 価値観のアップデートできてない連中が、偏見や思い込みだけで批判するな! お前らはマイナス面ばかりに目を向けて俺たちを軽蔑するが、子カフェに救われてる人だっているんだよ!」
ぶちまけた瞬間、身体が一気に軽くなった。
ずっと胃がムカムカしていたのが、ようやく吐けたことによって、嘘のように楽になった時のような——体調を悪くしていた元凶が体から出ていったあの時のような開放感と、爽快な気分に満たされていくのを感じた。
「子カフェに救われてる人って……一体どういう人なの?」
彼女が、落ち着いた調子で尋ねた。
さっきまでの瞳に現れていた激しい炎は鎮火され、代わりに今度は氷のような冷たい感情が乗っていた。
「子どもを事故で亡くした夫婦や、さまざまな理由で自分の子どもを持てない人たちが、子カフェを利用するケースもあるんだよ。みんながみんな、当たり前のように自分の子どもを持てるわけじゃない。お前はそういう人たちの心の拠り所を全否定するつもりか?」
「私は——私はそれでも、子カフェや赤カフェはあってはいけないと思う」
どうしてわかってくれないのか。
それに、と愛理は付け加える。
「そんなケースはごく少数でしょ? 目を凝らせば見える程度に存在する美点だけに目を向けて、明確な問題点から目を逸らし続けるのは、ろくでもない人間がすることだよ」
「だから実態を何も知らないくせに、自分の頭の中のことだけで語るなって言ってるだろ……」
語気が若干弱くなる。
「そうか。俺はろくでもない人間か。お前はそんな奴と付き合って、結婚までしようと思っていたわけだな」
「勉——私はね、ショックだったけど、まだ何とかなるって信じてる。今の仕事を辞めてくれれば、私は勉を受け入れられるよ」
「仕事を辞める……」
「そう。私が勉に惚れたのは、身を挺して見ず知らずの子どもを助けるところを見たからなの。この人は善人だ、って確信した。私はあの瞬間——あのわずか一瞬で、勉と家庭を持つとこまで想像したんだよ。想像の中であなたは、4歳から6歳くらいの子どもにせがまれて、抱っこをしてあげていた。そして、腕の中のその子に不器用な笑顔を向けていた……。馬鹿馬鹿しいって笑うかもしれないけど、運命感じたの。私はあなたと——勉と結婚したい」
「愛理……」
「本当はわかってるんでしょ? 認めたくない気持ちもわかるよ。だって認めてしまったら、今まで歩んできた道全てを否定することになるから。今さらそんなの——」
「何を……何を言ってる……」
「目を見開いて、ちゃんと見るべきだよ。勉が実態を知ってるなら、私の怒りにも共感できるはずなんだ。本当はね」
「さっきからお前が何を言っているのかわからない」
「勉。子カフェで働くのはもうやめて。勉のためにも、私のためにも。お願い」
愛理の目には、今度は憐憫のようなものが浮かんでいた。
俺は彼女の豹変ぶりに戸惑い、束の間思考が止まった。
しかし、すぐに調子を取り戻し、ついで憤りが湧いてくる。
「仕事を辞めるつもりはない」
「勉!」
「どうして俺が、そこまでしなくちゃいけないんだ。俺はお前が『私の思い通りになれ』って言ってるようにしか思えないんだよ。お前の思想に配慮して、今まで続けてきた仕事まで捨てるつもりはない」
正直のところ、ここまで言うほど子カフェでの仕事に執着しているわけではない。
誇りを持っているわけでも、一生続けたいと思うほどの愛着も抱いていない。
ただ『あなたは間違っている。だから正しい私の言うことを聞くべきだ』と言わんばかりの愛理の態度が癪に障っただけだ。
「何でだ。お前のような例外を除いて、とっくに世間に受け入れられているんだぞ。許されているんだ。常識なんて時代によって変わる。それが当然だろ。こういう社会でもいいじゃないか。時代がこれを認めるって言ってるんだよ。違法でもなんでもない——現に国もこの施設を称賛しているわけだし」
「……本気で言ってるわけ?」
これが最後のチャンスだよ、と言外に含ませる愛理。
俺は迷うことなく言い切る。
「ああ。別にルールを破っているわけじゃない。ルールの範囲内なら何をやってもいいはずだろ?」
今のこの社会を——俺を認めないお前の方が悪い。
愛理の目から涙が一粒流れて、ポタリと床に落ちた。
「そっか……もう遅かったんだね」
遅れてるのはお前の方だ。
「何年かあそこで過ごすうちに、染まっちゃったんだ。あなたは、あなたは——」
愛理は俺の顔を見ないで、無感動な声で言った。
「あなたは悪魔の手先よ」
その言葉を置き土産に、愛理は部屋を出ていった。
バタン、と玄関が閉まる音を耳にして、疲労が一気にのしかかってくる。
疲れた。
相手が誰であっても、どういう状況にあっても——口喧嘩には大量のエネルギーを消費する。
でも、言いたいことを言い終えた後というものは、大抵スッキリと気持ちが良くなる。毎回、心地よい疲労感に包まれるのがお約束だった。
だというのに今回に限っては、その時特有の爽快感というものがまったくない。
心地よさなど微塵も感じない。単にどっと疲れただけだった。
寝よう。とりあえず疲れを落としてから、これからのことを考えよう。
俺たちの関係は完全に終わった。まだ俺の部屋に残っている愛理の荷物とか、すでに婚約報告をした俺の家族へ破局を知らせたりとか、やらなくてはいけないことは、一旦頭の隅に追いやって脳と体を休めよう。
『あなたは悪魔の手先よ』
最後に愛理に言われた言葉が、心臓をズキズキと痛めつけていた。
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