苛立ちの理由
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「そうか……歩を辞めさせたいか」
「はい……だってあれじゃあ、仕事になりませんよ。この前なんてお客さんの前で泣き出したんです」
宮内はその場にいた。
歩が客に対して気のない返事を繰り返すのを見て、ハラハラしていたので観察していたら、前触れなく歩がポロポロと涙を流し始めた。
客はギョッとして、近くにいた宮内に助けを求めるような目を向けた。
宮内はすぐに飛んでいって、
「大変申し訳ございません。目にゴミが入ってしまったみたいです。少々お待ちください」
と客に告げ、歩の手を引いて店の裏へ回った。
「駄目じゃないの。お客さん困らせちゃ」
そう言って叱ると、歩は素直にコクンと頷いた。「ごめんなさい……」とまた泣きそうな気配を見せたので、次から気をつけてくれればいい、と笑顔を作って安心させた。
戻ってきた歩はお客さんに、「心配かけちゃってごめんなさい」と謝った後で、へにゃっと笑ってみせたので、もう大丈夫だ、と宮内は胸を撫で下ろし、仕事に戻った。
しかし、大丈夫ではなかったのだ。
——話の途中で急に、『お母さん……』なんてつぶやいて、それきり下を向いて黙りなんだから、困っちゃったよ。
帰り際に不愉快そうな顔をした客からそう言われて、宮内は青くなった。
申し訳ございません、と頭を下げたが、客の怒りは収まらず、宮内のつむじに向かって苦情を言い続けた。
——ああいう子は雇わないようにしてるんじゃないの? 仕事中に親が恋しくなってるようじゃ、勤まらないでしょ。もうこの店には来ないから。あーあ、お金無駄にした。
最後にこれ見よがしにため息をついて、その客は去っていった。
「それを見てたユカが『せっかく来てくれたのに、お客さんガッカリしてたよ。歩ちゃんのせいだね』って言って、また歩が泣いちゃったんです」
ユカというのは、歩の後に入った同じ7歳の女の子だ。歩の固定客を図らずとも横取りする形になった子である。
「その言葉が結構効いたらしくて、長いことメソメソしていました。だから私、今日はもう帰って、って言ったんです。どのみち仕事にはならなそうでしたし」
「それで帰ったのか、歩は」
「はい。すんなり帰ってくれました。駄々こねたりしなかったので助かりました」
「歩が帰る時、宮内は何か言ったりしたか?」
「え? 特に何も——ああ、いや。明日までに気分整えてきてね、って言っときました」
「……そうか」
何なのだろう、この気持ちは。
俺はにわかに苛立っていた。でも、自分が何に苛立っているのかわからない。
「あ、そうだ。さっき歩が帰ってくれて助かったって言いましたけど……」
「おお、何だ?」
「歩の両親が気がかりではありますね。勝手に早退させてしまったので、文句言ってくるかもしれません。給料が減っちゃったじゃないですか! って」
ダンッ!
握り拳をテーブルに叩きつける。
ジワジワと広がる痛みにハッとした。
何をやってるんだ、俺は。
「え、どうしたんですか急に」
「……いや。ハエがいただけだ」
俺はおかしい。
宮内の言う通りだ。急にどうした。
わからない。話を聞いていたら、ふいに苛立ちが最高潮に達して、あんなことをしてしまった。
俺は一体、何にそこまで怒っているんだ?
頭を抱えていると、フッとあいつの言葉が浮かんできた。
——あなたは悪魔の手先よ。
そう言った愛理の手遅れな者を見るような眼差しが、こびりついて離れない。




