北條優那という女
「わ、分かった」
三神は冷や汗を浮かべて頷き、秘書はジュラルミンケースを閉じて樹のほうに押しやる。
樹は溜め息をついてそれを受け取ったあと、軽蔑しきった目で父親を見た。
「……どうして北條優那を抱いた? なぜ子供ができたと分かっても放置した?」
その問いを聞き、三神は少し躊躇ったあと、溜め息をついて答える。
「……あの当時、私は世界は自分のものだと思うぐらい、つけ上がった青年だった。三神家の長男として生まれ、見た目にも恵まれ、少し努力すれば勉強もスポーツもトップクラスになれた。苦労せずに美人と付き合い、当時周りにいた女性たちも『二人きりの時に自分を優先してくれるなら』とハーレム状態を許してくれた。……優那もその一人だったんだ」
「とんでもねぇクズだな」
樹は言い捨て、春佳も彼の意見に同意見を抱く。
何か問題を起こしても金で解決できてしまったのだろうが、他人の痛みを理解できない人とは関わりたくない。
「……妊娠は誤算だった。私はちゃんと避妊したつもりでいた」
俯いた三神の言葉を聞き、樹は目を眇める。
一瞬、脳裏をよぎった考えがあった。
養父が遺した手紙を読んでいて、優那は三神に弄ばれた哀れな女であるが、彼女自身も庸一を弄んだ女だと感じた。
樹を庸一に預けた時だって、恋の奴隷である彼なら言う事を聞いてくれると確信したから、生まれたばかりの子供を放置する無責任な真似ができたのだ。
そうでなければ、学生時代の涼子が庸一に、優那について忠告する事などなかったはずだ。
逆に、庸一以外に関わりの深い男性がいたとしても、常識的な価値観を持つ彼らは優那の遺児を育てようと思わなかっただろう。
優那と体の関係があって、仮に『あなたの子です』と言われても、肝心の彼女が死んでいるなら、しかるべき所に届け出て施設に入れるなりしたはずだ。
恐らく優那は『自分の子を施設に預けるのは嫌だ』と思い、ある程度金を持っている庸一を頼ったのではないかと思っている。
それぐらい計算高い女が、うっかり妊娠すると思えない。
(……ゴムに穴でも空けてたんじゃないか?)
樹は心の中で呟き、北條優那という女ならやりかねないと感じる。
優那は三神と結婚したいがために自作自演をし、望み通り妊娠したものの、彼の愛を得られずに絶望したのだ。
だがここでそれを言えば、北條家側の落ち度を指摘しかねないので黙っておいた。
「誤算でも、相手が妊娠したと知ったなら最後まで責任をとれよ」
樹が言うと、三神は俯いて黙り込む。
「……君には、詫びきれない」
かろうじてそれだけ言った父親を見て、樹はおざなりに溜め息をついた。
「今さらあんたに親としての情なんて求めねぇよ。……さっき言った通り、DNA検査をしてお互い納得したなら、手切れ金を渡してお互い〝なかった事〟にしてそれぞれの人生を歩むしかない」
息子にそう言われた三神は、深い溜め息をついて頷いた。
「……君は優那に生き写しだな」
こちらを見た三神の目には、怯えの色が宿っている。
いきなり現れた樹に「言いがかりをつけるな」と言う事は可能だったろうが、自分しか知らない〝北條優那との子供〟について言及し、現れた樹が彼女そっくりの顔をしていたなら、三神としても信じざるを得なかったのだろう。
加えて樹は堂々とDNA検査に応じると言っていたので、彼の自信溢れる態度から九十パーセント以上、本当の事だと感じたに違いない。
今はその、北條優那そっくりの顔が味方してくれた。
だが樹にとって、自分の顔は忌むべきものでしかない。
優那そっくりでなければ、庸一にあれだけの歪んだ愛情を傾けられる事はなかった。
「……ちっとも嬉しくねぇよ」
乱暴に息を吐いた樹を見て、三神はこれ以上話す事はないと悟ったのだろう。
「今日はもう帰らせてもらう。会計は済ませておくから、二人で食事を楽しんでくれ」
掘りごたつから立ちあがった三神は、静かに個室を出ていく。
去り際に、秘書は「検査の結果が出ましたら、追ってご連絡いたします」と無機質な声で言い、慇懃に礼をして去っていった。
疲れを感じた春佳は、障子が閉まったあとに大きな溜め息をつく。




