東風吹く明日へ
潮騒が轟くなか、春佳はしっかりと樹を抱き締める。
世界の片隅で、春佳は誰にも知られないプロポーズを受けた。
今まで兄妹だった二人が結婚すると知れば、彼らを知っている周囲の人は驚くだろう。
祝福してくれない人もいるかもしれない。
――だから、私たちの関係はこれぐらいで丁度いい。
涙を流した二人は自然と唇を寄せ、二度目のキスをした。
水平線の上にはオレンジや茜、金色の光に満たされ、頭上にはラベンダー色の雲がその縁を黄金色に光らせていた。
魂が震えるほどの朝焼けを前に、何一つ飾るものを纏わぬ二人は、神聖なキスを交わす。
樹は春佳のなめらかな肌を辿りながら言った。
「今までの瀧沢冬夜と瀧沢春佳は死んだ。これからの俺たちは誰にも遠慮せず、幸せになるために生きていく」
「うん……っ」
春佳は目を閉じ、樹の胸板に顔を寄せる。
目を開けると身をとろかした太陽が少しずつ昇り、一日の始まりを告げようとしている。
――私たちの人生は、これから始まる。
新しい生き方への期待に、胸の奥が疼く。
桜の蕾が東風に吹かれて震えるように、二人は歓びに満ちた人生の春に胸を躍らせ、期待する。
――きっと幸せな人生が待っている。
泥の中、藻掻き足掻いて、這いつくばって進んだ果てに今がある。
そして泥に埋もれた地下茎は、スッと上に伸びて清らかな水の上で美しい蓮の花を咲かせるのだ。
抱き合った二人は、空と海が真っ青になるまで、温かな湯に浸かって壮大な景色を眺めていた。
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再度生きる決意した二人は、まず涼子からもらった北條家の住所に宛てて手紙を書いた。
とても長い手紙になったし、いきなり孫だと名乗り出て信じてもらえるか分からなかったが、彼らには知る権利があると思ったから余す事なく書いた。
勿論、二人が毒親のもと虐待を受けた事については、教える必要がないので記していない。
ただ庸一と優那の関係や、優那がどんな経緯で一人で出産し、死を選んだかは可能な限り詳細に書いた。
加えて、自分も庸一の遺書と涼子の言葉から知っただけだから、疑うならDNA検査を受ける意志もあると書き添えた。
手紙には樹のマンションの住所と電話番号、メールアドレスを書いておいた。
すると間もなく、優那の父の琢磨から手紙があった。
【初めまして、北條琢磨と申します。手紙をくださりありがとうございます。我が家では優那の話題はタブーに近く、いきなり樹さんからの手紙があり家族一同大いに動揺しました。私たちは娘が妊娠していた事を知っており、遺体が発見されたあと出産したはずの子供がどこにもいない事に驚いて捜査願いを出していました。ですが子供を連れ去った人物は見つからず、孫となる子も見つからないまま……。お会いしたい気持ちはあるのですが、悲しい形で喪ってしまった娘に関わる事なので、失礼ながら樹さんのご厚意に甘え、先にDNA鑑定をさせてもらえたらと思います。この日のために、DNA鑑定に必要となる娘の髪は遺してあります。キットを同封しますので、樹さんの口腔内細胞をとって、所定の機関に送ってもらえたらと思います。親子鑑定の結果は二、三週間には出ると思いますので、その頃にまたご連絡いたします。】
樹自身も、自分は本当に優那の息子なのか確認したい気持ちがあったので、抵抗なく綿棒で口の中をぬぐい、キットを機関に送った。
その結果、優那と冬夜の親子関係が認められ、琢磨から十二月中旬の週末に会いたいと連絡があり、初めて顔を合わせる流れとなった。
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その前に、やらなければならない事がある。
樹はブラックスーツに身を包み、春佳も彼に買ってもらったベージュのニットワンピースを着て、十二月二週目の週末に、日本橋にある料亭に向かった。




