家族ごっこは終わり
しばらく、どうにもならない沈黙が落ちたあと、春佳はノロノロと冬夜を見た。
ずっと強く憧れ、時に異性として見てしまいそうだった〝兄〟は、まったく血の繋がりのない他人だった。
正面に座っている母は、記憶にある姿より覇気を失い、一回り小さくなったように見える。
春佳にとって母は、何を考えているのか分からない、つかみ所のない人だった。
物心ついた時から向精神薬を飲み、自分を見ては怒鳴り、かと思えば必要以上に心配する、適切な距離感をとれない人だった。
――でもそれが、レイプされて生まれた娘とどう接していいか、分からない結果だったなら……。
母が向精神薬を飲んでいたのは、夫が異常性愛者だったからという理由だけではない。
レイプされ、心に深い傷を負っていたからだった。
「う……っ、うぅう……っ」
春佳は嗚咽を漏らし、両手で口元を覆って泣き始める。
――自分はずっと母を勘違いしていた。
――母もまた、被害者だったのだ。
――加えて、ずっと〝冬夜〟と思っていた兄は〝樹〟だったし、長年父親と思っていた人は血の繋がりのない他人だった。
――もう、訳が分からない。
冬夜は嗚咽する春佳の肩を抱き、唇を一文字に引き結び、自身も肩を震わせる。
「……っ、お母さん……っ、私を、憎んでた……っ!? 私、生まれないほうが良かった!?」
春佳は涙声で尋ね、己の存在意義を確かめようとする。
泣きじゃくる娘を見て、涼子は今までと変わらない表情で答えた。
「……私も庸一さんもね、本当の愛情がどんなものなのか分かっていないの。彼は血の繋がらない家族を養い、私はいきなり二児の母になった。一人は血が繋がっていない上に大嫌いな女の息子。もう一人はレイプされたできた娘。……一生懸命愛そうと努力したわ。でも私は聖母マリア様じゃない。自分の心が傷だらけになのに、訳ありの子供たちを無条件に愛せなかった」
涼子が口にした〝事実〟は、飾らないがゆえに生々しい真実味があった。
「あんた達だって本当の愛情なんて分からないでしょう? 冬夜は父親に虐待されて女性不信になり、極度のシスコン。春佳は兄以外の男性が苦手で毒母持ち。……こんな異常な家族がどうやって〝普通の愛情〟を知るって言うの?」
もう涼子は、以前のようにギラギラとした憎しみを放っていなかった。
凪いだ海のように淡々とした彼女は、庸一の死を経て今までの負の感情を捨て去ったように見える。
「……すべて、あいつの掌の上だったって事か……」
深く溜め息をついた冬夜に、涼子は淡く笑いかけた。
「冬夜はもう二十四歳だし、春佳も大学を卒業したら成人する。私はこれから好きに生きるから、あんた達も好きにしなさい。春佳の大学費用はお父さんが遺してくれているし、私も遺産でなんとかやっていける。……もう、家族ごっこは終わりにするの。小石川のあのマンションも引き払うわ」
春佳は憑きものが落ちたような母の顔を見て、理解した。
――お母さんはずっと抱えていた秘密を打ち明けて、楽になったんだ。
――自分に振り向かない想い人が亡くなって、意地を張り続ける理由がなくなり、すべて解き放とうと思ったのかもしれない。
――なら、私たちだって……。
「……そうだな。……そうしたほうが一番いい」
冬夜は深く長い溜め息をつき、横を向いて涙を流す。
しばらく、冬夜も春佳も、何も言えずに嗚咽していた。
涼子はそんな二人を見つめていたが、やがて遺書を纏めて封筒に入れると立ちあがった。
「遺書は私が預かっておくわ。〝理由〟を知った以上、あんた達には不要でしょ。形だけでも、私は好きな人の妻になれた。未亡人として庸一さんの遺書を保管できるのは、私の特権。……あんた達の遺産はちゃんとあるから、そこは安心して。庸一さんの遺志が籠もったお金を、横からとったりしない」
涼子は庸一にどんな仕打ちをされても、最期まで彼を愛していた。
何があっても妻でい続けた彼女は、死後になってようやく夫を独占できたのかもしれない。




