母が語る名前
面会室の個室に現れた涼子は、家にいた時より落ち着いているようだった。
慣れない環境で疲弊しているものの、きちんと薬を飲み、決まった時間に寝るようになり、少しずつ快方に向かっているように思える。
「……同室のババアのいびきがうるさいのよ」
脚を組んで座った涼子は、開口一番そう言って溜め息をついた。
「……何の用?」
鬱陶しそうに尋ねられ、冬夜が切りだした。
「親父の事、何か知らないか? 前に『何一つ分かっていない』って言ったじゃないか。春佳と二人で過去の話をつなぎ合わせていったら、どうしても納得できないところが出てきた」
前置きをしたあと、冬夜は母が取り乱さないか注意を払いながら、言葉をぼかしつつ今までの事を語った。
すべてを聞いた涼子はしばらく遠くを見て黙っていたが、再び溜め息をついて髪を掻き上げた。
「……私と庸一さんは、同じ高校の先輩後輩だったのよ」
彼女はテーブルに視線を落としたまま、言葉を続ける。
「一年と三年で学年が違ったけど、二人とも図書委員だった。図書室で過ごしている時に好きな本の話をして盛り上がったわ。運命の女神が私に微笑んでいたなら、そのまま私が庸一さんと結ばれるはずだった。……でも、彼には女神のように崇拝している女が別にいた」
まったく知らなかった父の過去が語られ、兄妹は真剣な表情で聞き入った。
「北條優那。庸一さんと同じ三年生で、綺麗なロングヘアの美人だったわ。……春佳みたいにね」
母にチラッと視線を向けられた春佳は、なんとなく居心地が悪くなって視線を逸らす。
母はその女性に良くない感情を抱いているようで、もしかしたら自分が母に嫌われていた一因は、ロングヘアにあったのかもしれないと感じた。
「……庸一さんの事について知りたいなら、私が話すより遺書を見たほうが早いんじゃない?」
「他にも遺書があるのか!?」
ギクッとした冬夜が尋ねると、涼子は溜め息をついて立ちあがった。
「待ってなさい。今持ってくるわ」
そう言って彼女は面会室から出て、ほどなくして茶封筒を手に戻ってきた。
「これが庸一さんの本当の遺書。ドレッサーの引き出しに入っていたから、冬夜は気づかなかったでしょ」
意味ありげに言われ、冬夜は気まずそうに視線を逸らす。
「……安心しなさい。『息子に殺されるかもしれない』なんて書いてないわ」
確信を突いた事を言われ、冬夜は溜め息をつく。
そのあと彼はおずおずとテーブルの上に置かれた分厚い封筒を手に取り、中から便箋を出すと、静かに深呼吸してから庸一の遺書を読み始めた。
春佳もまた、遺書を横から覗き込んで父の想いを辿った。
**
私、瀧沢庸一はどうにもならない男だった。
祖父が経営者をしていた事もあり、何事に対しても必死にならず、中途半端にダラリとした生き方をし続けた。
幼稚園児の頃から、何かあれば忙しい母の代わりに身の回りの世話を焼いてくれるお手伝いさんを頼り、その様子を級友たちにバカにされた。
精神的に甘ったれた私は、他の男子生徒のように先陣を切って駆け抜ける勢いや強さ、元気がなかった。
『つらい目に遭ったらどうしよう。痛い事は嫌だ。歩きたくない。面倒臭い事は嫌だ』
そんな思いを抱いて様々な事に消極的になり、友達に遊びに誘われても断って自宅でゲームをし、とうとう爪弾きにされてしまった。
小学生頃なら、まだ純粋さがあるぶん軌道修正ができたかもしれない。
だが中学生に入っても変わらないままの私は、完全に陰キャの負け組として人生のレールに乗ってしまった。
祖父と父が会社経営をしていると、どこから流れたのだろうか。
気がつけば私は、高校に入っても上級生に目を付けられ、かつあげされていた。
そこで私を助けてくれたのが、優那だった。




