父の死後
(普通の人になりたい。もう何にも怯えず、愛する人を守って一人の男として生きていきたい)
俺はささやかな事を願い、唇を震わせて涙を流す。
これから訪れるかもしれない幸せと平穏な生活は、父親の死の上に築かれたものだ。
最期に見た父親の顔、人間が地面に叩きつけられたあの音を忘れる事はできない。
「……助けてくれ。……春佳……っ」
俺は小さな声で妹に助けを求め、身を縮めると両手で己を抱き締めて、誰にも知られず泣いた。
京都に着いたあと、宿泊していたホテルに戻り、泥のように眠った。
昼過ぎに起き、少しぐらいは京都らしいものをと思い、駅の近くにある和食料理店で湯葉料理を食べた。
本当は食欲などなかったが、証拠となる写真は多いに越した事はない。
一泊し、チェックアウトする際には、女装セット一式を袋に入れ、メモを書いておいた。
【友人と仮装パーティーをするために使った物で、もう不要なので処分してもらえると助かります】
そう説明しておけば、女物の服やかつらがあっても怪しまれないだろう。
チェックアウト後、俺は春佳に土産を買い、新幹線に乗る。
東京駅に着いたのは昼過ぎで、案の定、新幹線に乗っている途中で春佳から連絡が入った。
【お父さんが死んじゃった】
メッセージを見ただけで胸の奥に重たい石を押し込まれた感覚に陥ったが、そのあとは冷静に対応し、警察の事情聴取に応じ、葬儀の手配をすると答えた。
東京に戻ったあと、荷物をマンションに置いてすぐ実家に向かい、動揺した春佳を慰め、呆然としている母親にも声を掛けた。
一見自殺に見えるとしても、事件性がないか検視するらしく、警察は俺たち家族に話を聞いたあと、数日父の遺体を預かるそうだ。
警察から連絡があるまで、俺は祖父母の協力を得て葬儀会社に連絡し、訃報を出す準備や死亡届や火葬許可申請の用意を進めた。
祖母は泣き崩れ、祖父は悲しみをグッと堪えつつも少しだけ涙を零した。
だがそのあとにこうも言っていた。
『あいつはまともに育たなかったから、死ぬ時も普通には死なない気がしていた』
祖父は父親が俺にした事を知ってから、息子にとても冷たく当たっていた。
怒ったような顔で言ったものの、祖父の表情の奥にはやりきれなさと大きな悲しみが宿っている。
血が繋がっていても、血が繋がっているからこそ、祖父は息子がなぜ実の息子に性暴力をふるったのか、理解できなかったのだろう。
理由を知りたいと思っても、歳を重ねて頭が固くなった祖父が冷静に息子と話せるはずがない。
父親も雄弁な人ではなかったし、あの調子なら一生真実を口にしなかったはずだ。
結局、心理的にはあいつの一人勝ちになった気持ちになり、悔しくもある。
最期まであいつは、何を考えているか分からない怪物のままだった。
死後の様々な手続きをしていく傍ら、春佳と共に実家で父の部屋で遺品整理をしていると遺書が見つかった。
見つけた瞬間ギクリとしたが、母と春佳に『俺は喪主だから』と理由をつけ、最初に遺書に目を通した。
意外にも、遺書は俺についてまったく触れておらず、自分の自殺で家族に迷惑が掛からないようにと心配する内容だけが書かれてあった。
『他に遺書らしき物はなかったか?』
『ないみたい』
俺は春佳が首を左右に振ったのを見て微かに息を吐く。
その向こうで、憔悴しきった母はぼんやりと沈黙して明後日の方向を向いたままだ。
やがて検視が終わって事件性はないと判断されたあと、父親の葬儀を行う流れとなった。
争った形跡はなく遺体にもおかしなところがなかったため、警察は監視カメラや父親のスマホを調べなかった。
父親のスマホのロックは解除できないままだが、家族で話し合った結果、思い出の品として保存する事になった。
葬儀が終わったあと、母はともかく春佳が心配なので、俺は我慢して実家に通い、しばし二人の面倒を見る事にする。
母親は以前にも増して自分の世界に籠もるようになり、ときおり俺や春佳に恨みがましい目を向ける。
冷えた夫婦と思っていたのに母親は夫を愛していたようで、さめざめと泣いたかと思えば、酒を飲んで悲しみをごまかすようになった。
元から精神科の薬を服用していたので、酒を控えるように言っても『うるさい!』と怒鳴られるだけだ。
(このままでは春佳の手に余る)
俺は強い懸念を抱くようになった。




