あの悪魔を殺さなくてはいけない
蒸し暑い夜だけが理由でなく、額にフツフツと冷や汗が浮かぶ。
『春佳は綺麗になったよ。お前、最近会ってるのか? 父さんはお前たちが連絡をとってるのか、まったく知らないから』
こいつの口から春佳の名前が出るだけで、おぞましくて吐き気がする。
『……会ってるし、春佳の事は誰よりも俺が知ってるから、あんたに言われるまでもない』
言い返しながらも、嫌な予感がして堪らなかった。
父親は薄ら笑いを浮かべ、目を細める。
『お前は本当にお母さんそっくりに育ったなぁ……。本当に綺麗だ』
(まったく似てないだろ)
昔から変わらない口癖を耳にし、思わず内心で毒づく。
母は俺ほどくっきりとした目鼻立ちをしておらず、分類訳をすればあっさりとした塩顔だ。うりざね顔に細めの目、鼻も低く唇も薄い。体型は痩身で身長は高め。
俺がいわゆる縄文顔なのに対し、家族の三人は弥生顔だ。
父は一応二重だが、俺ほど目が大きくないし二重の幅も狭い。鍛えて筋肉量が増えても、俺と似た体型になると思えない。
春佳も二重ではあるが、どちらかといえば童顔で丸顔、痩せ型の平均的な身長だ。
俺だけが家族の中で浮いていて、浮気や不倫の概念を知った頃は、父か母のどちらかが浮気をしてできた子供ではないかと思い続けていた。
そんな自分の、どこが母に似ているのか一ミリも理解できない。
『でも、春佳も可愛いんだ。母さんそっくりで、大人しくて言う事を何でも聞いてくれて、本当に可愛いぞぉ~……』
粘着質に笑うその顔を見て、全身に悪寒が駆け抜けた。
『お前……、まさか……』
あってはならない事を想像し、俺は身を震わせる。
とっさに、俺はスマホを取りだして春佳に電話を掛けた。
だが何度コール音を鳴らしても彼女は出ず、代わりに音声案内が流れてくる。
思えば三日前から春佳から連絡がない。
今までも数日程度なら連絡に穴が空いた事はあるので、特に問題視していなかった。
――しまった。
家を出て三年ほどは、毎日欠かさず春佳に連絡していた。
今も俺から毎日連絡を入れているが、慣れゆえか春佳からの返事が遅れる事もあった。
『毎日必ず連絡しろ』と強制するにも、納得させられる理由を言えず、『ずっと何もないなら、まぁいいか』と思ってしまったのが仇となった。
父親は遠くを見る目で何かを思いだし、下卑た笑いを顔に張り付かせる。
『春佳は母さんに似て痩せているが、体はもう立派な大人だ。父さんの言う事なら何でも聞いて、お前とは違って従順で、本当に可愛いよ』
直接的な言葉を言われずとも、このけだものが春佳に何をしたのかすぐに察した。
『…………っ、この外道が!!』
怒鳴りつけたが、一度人の道から外れた男には蛙の面に水だ。
『…………殺してやる…………!』
最悪の事態が起こってしまったと知り、俺の中で何かがブチリと切れた。
全身の血が凍ったように感じ、温かな血が通った人としての判断を下せない。
外道はニヤニヤ笑いを顔に張り付かせ、黙って俺を見ている。
――そうか。俺をもう屈服できないと知ったなら、次は自分に逆らわない春佳を狙い、言う事を聞かせようというのか。
あまりの怒りで体がブルブルと震え、思考は正常さを欠いた。
刻みつけられた恐怖すら忘れた俺は、ただ目の前のけだものをこの世から消し去る事だけを考える。
『父さんはお前が大好きだよ。お母さんそっくりのお前には、幸せになってほしいなぁ。父さんは、お前が幸せになってくれるなら、どうなってもいいや』
街灯の光を浴びた中年男性の姿をした悪魔は、とろりと愉悦の籠もった笑みを浮かべた。
そして踵を返すと、何事もなかったかのようにゆっくり歩き、立ち去っていった。
――あの悪魔を殺さなくてはいけない――。
――だが、俺が犯罪者になっては春佳を守っていけなくなる。
――どうすれば誰にも気づかれずあの男を殺せるか、考えなくてはいけない。
それからしばらく、俺はあいつを殺す事だけを考えて生活し続けた。
出勤して無心にコードを打っても頭にあいつの顔がチラつき、気が狂いそうになる。
食欲も落ちてろくに眠れず酷い顔色をしていたからか、先輩の小村さんが心配してくるようになった。
まさか『父親を殺す方法を考えているんです』など言える訳もなく、体調が悪いとだけ言ってなんとか誤魔化した。




