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有罪愛  作者: 臣 桜
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自分だけつらいって思ったら駄目だ

「……いらない」


 力なく眠っている母は、か細い声で答えた。


(無理もないか)


「食べられるようになったら教えて。消化にいい物、作ってあげるから」


 そう誘ったが、今度は母は何も言わなかった。


 リビングダイニングに向かうと、白いテーブルの上に二人分の食事が用意されてある。


 無音よりは何か聴いていたほうが気が紛れるからと、スピーカーからはクラシック音楽が流れていた。


 そう大きな音を出しているわけではないが、アップテンポな流行曲が掛かると、母の癇に障る可能性があるので、当たり障りのないクラシック音楽を選んだ。


 椅子を引いて席につくと、白い器にはジェノベーゼソースが絡んだペンネが盛られている。


「美味しそう」


「買ってきたパスタソースにぶち込んだだけ」


 春佳が褒めると、冬夜は照れくささを誤魔化すように言う。


 こんな時だというのに、兄の整った顔を見ると「今日も格好いいな」と思ってしまうし、美しい顔を見て気持ちが少し穏やかになる自分がいる。


 美形だからか、冬夜が子供の頃は女の子と間違えられる事もあったそうだ。


 両親が悪戯心を抱いたのか、彼の子供の頃の写真には女の子の服を着せられた物もあった。


 春佳の容姿で長所といえるのは綺麗に伸ばしたロングヘアぐらいで、あとは何もかも平均的だ。


 顔立ちも兄のような華やかさはなく、優しそうといえば聞こえがいいパッとしない顔だ。


 昔から周囲に『似てない兄妹だね』と言われるのがコンプレックスだった。


 頭が良くて格好いい兄を自慢に思っているものの、比較されると自分がとても矮小に思えて立つ瀬がなくなってしまう。


 それに春佳は中肉中背で、特に胸も大きくない。


 性格だって主張するのが苦手で、声は細く周囲から『ハッキリしない、面白みのない奴』と思われている。


 そんな自分にも気の合う友人がいる事には感謝していて、今後ずっと付き合える仲になれるよう、大切にしていきたいと思っている。


「いただきます」


 二人はそっと手を合わせてからフォークを手に取り、静かに食事を始める。


「お兄ちゃんとご飯食べるの、久しぶりだね」


「そうだな。一人暮らしを始めてから結構経つしな」


 冬夜は高校卒業と同時に一人暮らしを始め、都内を転々と引っ越したあと、今は中央区(つくだ)のマンションに住んでいる。


 学生時代、兄は祖父が会社を経営している事からボンボンと呼ばれていたらしい。


 実際、祖父に資産運用の方法なども教わっていたらしく、今はお一人様生活を満喫しているようだ。


 エンジニアとしての仕事もうまくいっているようで、連絡をした時は楽しそうに職場の話をしていた。


 兄と仲がいいかと言われると即答できないが、喧嘩はしないしお互いを空気と思っている訳でもない。


 彼が早々に一人暮らしを始めた事もあり、春佳の性格上すぐ遠慮してしまうところも加わって、心置きなくなんでも話せる関係とは言えない。


 だからなのか、今もほんの少しの気まずさを感じながら、無言でパスタを食べていた。


 葬儀から三日経ち、何も食べたくないと思っていたはずなのに、春佳の胃は空腹を訴えてきた。


 母は臥せったまま、春佳も気力がないなか、兄は一人で諸々の手続きに奔走してくれた。


 その間、自分は何もできず、魂が抜けたような母の様子を見るしかできなかったのが情けない。


「必要な事は俺がやるから、母さんを頼むな」


「うん」


 食事を終えてコーヒーを飲んでいる時、兄とそう話した。


 葬儀が終わったあと、父がなぜ自殺したのかという話はしなかった。


 遺書もないのに勝手に『こうだったに違いない』と決められないし、死者の想いは本人にしか分からない。


 亡くなった人の話をして父が蘇る訳ではないし、納得できる死に方だったならともかく、前触れもない、いきなりの自死なので話題にすると気まずくなる。


 今は無理矢理でも食事をし、日常に身を浸す事によって、思考停止してしまいそうになるのを必至に留めている状態だ。


 父を見送る時に沢山泣いたものの、いまだに家族が一人いなくなった実感がない。


 なのに気がつけば時間だけが無情に過ぎている。


 まるで時間がゴムのように伸び、その中でぼんやりとしている間に、動く歩道に乗って翌日に着いている感覚だ。


「大学、行けるか?」


 気がつくと春佳は答えの出ない思考に没頭していて、兄に話しかけられハッと我に返った。


「……うん。お父さんが大学に入れてくれたんだし、ちゃんと卒業しないと」


「学費は心配ないから、しっかり勉強しとけ」


「うん」


 満腹になったものの、いつものように満たされた感覚にはならない。


 きっと今はどんなに美味しい物を食べても、嬉しい出来事があったとしても、感覚のすべてが鈍重になり平時の反応ができないのだろう。


「つらいけど、頑張っていこうな。どんだけしんどくても、前を向いて歩いていかないとならないんだ」


「そうだね」


 空虚な思いを抱えているのも、悲しいのも、これからどうなるのか不安なのも、家族三人とも同じなのだ。


(自分だけつらいって思ったら駄目だ)


 春佳は己に言い聞かせ、立ちあがると食器を流しに持っていった。




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