4話 できることとできないこと
「……おはようございます」
「あら、コーデリア様。もっと休んでいても大丈夫ですのに」
「いえ、何かお手伝いさせてください」
アンカーソン男爵家にやって来た翌朝、コーデリアはいつもより早く目が覚めた。山の麓にある村は、コーデリアの住んでいた都市部よりも空気が澄んでいてとても冷たい。顔を出した厨房では住み込みのメイドであるハンナとデビーがすでに朝食の準備を始めていた。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ、温かい布団でとても良く眠れました」
ハンナの言葉にコーデリアは頷いた。
コーデリアに用意された部屋はクローズ家の屋根裏部屋よりもずっと広く日当たりも良かった。ベッドには綿のたっぷり入った布団が用意されていてぐっすりと眠ることができた。内心コーデリアは戸惑っていた。自分のような厄介者にはもっと狭く暗いあの屋根裏のような部屋が用意されると思っていたからだ。
「コーデリア様、その服は……」
「これはカレン様から借りたものなの」
コーデリアが身に着けている衣服はクローズ家から持ってきた私物のドレスではなかった。昨夜カレンが何着か自分の部屋からコーデリアの部屋に持ち込んできたのだ。動き回るのに綺麗なドレスでは何かと不便だろうからと。
幸いコーデリアとカレンは同い年の十八歳で体形も似ていたのでサイズに問題はない。
水色の木綿のワンピースに紺のエプロンはとても軽くて動きやすく感じる。
グレンダも入用な物があれば遠慮せず言うように、と言ってくれた。
……二人ともどうしてこんなに親切なのだろうとコーデリアは首をかしげる。
「それではそこの布巾を洗って食卓を拭いてくださいますか」
「……はい!」
考え込みそうになったコーデリアだったがハンナの声に慌てて顔を上げる。ぼんやりしている暇はないのだ。ここに置いてもらえるだけでありがたいのだから迷惑にならないよう働かなければ。
戸惑いながらも外の井戸から引いた水で布巾を洗い……そこでコーデリアの手は止まってしまった。布巾を絞る、というのが上手くできないのだ。コーデリアは冷遇されていたとはいえ伯爵家の令嬢だ。水仕事など初めてだった。
(どうしましょう……)
手元には水浸しの布巾。
おたおたしていると先に気がついたのはデビーだった。
「コーデリア様?」
「あ、あの……布巾の絞り方がわからなくて」
「では、私が」
「あらまあ、やったことがないのね?」
最初から失敗してしまった。
恥ずかしくなって俯いているとデビーが手を出す前にハンナが水浸しの布巾を手に取る。きっと呆れられるか叱られるに違いないと思っているとハンナはコーデリアの前で布巾を絞って見せた。
「こうやって、力を入れて絞るんです。大丈夫ですよ。誰だって初めてはありますから」
恥ずかしがる必要なんてないのだとハンナは笑った。そういうものなのか、とコーデリアはハンナを真似て布巾を絞る。……そんなに難しくはなさそうだ。心配そうに見守っていたデビーもほっとした顔をしていた。
その後、コーデリアが食卓を拭いて食器をセットしているとグレンダとカレンが起きてきたのでデビーやハンナも含めて全員で朝食をとることになった。
昨夜も一緒に食事をしたがいつもクローズ家で一人食事をしていたコーデリアはなんとも落ち着かない。
それともこれが普通なのだろうか?
「コーデリア、初日からあまり張り切りすぎなくていいのよ」
「いえ、大丈夫です。何でもおっしゃってください。カレン様も」
「ねえ、そんなに畏まらなくていいわよ。様なんてなんだかくすぐったい」
隣でパンを食べていたカレンが眉を八の字にする。そういうものだろうか、とコーデリアは戸惑いながらも姿勢を正した。
「わ、わかりました。それでは……えっと、じゃあカレン?」
「そうそう、私もコーデリアってもう呼んじゃってるしね」
「本来ならコーデリアの方が立場が上なのよ?」
「わかってるけど、こんなド田舎でそんなこと気にしたって仕方ないじゃない。誰も見てないし。というかそもそも人が少ないしね!」
「まあ、カレンお嬢様ったら」
口を尖らせるカレンにハンナが呆れたように笑う。デビーも心なしか楽しそうだ。
「それにしても、コーデリアはとても素直ね。伯爵家の令嬢が労働なんてもっと反発されるかと思ったわ」
「いえ、私はこちらにお世話になっている身なので当然です」
グレンダの言葉にコーデリアは首を振る。
嫌だなんて言う資格は自分には無いのだと思っている。実家で嫌われていたのも貴族の義務である社交もできず役に立たなかったからだ。笑顔の一つもできないのだからせめて働いて何かの役に立たなければ。
それに何もしないよりも身体を動かしていた方がいくらか気がまぎれた。
グレンダは深い緑の瞳でじっとコーデリアを見つめて首を傾げた。
「……そんなに気負わなくても大丈夫なんだけどね。まあいいわ」
「?」
「コーデリア、食事が終わったら厩の方を手伝ってくれる? ちょうど手伝いが足りなくて」
「わかりました」
「じゃあ、私が一緒に行くわ」
カレンがそう言って手を上げてくれたので、食事の後は一緒に厩の手伝いに行くことになった。
「先週から飼育係の女性がお産が近いから休みに入って人手が足りなくなってたのよね」
「昨日私達を連れて来てくれた子もいるのね」
「そう、うちは主に移動で乗るくらいだから少ないけど、村はずれの農場だと何十頭といるのよ」
「すごい……」
屋敷の裏手にある小さな厩には数頭の馬が飼育されていた。
すでに村から来ている使用人のサムが掃除を始めていた。軽く挨拶をして、さっそく仕事が始まる。
「そこの井戸から水を運んで、あとは井戸の隣の小屋から飼葉を運んできてくれ」
「わかったわ」
「はい!」
答えたのはカレンとデビーだった。コーデリアにとっては何もかもが未知の世界だ。慌ててコーデリアは二人について行く。
井戸の水を汲んで、馬とロバの飲み水を新しい物に変える。簡単だがこれは結構な重労働だ。
「コーデリア、大丈夫?」
「え、ええ」
「お嬢様、私がやりましょうか」
「いいえ、私がやるわ」
誰にも頼らず自分でできるようにならなくては。
バケツにたっぷり入った水をふらふらと運ぶ。背後ではテキパキと二人が水を汲んだり飼葉を小屋から出していた。
(が、がんばらなければ。これくらい……!)
コーデリアの細腕が震える。
そのとき、ふっと腕が軽くなった。
サムが持ってくれたのだ。
「す、すみません。でもこれは」
「お嬢さん、無理せんでいい。こっちやってくれ」
「でも……」
「このままじゃ手を痛めちまうだろう」
コーデリアに渡されたのは箒だった。
確かにあのまま重いバケツを持っていたら、途中で力尽きてバケツをひっくり返したり手を痛めることもあったかもしれない。けれど、こんなことすらできない自分にコーデリアはがっかりしてしまう。
きっとサムも呆れて手を出してしまったのだろう。
「あの……本当にすみません」
「謝らんでいい。人間できることとできないことがある。できることをやりゃあいい」
「できることを……」
「やることなら他にいくらでもあるからな」
「はい、がんばります」
ぶっきらぼうな物言いのサムだが、けしてコーデリアを責めているわけではなさそうだった。
できないことを無理する前に、まずは目の前のできることをやろう。
コーデリアは沈みそうになった気持ちを無理やり浮上させて、箒を持って厩に向かったのだった。
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