19話 大雪の夜
「それでは授業を始めます」
花祭りから数日後。
コーデリアは教会でこの冬最後の授業を行っていた。数日前から本格的に雪が降り始めたのだ。真冬には屋根近くまで雪が積もる地域なので次は春になるまで教会学校は長期の休みに入る。コーデリアもサムの荷馬車で行き帰りは送ってもらっていた。
花祭りで会ったフランクの隣にはユミルがきちんと座っている。
動物の絵本を一緒に読むようになってからコーデリアを通して仲間達とも少しずつ打ち解けているようだった。その様子にほっとしてコーデリアは授業を始めたのだった。
「先生、まだ帰らないの?」
「迎えの馬車がもう少し時間がかかりそうなの」
授業が終わると保護者達が次々に迎えに来る。その間は教会の控室で待っているのだが、ユミルの祖父も仕事が立て込んでいるのかまだ迎えが来ないようだった。コーデリアもサムの馬車を待っているので二人で一枚のひざ掛けを使って本を読んでいた。
「小人たちは秘密の隠れ家を持っています。そしてそこにたくさんのお菓子を隠しているのです」
「わたしも隠れ家あるよ」
「え?」
「今度コーデリア先生も招待してあげる。メアリーも一緒よ」
妖精の小人の絵本を読んでいるとユミルがぱっと嬉しそうに顔を上げた。メアリーはユミルの家で飼っている猫のことだ。最初こそ怖がって警戒されていたが、一度気を許してくれた彼女はコーデリアに懐いてくれた。
「本当? 嬉しいわ」
「うん、うちの裏の森にねおっきい岩があってその奥に洞窟があるの。そこが秘密基地なの」
「まあ、すごいわね」
「うん!」
ユミルは嬉しそうに笑った。
その素直な様子にコーデリアも嬉しくなる。両親を早くに亡くして寂しい気持ちがあったのだろう。けれどこの様子なら大丈夫だろうと思えた。
その後ユミルの祖父が彼女を迎えに来てくれて、コーデリアはしばしの間一人になった。薄暗くなった外には雪が積もって景色は真っ白だ。
「…………」
窓に映った自分の顔は相変わらず表情があまりない。
アルフレッドの態度は依然とほとんど変わらない。コーデリア自身も内心とても緊張していたがそれを表には出さないようにしていた。
『はっきり言う。コーデリア、俺は君のことが好きだ』
アルフレッドの言葉を思い出して頬が熱くなる。
どうして自分なのだろう。
笑うことのできない自分をどうして好きと言ってくれるのかわからなかった。
アルフレッドはそんなことは気にしないというが、妃になったらそんなことは言っていられないだろう。なにしろ王族や貴族には社交の場があるのだから。
笑顔というのは心から浮かび上がってくるもの。アルフレッドは待つと言うがはたして自分に心から笑顔になれる日がくるのだろうか。『ほほ笑みの花』を咲かせられるのだろうか。
「む……」
窓に映った自分の口の両端を指で吊り上げてみる。
……変な顔、と残念な気持ちにしかならなかった。
本当に自分の笑顔がアルフレッドの言うように素晴らしいものだとはまだコーデリアには思えなかった。心の傷はそう簡単には癒えないし、長年イザベラやダイアナに虐げられてきたコーデリアはアンカーソン村に来てマシになったとはいえまだ自分への信頼度は低い。
(アルフレッド様は私の笑顔を知っているようだったけど、いつお会いしたのかしら)
コーデリアが笑顔になれなくなってからずいぶん経つ。ということはかなり昔の話なのだろう。それなら思い出せないのもしかたない。そのとき一体何があったのだろう?
そんなことを考えているうちに窓からサムの荷馬車が走って来るのが見えたのだった。
ところがその日の晩、コーデリアが部屋で休んでいると急に玄関辺りが騒がしくなった。
村の人々が松明を持って集まっている。
(何かあったのかしら)
「コーデリア様、大変です!」
コーデリアが様子を見に行こうとしたところでデビーが部屋に飛び込んできた。これはただ事ではない様子だ。
「デビー、何があったの?」
「ユミルちゃんの姿がどこにも見当たらないみたいなんです」
「ええ!?」
「教会学校から帰宅した後、少し目を離した隙にいなくなってしまったらしくて」
教会学校が終わったのは夕方だがもう何時間も経っている。外は夜遅くなってから雪が強くなっていた。こんな寒い夜に一体どこに行ってしまったのだろう。まさかどこかで迷ってしまったのだろうか。すでに雪が大人の膝丈まで積もっている。子供は移動するだけでも大変だろう。もしどこかで動けなくなっていたりしたらと想像するだけでも恐ろしい。
コーデリアはデビーとともに慌てて部屋を飛び出した。
「それじゃあカレン、村の周りの捜索は頼んだよ。ジェシー達はもう一度役場周辺を」
「グレンダ様!」
「ああ、コーデリア。エヴァンズさんをお願い。居間にいるの」
コーデリア達が玄関に降りるとすでにグレンダが村人達に指示を出していた。見ればアルフレッドもユージーンと出ていくところだった。一瞬目が合った気がするが、すぐに他の男衆達と話しながら出て行ってしまった。
居間のソファにはユミルの祖父が力なく座り込んでいた。
「エヴァンズさん」
「……コーデリア様。ご心配おかけしてすみません」
「いいえ、そんなことありません。デビー、温かいお茶を」
すでに一人で捜しまわったのだろう。エヴァンズ氏の身体は雪で濡れていた。きっと見つかるまで捜し続けたいだろうがこの大雪だ。老齢ゆえに体力的に無理だと判断されたのだろう。頷いたデビーが厨房に走って行くのを見てからコーデリアはエヴァンズ氏の横に膝をついた。
「大丈夫です。皆がユミルを捜してくれています。だからきっと見つかります」
「お気持ちは嬉しいが、あんたはこの村の冬を知らないだろう。どれだけ雪が恐ろしいかも。娘を病で亡くして……孫のユミルまで」
「……エヴァンズさん」
確かにコーデリアはまだアンカーソン領の真冬を知らない。大丈夫だなんて気安めでしかない無責任な言葉だというのもわかっていた。それでもエヴァンズ氏の心が折れないようにそう言うしかなかった。
(こんなとき、どうすればいいのだろう)
結局自分には何もできないのだろうか。蹲って震えるエヴァンズ氏を見つめてコーデリアは自分の両手を握りしめた。
(ユミル)
最初は授業にも参加せず心を開いてくれなかった。動物が好きで、飼い猫のメアリーをとても大切にしている。ようやく最近心を開いてくれた小さな女の子。もしかしたら今のどこかで寒さに震えているかもしれない。そう考えるとコーデリアは落ち着いてなどいられなかった。
何か自分にできることをしなければ。
「エヴァンズさん、ユミルがいなくなった時のことを教えてください」
「それは、もう何度も皆に」
「それでももう一度、ゆっくり思い出して」
「ゆ、夕方教会から帰って来てから、夕食の支度をしている間にいなくなってしまったんです」
エヴァンズ氏の言葉によればユミルが消えたのは夕食を作っているほんの一瞬、目を離した隙だったという。彼女は部屋で猫のメアリーと遊んでいたはずだった。けれど夕食に呼びに行くとメアリーと一緒にその姿が忽然と消えていたのだと言う。今夜は大雪だ。彼女の足跡を雪はあっという間に覆い隠してしまった。
そこでふっとエヴァンズ氏が顔を上げた。
「そういえば、ユミルが誰かを招待するとかなんとか言っていたような」
「招待……」
そこでコーデリアは教会での会話を思い出した。ユミルは秘密基地にコーデリアを招待してくれると言っていたではないか。
「あ、あの、エヴァンズさんはユミルの秘密基地をご存知ですか?」
「秘密基地? いいや、知らんです」
「……ユミルはエヴァンズさんのお宅の近くにいるかもしれません」
「なんだって?」
コーデリアは昼間、教会でユミルと話したことを思い返していた。立ち上がって急いでコートを羽織る。エヴァンズ氏もよろよろと立ち上がった。
「大丈夫ですか」
「大丈夫も何も家に行くんだろう。コーデリア様一人じゃ今日は無理だ」
確かに外は大雪だ。
ユミルの家は村のはずれだったはず。雪が積もっていなければ徒歩でも行ける距離なのだが。すでに人は出払ってしまったようで玄関には誰もいない。
コーデリアはエヴァンズ氏を振り返って頭を下げた。
「よろしくお願いします」
とにかく今は一刻を争うのだ。
屋敷の外に停めてあったエヴァンズ氏の小さな荷馬車に乗って二人はユミルの家へと向かったのだった。
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