14話 デビーの不安
※デビー視点
ホロル湖での夜釣りから数日が過ぎた。
デビーは玄関前のホールにモップをかけながらちらりと視界の端でコーデリアを観察していた。コーデリアは階段の手すりを熱心に磨いている。この領主の屋敷へと来たばかりの頃の彼女からは見違えるほど手際よく掃除をこなしている。本来は侍女として主人である伯爵家の令嬢にそんなことをさせるのは忍びないのだが、コーデリア自身が望んで働いているのだからデビーは何も言えない。
そんなことを考えていると玄関の扉が開いて外出していたアルフレッドが帰って来た。
「ただいま、コーデリア」
「……おかえりなさいませ、アルフレッド様」
デビーもコーデリアの少し後ろで頭を下げる。
ただの旅人のように見えるがアルフレッドはこの国の王子なのだ。元々領主代理のグレンダと旧知らしくここへは長期休暇へとやってきたらしいのだけれど……デビーはどうもそれを疑わしいと思っていた。
「今日は特に冷えるな。ジェシーの店で焼き菓子をおまけしてもらったからお茶にしないか」
「そうですね。グレンダ様とカレンも呼んできます」
食料の買い出しに出ていたアルフレッドがコーデリアへと近づく。すると、スッとコーデリアがわずかながら距離を取った。さりげない仕草だったけれどデビーにはすぐわかった。
あのホロル湖での夜釣りの日以来、どうもコーデリアの様子がおかしいのだ。もしや自分が目を離した隙にアルフレッドと何かあったのだろうか。
「……何か用か?」
「いいえ、何も」
アルフレッドの背後にいたユージーンと目が合ったがデビーはすぐにそっぽを向いた。
あの夜からコーデリアは時々アルフレッドを気にするようになった。外で雪かきしている彼をぼんやり見つめていたかと思うと近づいてくると離れる。少し緊張しているようにも見えるのだ。
あの日はデビーも一緒にいたが後半はカレンやユージーン、それに村の人々とも一緒にはしゃいでしまって少しの間だけコーデリアから目を離してしまったのだ。
我ながら侍女失格だとデビーは反省していた。
アルフレッドはどうにもコーデリアにちょっかいをかけすぎている。一体どういうつもりなのだと、立場が無ければ問い詰めているところだ。
彼はこの国の王子なのだ。
いつかはふさわしい妃を娶るのだからコーデリアを弄ばないでほしい。
「アルフレッド様、こちらを」
「ああ……またか。連中も飽きないな」
「それはアルフレッド様がフラフラしすぎだからです」
「何かあったの?」
居間でお茶を飲んでいるとユージーンが届いた手紙をアルフレッドに渡した。どうやら城からのものらしく面倒くさそうにアルフレッドが顔を顰めた。マフィンを食べながら聞いたカレンに少し言いにくそうに呟く。
「……大したことじゃない。仕事のことでちょっとな」
カレンの隣に座っているコーデリアは黙ってその話を聞いていた。
「アルフレッド様はいつまでこちらにいらっしゃるのかしら」
「え?」
その日の夜のことだ。
ぽつりと静かな部屋にコーデリアの呟きが零れた。
寝室の暖炉に薪を足していたデビーは驚いて振り向いた。コーデリアは窓辺に椅子を置いて外を眺めているようだった。日中は雪が降っていたが今は止んでいる。空には星がよく見えた。
「コーデリア様……」
「え? ああ、ごめんなさい。なんでもないのよ。ただ、少し気になっただけなの」
デビーの視線に気がついたコーデリアは慌てて取り繕うようにそう言った。
「まさか……コーデリア様」
「何?」
「い、いえ! 何でもありません!」
デビーは勢いよくコーデリアから視線を外して暖炉に薪をくべに戻った。
デビーはコーデリアより五つ年下だが聡い少女だ。おまけに少女らしく恋の話が好きだしその手の話題に敏感だ。
(……アルフレッド様は一体何をお考えなのかしら)
無心に薪をくべながらデビーは一人考え込んでいた。
「はあ……」
静かな廊下にデビーのため息が零れた。
翌朝、デビーは一人廊下を黙々と掃除していた。コーデリアは教会での授業があるので昼頃まで帰らないだろう。
周囲を確認してからデビーはポケットから手紙を取り出した。王都にあるクローズ家のタウンハウスから届いた手紙だ。クローズ家にいた頃、デビーはコーデリアに拾われた使用人だったため周囲からの扱いは冷たかった。しかし数人はやはり元孤児であるデビーの境遇に同情して何かと気にかけてくれていたのだ。そんな者達とはアンカーソン村に来た今でも連絡を取り合っていた。
「何をしているんだ?」
「ひゃあ!? ……なんだ、ユージーン様」
「なんだとはなんだ! ……まったく、ん? 手紙を読んでるのか?」
「そ、そうですけどユージーン様には関係ありません」
いつの間にやって来たのか呆れ顔のユージーンが背後に立っていた。慌てて懐に手紙を戻しつつデビーはつんとした顔をする。年齢は同じくらいだが何かと態度が偉そうなのであまり好きではないのだ。まあ、彼は王子の従者で貴族なのだから偉そうなのが普通なのかもしれないが。
「ふうん、郷里からの手紙か」
「……違います。私に郷里はありません。孤児だったので」
「え!? ……あ、そうなのか」
「ところでアルフレッド様はどうしたんですか?」
デビーにとってはただの事実だったのだがユージーンは狼狽えた様子で気まずそうに俯いた。お坊ちゃまだなあと内心思いながら話を変える。
「今は部屋で執務中だ」
「休暇中なのにですか?」
「まあな。アルフレッド様の許可が無いとできないことが色々とあるんだよ」
三ヶ月も休みなく働いた後の休暇中にも仕事とは王族は激務なのだなあとデビーは少しだけ同情した。
「それなら王都でお休みになってた方が都合が良かったんじゃないですか?」
こうやって休み中も仕事が発生するのなら、とそんなつもりでデビーは言ったのだがユージーンはがしがしと髪を掻いた。
「俺だってそう思ったけれど、どうしてもとおっしゃられてここに来たんだ」
「……もしかしてコーデリア様がいるからですか?」
う、とユージーンが黙る。
ずっとデビーはそうじゃないかと思っていたのだ。
コーデリアはデビーにとっては恩人だし優しい主人だが世間から見れば彼女は屋敷から追い出されたわけあり令嬢なのだ。そんな彼女に王子であるアルフレッドが親し気に近づくことなど本来は無いはずだ。
「妃選びの舞踏会の夜にコーデリア様が親切にしていただいたと言う話は聞いています。アルフレッド様はどういうおつもりなのですか?」
「それは……俺も詳しくは教えてもらえてないんだ。コーデリア様にご執心なのは確かだけど」
ユージーンの言葉にデビーは懐からそっと手紙を出した。
いいのか? と目で問うユージーンに頷くと彼はその手紙を開いた。
「……私だって本当は応援したいんです! だけどコーデリア様の悲しむ顔は見たくないの」
デビーは本来恋の話が大好きな少女だ。
アルフレッドはあきらかにコーデリアを気にかけていて、コーデリアもそんなアルフレッドが気になり始めている。大好きな主人が王子に見初められたのならば全力で応援したい。
けれどウォーレン王国の次期継承者であるアルフレッドの妃に選ばれるには『ほほ笑みの花』を咲かせることができなければならない。つまりは笑顔の作れないコーデリアには不可能なのだ。
それに……。
「……ヒューズナー伯爵との縁談? あの好色ジジイと? どういうことだ」
「当主代理のイザベラ様が勝手に話を進めているみたいなんです。おそらくコーデリア様は近々屋敷に呼び戻されると思います」
手紙を読んでいたユージーンが眉を潜めて呟いた。
そこにはクローズ家の状況が書いてあった。
コーデリアがいなくなったことで執務が回らなくなり苦労しているらしいということと、ヒューズナー伯爵との縁談をイザベラが進めていることが書いてあった。当主のいなくなったクローズ家としては女好きで悪い噂だらけではあるがそれなりに資産のあるヒューズナー伯爵家と縁続きになりたいのだろう。そのためにコーデリアを利用するつもりなのだ。
「このままじゃコーデリア様はきっと深く傷ついてしまいます!」
「デビー、少し落ち着け」
「落ち着いてますよ!」
「あーもう全然落ち着いてないじゃないか! ……と、とにかく大丈夫だ!」
コーデリアのことを思うと冷静ではいられない。今にも泣きだしそうなデビーにユージーンは手紙を返してその両手を握った。デビーは驚いてじっとユージーンを見つめた。
「アルフレッド様は……俺はまだ短い間しか仕えてないけれど強くて優しい方だ。俺みたいな青二才のことも馬鹿にせずいつも話を聞いてくれる。少しマイペースだけど。……あの方は絶対にコーデリア様を不幸になんかしない」
「……本当に? 本当ですね?」
「ああ、コーデリア様だって大人しいけど芯の強い方じゃないか。だから俺たちの主人を信じろ」
ユージーンの言葉にデビーははっとなる。
クローズ家にいた頃のコーデリアはいつも周囲に虐げられて悲しそうな顔をしていた。けれどアンカーソン村に来てからは自ら働き人々と交流し、できることを少しずつ増やしていた。コーデリアはもう昔のか弱いだけの少女ではないのだ。
(そうだ、私がまずコーデリア様を信じなくちゃ)
デビーはユージーンを見つめて握られた手をきゅっと握り返して頷いた。
するとユージーンは大きな緑の瞳を瞬いて握った両手を見つめた。
「……え、わ、あ! ごごごごめん!」
「え?」
弾かれたようにデビーの手を放して真っ赤になって、そのままユージーンは逃げるように走って行ってしまったのだった。
「変な奴……」
ふんと鼻を鳴らしてデビーは呟いた。
とにかく不安がってばかりではいられない。コーデリアとアルフレッドを信じて自分のできることを探さなければ。
(がんばろう)
自分の小さな両手を握って密かにデビーは奮起したのだった。
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