13話 ホロル湖の夜
「夜釣り、ですか?」
「ああ、村の南側に小さな湖があるんだがそこに皆で星見がてら夜釣りをしに行かないかと話していてな」
いつものように全員そろっての夕食の後、アルフレッドから夜釣りに誘われた。アルフレッドは村の若者達とも交友を深めているようで、その仲間たちと今回は一緒に出掛けるつもりらしい。
居間に移動して食後の紅茶を飲んでいたコーデリアは隣のデビーと顔を見合わせた。デビーはあまり乗り気ではないようで細い眉をひそめている。とはいえ、仮にも王子であるアルフレッドに全面的に反論するのは憚られたようで少し不満そうに呟いた。
「そ、それは危険ではありませんか? 夜に外出なんて……」
「俺が一緒……というだけでは納得してくれないか」
「それは当然でしょう。若いご令嬢を夜に連れ出すなんて」
デビーだけでなくアルフレッドの後ろに控えていたユージーンも反対した。むう、と口を尖らせたアルフレッドと視線が合う。コーデリアはどう反応してよいのかよくわからなくて戸惑っていた。
たしかにデビーやユージーンの言いたいことはわかる。未婚の貴族の令嬢が夜会以外で夜に遊びに出かけるなんて聞いたことがほとんどないからだ。
そもそも夜釣りというものに行ったことがないし、誰かに遊びに誘われるという経験もほとんどなかった。だからどう返事をしていいのかわからないのだ。
意外と真剣な様子のアルフレッドがコーデリアを見つめた。
「どうだ? コーデリア」
「ええっと……」
「コーデリアはどうしたいの?」
「グレンダ様!」
返事に困っているとグレンダに問われてコーデリアは考え込んだ。ユージーンが咎めたけれど彼女はまったく気にした様子もなく暖かいブランデー入りのミルクを飲んでいる。その隣でカレンが元気よく手を上げた。
「それなら私も一緒ならどう? ギルバートも誘っていいでしょ。ねえコーデリア、行ってみない?」
「……カレンが一緒なら、行きたいです」
「やったあ! よかったね、アルフレッド様!」
「?」
「助かった、カレン……」
一体どういうことなのかよくわからないがカレンが一緒ならば心強い。脱力してソファにもたれかかっているアルフレッドはどこかホッとしているように見えた。そんなにも夜釣りに行きたかったのだろうか。
コーデリアの隣にいたデビーも身を乗り出した。
「コーデリア様が行くならもちろん私も行きます!」
「そうか……。ユージーンも当然来るだろう? 人数が大分増えるがまあいいか」
「当然ですよ」
気の抜けた様子のアルフレッドがため息をつく。
どうにも王子らしくないその様子がおかしくて、そして初めての夜釣りに少しだけ心がふわふわとして不思議な気分だった。王子に対して愛想の無い自分に気さくに接してくれるのがありがたかった。
「楽しみですね」
「……そうだな」
ぽつりと零れた言葉に、ふっとアルフレッドがコーデリアを見つめて微笑んだ。
その瞬間、胸の中に何か温かいものが生まれた気がした。コーデリアはいつまでもアルフレッドの瞳を見つめていたいような、恥ずかしいような妙な気分になった。
どんな顔をすればいいのかわからなくて、結局不自然にならない程度にコーデリアは視線を逸らして俯いたのだった。
「わあ……」
白い息を吐きだしてコーデリアは感嘆のため息をこぼした。
アンカーソン領アンカーソン村から馬車で南に三十分ほど走ったところにホロル湖という小さな湖があった。小さな森の畔にあるホロル湖をぐるりと囲むように作られた沿道にはまだそれほど雪は積もっていないようだった。
そして夜空には宝石のように輝く星々が広がり、それは湖に鏡のように映っている。
「寒くないか?」
「はい、カレンから防寒着を貸してもらったので平気です」
アンカーソン領の冬の夜はかなり冷え込む。今回はカレンから綿のたっぷりと入ったブルーのコートに白い毛糸の帽子とマフラーを貸してもらったので思ったよりは寒くない。星空を眺めていたコーデリアの隣に立ったアルフレッドはグレーのコートに黒いマフラーをしている。他の人々も皆同じような恰好だった。
「餌の準備できたぞー」
若者たちの一人が桟橋にバケツを用意している。
アルフレッドに誘われた夜釣りへと今夜はやって来たのだ。
湖の周辺には獣除けの松明が並んでいるため足元も良く見えて思ったよりは安全そうだ。どうやらここはアンカーソン領にある複数の村からちょうど良い距離にあるためか、コーデリア達一行の他にも人がいるのが見えた。
「ここはね、田舎では数少ない若者たちのデートができる場所なのよ」
「……なるほど。だからカレンもギルバート様を誘ったのね」
「え!? ち、違う違う! そういうわけじゃないのよ」
確かに人目は少ないし星空や湖は綺麗で雰囲気も良い。
カレンの耳打ちにコーデリアは納得した。よく見れば仲良さそうに寄り添っている男女が何組かいる。カレンは薄暗い中でもわかるほど赤くなって慌てているけれど、こんな素敵な場所ならば恋人を誘いたくもなるだろう。
ふと前を向くと視線の先ではアルフレッドが村の若者たちと釣り竿の準備をしていた。
「コーデリア、やってみるか?」
「よろしいのですか?」
「ああ」
湖の淵にいるアルフレッドに手を差し出されて一瞬コーデリアは迷う。隣のデビーは少々心配そうだが、そっとアルフレッドの手を取って沿道から下りる。手袋越しでもアルフレッドの手はとても大きいのだとわかる。しっかりとコーデリアの手を掴んでくれていたので怖くはなかった。
「そ、それはなんですか?」
「これは魚の餌だ」
コーデリアに続いてユージーンに手を借りて降りてきたデビーがアルフレッドの手元を恐々と覗き込んだ。小さなミミズが針に刺さっているのを見てデビーが飛び退った。
「ギャア!? コーデリアお嬢様! 近づいてはなりません!」
「デビー、大丈夫?」
「悪い、驚かせてしまったな。君は大丈夫そうだが」
「知識としては知っていましたので……」
実際にやったことはないけれど魚釣りの餌は虫を使う、というのは聞いたことがあった。もちろん間近で見たのは初めてだ。君は肝が据わっているなとアルフレッドが苦笑する。
「ほら、餌は付けたからやってみろ」
「ええと……」
「遠くに餌の付いた針を放るんだ」
「わかりました」
急にアルフレッドから釣り竿を持たされて戸惑ったコーデリアだが、思い切って腕を振り上げ釣り竿を振る。けれど思ったよりも遠くまで飛ばなかったようで近くで湖面が揺れた。
「よし、かかったな。コーデリア、思いきり引っ張ってみろ」
「は、はい」
「コーデリア様、頑張って!」
アルフレッドとデビーに応援されて、えいっとコーデリアは釣り竿を一思いに引き上げた。すると湖面から飛び出した釣り糸の先に小さな魚がかかっていた。ユージーンが手際よくバケツに魚を入れてくれる。
「……釣れました」
「やったあ! すごいですコーデリア様」
「なかなか上手いじゃないか」
ちょうどコーデリアが両手ですくえるほどの小さなグレーがかった銀色の魚はバケツに張った水の中でぴちぴちと飛び跳ねている。デビーに抱きつかれながらコーデリアは不思議な気持ちで魚を見つめていた。
コーデリアが釣れたのはその一匹だけだったが、アルフレッドを始めとした男達は釣りが得意なようで何匹も釣りあげていた。その後は皆で焼いた魚を使ったバーベキューをした。星空の下で焼いた魚は普段よりも美味しく感じた。
楽しそうに魚を食べるカレン達を少し離れた場所で眺めながらコーデリアは夜空を見上げた。頬に触れる空気はひんやりとして、吐き出す息も白くなるほどの寒さだけれどこの静寂と満天に広がる星空の美しさはいつまでも忘れないだろうと思った。
「どうした、コーデリア?」
「アルフレッド様。……今日はありがとうございました」
一人で少し離れた場所にいたコーデリアの傍にアルフレッドが近づいてきた。ちらりとそちらを見てまた星空に視線を戻す。
「こんなに綺麗な星空を見ることができて良かったです」
「……そうか。それなら良かった」
「アルフレッド様はどうして私を誘ってくれたのですか?」
ずっと気になっていたことだ。
どうしてアルフレッドはコーデリアを気にかけてくれるのだろう。夜釣りに行くだけならば誘うのはユージーンや村人達だけでもいいはずだ。コーデリアは楽しくても楽しそうに振舞うことが苦手だし、一緒にいておもしろいとも思えないのだが。
ふと星空から視線を戻すとこちらを見つめるアルフレッドと目があった。もしかしてずっとこちらを見ていたのだろうか。そんなことをされるとなんだか落ち着かない気持ちになってしまう。
「コーデリアにこの星空を見せたかったから……いや、違うな。俺がコーデリアと一緒にこの星空を見たかったからだ」
「え……」
ふっと間近で微笑むアルフレッドに、コーデリアはなんと答えていいのかわからなかった。
そのときカレンの声が聞こえてきた。
「みんなー! そろそろ撤収するよ!」
「……行こうか」
一瞬その声に気を取られたコーデリアの手をアルフレッドが掴んだ。そこまま手を引いて歩き始めたのでコーデリアは戸惑いながらも着いて行った。足元は暗いけれどアルフレッドが手を引いてくれるおかげで怖くはない。アルフレッドの手に力が籠る。手袋越しでも伝わる温かさにコーデリアはなぜか胸の鼓動が煩くなるのを感じていた。
満天の星空の下で二人は馬車までの短い距離の間、静かに手を繋ぎ続けた。
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