第八話 出航時間まで極僅か
早くも二日が経ち、今日はかしわぎ音楽事務所の新人オーディションの日。
二十二年も昔の事だからまだ勢いは無いのか、意外と小さな事務所だった。けれどちゃんと部屋数はあるそうだし、ちゃんと売れているバンドのポスターも壁に貼り尽くされていた。
「『ニュートラル』さんですね。今日のオーディション、近くのライブハウスを借りて其処で行うので、宜しくお願いします。オーディション自体はまだ後一時間程あるのですが、ちょっと君達に会ってもらいたい人がいまして。案内致しますので、此方へどうぞ。」
受付にいた少し小太りなおじさんが眼鏡をクイッと上げながら、どうぞ此方へと僕等を案内した。自分達のバンドメンバーの中で眼鏡は富岳しかいなかったからか、時たま行われるそのクイッという見慣れない動作に目が行ってしまう。
狭い廊下では自然と楽器組は気まずそうに後ろに下がり、僕や浦井、明堂が順々に先頭になる。この歳になっても気持ちは永遠の高校生、誰が先頭になるかでちょっとしたじゃれあいが起こる。浦井は行けよ行けよの一点張りで、明堂は嫌じゃ嫌じゃの一点張り。毎回仕方なく僕が前にくる訳だけど、そうとなれば必然的に僕が最初に接待を受けなければならなくなる事に気が付いた。
「此方で少しお待ち願います。」
案内の人はそう言って先に部屋の中へ入っていくと、中で僕等の到着を報告する声が聞こえる。
「なぁ、俺らこれから殺されたりしない?」
ふと、浦井がそんな事を呟いた。緊張の副作用には個人差があるとは思っていたものの、にしても斜め上の発想なんだよなぁと笑いが起こる。
「流石にそれはないよ。」
「アハハ、浦ちゃん緊張し過ぎ。」
何時ものテンポで、明堂は浦井の肩をポンと小突いた。
「だって急に呼ばれんだぞ?」
「そんだけ気に入ってくれたんだって。」
「そうかぁ?」
「そうだよ。ねぇ長ちゃん。」
と、急に話題を振られた僕。
「ん?、あ、そうだね、うん。」
「アッハ、何?哲ちゃんも緊張してんじゃねぇかよ。」
「そりゃそうだ。後その変な笑い方止めろ。」
「ヌルフフフ。」
「なんだそれ。」
そう言って浦井の肩を掴もうとすると、急に後ろの扉が開いてさっきの小太りなおじさんが顔を出した。
「お待たせしました、どうぞ中へ、」
僕等は慌てて姿勢を直し、手招きされるがままに僕から順に部屋へ入っていった。
「そんなに緊張しなくても、さぁさ、座んなさいよ。」
「あ、有難う御座います。」
用意された三人がかりの長ソファに二手に分かれて背を預け、その柔らかさにふと口角が歪む。
前に座っているのは、さっきの小太りなおじさんに加えて、痩せた眼鏡のおじさんだった。小太りな方は丸眼鏡、痩せた方は四角眼鏡、カッコ上無し。人には人にあう眼鏡がこの世にはちゃんと存在するんだなぁとくだらない事考えてみれば、自然と肩の力も抜けてきた。
「いやぁ、にしても若いねぇ。今幾つ?」
「29です。」
「え?あ、そう…じゃあ皆幼い顔立ちなんだね。もうすぐ30には見えないや。」
こういう年齢を絡めた会話というのは、一瞬寄せられた期待を裏切る様で、聞かれる側は何もしていないのに罪悪感じる事が多い。もし此処で十代後半や二十代前半の回答が返せるなら、そりゃ此方だってそうしたい。この世界の実年齢で勝負仕様にも七歳でこの見た目は流石に不味いだろうから、結局は29という正直な回答しか答えられないのだ。
「そういやね、うちの社員が君達の路上ライブに惹かれて、でこうしてオーディションまでお呼びさせて貰った訳だけど、君達の今後の目標やらは聞けたりするかい?」
「目標、ですか?」
「あぁそんなに完璧でなくて良い。余程の失敗が無い限り君達はこのオーディションを通す心算だから、少し先回りに今後の仕事について考えたくてね。」
「え⁉︎あ、…ぇ、え?」
今のこの人の発言が理解出来ない訳じゃない。というより、出来るか出来ないかとか、そんな問題じゃないと思う。
「あの、お、オーディションを通すって、もう決まっているんですか?」
出来るだけおこがましく無いようにと気をつけながら、僕は聞いた。
「そうさ、どうもその社員が君達のディレクターをやりたいって言い出してね。まぁコイツなんだけどね、」
そう言って四角眼鏡が丸眼鏡を指差すと、丸眼鏡は照れ臭そうに、そうなんです、と答えた。
「改めて自己紹介をさせて頂きます。かしわぎ音楽事務所所属の斎藤孝允と申します。所内ではアーティストさんのコンサートプロモーターという、要するにコンサートライブやイベントの管理を主に担当しています。」
胸ポケットに手を突っ込んだかと思えば名刺を取り出す丸眼鏡。僕等に名刺なんてものは無い為一方的なやり取りになってしまうけれど、彼等は構いませんよと笑顔で応えてくれた。
「それで、私はこの事務所の管理者、社長を務める坂谷佳と申します。」
「あ、有難う御座います。」
渡された二枚の名刺を重ねて、側に置いてあった鞄から取り出した財布に入れる。チラッと見えた腕時計の針。もう後四十分程でオーディション本番だどいうのに、未だ心の準備が整わない。
「じゃ、後は斎藤君と君達の対談時間になるから、私は失礼させて貰うよ。」
「有難う御座います。態々お付き合いさせてしまって申し訳ありません。」
「いやいや良いんだよ。我が社に相応しいアーティストを見つけてくれたんだ、ときめいたのなら連れてくる。そうだろう?」
「はい!」
え、そうなのか?そんなに単純で良いのかと、僕は思った。でもこの単純さのおかげで、あの『カスタムイエロー』も世に広まっていったんだとなると、案外世の中は運に身を任されてているのかも知れない。
「改めてだけれど、宜しくお願いします。」
「宜しくお願いします。」
満面の笑みに対する僕の態度はまだまだ角があるものの、メンバーの皆はもうそんなに緊張はしていない様だ。その証拠に、全員の背がしっかりとソファに圧を与え、まっすぐな割には随分顎が引けていた。
「因みになんですが、リーダーってどなたなんでしょう?」
リーダー、その言葉を聞いて、僕は浦井に身体と視線を向けた。すると二人と目が合う。浦井と、澤中。一方浦井を見ているのは、その他三人。いや、この斎藤さんを入れるなら四人か。
「いやぁその、普通ボーカルがリーダーなんでしょうが、あの時のライブの司会が浦井さんで、今回の接待が長船さんでしたから、ちょっと気になってしまって。」
「あー、そうですよね。実はお恥ずかしながらまだ僕等の中でも決まって無いんですよ。」
凄い、全員の名前をもう覚えてるんだ。僕は愛想しかない斎藤さんに甘えて、態度を緩める事にした。そうすると勝手に口も動き出し、顔の表情筋が柔らかくなっていくのが分かる。
「やっぱり決めた方が良いですよね、」
「そうですねぇ。もしよければ今決めちゃいます?交流がてらに、皆さんの事を知りたいです。」
「え、良いんですか?」
「良いですよ時間もまだ有りますし。」
すると浦井も緊張が解けたのか、テンポ良く自己紹介、他己紹介みたいなのをしていく。
「全員の名前とかプロフィールはそんな感じで、まぁ誰がリーダーかってなると難しいんですけど…、」
「成る程、丁寧に有難う御座います。聞く感じでいうとリーダーが浦井さんで、副リーダーが長船さんですね?んー、まぁでも、やはりバンドというのはボーカルが目立つものなので、リーダー明堂さん、副リーダーは浦井さんと長船さんのお二人でどうでしょうか。」
やはり判断力と行動力か。愛想だけで生きて来た訳では無いんだな。僕は良いですねと賛同しながら、感心した。
「ではそれで登録しときますね。」
と斎藤さんが何やらボードを取り出してメモをする。僕等は口々に感謝を述べ、一旦は終わりの流れに乗った時、僕は最後に気になった事を聞いた。
「…あの、因みにリーダーとかを決めるのって、バンドの並び以外に何か影響はあるんですかね?」
「あぁ、例えば、今後ラジオやテレビで取り上げらえた時、真っ先に話を振られるのはリーダーですよね。そして仕事が舞い降りて来やすいのも、やはりリーダーが優先です。でも、勿論他のメンバーの方達も話は振られますし、個々の力が認められれば、それぞれの仕事が降りてくる事もあるでしょうから、あまり気にする事は無いと思います。」
その説明に、明堂が動揺するのが気配で分かる。
「そうなんですね、有難う御座います。」
僕は最後に礼を述べ、席を立った。もう部屋を出ようとしていたメンバーの元に混ざり、会釈をしながら扉を閉める。
「私、いけるかな?」
閉めて早々、明堂は弱音をあげた。
「いけるよ絶対、高校の時放送委員だったんでしょ?」
「澤ちゃん、多分それは関係ないよ。」
「まぁでも、あんな大勢の前で歌えんだから、その内自信もついてくるだろ。」
浦井はそう言って明堂に拳を向けてやると、明堂はそっか、と同じ様にして拳をぶつけた。
「なんか、実感湧かないね。」
覚悟を決めなきゃと明堂は呟くも、顔はまだ不安を浮かべているし、手は若干震えている。それは、僕も浦井も澤中も同じだった。唯一門崎だけは、平然とした顔で事務所の長い廊下の先を眺めている。
「門崎、お前余裕そうだなぁ。」
浦井がちょっかいを出す様に絡むと、門崎は視線を変えずしてボソッと呟いた。
「…結局は、人の曲だし。」
その目は何処か悲しそうで、怒っている様で、楽しそうでもある。でもその真実がどうであれ、浦井はそれ以上のちょっかいは出さなかった。
そんな中、遂に僕等はオーディション本番を迎える。
参加したバンドは計十八組。受かったのは、『ニュートラル』と、『textile』という、オール女子メンバーのバンドだけだった。