第四話 変わらぬ親友
『浦井音楽スタジオ』と書かれた看板は、まだ文字が縮れてない綺麗なままだった。
「改めて言うけど、綺麗だったんだね。」
「煩いなぁ。時間も経てばいずれはああなるよ。…お邪魔しまーす。」
慣れているのか、ズカズカと入っていく浦井に皆が後に続く。あ、そうか。昔とは言っても自分の家か。なんて事を思っていると、何時の間にかメンバーの後ろに、知っている様で知らない小さな少年が立っていた。
「お父ちゃん今居ないよ?買い物行っちゃた。」
「…ぁ…。」
それは紛れも無く、浦井少年だった。だらしなく着た白いタンクトップに青い短パン、後ろにずっているのはボロボロの虫網だろうか。
「おいおいそんなだらしない格好でぇ…。」
浦井は呆れた様な顔で少年に道を開けると、なぁ少年、ちょっとこれとこれ借りてくぞ、と少し強引に事を進めた。
「待ってよ!それお父ちゃんの許可が無いと借りられないぞ!」
「良いから良いから。」
大人の潔さと言ったらこれだから厄介なのだ。しかし浦井少年も負けてはいない。年齢がどうであれ昔からの性格がこれなのだ。
「駄目だって!」
彼は態々通して貰った道を引き返すと、店の入り口に立ち塞がって大きく手を広げる。
「お前なぁ…。哲ちゃん、そっち持って来てね。」
「え⁉︎」
そう言うと浦井はハイタムとロータムが繋がったバスドラムを持つと、ヒョイッと浦井少年を避けて外に出た。
「うわぁぁぁぁ!」
浦井少年は叫ぶのみで何も抵抗できず、気付けば手伝いまでしてくれているという始末。順調に機材とスピーカー、キーボードやドラムが隣に停車していた軽トラックに積まれていった。
「なぁ浦井、良いの?」
「良いのって何が。」
「いやだから、こんなに勝手に楽器持ち出して。」
「何言ってんだよ。勝手じゃないよ?」
と浦井は軽トラの運転席を親指で指すと、其処には若き浦井パパが。流石に俺だって礼儀はあるよぉと笑う彼に対し、浦井少年はムスッと可愛らしい腕を組んでいた。
「俺が付いて行く。それが条件だかんな‼︎」
「分かったよ、」
参ったなぁと同じ様に腕を組む浦井。その二人の光景が可笑しく見えたのか、明堂と澤中は二人して地面に笑い転げた。笑い過ぎて息が上手く出来ないのか、苦しそうに涙まで浮かべている。後ろの門崎も若干笑みを浮かべているのだが、彼女らとの対比によってあまり楽しくなさそうにも見えた。
「こらこら、ええ歳した女子が床に寝るな。」
突然運転席から浦井パパが顔を出し、ガハハと笑う。リアルタイムで見ていた時もそうだったけれど、焼けた肌に頭に巻いたタオルは、音楽屋の経営者というよりも漁師の方が近い。実際釣りも好きだと言っていたし魚も捌けるんだから、余計に漁師と勘違いしてしまう。
「おやz…じゃなくて清吾さん!どうもこの度は世話になります。」
「この度と言わず何度も頼ってくれて良い。なんせ君等はうちの儲けなんだからな。」
またも彼はガハハと笑うと、乗った乗った、と浦井少年が軽トラの助手席に乗り込んだ。
「あそういや車って…、」
僕が咄嗟に浦井に聞くと、明堂も澤中も揃って軽トラを指差した。
「あれに乗るに決まってんでしょ!」
嬉しそうに笑顔で明堂がそう言うと、二人は軽トラの荷台へ登っていく。ほら、と浦井に押されて僕も門崎も乗り込むと、楽器に被せる用の大きなブルーシートに自分達も被さり、秘密基地の様な空間が現れた。
「凄い、夢だったんだぁ荷台に乗るの。」
「景色見えないけど良いのか?」
「それは惜しいけど…でも楽しい。」
楽しい、か。僕はさっきから背中を刺してくるスタンドに気が散って、痛いとこそばいの間で必死で耐えているというのに。それに僕は電車はまだしも、乗り物酔いが激しい。何時もなら酔い止めを飲んでくる筈が、うっかり一錠しか持って来ていなかったが為に、微かに頭痛と眩暈が脳を襲って来ている。
「哲ちゃん、なんか大丈夫?」
なんかって何だ、大丈夫じゃ無いよ。明堂達は兎も角貴方は知ってるでしょう僕が乗り物に弱い事を、と思いながらも、僕は答えた。
「全然大丈夫。」
そういえば似た様な光景を、僕は一度見た事がある。それは此処に来る前、つまりリアルタイムで、浦井一家の旅行に僕が巻き込まれた時の事だ。
「哲ちゃん、なんか大丈夫?」
なんかって何だ、大丈夫じゃ無いよ。あの時の僕も、確か同じ事を思っていた。
「全然大丈夫。」
すると浦井は、そう?なら良いけど、と平気そうな顔で言っていた。この鈍い奴め。お前は今日から親友だと言い出したのはお前だろう。親友だからって無理矢理家族旅行に巻き込んで、無理矢理トラックに乗せられて。逆にやってやりたい気持ちも無くは無いのだが、そんな事をしてもこいつは乗り物酔いはしないし単に喜ばれるだけだからしない。しない、という仕返しならした。
「そうだ哲ちゃん、しりとりしようよ。」
それ今かな。果たして今じゃなきゃ駄目かな。僕の本音はそうだった。
「良いよ。」
「じゃあ、りんごガム。」
「無視。」
「縞模様。」
「煩い。」
「胃袋。」
「露出狂。」
「唸り。」
「り、リ…?」
ねぇ、もしかして気付いてないか、僕が酔っている事。りんごガムは、僕が酔い止めの飴の代わりにしているやつで、縞模様は酔っている時の頭の中、胃袋は酔っている時の浮いている感覚、唸りはまさに今の僕の状態。
こいつ、絶対分かっててやっているんだ。そう分かった瞬間、僕は堪らなく悔しくなった。僕の口から言わないと対処しないって事か。くそ、やられた。僕は仕方なく、彼の求めている言葉を言った。
「リ、リタイア…、」
「よく言った。」
すると素早く浦井はトラックを止め、山道の中途半端な道でも休憩を取ってくれた。その時の浦井の顔が何と言ったら良いか…いや、優しい顔はしているのだけれど、元の顔が悪戯顔なだけあってうざい。彼の心配すらうざい様では、本当に僕等は親友でいられるのかと不安になる時が何度もあった。まぁ今こうして一緒にバンドを組んでいられるのが成立の証なんだろうが、まさかまた同じ状況が起きようとは。
「…しりとりする?」
今度は僕からのお誘いだった。早く思い出させて、何とか止めて貰おうと頑張った心算なのだが。
「良いじゃんしようしよう。」
と思いも寄らない声が耳に飛び込んでくる。その正体は明堂だ。
「じゃあ林檎~。」
「ゴリラ~。」
まさかのノリの良さは、反って僕を元気にさせた。こっそり聞こえた「すまん哲ちゃん」という声は一旦無視して、僕は仕方なくラッパと答える。思い出したんだろうか、僕は一応彼の表情を確認しておこうと顔を上げたが、彼は凄く笑顔だった。
「そうだ、念の為に曲聞いとこうよ。」
「そうそう、私もこんな早くから活動するとは思ってなかったから。」
「僕も賛成だけど、どうやって?」
きっとこの時代で5Gが通用するとは思えないし、そもそものネット環境が良くないだろう。いくらスマホを持っていたって、使えなきゃ意味がない。
「それがね、言ったでしょ俺は天才って!なんと俺がカメラの画面録画機能で保存したやつが聞けんのよ。ネット無しで。」
と浦井が自身のスマホをフリフリと見せびらかすように動かす。天才なのは誰もが認めたが、同時に彼はうざいという事も認められる。当の本人はそんな事も知らずにスマホのメディア音量をいじると、何時も僕等が勝手に演奏している、とあるバンドの曲が次々と流れていった。
今からやるのは此れだから、と事前に門崎と会議をして決めた曲を二人に発表する。そしてそれをループ再生で何度も聞き返してやれば、自然と指が、足が、動くのであった。
いよいよ目的地に着く。その頃にはもう酔いなんて麻痺していて、頭痛も眩暈も無く気持ちが良いくらいに回復していた。
「よし、じゃあ売れるぞ。」
という浦井のシンプルで直接的な掛け声に、皆がフッと笑いを漏らしてしまう。
「売れるって言ってもコピーでしょ。」
と軽く澤中が言ったのが分かる。それには僕も同意だった。これから売れるアーティストの曲を先回りして僕等が演奏するだけ。成功するのは間違いない筈だけど、なにかのきっかけに逮捕までの大事になってしまわないかとふと心配になる時がある。
「ま、気にしすぎか。」
「ん?哲夫何か言った?」
「いや、何も。」
僕は誤魔化し、荷台からの機材の積み降ろし作業に取り掛かった。
上手くいくと、良いのだけれど。まだ此方に来て間もないのに寂しく思うのは、僕だけなんだろうか。