第十七話 これは、時間の問題です
「これが、俺達が去年に作っていた曲の録音です。」
そう言って渡されたMDレコーダーを、斎藤さんが恐る恐る再生する。ちゃんと日付も去年のものだし、これでもし聞き覚えのある音源が聞こえてくれば、僕等はもう終わったと同然なものだろう。此処にいる皆は宙を見つめ、じっと耳を澄ます。たった一人、金沢イツクだけが、自信気にニヤニヤと浦井を眺めていた。こういう時、明堂を見ないのは教養があると言って良いのか、それとも唯コイツが女性を恐れているのかは分からない。けれど僕にとってはどちらにせよ不快な顔だ。グッと歯を噛み合わせながら、録音が再生されるのを待った。
カチャッ…ジー,ジー,ジー………、、、
イントロは、全くの同じ。そう、イントロは…。
(…???)
何が起こっているのか分からなかった。僕はMDレコーダーが再びかチャッと止まっても尚、その疑問符を永遠に頭の上に浮かばせていた。
「確かに、初めの方は似ているかもしれません。しかし、間奏が終わってからの音源がこんなにもうまく聞こえない様では判断は下し兼ねます。なんせ音質がとても荒い。本当にこれは録音したものなんでしょか、複数の音の合成ではありませんか?」
斎藤さんはまだ僕等が現状を理解していない中で、スラスラと話を進めていく。しかし相手も、こんな筈じゃ無いぞと大層困惑している様子。
問題のMDレコーダーは、イントロまでははうまく流れていたものの、途中から雑音が混ざり肝心の楽曲がほぼ聞こえなくなってしまっていた。
「も、もう一度流しても良いですか?」
「えぇ、どうぞ。」
そう言われ、今度は斎藤さんではなく金沢が録音を再生する。
カチャッ…ジー,ジー,ジー………、、、
そしてまた、イントロからが聞き取り辛くなった。まるで複数の音を継ぎ接ぎして重ねたみたいに、色んな音があちこちから聞こえてくる。
「なぁ、来る時、これちゃんと流れるか確認したよな?」
「したよ。何回もしたけど、こんなのにはならなかった。」
「うん、そうだよな…。」
おかしいなぁと首を傾げる“カスタムイエロー”一同。僕は困惑する彼等を見て安心する一方で、何故か笑みを浮かべている斎藤さんを見た。…いや、笑いながら怒ってるんだ。いつも一緒にいたからなのか、彼の笑顔と笑みの違いが薄ら分かるようになってきた。
「…私達は一体何を聞かされているんです?今日は元はというと打ち合わせがあったんです。それをドタキャンしてまでして、貴方達を受け入れた結果がこれですか。」
「いや、違うんです。本当にコイツらは、」
「パクリバンドと言いたいのですか?正直申し上げますけど、一年前から作っていた自分の楽曲を世に出す勇気もない貴方達が、勇気を振り絞って路上ライブから僅か半年でここ迄駆け上がってきた彼女達を侮辱する権利はありますか?おまけにパクリだと言われて、訳の分からない録音を聞かされて、一体何が目的なんです?」
「そ、それは…。」
金沢はどもって言い訳をする。本当にさっきまでは聞こえていたんだ、と何度も言う姿は、幾ら尊敬する人物だったとしても幼稚に見えた。
「本日はこれで、お引き取り下さい。では。」
そう言って立ち上がる斎藤さん。僕等も小さな会釈をした後、斎藤さんに続いて部屋を出る。
「おい、どうだった?」
ふと、事務所の廊下を歩いていると、何処からか田島さんが現れた。どうだったってどういう事なんだろう。斎藤さんはまぁまぁという微妙な顔で返事をすると、ちょっと来て下さいと僕等をまた別の部屋へ案内する。
「信じてるからな。」
そう去り際に言われた。
「こっちです。」
と、案内されるままに部屋に入れば、普段は会議室として使っている場所なのか、木柄の長机と黒い椅子が四角く並べられていた。
浦井はさっきの件ですっかり安心しきっている様子で、こんなのドラマでしか見れないと思ってただの呑気な事を言ってやがる。それに対して澤中と門崎と僕は、未だ警戒心を持ちながら、指定された席に座った。
「あの、今回の件なのですが…。」
斎藤さんは、自分から呼んでおいて居た堪れないという様に顔を顰める。一息ついて、次に口を開ける時に何を言うか。僕は大体の予想がついてしまった。
「私、貴方達をお迎えする前に、彼等が部屋で待つ間流されていたあの録音を、部屋の外からこっそり聞いていたんです。…確かに、ちゃんと流れていました。」
「…。」
何も、言えなかった。唯それに尽きる。驚きとかも申し訳無さとかも本当は感じているんだろうけど、それよりも今は悔しかった。どうせなら自分等の口から言っておいた方が良かったんじゃないかとも思う。なんであいつ等がでしゃばるんだ。なんで夢を持つ前に言ってくれなかったんだ。最早彼等に憧れなんて、これっぽっちも感じ無かった。
「…じゃぁ…分かったんですよね、俺等のやった事が。」
現実を知った浦井がそう口を開ける。顔は見ていないが、彼の声も幾分か低くなっていた。
「はい。…ですが、どうも信じられないのです。急に、知らない人達から“貴方達が人の曲を自分のものとして出していた”なんて言われても、貴方達の確かな熱意は否定できませんし、彼等の粗末な録音より、あの時の必死なライブの方がよっぽど私の心を打ちました。」
…そりゃそうだろう。あの時の僕等は、憧れの存在になりきっていたんだから。前のままじゃ絶対に訪れる事がなかった路上ライブの機会に浮かれ、全力を掛けて想いをのせていたんだから。斎藤さんは、まさか死んでまでして僕等がこの場を作ってきたという事は知らないし、予想もついていないだろう。家族の縁も捨てて憧れに辿り着いた時の高揚感は憧れの人への尊敬もを追い越す事を、この人は味わった事がないんだろう。そんな思いで、僕は斎藤さんを眺めていた。
斎藤さんは机を眺める様に俯いたまま、両手を組んで机の上に置く。
「だから、協力して貰ったんです。一旦は時間を稼ぐ為に、機械に詳しい田島さんにMDレコーダーを少しいじってもらいました。」
「…じ、じゃあ田島さんも、」
「本人には何があったかは伝えていません。だから今からでも遅くない、せめて綺麗に音楽活動を終われる様、努力していこうじゃありませんか。」
それは意外な提案だった。つまり、一度感動を与えてくれたバンドなんだから人の手では終わらせたくはない、という事なんだろうか。
「でも…もうカスタムイエローは自分達の存在を世に出すつもりでいます。だから今からと言われても、」
「カスタムイエロー?、如何して貴方達が彼等の名前を?」
「あ、それはその…、」
「書いてありました。MDレコーダーの裏に。」
「あぁ、成る程。」
僕の失言を補助してくれた門崎。僕は危うく、そうなの?と聞き返しそうになった。
「それで、私等はどうすれば良いんですか?」
これまでリーダーとしてニュートラルの顔を務めてくれていた明堂は、実はもう週刊誌が私達に目をつけていると衝撃の事実を告白した。
「何でそれそん時に言ってくれなかったの⁈」
「だって貴方達も旅ロケにつけられている事隠してたじゃない!」
「え、気付いてたの⁉︎」
「気付くに決まってんでしょファ…っ怪しかったんだから‼︎」
今ファンって言いかけたよこの人。明堂の咄嗟の判断に僕は心の中でサムズアップを掲げる。
「あの赤いヘッドホン、ロケバスの時からいたんだよ?そりゃぁ気付くて。」
「でも貴方達はしれっと見過ごして、私達には内緒ってか?えぇ?」
「違うよ気を使っての問題、」
「そんな気の使い方求めてませんけど?」
女子って時たま怖いよね。いつしか浦井がラジオで言っていた言葉を思い出す。冗談な事は分かっているんだけど、詰め寄りかたがプロというか、完全に相手を逃してやらんという意志がもろに出ている。
「ちょっと、兎に角皆さん話し合いません⁈、これからが大事なんですから!」
と斎藤さんが入る事で一層騒がしくなる会議室。しかもその斎藤さんも、有利な立場の筈があっさりと女子の威圧にやられてしまう。
そんな光景に、僕は思わず笑ってしまった。