第十話 打ち明けの場
斎藤さんの車が向かったのは、お好み焼き屋でもたこ焼き屋でもなく、極普通の和食屋さんだった。斎藤さん曰く一つ一つが個室になっている為話しやすく、メニューの幅も広くて美味しいんだそう。
「この山芋のやつがお勧めです。前に社長の奢りで来た時に、食べさせて貰ったんですよ。」
と、メニューを見ながら斎藤さんは言った。
「ところで、ニュートラルさん達はどういう集まりのバンドなんですか?高校の同級生とか、サークルとか?」
「あ、そうです。俺とてっ、哲夫は高校からの同級生で他は大学のサークルで出会ったんですよね。」
「そうそう、私と澤中ちゃんが中学からで、実は何年かこう、二人組で出来る将来の夢を一緒に考えないかって言ってて。」
「え、それ聞いてないぞ?」
浦井は机に前のめりになって興味深そうに口角をあげた。けれど僕は覚えてる。明堂は以前ライブ前にもこの話をし、出会った時にもこの話をしていた。明堂はえ、そう?みたいに誤魔化したが、斎藤さんがいなければ、お前普段からちゃんと人の話聞いてないだろと浦井は皆からお叱りを受ける事だろう。
「あー、という事は皆さん地元はバラバラなんですね、成る程分かりました。因みに門崎さんはどうなんですか?」
斎藤さんは皆が均等に接する様に気を使ったのか、机の端で唯黙って水ばかり飲む門崎に話題をふった。すると門崎は驚いて一度斉藤の顔を振り向いたが、相変わらず静かな様子に戻って、やっと口を動かす。
「…俺はサークルで舞台裏の仕事を担当するつもりが、浦井君に人数が足りないからって無理矢理誘われたのがきっかけで、このバンドに。」
「あ、じゃあ弾いていたギターはその時に?」
「はい。本当は直ぐに抜けるつもりだったんですけど、意外と楽しくて続けちゃってました。」
「へぇ…。凄いですね、普通バンドの人達って子供の頃から楽器を習っていた例が多いんですけど、そうじゃないのにあそこまで弾けるなんて。」
「ンフフ、ありがとうございます。」
あ、笑った。あの門崎が人の会話で笑った。
彼が状況に関わらず会話の中で笑い声をあげたのは、此処に来た初日以来の笑いだろうか。その珍しさに、僕等がどんな顔をしているんだろうと慌てて振り向くと、もうその頃には無表情になった門崎はペコッと小さく会釈をし、もう充分喋ったかなと話題をパスする様に逆に僕等がを見渡されていた。そしてそれを察した浦井が、まだメニューも頼まない内に新たな話題を生み出す。
「因みに、斎藤さんは何故舞台のお仕事をされてるんですか?」
「長くなるので大まかに言うと、親が役者をしていて、子供の頃から舞台の世界に憧れてたんですよ。でも演技は苦手だから彼等を支える舞台裏の仕事を探して、それが音楽のライブに変わって、今ですかね。」
「おー、大分ざっくり。」
「アハハ、そうですね。大分ざっくりですが。」
そう言って斎藤さんはメニュー表を手に取る。そろそろ頼まないと不味いからと笑っていると、本当に店の店員さんが個室の扉を開けて僕等の生存を確認しに来た。
「あぁすいません、今選びますから。」
と、僕等は焦らされる様にお勧めの懐石料理をそれぞれ頼み、それぞれ食べた。
そしてその後も話は盛り上がり、料理が一口減るのに約五分間ずつくらいの速さで時間が過ぎていく。何とも楽しい時間だった。
こうして僕等は飲み会を終え、いつの間にか家に着いている。
「本当に今日はお世話になりました、」
僕等は何度も頭を下げた。送迎もしてくれて、ちゃっかりお金も払ってくれていて。いっそ喜びよりも申し訳なさを感じる。
「いえいえ此方こそです。自分から担当につきたいとか言い出しといて仲良くなれなかったら如何しようかとちょっと緊張していましたが、明るい皆さんのおかげでその心配は必要なさそうです。ありがとうございます。では。」
斎藤さんはそう言うと、止まっていた車を発進させた。その顔や声に嫌味など一つも感じられず、その言葉にまた僕等は甘えてしまう。一回目だからこそ良いものの、此れが続けば飽きられるのは時間の問題か。
僕がそう思っていると、玄関から門の所まで奥さんがやって来た。
「あ、女将さんただいまです。」
「はいおかえり。」
一瞬出迎えてくれたのかなと思っていたが、そうではなくてインターホンの調節をしに来たんだと奥さんは言った。
「あの方が、前に言っていた貴方達のプロデゥーサーさん?」
奥さんはインターホンを押し、ちゃんと家の中と繋がっている事を確認すると、ついでだし聞いとこうと、僕等に目を向けた。それに僕等がはいと答えると、良い人そうねと言って家の中へ入っていく。
「…俺等も入るか。」
浦井は、人付き合いに疲れた様子をみせて、一度大きな深呼吸をした。
「そうだね、そうしよう。」
僕も、重たい足を持ち上げ、家へと向かう。
そういえば重要な事を忘れかけていた。
今日の飲み会の最後の方で、斎藤さんは今後の予定について何か話していたんだった。確か再来週くらいに、事務所の方でレコーディングを行い、僕らの曲(今の所二曲)をCDに焼くんだとか。期間は開くけれど、その間には何度か路上ライブを挟み、その手立ても斎藤さんが立ててくれた。正直な所、過保護だなぁと思う。楽器の貸し出しくらいはこちらでも手配できるし、なんならずっと浦井音楽スタジオにお世話になっていたい。けれどそれも用意され、路上ライブの場所もそれぞれに用意され、断るのも申し訳なく僕等は唯はいと頷く事しかできなかった。本来なら、路上ライブは事務所関係の仕事では無く、暇な期間があるならちょっとでも活動しておこうかと僕等が勝手に考えていたものである。
僕はそれらの日程をカレンダーに記しながら、そんな事を考えていた。おおっぴろに開いた窓の外を見ると、其処から見える折り曲がった家の向かい窓から、ふと富岳少年が現れる。大学ではあまり見なかったラフな部屋着を身に纏い、何やら本を開く富岳少年。僕がそれをじっと見つめていると、此方の視線を感じ取ったのか、相手も此方を見上げて目が合った。
「…ぁ。」
僕は気が付いた。彼は此方に手を振っているんだ。それも横にではなく、縦に。
つまり来いという事か。メンバーにはトイレに行くと伝え、僕はゆっくりと部屋を出た。そして全部屋を繋ぐ長い廊下を歩き、富岳少年の部屋の扉にノックをする。
「入って。」
そう、中から声が聞こえた。黙って扉を開けると、今度は窓越しにでは無く直接、近距離で目が合う。
「…なんで僕を呼んだの?」
部屋に入ったものの、何も起こらない状況に不安を感じて僕はぎこちなくそう聞いた。
すると富岳少年はいきなり立ち上がり、僕と向かい合う。
「君と僕、一度会った事あるよね。」
「…ぇ?」
「とぼけなくて良い。僕さ、君達と同い年の僕と、会った事がある。」
富岳少年の口から出てきたのは、小学生の見た目とはかけ離れた、大人びた台詞だった。
「半年前くらいだったかな。僕がいた施設に、丁度君達と同じくらいの僕が施設にやって来た。そして僕に会って、“君は将来幸せ者になる、素敵な人と出会う”って言ったんだ。」
「…。」
「その人の名前も教えて貰ったし、写真も見せてくれた。」
それが君なんだと、富岳少年は僕を見上げた。本当は僕は相手の話しやすい様に屈むべきなんだろうけど、彼の言葉を聞く内にそんな気使いは頭の外に飛んでいってしまっている。今、相手は何を言っているのか。僕はそれを考える事に精一杯だった。
この少年は、将来の自分が会いに来たと言っている。つまり行方不明になった富岳は僕らより前に、僕らの知らない所で死んだという事だ。もしかして行方不明という情報すら嘘なのかもしれない。死んで、それを知られたくないから行方不明と言ったとか。最悪、行方不明は本当で、事故で亡くなったか誰かに殺されたか。そうやって考えるだけでも頭が重たくなる事を考えて、僕はこの沈黙を誤魔化した。
「あそうだ、ついでに聞いても良い?」
しかし気まずさを破る様に、富岳少年は表情を崩して椅子に座り直す。
「良いよ…?」
「将来の僕もそうだけど、なんで君達は未来からやって来られるの?タイムマシンとかがあるの?僕すっごい興味があるんだけど。」
と、富岳少年はニコニコ笑う。こう見ると矢張り彼は小学生だ。おかげで僕は、多少は気を許す事が出来た。
「あー、タイムマシンは無いね、正直。」
「無いの?」
「うん、ない。」
「じゃあなんで?」
「それは言えない。」
まさか言える訳が無い。死んで過去に戻るなんて信じてもらえるとは思えないし、信じたとして死なれたら困るし。何より将来の自分の死因を考えさせるなんて過酷な事だろう。
「え〜なんでさ、教えてよ。」
「いや、知らない方が良い事だってあるんだよ。」
「僕は知りたい。」
「駄目。」
「知りたい。」
「駄目だって。」
そうして戯れている内に、ふと廊下では足音が響く。
「あ、不味い。」
富岳少年は途端に僕の腕を引っ張り、机の後ろに僕を隠した。それと部屋の扉が開くのはほぼ同時。入ってきたのは、奥さんだった。
「慎太郎?もうすぐ夕飯できるけど運ぶの手伝って貰っていい?」
「うん、分かった!」
「じゃあ頼むね、ありがとう。」
そう、静かに閉じる扉。僕等は一息付き、小さな緊張感の解放に、少しずつ笑いを溢した。
「じゃあもう戻るよ。」
「うん、ごめんね呼んじゃって。」
僕は机の陰から立ち上がり、扉に手を掛ける。念の為振り返れば、まだニヤニヤした富岳少年が、ありがとうと手を降っていた。
「僕の部屋は此処だから、何時でも遊びに来て良いよ。」
「お、分かった。じゃあまた時間があればお邪魔させて貰うよ。」
それは何時になるか分からないけど、と僕はこっそり付け足す。けれど何時かは本当に此処に寄る心算だ。この少年がそう期待している限り、応えない訳にはいかないだろう。
僕は今度こそ扉を開け、部屋を出た。
そして月日は瞬く間に経っていく。半年後には、僕等『ニュートラル』は、地方のラジオ局からのお誘いに受けていた。