風呂上がり、そして女装
イルセナ王国、城下町のとある高級宿。
岬はベッドに座って変化した右腕の調子を確かめていた。
肩から指先まで、黒い金属の鎧に覆われている。ごつごつしているが、決して重くはない。むしろ、体の調子はいいくらいだ。石壁を破壊したパンチも、全身の力が爆発的に向上していたから可能だったこと。
「……これ、どうやったら戻るんだ」
つぶやいた声に、返す言葉はない。ルイはここに着くなり「お風呂お風呂ー」と浴室に消えていった。
わからないことを考えてもどうしようもない。
腕よりもむしろ、岬にはこの部屋のほうが落ち着かなかった。
紫檀の家具、天井にはクリスタルのシャンデリア、腰掛けているのもやたらめったらふかふかのキングサイズベッド。ちらっと見た王宮の部屋より豪華だ。
壁にかけられた風景画も、なんか高そうなものに見えてくる。
目がチカチカする。岬は目をつぶって部屋のことを忘れようとした。
——王宮から脱出した2人は、城下町まで走り抜けた。
魔神の鍵の力で強化された岬は、ルイを抱えていても超人的な速度で走ることができた。追手をまき、ルイの案内でこの宿に入ったのだ。
逃走劇を思い出していると、風呂を終えたルイが部屋に入ってくる。
「やっほー。お待たせ。次入っていいよ」
声をかけられ、岬は目を開けた。
時がとまった。
あまりに美しかったからだ。部屋の壮麗さなどもはや目にも入らない。
瑞々しい素肌はシャンデリアの灯りに照らされ、輝くほどに純白。
鴉の濡羽のような髪は水滴を滴らせ、ほっそりとした首元に落ちる。水滴は鎖骨のくぼみで一瞬動きをとめたあと、すぐに重力を思い出して控えめな胸へと伝っていく。
浴室に置いてあったシャツはぶかぶかでワンピースになっており、曲線美を描く生足が惜しげもなくさらされていた。
ふいっと、岬は目を逸らす。
なんかエロかった。見ちゃいけない気がした。
と、ルイがむくれてみせる。
「なんで無視すんの」
「あ、やー、いや、すまん。無視したわけじゃなくて……そ、そうだ! これ、こんな豪華な部屋でよかったのか? 逃げてるわけだし、目立つとまずいんじゃ」
パニックになり、どうでもいいことを聞いてしまう。もっと聞くことはたくさんあるのに。
「風呂がついてない三流宿なんて絶対いや。それに、ここは国外の大商人が経営してる宿だから、国軍の追及もしばらくはかわせる。利用するのは王族や大貴族や大物国際指名手配犯とかばっかだから、プライベートも守られてるし」
「そ、そうか。すげえんだな。……ん? 指名手配犯?」
なにやら不穏な単語が聞こえた。不安になってくる。
ルイは棚から牛乳をとり、ソファーに身を沈めた。落ちた水滴のせいで革製のソファーに染みができる。
「って、ルイ。お前ちゃんと髪ふけよ」
「んー? めんどいー」
「めんどいって。せ、せっかく、……綺麗、なんだから。大事にしなよ」
「別に髪綺麗にしたって魔力があがるわけじゃないし。そんなに言うなら岬がやってよ」
ほっぽり出してたタオルを拾い、岬の足の間に座る。
岬は言われるがままタオルを受け取り、ルイの湿った髪を手入れする。
ルイの頭はちょうど胸くらいの位置でふきやすい。歳の離れた妹でもできた気分だ。
「な、なあ」
「なにー?」
「これなら明日から、その……一緒に入るか? そのほうが手っ取り早いだろ」
「ん? んー? いや、それはよくないんじゃないかな」
「なんでだよ。ここって風呂も広いんだろ?」
「そうじゃなくて……。あー、あ、そっか。そういうことか」
ルイは何事か納得し、岬に向き合う。
気まずそうな笑み。それもまたかわいらしくて困る。
ルイは哀愁を帯びたため息ひとつ、事実を口にした。
「僕男だよ?」
「……………………は?」
衝撃の一言。岬の頭がフリーズする。
「…………って、嘘つけえ! こんな可愛い男がいてたまるか!」
「ほんとだよ。よくまちがわれるけど」
「じゃ、じゃあ脱いでみろよ! そしたら信じてやる!!」
「ぶっ殺すぞ」
珍しくルイがキレた。
ーーーーーーーー
二時間後、ようやく岬は落ち着いた。
平常心を取り戻したことで、岬は聞くべきだったことも思いだす。
「なあ、この腕なんなんだ。てか、戻らねえんだけど」
「さあ? 魔神の腕じゃない? ちょっと貸して」
ルイが触れ、魔力を加えると鎧が消え、もとの腕に戻る。
「魔神?」
「そ。魔神の鍵って、もとは魔神を異世界に封印するためのアイテムらしいんだよね」
「らしいって、適当だな」
「大昔の話だし。僕が見たわけじゃないしね。言い伝えだと、世界の半分を焼き尽くし、人類は滅亡の縁に追い込まれ、倒すことはできなかったけど、当時随一の魔道士が異世界へ閉じ込めることに成功したんだってさ」
「異世界って地球のことだろ? なんちゅうもん送りつけてくれとんじゃ」
「世界はふたつだけじゃなくてたくさんあるから。それに、そのまま封印したわけじゃないし」
「どういうことだよ」
「勇者が聖剣で12個のパーツに切り裂いて、パーツごと別々に封印したんだってさ。だから岬の世界にも魔王のパーツならあるかもね」
「ふーん。じゃあこの腕は魔王が乗り移ってんのか? 気持ち悪い」
「さあね。僕がやったのは岬の魔核に鍵を同化させただけだし。鍵の魔力が体に流れこむから、それで身体能力があがることまでは計算だったけど、腕が変わったのは僕のせいじゃないよ」
「魔核って?」
「魔力は血みたいに体を回ってる。魔力の流れを生み出す心臓にあたる器官が魔核」
「あたし、魔力なんてないけど」
「人間である以上、多かれ少なかれ魔力は流れてるよ。使えないだけでしょ」
難解な説明に嫌気がさし、岬は「うがー!」と頭をかく。
「ああ、もう、なんでもいいや! とりあえず地球に帰してくれ。魔神の鍵とやらを取り出せば帰れるんだろ?」
言うと、ルイは「いやー」と目を逸らす。
「あのね、岬。さっきも言ったんだけど、鍵は岬の魔核と融合させちゃったわけね」
「ああ、言ってたな」
「融合は不可逆的な操作といいますかですね……。この僕でも鍵を取り出すのはちょっともう無理かなー、なんて」
「ばかやろおおおお!!」
絶望した岬が床を殴りつける。
「しょ、しょうがないじゃん! あそこで死ぬよりマシでしょ! それに、帰る手立てならあるし!」
「あるのか!?」
「さっきも言ったけど、魔神は12分割されて封印された。だから鍵も12個ある。別の鍵を使えばたぶんきっとおそらく帰れるよ、知らんけど」
「不確定すぎるのが不安だけど、まあいいや。他の鍵はどこにあるんだ?」
「明日になったら調べる」
「おい!! 知らねえんじゃねえか!!」
岬の追求を聞き流し、ルイはベッドに潜り込んで逃げた。
ーーーーーーーーー
一夜明け、2人は馬車に揺られていた。
目的地はイルセナ王国でもっとも東にある、グライツ辺境伯領。
“明日調べる”と言ったルイは本当に朝起きるなり調査に向かった。といっても特別なことはしていない。ホテルの受付に行っただけだ。
ルイは平気で本名を名乗り、経営者を呼んだ。岬はハラハラしていたが、「だいじょぶだいじょぶ。大商人とはコネがあるから」とすまし顔。
岬の心配は杞憂に終わり、本当に経営者らしき男が出てきた。ルイは「魔神の鍵の場所知らない?」と尋ねると、帰ってきた答えがグライツ辺境伯領。
というわけで、ホテルに馬車まで手配してもらい、2人は国土横断の旅に出た。
馬車はこれまた豪華で、寝泊まりするに十分な広さがあり、旅も快適に過ごせる。
ルイはソファーに身を横たえ、あくびをしている。岬は窓から景色を眺めていた。
「こんなのんびりしてていいのか……」
「いいのいいの。速馬なんて使えばかえって目立つじゃん。堂々としてりゃいいんだよ」
「つっても、あたしは日本に帰ればいいけど、お前はこの先どうすんだよ」
「国外に出ればどうとでもなるよ。ここの商人の伝手を使うのもいいし、別のパイプもある。魔導の才能を買いたいって有力者はいくらでもいるしね」
「そういうもんか」
「そういうもん。だからのんびり行こうよ。慌てたっていいことないよ」
かくして、ルイの言葉通りのんびりとした旅が続く。
グライツ辺境伯領に入り、領主の住む街までたどり着いたとき、2人は馬車を降りた。
降りてすぐ、布告用の看板が目に入った。岬はイルセナ語が読めないので、ルイが読み上げる。
「お尋ね者 元宮廷魔道士ルイ・エザルカ。14歳、男」
しっかり指名手配されていた。
「おー、思ったより動きが早い。布告が行き届くまでもっとかかると思ってたけど」
「のんびりし過ぎなんだよ! どうすんだよこれ!」
「どうするもなにも、……どうしようか」
早朝ということもあり、この場にいるのはルイ、岬、御者の三人。御者は商人の息のかかった人間で、布告は目に入らないふりをしている。
布告は文字だけで、写真や絵などはない。そもそも写真はこの世界にはない。手配書の情報は文字だけ。
と、岬は思いついた。
「14歳、男か……」
ちらと、ルイを見る。
「いけるな」
ーーーーーーーーー
数時間後。
岬は街の大通りを歩いていた。そばには愛らしい少女。
ベージュのセーターの上から薄いグレーのブルゾンを羽織り、フリルのあしらわれた白いロングスカート。髪は片側だけ三つ編みを作り、買ったばかりのピンでまとめている。
道ゆく人誰もが振り返るほどの美少女。
まあルイなのだが。
女装姿のルイはそこらの美少女では及びもつかない美少女っぷりを発揮していた。だれも男だとは気づいていない。
「いやー、意外とバレないもんだね」
「まあ、素材が素材だからな」
「ん? 素材?」
全身コーディネートした岬は自身の仕事で若干の達成感に浸っている。
「つか、さっきからブラブラしてるだけだけど、ほんとに調べてんのか?」
今、2人は魔神の鍵のありかを探していた。商人の情報網によればグライツ領にあるということだが、詳しい場所はわからないないからだ。
「ちゃんと見てるよ。魔力の込められたものは見るだけでわかるし」
「ほんとかよ」
「ほんとだってば。たとえばあそこの魔道具屋さんあるでしょ」
ルイが指差したのは通りに面した雑貨屋のような店。看板は出ているが岬には読めない。
ルイはてとてとと、店に近寄る。店主は奥のカウンターで眠そうに本を読んでいた。
軒先に並べられた商品を手に取りながらルイは続ける。
「お守りって書いてるけど、ほとんどが偽物。ただの装飾品だね。まあ、バカに持たせてやれば精神安定剤にはなるかもだけど」
「ひでえ言いようだな」
「けど、たとえばこれ」
ルイが手にとったのは赤い長方形の石。
「うっすら光ってるのわかる?」
「いや、ただの石にしか見えんけど」
「目に魔力を込めれば見えるけど、光ってるの。これに魔力を通せば」
石の上に小さな炎が現れる。ライターみたいだ。
「魔道具って、中に術式が保存されてるんだよ。だから魔力を通すだけで魔法が発動する。術式自体も魔力でできてるから、見ればその有無は確認できる。魔神の鍵みたいに高度で強力な魔道具があれば地下金庫に納められてても魔力は感じ取れるよ」
「へえ。じゃあ隠しようがないな」
「いや、普通は隠せるよ。ここまでしっかり魔力を見れるのって僕くらいのもんだからね。そこらの魔道士じゃ探し出せないよ」
「お前、口開くたびに自画自賛するよな」
「すべてに才能ある僕はすべの話題に自分の凄さが関連しちゃうんだよ。ちなみに、魔道具の中の術式を分析、改ざんもできるよ。こんな感じに」
ルイが石に魔力を込めると、特大の炎が飛び出した。
「うわっ やりすぎた」
驚いた拍子に石を落とす。異常に気づいた店主が駆け寄ってきた。
「こらああ!! なにやってんだお前ら!!」
怒りを向けられたルイは慌てる様子もなくうつむき、そしてすぐに店主にすがるような視線を向ける。
「ごめんなさい……触ったら、勝手に……」
潤んだ瞳、口元に置かれた手はいじましく、庇護欲を掻き立てられる。
店主はルイの顔を見るなりすぐに声の調子を変え、
「あ……い、いや、いいんだいいんだ。悪かったなあ、驚かして。勝手に火が出るはずもないんだが、不良品だったのかなあ……ところでお嬢ちゃん、いくつ?」
デレデレとニヤける店主にルイは答えず、「お姉ちゃん!」と岬の手に抱きつく。
店主と目が合った岬は軽く会釈してその場を立ち去った。
しばらく歩いたところで、ルイがぼそっと呟く。
「おっさんチョロ」
「黙ってろ」
ぺしっと、ルイの頭をはたいた。
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1日かけて街中を巡り終え、夕刻。岬はオレンジ色の空を見上げた。
「そろそろ暗いけど、今日の宿どうすんだ?
「ん? 泊まりはしないよ。忙しいし」
「忙しい?」
ルイの言葉の意味するところがわからず、眉根を寄せる。
「鍵の場所、領主の城だろうね。今晩、盗みに入る」
「盗むって、……借りれたりしないのか?」
「大丈夫。王宮の警備だって抜けれた僕だよ。たかが辺境の伯爵城くらいわけないさ」
「王宮の警備……って、お前まさか」
「うん。召喚に使った鍵、王宮の宝庫から盗んだ。使い道もわからない王族どもの手で倉庫の奥で眠らせておくなんて、せっかくの魔道具が泣いてると思わない?」
「思わねーよ、バカ」
とんでもない人間に召喚されてしまったものだと、岬は頭を抱えた。