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安倍之魔巣駆

作者: はの

 高知県。

 日本の都道府県の一つであり、豊かな森林と青い海に囲まれている。

 温暖多湿な気候で亜熱帯植物が自生し、まびたび訪れる台風の猛威から特有の風土をつくりあげている。

 そんな自然豊かな土地で、子供たちは自然の恵みを命一杯浴びながら、すくすくと育っている。

 

「だから、先週言ったでしょ? その恋は実らないって!」

 

「ううう。でも、諦められなかったんだもん」

 

 高知県立龍馬高等学校。

 二年A組の教室では、朝から女子生徒たちが恋バナに花を咲かせる。

 そして、恋バナの中心にいるのが、神崎麗かんざきうららだ。

 麗は、有名な占い少女だ。

 高校の中では知らない者はおらず、その名は他校にまで知れ渡っている。

 有名な理由の一つに有名な霊視占い師を母に持つことはあるが、それ以上に麗の占い結果は当たるのだ。

 百発百中を、言葉通りに使用する。

 

「元気出して。次は、相性が良い相手を占ってあげるから」

 

「うう……ありがと……」

 

「あ、ずるい! 私も!」

 

「私も占ってよ! もう三か月も彼氏いないんだよ!?」

 

「はいはい、順番ねー」

 

 女子生徒たちの熱狂ぶりはすさまじく、チャイムの音など聞こえなくなるほどだ。

 

「おーいお前ら。朝のチャイムなったぞー。ホームルーム始めるから席に着けー」

 

「はーい」

 

 称賛の声を浴び続けた麗の興奮は、朝から最高潮に達していた。

 

(ああ……だから止められないのよね……!)

 

 同級生から、先輩後輩から、男女から。

 あらゆる人に必要とされる現状は、麗の承認欲求を満たしてくれる。

 ホームルームが始まってからもちらちらと向けられる視線に、麗の興奮はいつまでも続く。

 

「今日は最初に、転校生を紹介するぞ。おーい、入って来なさい」

 

 が、教師の一言で、麗への視線は消えた。

 転校生。

 その滅多に聞かない響きに、クラス中の関心が転校生の存在へと向く。

 

(ぐう、私の視線を! まあいいわ。転校生への視線なんて、どうせ一時的な物でしょ)

 

 奪われた視線に不快感を示しながらも、麗も転校生への興味半分に、転校生が入って来るだろう教室の扉に注目する。

 

 教室の扉が開く。

 最初に麗の目を引いたのは、太陽のように赤い髪。

 赤い髪は、転校生の目をすっぽり隠すほど長く、髪の毛の隙間から見える黒い瞳は濁っていた。

 

「あー、転校生の安倍晴龍あべせいりゅうくんだ。皆、仲良くするように」

 

 安倍晴龍は、視線だけでクラスを左から右に見渡して、無言でぺこりと頭を下げる。

 

 暗そうな男子。

 クラスの全員が、同一の感想で一致した。

 

「じゃあ、安部くんの席はあそこだ。それと、今日は転校初日だから見逃すが、その前髪は校則違反だからな。明日までに、切ってくるように」

 

「…………はい」

 

 晴龍は、教師の指した席へと向かう。

 麗の隣の席へと。

 

「よろしくね、安部くん」

 

 麗は、外向け営業スマイルで晴龍へと挨拶する。

 が、やはり晴龍は無言で頭を下げるのみ。

 表情一つ変えないまま、席に着いた。

 

(くっら……! なんだこいつ! せめて挨拶くらい返せよ!) 

 

 麗は内心で憤慨したが、すぐに興味を晴龍から逸らした。

 こいつはどうせ孤立するだろうと、麗は晴龍を友達リストに追加することなく、削除した。

 

 一時間目が終わり、最初の休み時間。

 予想通り数人が、転校生への物珍しさから晴龍の席へ訪れる。

 

「安部くんって、どこから転校してきたの?」

 

「…………香川」

 

「うどん県じゃん! やっぱ毎日うどん食ってんの?」

 

「…………いや」

 

「この時期に転校って珍しいよね!」

 

「…………まあ」

 

 が、晴龍の素っ気ない返しに、一人、また一人と、晴龍への興味を失って席から離れていった。

 二回目の休み時間には、晴龍の元を訪れる生徒はいなくなっていた。

 

 昼休み。

 コンビニで買っただろうパンを取り出して一人で食べる晴龍の横で、麗は机をくっつけて六人の島となった席で、楽しそうにおしゃべりしながら弁当を食べていた。

 

「で、占いなんだけどさー」

 

「いつやってくれる?」

 

「んー。じゃあ、今日の放課後とか!」

 

「オッケー!」

 

 話の中心は、やはり麗。

 朝に中断された占いの話題が再開される。

 

「霊力整えて準備しとくね! ドーマ様!」

 

 ドーマ様。

 昨今、女子中高生の間で流行っている占いの一つ。

 占いの方法としては、コックリさんやエンジェルさんと同様に、文字が書かれた紙の上に硬貨を置き、参加者全員の人差し指を硬貨へ添え、力を抜く。

 そして、ドーマ様に質問をすると、硬貨が勝手に動いて文字を示し、質問に答えてくれると言った流れだ。

 

 高校には、麗以外にもドーマ様を主宰する生徒もいるが、麗の行うドーマ様が最も正解率が高いのだ。

 それゆえ、麗のドーマ様には人が集まる。

 

「なあ、お前」

 

 占いの予定でキャッキャッとはしゃぐ麗たちに、正確には麗に、突然声がかけられる。

 突然のことに麗はビクッと驚き、声の主を見て二度驚く。

 

「あ、安部くん? どうしたの?」

 

 転校生の晴龍がいつの間にか後ろに立ち、麗を見下ろしていた。

 

「承認欲求満たすだけのインチキならやめとけ」

 

「……は?」

 

 晴龍はそう一言言い放ち、麗の返答を聞くことなく麗のもとを去り、教室のゴミ箱にパンを包んでいたビニール袋を捨ててから教室を出ていった。

 残された六人は、ポカンとした表情で晴龍を見送った。

 

「なにあれ!?」

 

 最初に怒りのまま言葉を発したのは麗だった。

 転校生として紹介された時も、麗が挨拶をした時も、沈黙を貫いていたにも関わらず、突然饒舌に話したのだ。

 それも、麗の占いをインチキと言い放つ形で。

 麗が怒るのもやむを得ない。

 

 麗の言葉に追随し、他の五人も次々と言葉を吐き捨てる。

 

「まったくよね!」

 

「突然、意味わかんない!」

 

「頑張って女の子と話したかったんじゃないの? めっちゃ間違えてるけど」

 

「まじでそれなら、コミュ障すぎでしょ!」

 

 好き勝手に放たれる悪口に、麗の心は少し軽くなった。

 共感を得られると、気が楽になるものだ。

 

「ま、ほっとこ。せっかくのお昼が台無しになっちゃうし」

 

 いくぶん気持ちが落ち着いた麗は、てきとうなところで晴龍の話題を切り上げて、お昼ご飯を楽しんだ。

 

 放課後の教室。

 麗と五人の女子生徒だけが室内に残り、二つの机を繋げて一つの台を作っていた。

 台の上には紙が広げられ、紙には〇から九の数字が十個と五十音表、そしてドーマンと呼ばれる横線五本縦線四本から成る格子状の印が書かれている。

 

「さ、始めるわよドーマ様」

 

 紙の上に五百円硬貨を一つ置き、六人全員が人差し指を硬貨に乗せる。

 なお、この五百円玉は、占いを受ける人間が持参したものである。

 ドーマ様が始まると、ドーマ様が硬貨に乗り移り、質問に答えてくれる。

 そして、ゲーム終了後はドーマ様の主催者、つまりは麗が五百円硬貨を回収するのだ。

 名目上は浄化のためだが、事実上の占い料。

 

「ドーマ様、ドーマ様。お越しください」

 

 麗の言葉で、ドーマ様が始まる。

 

「ドーマ様、ドーマ様。お越しください」

 

 他の五人が、麗の言葉を繰り返す。

 

 硬貨がゆっくりと動き始め、ドーマンの上へと移動する。

 ドーマ様が、硬貨に降臨した合図。

 

「わっ! 動いた!」

 

「いつ見てもすごーい! 私、全然力入れてないのに!」

 

「私もー!」

 

 ドーマ様の奇妙なところは、力が加わってないはずの硬貨が、勝手に動くことである。

 事実、ここにいる五人は、誰一人として力を入れていない。

 

 

 

 そう、五人は。

 

 

 

 唯一、麗だけが、指先に力を入れている。

 六人の人差し指が添えられた硬貨は、麗一人の自由意思によってのみ紙の上を動き回る。

 

「ドーマ様、ドーマ様。この学校にいる、サエと最も相性のいい男子の名前を教えてください」

 

 麗の質問に対し、硬貨が動く。

 否、麗によって動かされる。

 

「こ・ま・つ・は・る・と」

 

「ええー!? サエ! 小松くんだよ小松くん!」

 

「え、え? 小松くんって、サッカー部の小松くん?」

 

「他に誰がいるの!」

 

「どう、どう? 小松くんはアリ?」

 

「え!? えーっと。……うん、アリかも」

 

「きゃー!!」

 

 ドーマ様によって導き出された名前に、女子生徒たちはキャッキャとはしゃぐ。

 それもそのはず。

 ドーマ様が示した相手への告白成功率は百パーセントなのだ。

 つまりは確約された運命の相手。

 

 なお、すべては麗の情報収集能力による。

 麗は、占い師を母に持つ肩書と、占いをしてきた人間の個人情報を得ることで、高校中の恋愛関係をほとんど網羅していた。

 片思いから両想いまで。

 今回も、サエに片思いしている男子生徒の名前を示したに過ぎない。

 が、そのからくりを知らない五人にとっては、ドーマ様という占いによって導き出された結果だ。

 

「初デート! 初デートの場所聞こうよ!」

 

「そうだよ! せっかくの初デートなんだから、絶対成功させなきゃ!」

 

 話は既に、サエの告白の成否を飛び越えて、初デートへの場所へと変わっていた。

 頬を赤く染め、恥ずかしそうにするサエの頭の上で、次の質問が組み立てられていく。

 

「じゃ、じゃあ、初デートの場所を……」

 

「オッケー。ドーマ様、ドーマ様。サエと小松くんの初デートでお勧めの場所を教えてください」

 

 麗は知っている。

 小松くんが、初デートの場所は絶対に水族館がいいと言っていたことを。

 だから、麗が硬貨で移動すべき文字も、決まっていた。

 

「え!?」

 

 決まっていたはずだった。

 硬貨は、麗の意思を無視して動き始めた。

 

「ど・お・ま・さ・ま・の・は・ら・の・な・か」

 

 先ほどとは打って変わって、場がシンと静まり返る。

 

「な、なにこれ? どういう意味?」

 

 サエが怯えるような視線を麗に向ける。

 サエに追随して、他の四人も視線を麗に向ける。

 が、視線を向けられた麗が、この場の誰よりも怯えていた。

 

「あり……えない……」

 

 未だに、目の前で起きたことを咀嚼できていなかった。

 

「ありえない! 硬貨が……勝手に……」

 

 麗の告白は、この場にさらなる混乱を巻き起こした。

 

「ありえないって何!?」

 

「勝手にってどういうこと!?」

 

「ね、ねえ! 指が離れない!」

 

「嘘!? ほ、ほんとだ! とれない! どうして!?」

 

 興奮から混乱へ。

 混乱から絶望へ。

 絶望から怒りへ。

 目の前に起きるただ事でない状況への怒りは――。

 

「ちょっと麗! あんたのせいでしょ! 何とかしなさいよ!」

 

 占い師である麗へ向いた。

 

「そ、そんなこといっても! 私だって何が何だか!」

 

 麗に、霊感はほとんどない。

 凡人よりもあるが、誤差の範囲でしかなく、霊の存在も実は懐疑的である。

 よって、何を言われようが、麗もまた他の五人と同様に、怯えるほかなかった。

 

 硬貨から、突然シューシューという音と共に、黒煙が登る。

 黒煙は、天井にぶつかって黒雲のように広がり、黒雲からは黒い霧が降ってくる。

 もはや、怒りの声をあげる者は一人もいない。

 

「あ……あ……」

 

 ただただ目の前の光景に恐怖し、二人ほどが恐怖のあまりに失禁をする始末だ。

 

 窓がガタガタと揺れる。

 机と椅子が、まるで貧乏ゆすりでもしているように、ガタガタと揺れる。

 

 

 

「いただきます」

 

 

 

 そして、大声と共に黒い霧が集合し、サエの口の中へと入っていく。

 

「う……むぐ……んんん……!?」

 

 サエは苦しそうにもがいた後、意識を失った。

 人差し指が硬貨から離れ、その場に抵抗もできず倒れた。

 

「ちょ!? サエ!?」

 

「どうしたのサエ!!」

 

「やばい! まじでやばいってこれえええええ!!」

 

 サエに続いて一人。

 また一人。

 さらに一人。

 

「いや! いやあああああ!?」

 

 止まらずに一人。

 次から次へと、黒い霧が口の中へ入っていき、意識を失わせていった。

 残されたのは、麗ただ一人。

 

 麗は、黒雲を唖然と見つめていた。

 次に黒い霧が集合した瞬間、自分も他の五人のように意識を失うのだろうと考えると、体の震えが止まらない。

 いや、意識を失うというのも麗の希望的観測で、実際その後に目覚めるかは未知である。

 麗は腰を抜かし、その場にへたへたと座り込んだ。

 人差し指が硬貨から離れないので、腕を机の上に伸ばしたままという、なんとも不格好な体勢だ。

 

「誰か……」

 

 辺りを見回すも、誰もいない。

 普段は見周りが鬱陶しいと思っていた教師さえ、今日に限ってやってこない。

 

「誰か……助けてええええええ!!」

 

 黒い霧が集まり始める。

 まるで、黒雲から腕が伸びるように。

 

 

 

 ガラリと、教室の扉が開くのは同時だった。

 

「承認欲求満たすだけのインチキならやめとけ、そう忠告したよな?」

 

 縋るような麗の瞳が、教室へと入ってくる晴龍の姿を捕らえた。

 

 晴龍は、教室の様子を確認すると、黒い霧を指差して呟く。

 

晴児せいじ

 

 晴龍の指の先に小さな火の玉が現れ、黒い霧へと向かって発射される。

 火の玉は黒い霧に触れると、黒い霧を包むように燃え広がった。

 数秒間燃えた後、火の玉は徐々に小さくなり、煙のように消えた。

 後には、教室の天井に貼り付いた黒雲だけが残った。

 空っぽになった空間に、黒雲は再び黒い霧を降らし始める。

 

「……え?」

 

 何が何だかわからないと言った顔で麗は晴龍を見ると、晴龍の後ろから一人の女子生徒が現れた。

 麗にとって、見覚えのある人物。

 女子生徒は、内巻きボブの青髪をフサフサと揺らしながら、小走りで麗の元へ駆け寄る。

 

「神崎さん大丈夫ー? 口の中、ニガニガーってするよね? ニガニガーって?」

 

「あ、えっと? 隣のクラスの……雨唯ういさん?……う!? ゴホッ!? ゴホォッ!!」

 

 麗は安部雨唯あべういの言葉で、急速に口の中の感覚が脳へと伝わり、この世の物とは思えない苦みを感じて思わずせき込んだ。

 僅かに口の中に入った黒い霧が、麗の味覚を刺激したのだ。

 雨唯はポケットから飴とマスクを取り出して、麗へと差し出す。

 

「はい、飴ちゃん嘗めて! アマアマーってなるから! アマアマーって! 飴ちゃん嘗めたら、ちゃんとマスクしてね! 黒い霧を全部は防げないけど、多少はマシになるから!」

 

「え? あの?」

 

「甘いの嫌いだった? イチゴ味じゃなくてレモン味にする? スパスパーってなるよ? スパスパーって」

 

「ア、イエ、イチゴダイスキデス」

 

 想定外の出来事が繰り返されると人は思考が止まるようで、麗は雨唯の差し出すままに飴を舐め、マスクをつけた。

 

「あ、ほんとだイチゴ」

 

「アマアマーってするでしょ?」

 

「うん、アマアマーって……じゃなくて! さっきの! さっきの何!?」

 

 麗が腰を抜かしたまま、再び晴龍の方を見る。

 晴龍は教室の中に入り、何度も集まり始める黒い霧に火の玉を当てて、何度も黒い霧を燃やしていた。

 

「いつまで餓鬼の遊びみてえなことしてやがる? さっさと出て来い」

 

 青龍の言葉に、黒雲から降っていた黒い霧が止まり、代わりに黒雲が一か所に集まり始めた。

 黒い雲は、まるで黒い卵のような形を作って天井付近を浮き、底にピシリとひびが入った。

 

「図に乗るなよオぉおォおおォ! 人間がアああぁアァ!!」

 

 ひびの位置から黒い卵の殻は砕かれて、太い腕が二本現れる。

 二本の腕は左右に開かれ、卵の殻に空いた穴をバキバキと広げ、穴から顔が突き出される。

 

「ひっ!?」

 

 穴から出てきた顔は、人間のそれではなかった。

 額から伸びる長い角。

 真っ赤な肌。

 岩のようにごつごつとした輪郭。

 蛇のようにぎょろっとした目。

 人々は、それをこう呼ぶ――鬼と。

 

 鬼が顔を出すと同時に、卵の中から先程よりもどす黒い、視界を塗りつぶすような漆黒の霧が噴出される。

 漆黒の霧は教室を漆黒で埋め尽くさんと広がり、広がり始めたばかりの漆黒のかけらが麗の前を通過する。

 瞬間、麗はマスクの中で大きく咳き込んだ。

 口を両手で押さえ、必死に咳を止めようとするも、止まらない。

 先の黒い霧よりも漆黒の霧が恐ろしいものであると、麗は体で理解した。

 

「これはねー、妖気なんだよー」

 

 が、そんな中、雨唯はケロッとした顔で咳き込む麗を見ていた。

 

「妖気って言うのは、妖が放つ煙みたいなやつでー、吸い込むとゴホゴホーってなるんだよ! ゴホゴホーって!」

 

 貴女はなってないじゃん、なんて叫ぶこともできない麗は、そのまま床にうずくまる。

 

「なにしてんだ雨唯。ちゃんと守ってやれ」

 

「はいはーい!」

 

 雨唯は、自分と麗の上に屋根でも作るように、手の動きで弧を描いた。

 

雨宙空間うちゅうくうかん

 

 雨唯の手からは水が噴き出し、手の動きで描いた弧の後に、水の曲線が作られる。

 水で作られた弧は、線から面へと広がっていき、テントのように雨唯と麗を囲んだ。

 二人は水の壁によって、周囲の漆黒の霧から完全に隔離された。

 さらに、面はさらに広がって立体となり、テントの中を水で埋め尽くした。

 

 突然水中へ放り出された麗は、焦りながら呼吸を止め、雨唯の方を見る。

 

「大丈夫! 呼吸できるよ! スハスハーってやって? スハスハーって!」

 

 が、麗の想像を軽く超え、雨唯は水中で呼吸し、会話までしてきた。

 麗は恐る恐る、少しだけ口を開く。

 口の中に水が入って来るが、溺れるような感覚はなく、水が酸素を運んで喉の奥に放り込んでくる不思議な感覚を得た。

 

「息ができる? しゃべれてる……?」

 

「できるよー! しゃべれるよー!」

 

 仕組みは全くわからないが、麗はひとまず溺没の危機と漆黒の霧による苦痛から解放されたことに胸をなでおろす。

 そしてすぐに、雨唯へと言葉をぶつける。

 

「あ、あなたたち……いったい!?」

 

「私たちはねー、陰陽師!」

 

「陰陽師?」

 

 陰陽師。

 平安時代に最も栄えた、陰陽道によって占いや行政に干渉していた一族である。

 一説には、平安の都に蔓延る妖を退治していたとも言われる。

 

 麗は、晴龍と鬼の方を見る。

 鬼は完全に卵からその姿を現し終え、晴龍の前に立っていた。

 身長はざっと晴龍の倍。

 右手には晴龍の身長に匹敵しそうなほど巨大な棍棒を持っている。

 

「おオぉおオおぉおォぉぉおオオおぉオ!! 虫けラのよウニ潰してやル!! 人間ガあぁ!!」

 

 鬼は、威嚇するように叫んだ。

 鬼の吐く息によって、漆黒の霧が息に沿って動きを変え、雨唯の作った水のテントが波打つ。

 が、驚く麗とは対照的に、晴龍は涼しい顔で鬼を見下していった。

 

「ただいまより、妖を滅する」

 

 そして、ポケットからこの世の物とは思えないほどに真っ白なマスクを取り出し、口へとつけた。

 瞬間、晴龍の体が白い光に包まれ、周囲の漆黒の霧が霧散する。

 

「んナ!?」

 

 それは、一見ただのマスクの形をしていた。

 が、れっきとした陰陽師の防具。

 触れるだけで人体を傷つける妖気を払いのける。

 

 名を、アベノマスク。

 

「私たちは安倍晴明の子孫でねー、アベノマスクは安倍晴明のお母さん、九尾の狐の尾からできてるんだよー! アベノマスクをつけたら、九尾の狐の強大な加護を受けれるのー! もう、スゴスゴーって感じでしょ? スゴスゴーって!」

 

「安倍晴明……。九尾……」

 

 平安時代、九尾の狐は願った。

 陰陽師として生きる我が子が、妖に殺されませんようにと。

 九尾の狐の九本の尻尾は、九本の生命の塊である。

 人間一人を生き返らせることが可能な程度に、巨大な生命の塊。

 九尾の狐が持つ偉大な母の愛は、己の九本の尻尾を使って、九枚のマスクを創り上げ、安倍晴明へ渡した。

 安倍晴明を生涯守ってくれますようにと、アベノマスクという名をつけた。

 

 平安時代、安倍晴明は願った。

 陰陽師として生きる子孫たちが、妖に殺されませんようにと。

 安倍晴明が持つ偉大な父の愛は、アベノマスクによって自身の寿命を延ばす選択をせず、後世の子々孫々たちの安寧を祈り、九人の子供にそれぞれを託した。

 妖から人間を守り続けるようにという、使命と共に。

 

「アあ……通りデ……! どオりデ胸ノいらつキが止マラねえト思っタぜえエえェ!!」

 

 鬼の遺伝子には、平安時代に安倍晴明によって滅された鬼の嘆きが刻み込まれている。

 鬼は嘆きの感情に従って、棍棒を晴龍へと振り下ろす。

 

「死ねエエええええエェぇぇェ!!」

 

 晴龍は棍棒をひらりと横へ交わし、棍棒が床に叩きつけられる。

 爆発音に似た巨大な音が響き、教室の床がべこりとへこんだ。

 

「ちイっ!?」

 

「きひひ……!」

 

 鬼の攻撃に臆することなく、晴龍は笑った。

 

「きやーははははははは!! ぶっ殺おおおす!!」

 

 人が変わったように、笑った。

 

 晴龍は、そのまま床を蹴って鬼の方へと飛び込む。

 巨大な棍棒を持つ鬼は、晴龍の動きへの対応が遅れ、懐への侵入を許してしまった。

 晴龍は悠々と鬼の左胸に、自身の掌を当てる。

 

「地獄へ還りやがれえええ!! 陰陽術・晴貫せいかん!!」

 

 そして、晴龍の掌から放たれた巨大な炎の槍が、鬼の左胸をくりぬいた。

 

「ガ……はァ……」

 

 心臓を焼き潰された鬼はその場に力なく倒れ、全身が黒い霧となって霧散した。

 

 

 

「嗚呼、忌々しい……。忌々しいぞ晴明……!」

 

 鬼だった黒い霧が再び集まり、人間の形を成していく。

 先の鬼とは異なる、人間の老人の形へと変わっていく。

 

 それは、ドーマ様を流行らせた存在。

 ドーマ様に群がる人間を喰い続ける鬼を、束ねる存在。

 安倍晴明のライバルにして宿敵。

 

「よお!! いつまでこんな雑魚鬼で遊ぶ気だ? さっさとてめぇが殺されに来な!! 道摩法師!!」

 

「晴明……! 晴明いいい! 千年経ってなお、わしの邪魔をするか!!」

 

 鬼のような表情で叫ぶ道摩法師は、その勢いとは裏腹に輪郭がぼやけ始め、最後には黒い霧へと還っていった。

 

「お疲れー」

 

 妖がいなくなったところで、雨唯は水のテントを消し、晴龍の元へ駆け寄った。

 

「…………ああ」

 

 晴龍もまた、アベノマスクをはずし、雨唯に応じた。

 そして、二人仲良く教室を出ていく。

 突然水中から放り出され、床にしりもちをついた麗に手を差し伸べることもない。

 晴龍にとって、陰陽師は妖から人間を守るが、それ以外で守る必要はないもの。

 

「…………今晩のことは、誰にも言うな」

 

 麗にただ一言を残して、晴龍と雨唯は去っていった。

 

 

 

 

 

 

「あー、昨日転校してきた安倍晴龍くんだが、親の都合で今日また引っ越してしまった」

 

「「「ええー!?」」」

 

 翌日、晴龍と雨唯は学校から姿を消した。

 へこんでいた床もいつのまにか元通り。

 一緒にドーマ様をした友達は、昨日のことを覚えていないようで、いつも通りに登校していた。

 ただし、麗の記憶にだけは、昨日の記憶が鮮明に残っていた。

 

「ねえ麗、またドーマ様やってよ! 知りたいことがあってさー」

 

「うーん。ごめん、もうドーマ様できないんだ」

 

「えー!? なんで!?」

 

「見えなくなっちゃったから……かな」

 

 麗は窓の外を見る。

 結局、晴龍のことも雨唯のこともよく分からないまま。

 感謝の一言も言えずじまい。

 しかし、ドーマ様に素人が関わっては駄目だと言うことは理解した。

 

 麗は心の中で二人に感謝し、以降、占いをすることはなくなった。

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