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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
9章.奮闘記
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94.探し物 -後編-


下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.94「探し物 -後編-」


「え...?」

私は少女の目を見た。焦って引き留める訳でもなく、それでいて当てずっぽうで冗談を吹っ掛けているようにも見えない。何故そんなことを聞いたのか尋ねてみると

「何となくね。なんか物凄くやつれた顔してるし。」

そう返してきた。言われるまで気づかなかったが、初対面の子に心配される程の顔色だったらしい。そう思うと何だか自分が情けなく思える。

「なんか温かいもの作ろっか。うどんか蕎麦ならどっちがイ?」

「おいおい、大丈夫だって。そんなにしなくても。」

「聞いてるの。それともお腹空いてない?」

何もかもを用意しようとしてくるので、私はどう断ろうかということで頭が一杯になっていた。財布を無くしていなければもう少し気前よく出来るのだが、こんな状況ではお互いにとって不利益な事態になりかねない。

「気にしないで大丈夫だから。」

しかしまだ外の雨は弱まっておらず、その音が店内からもよく聞こえている。本当は少しゆっくりしていきたいと思うのだが...。私は少女に値段を聞いた。すると...

「え?別に良いよ、お代なんか。」

「そういう訳にもいかない。それを作る材料だってタダじゃないだろう?」

「うーん、そう言われてもなあ...。メニューにないから幾らとか分かんないし。」

「じゃあ五百円でどうだ。足りないならもっと出す。」

「持ってないでしょ?良いから良いから。」

「取りに帰ればあるさ。大丈夫。」

「別に良いよ。それにあんまりお金の話ばっかされるの、気分良くない。」

「そ、そうか。」

少しパニックになりかけていたようで、金銭の交渉話ばかりになっていたことに漸く気づく。ふと目線を上げると少女が苦笑いを浮かべていて、私は自身の失礼さを恥じた。

「作りやすい方で結構です。」 

反省の意識を胸に、優柔不断だった私はその選択権を彼女に渡した。が、

「どっちも大して変わんないよ。」

と、笑顔で言われる。どうしようか頭を悩ませていると

「まあいいや。じゃ、おまかせってことで宜し?」

と言ってくれたので、それでお願いすることにした。

「おーけー。」

少女はそう返すと、軽快な手際で料理を作り始めた。


「ここら辺の人?」

少女が聞く。

「え?ああ、まあ。」

「そうなんだ。仕事帰りな感じ?」

「...まあ、そんな感じかな。」

「一直線に帰宅って偉いね。うちんとこ、二軒目で来る人も多いからさ。」

「あまりお酒を飲まないもので。」

「そうなんだ。」

「あ....すまない、失言だったね。居酒屋なのに。」

「え?いやいや。珈琲だけ飲みに来る人もいるし大丈夫だよ。」

居酒屋にも色んな客層がいるそうだ。私が外で飲んだことがなかったことを打ち明けると、少女は驚きの反応を見せた。おまけに歳も聞かれ、三十四と伝えると尚更驚かれた。娯楽の分からぬ人生を十数年と過ごせば何も感じなくなる。自分がこの子と同じ頃だった時も、学校外で遊んだことなんか殆どなかったのだから。少女は聞いた。

「どう?初めての飲み屋は。」

「感想がまとまらないけど、何か実家に帰ったみたいだ。」

「おー。嬉しいなあ、その感想。」

仕事の忙しさから実家には中々帰れてなかったが、両親に''辞めされられて時間が出来た''、などとはさすがに言えそうもない。だから、今はまだ少し気を引き締めなきゃいけない。少なくとも新しい仕事を見つけるまでは。

心の声で言ったはずのことが、顔を上げると、まるで全部聞こえていたかのような反応を少女が見せる。

「え、あれ....?」

また気を遣わせてしまうような気がして焦った。聞かなかったことにしてくれ、と言うつもりが、それより先に

「頑張ってるんだね。」

と心配の声をかけられたので、誤魔化すに誤魔化せなくなった。

無意識の内に言わなくても良いことを口にしていたと思うと心底情けない。こんなことで疲弊するような自分ではないはずなのに。

「真面目に課題をこなしていてもクビになるんだ。」

「え、何それ。滅茶苦茶じゃん。」

「要は使えるか、使えないかなんだろうね。」

「酷すぎる。」

「ああ、全くだ。」

気がつけば、会社から梯子を外されたことへの愚痴ばかりを話すようになっていた。しかし少女は、そんな詰まらないであろう他人の愚痴話を嫌な顔一つせずに聞いている。最初は罪悪感もあったが、だんだん鬱憤を発散する気持ちよさの方が強くなっていた。

「会社一筋でやってきたのに。」

「うん、うん。」

「どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ。」

「大変だったね。」

今まで誰にも打ち明けられなかった怒りの一つ一つを言葉にして放っていった。抱え込んだものを誰かのせいにしたくて、それが出来ない自分が悔しかった。

少女はそんな話を黙って聞いてくれていた。


モヤモヤした気持ちが少し楽になった頃、少女が温かいうどんを作って渡してくれた。白い湯気が立ち上ぼり、その奥に麺や具が見えている。小腹が減っていたのもあってか、より美味しそうに映った。

「どうぞ。熱いうちにね。」

「本当に良いのかい...?」

「冷めちゃうよー。」

「そ、そんな急かさないでくれ。」

渡された料理を有り難く頂くことにした。一口麺を啜ってみると、濃い鰹だしの香りが口の中に広がる。出来たての熱い汁に悶えながらも、その味が癖になり一口、また一口と箸が進んだ。いつもは自炊で質素に済ませていたからこそ新鮮な感覚だった。美味しい料理というのを久々に口にした気がする。

「どう?お味の方は。」

「ああ、最高だよ。とっても。」

「良かった。」

箸が止まらずにいるのをどう感じ取ったのかは知らないが、少女は私の普段の食生活について尋ねてきた。自炊とは言っても大概はインスタントなので大した料理までは出来ない訳だが。そんなことを話してみると、少女は困った顔を見せた。

「こりゃあ良い奥さん貰わなきゃだね。」

「奥さんねえ。今まで恋愛もしたことないんだよ?」

「憧れたりとかはしないの?」

「そりゃああるよ。」

「良いじゃん良いじゃん。理想は?どんな人?」

普段しない話題を出されて戸惑った。恋愛なんて真面目に考えたことも無かったんだもの。

「え、好きになってくれる人がいるならそれ以上は無いよ。」

「えー、何それつまんなーい。」

詰まんないって何だ。恋話って面白さとか求められるのか...?

「そう言われてもだな...。」

「もっと欲固めなよー。髪は短い方がーとか、長い方がーとか。」

「んー、奇抜じゃなけりゃあ...。」

「明るい人が良いか、大人しい人の方が好きーとか。」

「まあ関わってみないと分からないかな。」

「....とりあえず、ぐいぐい引っ張ってくれる人が一番良いよ、お兄さんは。」 

普通に受け答えしていたはずなのに、少女は酷く呆れた顔をしている。状況の読み取れない私は考え無しにこんな一言を放ってしまう。

「まあ、恋愛も結婚もお金かかるって言うじゃない。庶民に手の届く''娯楽''じゃな―――」

「.........。」

そのせいで、少女の目は失望に満ち満ちたものに変わっていた。何か間違えてしまったのか、とりあえず今のままじゃマズいと感じ、機嫌を取ることを優先してみる。

「ぼ、僕ほんとうに恋愛のノウハウとか分からないから、どういうのが素敵かとかご教授頂きたいと存じましまし...。」

少女はため息を吐くと、こちらにアドバイスをくれた。

「恋愛における絶対的禁句が二つ。」

「はい。」

「お金と身体。」

「は、はあ...。」

「では私に続いて。」

「はい。」

「人間はトモダチ。」

「人間は友達....。」

「エサじゃない。」

「え、エサじゃ...ない。」

復唱させられた言葉の意味を考えていると、お店の扉が急に開いたので飛び上がる程に驚いた。咄嗟に扉の方に視線を向けると、私より少し歳上に見える男性が来店していた。

「オッチャン!あれ?今日どうやって来たの?」

少女の言う''オッチャン''という呼び方に関係性が読めないが、恐らく親戚の方なのだろう。少女の質問にその人が答える。

「おう。歩きだよ、歩き。」

「え、珍し。バイクじゃないんだ。」

「ばーっきゃろう、こんな土砂降りで単車乗る馬鹿がどこにいる。」

「あはは、それもそうか。」

その''オッチャン''は店に入るなり

「すまない、ちょっと電話借りるぞ。」

と言いだす。

「え、電話?う、うん。」

少女も状況が読めない様子でキッチンに通し、彼に目線を当て続けた。そして次の行動に私は目を疑った。見たこともない小型の機械を配線に繋ぎ、電話番号とは明らかに違う数のボタンを入力している。これには思わず少女も

「何やってるの?」

と聞き出した。

「元職場の無償貢献、なんてな。」

と、どや顔で返してきたが、まるで言ってる意味が分からない。茫然と見ていると、電話機からファックスのような機械音が鳴り響き、彼は何者かと会話し始めた。

「鎌倉、※※番地。通学路圏内に不審車両を目撃。黒のセダンで習志野ナンバー○○△✕。」

「パトロール丸八号、向かいます。どうぞ。」

「丸八号?了解。四倉巡査部長、慎重に調査に当たれ。オーバー。」

人の家の電波を使って何をやっているんだこの男は。犯罪スレスレ...いや、完全にアウトだよ。え、何が起きてるんだ?今。

暫くすると、先ほどとは別の人物と思われる声で割れんばかりの怒号が飛んできた。

「己さては入崎だな。貴様、まともに110番出来ないのか。」

その怒号にオッチャンは

「鬼の警部、相変わらず元気だこと。」

などと、私たちの方を向いてケラケラ笑ってる。私達の方はというと、申し訳ないが笑いどころが微塵も理解できない。

そして今度は低く穏やかそうな男性の声が無線から

「入崎、元ぉ!!警部補、後で話があるので来るように。署で待っている。」

と命令が下るのが聞こえてきた。オッチャンは一瞬固まると

「ま、謝礼金と信じよう。」

などと楽観的なことを言って無線設備を取り外した。キッチンから客間に戻ってくると彼は

「詩鶴ちゃん、いつもの頼むよ。」

と一言。開いた口が塞がらない。

「えー、呼び出されてんじゃないの?」

「大丈夫。緊急時以外は初動の遅さを見習わなくちゃ。」

いやいや、ほぼ緊急の呼び出しに等しいだろ。警察の上官に呼び出されてその呑気さって...。一体どうなってんだ。

「ああそう...。ま、良いけどさ。豆はどうする?」

豆?

「あー、この前のマンデリン、そろそろ切れてきたろ。買ってきたんだが。」

「じゃあそれで良い?」

「おう、頼んだ。」

意味不明な会話とともに彼はある袋を取り出し、少女に渡した。それからというもの、キッチンの仕切りの向こうからパラパラだとか、ゴリゴリだとか妙な音が聞こえてきて、おまけにいい匂いが漂ってきた。

「珈琲の匂い?」

思わず私がそう尋ねると

「うん、そうだよー。」

と軽い返答をした。

あー、そっか。珈琲ばかり頼む人がいるって言ってたっけ。....ってこの人かあああ!!

さっきから謎に満ちあふれたこの人物。なんか元警部補とか聞こえた気がするんだが聞き間違いじゃないよな。

私は思った。居酒屋って色んな人が集まる場所なんだな、と。


彼の頼んだ珈琲も届き、さっきまでの仰天だらけの空気も収まりかけていた頃。

「そういえば、どのみち署に用事あったよ。」

思い出したように彼は言った。

「用事?」

少女の問いに彼は答える。

「いやあ、ここに来る道中に拾ってね。交番に預ける予定だったんだが。」

「へえ。」

「警視殿が良いタイミングで呼び出してくれるもんで助かった。ははは。」

「それさ、何か身分証とか入ってない?」

二人が話している間、私は思い返していた。あの雨の中、この子に引き留められなかったら今頃どうしていただろうか。こうやって店に誘ってくれて温かくされていなければどうなっていただろうか。会社にクビを言い渡されて、もう生きてることさえ馬鹿馬鹿しくなっていたから。人を傷つけようと、身を滅ぼすような真似をしようと、多分何も感じなかっただろうと思う。ただ自暴自棄になって渡した傘でこんな出来事と巡り会えるなんて思ってもみなくて、それに救われたんだなと今改めて実感している。

二人の会話がスン、と止まったので、何かと思って横を見る。すると、二人とも黙ってこちらを見ているので困惑した。

「え、どうしました...?」

何かと私を見比べて二人が顔を合わせたかと思えば、今度は息揃って

「本人いたーー!!」

と大声を上げるのでびっくりした。

「なな、何ですかいきなり!?」

「これ、君だよね。」

「え....?」

彼が私と見比べていたものをこちらに見せつける。そこで私は驚愕した。紛失したはずの財布に入っていた免許証が目の前に見えていたものだから。

「はい....、自分です。」

「良かったよ、持ち主が見つかって。」

そう言って彼は私の財布を目の前に差し出した。こんな奇跡が起こるなんて想像もしていなかった。

中身を確認すると、入れてあったはずのお金が綺麗さっぱり無くなっていたが、財布が見つかっただけ幸運だと思う。心残りはなかった。

「見つかって良かったね。」

そう祝福するように喜んでくれる二人を見ながら私は思う。ああ、こんな騒がしさが欲しかったんだな、と。失くした財布よりずっと前から探していたものを漸く見つけられたんだ、と。それが今は何よりも嬉しくて。


つづく。

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