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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
9章.奮闘記
87/121

87.商法


やりたいこと一筋でやれるなら、夢はどんなに楽で良いものだと言えるだろうか。しかし、一人で何でもこなせる為には覚えなければならないことがとても多い。これだけやってればいい、なんてものだけで叶うとしたならば、きっと夢を手にできる人は今よりもずっと多いはずだ。母は時々私にこう聞く。

「本当にこれでやっていくのか。」

と。それに頷く度に母は私に色んな任務を課せてくる。料理のことのみならず、掃除や、お客さんとの接し方など、その内容は様々だ。

さて、そんな曲がりくねった道ばかりを歩かせる母から、今までで一番キツい任務を言い渡されたのは休日の朝。家でごろごろしていたい時間だからこそ、出来ればわくわくするような話が聞きたいのだが...。

初めは何かの冗談かと思っていた。しかし、それを受け止めなければならないと知ったとき、心がこう悲鳴を上げたんだ。


「お店なんて大嫌いだ!!」



下町の鶴

9章-奮闘記-

☆Episode.87「商法」



歯磨きや朝食を済ませ、時は大体九時か十時あたりの頃。ちゃぶ台の上のみかんを頬張りながらテレビを見ていると、母が洗濯物を畳みながら話しかけてきた。

「詩鶴、あんたもそろそろ稼ぎ方を覚えていかないとね。」

私はそれに返した。

「稼ぎ方?」

「そ。自分で切り盛りしていくなら、まずは店に来る人を増やさないといけないじゃない?」

「んー。」

「それをやって貰おうと思って。」

「何からやればいいのー。」

「お金の稼ぎ方を覚えること。」

「へー。」

もごもごと歯を動かし、生返事で返している。母はそんな私に言った。

「詩鶴、お肉は好き?」

「え、どうしたの急に。」

「好きかどうか聞いてんの。」

「好き。え、めちゃくちゃ好きだけど。」

「じゃあ、私の出す課題をこなせたら良いレストラン連れてってあげる。」

「うそ、まじで言ってる!?」

「ええ、ちょっと高いとこで考えておくわ。」

私は目を輝かせて喜んだ。母がそんな大胆にご馳走してくれるなんて珍しいから。物凄い勢いで起き上がった私は、慌てるようにその条件を聞く。しかし、そこで聞かされたものは衝撃の内容だった。

「最近ちょっと経営が傾いててね。今週の売上を十五万に出来たら合格よ。」

「え、じゅ...何て?」

「十五万。」

「ジンバブエドル?」

「円だよアホか。」

体がピタリと固まる。それは高校生にとって聞きなれない巨額で、私はてっきり何かの冗談だと思っていた。何度聞き返しても同じ答えが返ってくることに困惑してしまい、一旦テレビ画面に集中を分散させる。母は続けた。

「他で稼ぐのは基本なしってルールを追加しておくわ。」

「それは...どうして?」

「今の詩鶴じゃあ人と自分をボロボロにし兼ねないから。」

「どういうこと?」

「利益中心にものを考えるなってこと。」

「ちょっとよく分からないんですけど...。」

「まあそのうち分かるわ。さ、今からよーく策を練っておきな。」

「え、あー...はい。」

「お腹いっぱい食べさせてあげるから、そのつもりでね。」

そう言って母は私を社会という名の戦場に送り出したのだ。経済学なんて何一つ学んでいない自分にとっては未踏の領域、失敗すればご馳走が逃げてしまう。何から始めればいいのかを尋ねてみたが、母はヒントの一つも言わずに家事をするばかり。ただひとつ、

「自分なりに考えて、どうすれば商売を続けられるかやってみなさい。」

と、これだけを私に残した。それからというもの、ミッション開始の月曜へと時間はただ悪戯に過ぎていく。何も案の浮かばない脳みそに腹を立て、頭をかきむしっては苦悩する。

どうすればいいのさ、何も分かんないよ。そう心に何回も何回も繰り返し、考えるほどに腹の虫が鳴いた。こうして、今まで料理だけを頑張っていただけの少女に、絶望の試練が幕を開けたのだった。


突如言い渡された課題には戸惑いの連続で、あれから月曜が来るまでに

「本気で言ってるのか。」

と喧嘩になったりもした。ただ何となく、いつものように覚えた仕事をこなしてきたのに、今度は何もかも考えて行動しなきゃいけなくなるなんて。考えるのは苦手だ。ただ蛇足で物事が進めばいいと思う。でもどうせ母のことだから、一筋縄では達成できないようになっているに違いない。どうしようか、どうしようかと考えているうちにお手伝いの時間になった。

それからいつも来る常連さんが顔を見せ、いつもと同じように接客をした。しかし、どこか重たい雰囲気が漏れていたのだろう。それが常連さんにすぐに見抜かれてしまった。

「どうしたの。学校でなんかあったのかい?」

「え?あー。」

うーん、と頬杖をついて悩む。言われてみればお酒も料理も、じっと黙って作っていた気がする。私は母に言い渡された課題のことを軽く常連さんに話した。すると

「ひええ、大変だねえ。うちも会社であるよ、そういうの。」

と、笑顔でぼやく。

「へえ、そうなんだ。」

私は常連さんの話に関心を寄せた。同じ境遇にたったような気がして、どんなものなのかが気になったのだ。

「会社の売り上げをうん百万上げるって話になると、自分のチームで何社か契約してもらう、みたいなのを任されるんだよ。」

「うーん、よく分かんない...。」

「例えばさ、」

と言いかけ、常連さんはポケットからライターを取り出した。

「うちと契約してくれたら毎週、このライターを一箱届けます。これで相手が良いよと言ってくれたら一契約達成。」

「うん。」

「じゃあ各チームに分かれて最低でも五社と契約してもらおう。って感じでノルマを課せて、日々あちこちに売り込みに行くってわけさ。」

「うわあ、なんか聞いてるだけで頭痛くなりそう...。」

「だろ。毎日こんなことやってりゃ酒も切れるし、髪も減る。ははは!」

便乗して笑ったが、そのネタの面白さがよく分からなかった。

常連さんは熱燗を一口飲むと、徳利の首を掴んでもう一杯注ごうとしている。私はそんな常連さんに一つ尋ねた。

「どうすれば上手くいくかな。」

考えあぐねる私に、常連さんは注いだ酒をくいっと飲み干してこう言った。

「売ることを中心に考えない。俺はこれに尽きるよ。」

「どういうこと??売るのが仕事なのに?」

「それが最初から丸見えだったら買う気失せるだろう?」

一呼吸置いて考える。常連さんはそんな私に向け、手本を見せると言ってくれた。彼は鞄の中から未開封の缶コーヒーを取り出すと、それを私に勢い良く見せつけた。

「こうも寒いと一本飲みたくなりますよね!厳選された豆をふんだんに使っていて香り高く、そして飲みやすい。苦味が得意じゃないという方にもご安心ください。上質なミルクのまろやかさがコーヒー特有の苦みをバランス良く抑え、お子様にも飲みやすい一杯となっております!さあさ、如何ですか。こちらご契約頂けましたら定期便でお届けいたします。どうですかどうですか!」

「お、おう...。」

「どう思った?」

「凄い饒舌だね。さすが本職だなあって思った。」

「へへ、顔が困惑してるよ。」

あまりにも暑苦しい勢いで来られたから、びっくりして言葉を失いかけていた。反射的に浮かんだ誉め言葉を口にしては見たものの、営業部でやっているらしい彼にはその建前はバレバレだったみたいで。

「これがテレビとかラジオだったら別にこれでも良いんだけどね。大勢に向けているから。」

「ああ、確かに。」

「でもこれがピンポーンって鳴って、扉開けていきなりさっきの演説始まったとしたらどうする?」

「うわ、絶対くどい。」

「でしょ。あれは宣伝の、いわゆる広報の技術であって、直接の交渉では使いづらいんだよ。」

「なるほどなるほど。え、じゃあ――」

私が質問を投げかけようとすると、常連さんはそれを一旦遮って

「ちなみにそれ、結構美味しいんだよ。あげるから飲んでみなよ。」

と私に缶コーヒーを勧めた。

「え、いやあ、なんていうか。私あまりコーヒー得意じゃなくて。苦くない?」

「全然。詩鶴ちゃんは、カフェオレとか飲める?」

「あ、うん。そういうのなら良く飲む。」

「おっ、それならねえ、これ意外と気に入るかもよ。ミルク感が凄くてさ。」

「へえ、ちょっと飲んでみてもいい?」

「どうぞどうぞ。」

言われるがままに缶を開け、軽く匂いを嗅いでみる。コーヒー特有の香りがフワッと鼻腔を通り抜けたので、苦いかもしれないと警戒モードになり、私は恐る恐る舌の上へと缶を傾けた。すると、つい数秒前までの予想とは打って変わって、コーヒー牛乳のようなまろやかさが口に広がる。苦味は殆ど感じられず、ミルクの優しい甘さが舌をそっと包む。ここまで飲みやすいのにコーヒー感がしっかりと残っているのは、やはり先ほど缶を開けたときに感じた香りが理由なのだろう。

「あ、美味しい。普通に飲める。」

私は一口目で、思わずそう感想を口にした。

「だろ、お昼サンドイッチとかと一緒に買うことあるんだけど、めちゃめちゃ合う。」

「うん、分かるかも。いいね。」

「ちなみに公式サイトで買うと少し安いんだよ。」

「へえ。」

「まあ、宅配便になるから箱になっちゃうんだけど、三本分くらいお得になるっていうね。」

「うーん、まあ箱で買うかって言われると分かんないけど、コンビニで見かけたらまた買うかも。」

「あるんだなあ、これが。」

「おー、まじか。最高じゃん。」

「へへ、どう?」

「え?いや、だから――」

「売り方だよ。」

「あ....。」

気付かぬ間に缶コーヒーを宣伝されてしまっていた。茫然とする私を前に、やってやった、みたいな笑みを浮かべる常連さん。

「これでこの缶のユーザーを一人増やせた、という訳だ。」

何ていうか、やり口の巧妙さが詐欺師のそれだ。こんな風にいつも物を売っているのか、と少し嫌なイメージがついてしまったが、常連さん曰く

「まともな商売も、悪い商売も使う技術は同じなんだよ。提供するものが変わるだけ。」

とのこと。

「悪い商売の方はその経験を提供している、と?」

「ああ、授業料が高いってとこが難点だがね。」

そう皮肉り合って、二人ともクスッと笑いがこぼれる。常連さんは気分が良くなったのか、それからいつもより多くの品を注文して帰っていった。そのぶん私の仕事量は増えて大変だったが、面白い話が聞けて良かったと思う。


このあとも数人ほど来客があり、この日の売上は一万と五千円。先が思いやられる。



つづく。

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