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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
8章.眠らない下町
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73.思い出の親子丼


下町の鶴

8章-眠らない下町-

☆Episode.73「思い出の親子丼」


とある祝日の夕方、瑞希と二人で街へ遊びに出掛けて、その帰りだった。

「あの服、やっぱ買えばよかったなあー。」

「つるりん、めっちゃ似合ってたもんね。また行こうよ。」

「だね!今度こそは...!」

色んなものを見て回って、食べ歩きしたりして、都会らしい週末を過ごせた気がする。特に服屋を回った時は楽しかった。お互いの似合いそうな服を探してみたり、クラスの友達が着そうなものを噂してみたり。しかし、明希が用事で来れなかったのは残念だったな。でも今度予定が合えばきっと連れまわすから。待ってろよ、明希。

駅に着くと、二人でご飯を食べようという話になった。いつもは滅多に降りない駅で下車し、食事処を探し歩く。互いに指を指しながら「あれも良い、これも良いな。」と、靴をすり減らした。町を見渡すと、辺りにはタイル壁に、木造引き戸、瓦屋根の老舗が立ち並んでいる。これが本来の下町の景色なのだろう。ぼんやり光る街灯が月のように、自転車のライトが星のように灯る街並みに心を寄せながら、二つの足音を路地に響かせた。

しばらくそうやって周辺を散策し、立ち込める夕飯の匂いに鼻をくすぐられていると、

「あっ!」

と一言、瑞希が声を上げた。その声にびっくりして彼女の方を見ると、何やら感動したような面持ちで目を丸くしている。

「どうしたの?」

と尋ねると、

「あそこ行っていい?」

そう落ち着きのない雰囲気で言ってきた。何だろうと思い、瑞希の目線を辿る。目の先にあったのは、電車の高架下にさり気なく佇む、一軒の古めかしい定食屋だった。

「うん、いいけど。定食屋?」

私がそう聞いたのを受け止める間もなく

「ね、ね、早く!」

と急かした。珍しい、瑞希がこんなに率先して動き出すなんて。きっと、前々からずっと行きたかった場所なのかも。

店の引き戸を開けると、店主と思わしきオジサンが大きいとは言えないくらいの声で

「いらっしゃい。」

と一言、こちらに目をやって挨拶をした。私たちも軽く会釈で返し、カウンターだけの狭い店内の客席に腰かけた。瑞希は

「はわあ~。」

と、心を掴まれたような幸せのため息をついている。...のだが、私にはその感動の理由が察せない。辺りを見回せば、恐らく調理場と同じであろうコンクリートの床、壁には一品ずつ貼られたメニュー。テーブルにはひっくり返ったUFOみたいな鉄製の灰皿。何一つ変わったことのない昭和な雰囲気のお店だ。それとあと換気扇がバカうるさい。

ブラウン管のテレビから野球中継の喧しい歓声が響き、それに目をやった。点数のところに注目すると、どうやら父の応援してるチームが現在勝ってる状況らしい。何となく、それでいてまじまじと画面を見つめていると、

「つるりんは決めた?」

と、瑞希から一声。

「あ、ごめんごめん。」

そういってメニューの方に視線を戻した。

「みっちゃん何にしたの?」

「私ねえ、親子丼。」

ありきたりなんだけど、やはり定食屋はそそられるメニューが多いな。こういうお店は雰囲気だけでも自然と食欲が湧いてくる。実家のような安心感ってやつ?どこか温かみのある空気だ。

「親子丼かあ、いいね。じゃあ私、カツ丼にしよっかな。」

そういうと瑞希はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「お、丼で揃えてくる感じ?」

「蕎麦とか、うどんも美味しそうなんだけどさ。今はなんかご飯ものの気分かな~って。」

私たちは目の前の店主さんに声をかける。

「すみませーん!親子丼と、カツ丼お願いします。」

すると店主さんは、あまり愛想のない声で

「はいよ。」

と短く返した。

瑞希がずっとホワホワしたままなので、私の中の疑問が膨れに膨れ、いよいよその訳を尋ねた。

「みっちゃん。」

「うん?」

瑞希がこちらを向く。それはそれは幸せそうな笑みで。

「さすがに気になるんだけど。」

「え、何が?」

「前から気になってたの?ココ。」

私の問いに対して、ポカーンとする瑞希。その言葉の意味を理解すると

「あー、あー!そゆことね。」

いや、どゆことだよ。瑞希はパズルを解いたような顔一つ、納得のご様子。

「あのね、」

と言いかけ、彼女は話した。

「ここ、小さいとき来たことあったの。」

「へえ?」

「ほんと、小学生に上がったか、上がってないかくらいの頃だよ?叔父さんに連れてきて貰ってさ。」

瑞希は遠くを見るような眼差しで、過去の思い出を語った。

―――――――――――――――――――

【回想】


まだあの頃は弟が幼かったから、お母さんは付きっきりで面倒見ててさ。お父さんも仕事だから夜まで構って貰えなかったし、唯一歳の近かったお姉ちゃんも

「今日友達と約束あるから。」

って言ってすぐ何処かへ行っちゃう。退屈だったんだ。学校外でも遊んでくれる友達も、当時は居なかったからさ。

「明希は?その頃はまだ会ってなかったの?」

明希とは小三からだよ。あの時はまだ知らない者同士だった。


-幼少期.瑞希の家-

「ねえ瑞希、直哉の着替え取ってきてくれる?そこの棚に入ってるから。」

テレビに映るアニメ番組に夢中になっていると、母から頼まれごとをお願いされた。

「えー。」

「お母さん今手が離せないの。我儘言わないで、お姉ちゃんでしょ。」

ため息をつくと私は嫌々立ち上がり、タンスの中から適当な服を掴んだ。

「お母さーん、取ってきたけど。」

と声を掛けると、今度は

「それ着替えさせといて。」

と、知らぬ間にやることを増やされている。仕方なく弟の元へ行き、洋服を持っていくと、弟は玩具で遊んでいて着替えさせられそうな雰囲気じゃない。私の存在に気づくと

「ア、ア、ぶーぶ、ぶーぶ!」

とか言いながらミニカーを振り回し始めた。当たったら絶対痛い。そう思い警戒しつつ

「なおや、お着替え。」

弟の服を半分盾にしながら指示した。すると、まだ遊んでいたいのか

「やあー!やあーー!ぶーぶー!」

と、さっきよりも強烈に玩具を振り回し出す。

「やめて、やめてよ!危ない。」

そうやって人が嫌がってるというのに全然言うことを聞かない。段々とイライラが溜まっていく。

「ねえってば!」

持っていた服を下ろし、声を上げたその瞬間、弟のミニカーが私のおでこにぶつかった。

「いっっ...!!」

おでこに強い痛みが走った。とうとう我慢できなくなって

「もう自分でやって、全部自分でやってよ。嫌い!」

私はそう大声で怒鳴りつけ、弟に手を上げた。すると、私の怒声と弟の泣きわめく声に気づいた母が、私を同じように叱りつける。どう考えても向こうが悪いのに、六歳と三歳じゃあ、六歳の私にはちっとも味方してくれない。あまりの理不尽に悔しくなって、私も大泣きしたっけ。

誰かが楽しくしてるのを見ると自分も楽しいし、お喋りだって聞き手の方が慣れていた。でも、誰からも相手にされなかったり、愛情を注いでもらえないなら話は変わる。寂しかったんだ、そんな毎日が。人に囲まれた暮らしの中で、私だけずっと孤独でいることが。

でも、そんな退屈な日々の中、ひとつだけ楽しみがあった。不定期で叔父さんが家に遊びに来てくれたことだ。叔父さんは三兄弟の中で、特に真ん中の私のことを気にかけてくれていた。

「俺も子供の頃は居場所がなかったからさ。」

と、よく私に言っていたのを覚えてる。あの日、弟と喧嘩し、お母さんから大激怒を食らって大泣きしていた私を叔父さんは連れ出してくれた。

「羊華堂でも行くか。」

ショッピングセンターだったり、時にはただ意味もなく電車やバスで町中乗り回すだけの時もあった。でも、いつも心がワクワクしていたから、ほとんど退屈などとは思わなかった。この日は文房具屋さんで色ペンを買って貰ったんだっけ。...私の記憶では一瞬で姉に取られてしまった気がするのだが。

「叔父ちゃん....、眠い。」

遊びつかれて、気づけばバスの中でスヤスヤと眠ってしまい、降りる頃には空も暗くなり始めていた。

「何か食べてくか。」

そういって、腕を引かれながらフラフラと歩いて数分ほど、電車の高架沿いを歩いて行った先の小さな定食屋に足を止める。ガラガラ、と音を立て、引戸を引いた先に、とても美味しそうな匂いが立ち込めていた。

「ここなぁ、仕事帰りによく寄るんだよ。」

と、叔父さんは言った。

「へえー。」

眠気から素っ気ない返事で返してしまうも、叔父さんはそんなことには構わず、陽気に話し続けていた。

「瑞希は親子丼、食べたことあるか。」

「おやこどん?なにそれ。」

「卵の上に鶏肉が乗ってるやつだよ。」

「じゃあそれ食べたい。」

生返事で返すと、叔父さんは

「おう、そうかそうか。」

と言って、店主さんに頼んだ。

「この子に親子丼一つ。」

「はいよ。」

目の前を風に乗った葉っぱ一枚が飛んでいくように、一瞬で注文のやりとりを終えると、

「特にな、ここの親子丼は旨いんだぞ~。」

と嬉しそうに語っていた。

やがて目の前に出来上がった品が届けられると、出汁の良い香りが鼻の奥をくすぐってきて、ほんの少しだけ眠たさのことを忘れられた。

「熱いからフーフーして食べなよ。」

という助言を受け、私は軽く息で冷ましたあと、それを口へと運ぶ。私が始めて親子丼を食べた日だった。口の中に広がる出汁の旨味と、ふわふわでトロトロな卵の優しい味わいに思わず心打たれる。鶏肉の食感は食べる者を飽きさせず、柔らかな歯ごたえと、程よく染み出す肉汁が更なる食欲を搔き立てた。こんなに美味しいもの食べたという感動は、あの日の自分の中ではとても大きな出来事だったんだ。ひと口、またひと口と、舌の上に乗せる度に落ちそうになる頬。眠りに落ちかけると、上を通過する電車の足音にビックリして飛び起き、食べては睡魔が襲い、と、それの繰り返しだった。


と、私の記憶はここで終わっている。というのも、あの後すっかり爆睡してしまい、叔父さんが私を背中に負ぶって家まで送ってくれたらしい。

――――――――――――――――――――――――――

そして私は、今こうして十年の歳月を経て思い出の地にいる。

「はい、親子丼ね。」

私の前に出された一品は、記憶の片隅に眠っていたものを揺り起こすように、鮮明には覚えていないはずの見た目に、懐かしい気持ちでいっぱいにさせた。何だか涙ぐんでしまいそうな気分だ。ほんのりと甘い香りと、白い湯気が丼ぶり茶碗から立ち上っている。

最近は仕事が忙しいのか、たまにしか遊びに来ない叔父さんのことを湯気に浮かべる。私もここに通い続けたなら、ある時バッタリ仕事着姿の叔父さんに会えたりして。そんなことを思いながら、変わらずにいてくれた思い出の景色に手を合わせた。

「いただきます。」


つづく。

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