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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
7章.ノ木の火
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64.明希への試練

「君にひとつだけ覚えておいて欲しいことがある。説教じゃない。」

「何ですか。」

「明希ちゃんのことを心配して、何かあったら相談役になって欲しいと頼んできた。2、3日ほど前のことかな。」

「誰ですか...??」

「詩鶴ちゃんだよ。」

探偵さんにそう言われた時、私はとても複雑な気持ちになった。詩鶴が吐いた言葉に傷つけられ、あんなにも離れてやろうと心に決めたのに、許せないという感情で埋め尽くせないことを知った途端に何故か悔しい気持ちでいっぱいになってしまったのだ。

「どうして。そんなに心配なら全部おじさんに任せっきりにしておけば良かったじゃない。」

そう乱暴に吐き捨ててみると、彼はまたもや柔らかい笑みを浮かべながら私に答える。

「そうかもね。でも詩鶴ちゃんってそんな冷静に物事を俯瞰出来るような子かな。」

少し毒の入った言葉に思わず「え...」と溢してしまった。

「寧ろ、熱くなったらブレーキの存在を忘れちゃうような子ってイメージだけどなあ。」

「それは...、そうでしょうけど。」

「何せ聞く限りだと、君も熱くなって最終的に大喧嘩に発展したんだろ?君が冷静じゃなくなるレベルだったら、詩鶴ちゃんは尚更だよ。」

探偵さんにそう言われると、たちまち私は言い返す言葉を失くした。

「私、どうすれば良かったんですか。」

膝に顔を埋めて泣き言を漏らした。会話をしていく内に、だんだん自分の嫌いな部分が滲み出てくるようで、中途半端になった怒りに自分を貫けなくなってしまったことに強烈な不甲斐なさを感じる。その時、遠くから誰かの喧嘩の声が耳に入った。誰かと取っ組み合いをしているような激しい言い合いが。そしてその声が詩鶴のものだと気づいたとき、彼は立ち上がった。

「昔、ギャンブル好きの馬鹿野郎が居てね、そいつが言うんだ。勝とうが負けようが文句は言わねえ、最後の最期までそいつを信じるって決めたから賭けるんだ、ってよ。はは、ほんと馬鹿な奴だぜ。」

「探偵さん...!まだ相談したいことが!」

待って、の想いを込めて私は声を上げた。今が一番彼の言葉にすがりたいタイミングだというのに、探偵さんは思い出話をポツリと呟き、私のそばから歩き去ろうとするのだ。そうして四、五歩ほど歩くと、彼はこちらに振り向いて言う。

「君はどうしたい?」

「え...?」

言葉に詰まった私に探偵さんはニッコリと笑い、こう残した。

「辿り着きたいゴールへ思い切って走ってごらん。俺は君に賭けるとするよ。」

下町の鶴

7章-ノ木の火-

☆Episode.64「明希への試練」


どうすれば良いか分からないまま、私はグラウンドに向かって歩いた。冷たい雨がだんだんと髪を濡らしていき、身体もみるみるうちに冷えていく。胸の奥からは二人と再開することへの怖さと、戸惑いが湧き上がってきた。それはグラウンドに近づけば近づくほどに強くなっていく。


コツ、コツ....コツ、コツ....


だんだんと重くなる足取り。校舎に沿って歩きながら、その途切れ目の角を曲がれば声のもとに到達できるはず。そう思ってゆっくりと歩く。周りの音が何も聞こえなくなるような緊張の中で、不思議と自分の足音だけは鮮明に聞えてくる。まるでこの身体の内側から「出せ!」と叩く心音を映し出しているようだ。段々と呼吸も荒くなり、冷静さがポロポロと崩れ落ちていく。やがてその曲がり角に着くと、吐き気を伴う気分の悪さに抗いながら、恐る恐るその先を覗き込んだ。

しかし、そこには既に詩鶴の姿はなかった。

「え。」

と、息に乗って零れる声。次に私は瑞希を探そうとしたが、グラウンドの沢山の人だかりから探すのは簡単ではなかった。

「ふうーー、疲れたあ。」「次の種目なに?」

「あともうちょっとで三位入れたのに!」「あー、水飲みに行こ。」

ごった返すのを校庭端から立ち尽くすように見ていると、まるで母とはぐれた子のような情けのない不安が私を飲み込み、泣きたい気持ちがこみ上げた。

「ああ...、あぁ....。」

きょろきょろと首を振り、誰か一人でも話せるような知り合いがいてくれないか、と辺りを見回す。それでも誰も見当たらない。私はどんどんパニックに陥りそうになり、気が気じゃなくなっていった。

「おい君、どうした。大丈夫か?」

そんな中、誰か男の人の声がかかる。冷静さを殆ど残してなかったからか、声が聞こえたのも、それが私に向けられたものだというのも、その人が何度も呼びかけていく内にゆっくりと気づいた。そして目を上げると、そこには私の知らない大柄な三年生が。心の底から怖気づいてしまって、私は言葉という言葉が頭の中から消し飛んだ。

「あ...、嫌...イヤ...。」

「どうしたんだ、一旦落ち着いて。」

「やだ.....、やだ....。」

「出番来るのが怖いのか?」

後ずさりをすると、ものの数歩で腰を抜かしてしまい、濡れたアスファルトに尻餅をついた。

「いっ...!!」

男の人は直ぐに私のことを心配した。彼が悪い人ではないことは分かったが、友達に会いたい気持ちに溢れていたせいで不安を捨てきれなかった。

「大丈夫か!?ああどうしよう、立てるか?ほら。」

彼は私へ手を伸ばした。数瞬の不安に身体が固まりつつ、その手を掴むことに決めて何とか起き上がる。

「ケツ汚れてないか?ああ悪い、そこは自分で払ってくれ。」

そう言って彼は咳払いをする。言葉を詰まらせる姿をぼんやり見ていると、その風格からは想像の出来ないようなピュアな一面を持っていることに気付いた。ほんのりと緊張も解けてきて、少しだけ彼の顔を見れるようになる。目までは見れないけど、四角顔でゴツゴツとした体つきをしている人だった。

「あ、あの....ありがとう...ございます。」

「え?おう、気にすんな。」

そうこうしていると、グラウンドから放送が流れる。

「次は三年生による騎馬戦です。選手は移動してください。」

それが私たちにも聞こえると、彼は

「おっと、出番来ちまった。もうちょっとじっくり相談に乗ってやりたかったんだが...。」

と言いながら頭を掻いた。

「あ、いえ。お気になさらず。」

「ま、なんだ。逃げたい時にゃあ逃げれば良いけど、立ち向かうのも悪いことばっかじゃないからさ、楽しんで行こうぜ。」

「ありがとう...ございます。」

自身の腰に手を当て、困り顔でも懸命に励まそうとする三年生の先輩。私に笑顔で親指を立てると、遠くから彼に向けた怒号が飛んできた。

「おい箱マッチョ!お前ぇも出るやつだろ、ナンパしてねえで早く来い!!」

それを聞いた彼は、

「じゃあな、元気出せよ!」

と私に言うと、呆れ顔になってその人の元へ走り去った。

「誰が箱マッチョだよ、こんにゃろー。」

「うるせえよ。そんなにモテたきゃ競技でカッコつけろっての。」

「今のは違えよ!困ってる女の子がいたから!!」

「だからうるせえって!お前これ以上言うと掃除の愚痴聞かねえぞ。」

人混みに向かい、やがてこの視界から目で追えなくなってしまう瞬間までも聞えてくる彼らの声。私はその姿に、友達という存在の大切さを見せられたような気がした。


テントの中、自分の椅子に座って、途方に暮れるように俯く。屋根を打つ雨音が鼓膜の前で踊り出すのにさえ、何も感じることが出来ないくらいの虚無感があった。

ゆっくりと近づいてくる自分の種目。関わりのないクラスメイトたちの中にいる凄まじい孤独が、胸をズキズキと痛ませる。こんな中、背中を押してくれる誰かが居てくれたらどんなに良いだろう、と心の底から感じた。

「怖くない。大丈夫、明希ならできるよ。」

ふと胸の奥から少女が私に話しかける。それが妄想だということくらい分かっていた。でも、それが現実であって欲しいという思いが、幻想になって語りかける。私の中で、四季乃という私の親友の声で。

私は何を焦ったのだろう。何をあんなに怒っていたのだろう。もしそれを四季乃に話せたら、彼女は何と答えるだろうか。

「仕方ないよ。」

って自分を責めるのかな。いや、どうせなら

「また喧嘩しちゃったの?馬鹿だなあ。」

と小突いてくれる方が嬉しいかも。そうやって会話を想像していく内に、だんだん彼女の顔が鮮やかによみがえってくる。すると目がじーん、と熱くなって、勝手に浮かべた彼女の言葉を繰り返し自分に言い聞かせ、

「ああ、ほんと馬鹿だなあ、私って。」

そう心に呟いては、自虐さえも気持ち良く感じるほどに内面の不甲斐なさを嘆いた。


時間というのは冷酷にも正確に流れていくもので、誰を待つこともなく、気づけば自分の出番を知らせる放送が鳴り響く。

「次は二年生による学年リレーです。選手は移動してください。」

穴の開いた心を抱えたまま、リレーの待機位置に来た。やるしかないと分かっていながらも、内心は逃げたい気持ちでいっぱいだ。迷惑をかけたくないと言いながらも、結局ここまで来てしまったのだから。逃げても、逃げなくても誰かにとっては裏切りになってしまうことに、もう私はどうしていいか分からなくなっていた。そして気がつけば、時の流れるままにリレーの待機位置に集まっている。自分の意思など何一つ言葉に出来ないけど、私は青組の先輩たちを裏切る方を選んだらしい。もう自分の何から責めるべきかさえ分からなくなった。

そしてもう一つ気掛かりなことがあって、それはまだ詩鶴や、瑞希が見当たらないことだ。あの言い合いによって壊れたものがどれ程大きかったのかを思い返すと、だんだんと悪い方にしか考えられなくなってしまう。焦りの中、キョロキョロと彼女らを探していると、集団の中から河島君を見かける。私はそれを唯一の希望だと思い、がむしゃらに人をかき分けて向かった。

「河島くん!河島くん!」

普段から大きな声を出していない私にとって、この人混みの中で誰かを呼ぶのは至難の業だった。結局、目の前まで行って、そこでやっと彼は私の存在に気づいた。

「ふああああ...あ。え?」

彼は大きな欠伸をしている真っ最中だった。

「河島くん!」

「え、ああ、四倉さん?どったの、そんな焦って。」

「みっちゃんと、鶴ちゃん知らない!?どこ探しても居ないの!」

「ああ、さっき会ったよ。」

「え、ほんと!?」

「ああ。なんか教室に忘れもんしたとか。ま、すぐ来るんじゃない?」

「そんな...、もうレース始まっちゃうよ。」

「まあ心配すんなって。名取だったら、あいつは仮眠とってもカメを抜く。エリマキトカゲみたいに爆走してくんじゃね?ははは。」

「ああ....あぁぁ....。」

彼の冗談に笑う余裕が持てないまま、焦りだけが募っていく。「神様お願い!」と、藁にも縋る思いで脳を埋め尽くす言葉。そして今にも飛び出しそうな心臓に追い打ちをかけるように、このグラウンド全体に(むご)たらしい銃声が鳴り響いた。


つづく。

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