6.月の出
【本編】
2章-地球照-
☆Episode.6「月の出」
雨の止んだ日の夜は、この初夏に春風のような涼風を街に泳がせる。
月明かりが街灯の少ない通りを照らし、この店の灯りが星を演じる夜。私はその星の中で、外の行き交う電車の光を目で追いかけたり、車の走り去る音に耳を澄ませたりして暇をもて余している。
母はというと
「小町ちゃん、風邪引いたのかい?」
私が学校のとき、母は雨の中、買い出しに行っていたそうで、身体が冷えたのが原因かな、と言う。
「あんまりしんどかったら私やるよ?」
と、言ってみるも、強がりを見せようとする。
「お客さんに移しちゃったらどうすんの。」
まるでどっちが娘か分からん会話だな、と思いつつも口には出さない。
「今日はお言葉に甘えて、ゆっくり休んだ方が良いんじゃないかい?」
と、常連さんが言うと、さすがの母も折れて
「うん...そうしようかな...。」
と言う。母はさらに続けて
「詩鶴、なんかあったら呼んでよ...?」
と、懸念した。
私はそんな母に'任せな'という意味を込めて言った。
「副店長、頑張りまっせ。」
と、まあこんな感じで奥で休んでいる。
来たお客さんも、今日ははや上がりで家へと帰っていき、今は静まり返った店内の静寂にあくびをぶつけている。
私はチャンネルを手に取り、お店のテレビをつけた。
ラブストーリーのドラマが映る。
「間違っていた。あんなこと言うんじゃなかった。
あの公園に戻ろう。今ならまだ間に合うはず。」
男の車が海の通りを走り抜ける。
「またあの寂しい日々が戻ってくる。恋の後味はいつも苦いって気づいていたのに。
...私は、またこの痛みと生きていかなきゃいけないんだ。」
海沿いの公園で女が一人、寂しい心の声を溢れさせている。
その時、降りだした雨に身体を濡らされ、俯く。
「一人にしないで。」
女がそう呟くと、顔をクシャクシャにして泣き出した。
その時、男が車の中から飛び出し、彼女を抱き締めた。
「ごめんよ。俺は何も分かっちゃいなかった。」
どしゃ降りの雨の中で恋人同士が強く抱き締め合う。
「もうどこにも行かないで。」
「ああ。ああ!もう二度と、片時だって離すものか。」
互いの温もりの中で、二人は大泣きしている。
その絶妙なタイミングでカメラが遠くへ離れていき、盛大にラブソングが流れる。
私はほんのり火照った頬に手を添えて見とれる。
雰囲気に酔った私は店のお酒の蓋を開けて、手のひらであおぎ、鼻の奥にその香りを舞わせる。
にひひ.....と、いたずらに微笑んで、カウンターで頬杖をつく。
ラブソングがこの店を、どしゃ降り雨の愛情物語の空気に染める。それを私は大人ぶった笑顔で聴いていた。
ドラマが終わると、ニュースが流れた。
「ニュースです。今日、午前二時頃、首都高速道路で、バイクの単独事故がありました。
乗っていたのは十九歳の少年でした。」
また暗いニュースか。
テレビにはペシャリと潰れたバイクが映される。
「当時、少年のバイクは150km以上の速度で暴走しており、複数台のパトカーに追跡されたのち、カーブを曲がりきれず、壁に激突したとみられています。
少年はその後、病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。」
場面が変わると、友達や、家族の泣き崩れる姿が映し出される。
目も当てられなくなった私は、眉をひそめ、別のチャンネルに変えた。
今度は刑事ドラマが流れる。
「あんたにも家族がいるだろう。それなのに。」
だめだ、さっきのニュースのせいで全然違う意味に聞こえる。
犯人が首を吊る直前に、刑事に止められたって展開のようだ。
「何もかも変わっていくのが許せなかったんだ。」
犯人の自供が始まる。
「俺はどんなに頑張っても頑張っても、臭い飯のひとつにさえありつけなかった。
それなのにあいつは....、同じ夢を描いて、同じ教えの中で育ってきたあいつは、俺なんかよりもっともっと仕事に溢れていて、飯も掃いて捨てるくらいに食えた。
恋も、結婚も、笑っちまうくらい容易く叶って、流す汗の一粒一粒に虚しいものなどなかった。」
同じ夢路を走った友人の成功を妬む言葉が流れる。
「こんなこと聞いたらお袋さん、悲しむぞ。」
「....。許してくれ、許してくれ...!」
男は頭を抱えて悶絶する。
刑事は大きくため息をつくと、語り始めた。
「時はなんでも連れていってしまうもんだ。友達も、恋人も、時には家族だってな。」
家族の文字に反応して、男は俯く。
「俺にも昔、学生時代からずっと好きだった女の子がいた。笑顔の素敵な女性だ。
卒業から十年ほど経ったある日、同窓会が開かれて出席したんだ。そこにその子もいたんだが、お腹が大きくなっていてさ。最初は祝福しようと思った。
だがな、その子の夫は俺を子供の頃からずっと虐めてきた奴だった。」
男は刑事の顔を見た。
「そいつ、俺を見て何て言ったと思う?
「「お前は独身のままか?」」
ってよ。
殺してやりたいって本気で思ったさ。だが、それよりも悔しさが勝って、俺には何もできなかった。
だが、あれから五年経った今、俺には妻も、子供もいる。
妻はどん底の暮らしの中から俺を引きずり出してくれた。
だがな、俺もお前と同じ人生を送っていたら、同じ感情を抱いたと思う。同じ過ちを犯したかもしれない。
でも、暗い人生の先にある答えが、一つだけじゃないことを分かってほしかった。」
刑事はさらに続ける。
「連れていくのは幸せだけじゃない。時が経てば、いつかはこの辛さだって奪っていくだろう。
お前はそれに気づけなかっただけだ。」
男は泣き叫び、連行されていく。
刑事はその姿を背に、ぶら下がったロープを物憂げに見つめていた。
ドラマが終わり、テレビを消すと、そのシリアスな空気の中に取り残されたような気分になる。
それにしても退屈な夜だ。これならもう少しみっちゃんとお喋りしてても良かったんじゃないかとさえ思えてきた。
ぼーっとしていると、電話が鳴り響く。
ビクッと飛び上がって驚き、胸に手を当てて、ハアハアと荒れた呼吸を整える。
子機を手に取る。
「は、はい。名取です。」
「お、詩鶴か。お母ちゃんは?」
父の声だ。
「今風邪引いちゃってて。お店は私がやってる。」
「そうか。今日な、お父ちゃんフル残食らって...。終電に間に合いそうにないから会社で寝泊まりするってお母ちゃんに伝えといてくれへん?」
「ええ...!?んー...まあ、まだご飯とかこれからだから早めに連絡くれて助かった。」
「すまんなあ....。ほな、頼むわ...(^^;」
「はーい。」
ガチャ
まじかあ....。
母にこのことを伝えにいく。
「お母さーん?」
母はちゃぶ台で、家計などの書類に目を通している。
父の帰りのことを伝えると、母は小さくため息をこぼし、「そっか」と頷く。
「詩鶴、今日は銭湯行ってきたら?」
「えー、遠いよ。私、(お風呂は)今日はいい。」
「もう。ちょっとはそういうとこ気を遣いなよ?女の子なんだから。」
「面倒臭いなあ、じゃあシャワーで良い?」
お湯を張るのはちょっともったいない気もする。何せお母さん、今日入らなさそうだし。
お風呂のことを話し終える。
「とりあえずお店戻るわー。」
「はいはーい。」
「お母さん。」
「ん?」
「ちゃんと休んでよ?しんどいんなら。」
「ん。もうちょいで終わる。」
すべきことはちゃんとこなそうとする母。仕事熱心なのは良いけど、無理しすぎてないかな。
店に戻るも、静かな店内に退屈さを覚える。
「本当にやることないなあ...。」
布巾を手に取り、適当にそこら辺を拭きあげる。カウンター、テーブル、色々。
もういつでも店を閉められるようにピカピカに掃除をする。
「掃除終わっても誰も来なかったりして。」
...本当に誰も来なかった。
布巾をしまい、ただ閉店時間をぼーっと待っている。
大きなあくびをしたり、テーブルに指でリズムを刻んでみたり。
時計が二十時を回って少し経った。時計の秒針の音が聞こえている。
私はふと、教室に響き渡る笑い声を思い出す。それは時に授業中であったり、休み時間、昼休みだったり。
いつだってその笑顔は演じ笑いなんかじゃなく、純粋な笑顔だった。
心から可笑しくてお腹を抱えて笑ったり、本当に楽しいと思ってるからこそ、あの空気ができるのだろう。
そう感じる時間が私にとって、どれだけ大切なものかはまだ理解しきれていないのかも知れないけど
「時はなんでも連れていってしまう....か。」
ドラマの台詞を思い出し、心でそう呟くと狭い店内で、遠い空を見つめるような目をする。
みんなは何がしたいのだろう、私は何が欲しいのだろう。いつか消えてしまうものなら、何のためにあるのだろう。
そう思いにふけていると、次の瞬間、店の扉が開いた。
私はやっとこの静寂が終わると期待して元気よく接客した。
「いらっしゃー......」
聞き覚えのある声。私はその顔を見た。
「よう。」
そこに居たのはクラスの友人、河島だった。
つづく。