59.雨模様
体育祭当日、開会式は曇り空に覆われた。予報では雨の可能性が報じられていたが、本降りではないという情報の下、大会は決行されることとなった。宣誓ではそれぞれの組が熱意を掲げる。私たち青組の代表にはあの過激派グループの人間がいた。
「私たちは正々堂々と戦い...」
所々に聞こえる言葉には「どの口が言う」と、嫌味が喉まで出かかった。
こんな天気のせいか、心は明るい方になかなか動かない。今日はいい日になると信じていたのに。
信じていたのに。
下町の鶴
7章-ノ木の火-
Episode.59「雨模様」
ああ、とうとう体育祭が始まってしまった。せっかく楽しいはずの体育祭が、変な圧力をかけられているせいで気が気じゃない。じめっとした天気と同じ心模様は、誰かに助けを呼びたい思いに溢れる。普通に競技を楽しむつもりでいるのはそうなのだが、ここはあまり奴らを刺激させないようにしておこう。何だか面倒臭そうなことが起こりそうだし。
大丈夫、上手くいくさ、と言い聞かせ胸を撫で下ろす。すると私の視界の端で、気だるげにしている河島の姿が見えた。
「ぐえええ、だるぅううう。もうだめーー。」
まだ始まったばかりでしょうが、と言ってやろうと彼の方に目を向けると、河島は並んだ椅子の上で大胆に寝転がっていた。
「.....何してんの。」
「仮眠中。」
「おいおい、体育祭ぶっ壊すって言ってた活気はどこ行ったよ。」
「めんどぃー、寝る。」
「怒られても知らないよ?」
そういうと、河島は唐突にキリッとした表情になり
「任せろ、ヤバくなったら全力で応援モードに切り替える!」
と自信満々にほざいた。
ああ...、こいつを見てたら私にまで五月病が移りそうだ。秋だけど。
開会式が終わって数分、瑞希と明希の二人はトイレからの帰りで、グラウンドを見ながらほんの小さくお喋りをしていた。
「二年生の種目まで時間結構あるね。」
瑞希が言う。明希は不安そうに
「うん。」
と言った。彼女の元気のない声に、瑞希はニコッと笑いながら励ます。しかし、いくら明るい態度で接しても明希の表情は変わらない。瑞希がその訳を尋ねると、彼女はこう答えた。
「私、ロクな順位取れないと思うし、みんなに迷惑かけてしまう。だから休もうって決めてたのに、なのに...。」
それを聞いた瑞希は目を丸くしたあと、すぐに穏やかな顔に切り替えて彼女に言った。
「逃げずに来れたじゃん。勝とうとなんてしなくて良いから、一緒に頑張ろうよ。」
「怖い。...私、怖い。」
「我が儘言わないの。」
瑞希はそう言って明希の背中を優しく叩いた。
私は呑気な河島を後にして瑞希たちを探しに行った。次に出る種目までかなり時間の余裕があるので、少し暇を持て余そうと考えていた。辺りを散策しつつ、過激派の野郎どもに見つからないようにコソコソと探し回る。そしてしばらく歩き続けたら、校庭から少し離れたトイレの前に立っている二人を見つけたので私は声をかけに行った。
「みっちゃん、やほー。」
「あ、やっほー。」
「明希もやほ...明希?」
相変わらず明希が不安そうにしていたので、どっとそれを吹き飛ばしてやろうって思った。
「明希ー、なーに暗い顔してんの?」
「...。」
何も言わずに俯く明希。瑞希がその表情の訳を話すと、私は
「なーんだ、そんなことか。」
と言って笑った。
「そんなことって...。」
と、明希は眉をひそめる。彼女の悩みを軽く受け取ったことに、明希は不満を溢すように小さく睨んだ。
「あのバカ上層部の言いつけじゃないよね。」
「それだけじゃないよ。でも、私のような運動音痴が優勝の可能性を遠ざけてしまうのも確かだから。」
「そんなの関係ないよ。河島だって言ってたじゃん、自分のしたいことをすればいいって。」
「だから休みたいって言ったの。私がいなけりゃいい勝負ができて、楽しかったねって終わって、それでいいじゃない。」
私は駄目だと分かっていながらも、楽しい空気になろうとしない周りや、明希に対してだんだんとイライラが溜まっていた。そんな二人の間であたふたと戸惑う瑞希を差し置いて、私たちの熱は加速した。
「そんな卑屈になっていちゃ楽しめるものも楽しめないよ。」
「身体動かすのを楽しいって思えるほど運動得意じゃないから。」
「だからって逃げるのは違うんじゃないかな。」
その言葉は明希の小さな火に油を注いだ。そうしてみるみると火力を増していく彼女に私も引けなくなって、少しずつ言葉遣いが荒くなっていく。
「鶴ちゃんは動ける側の人だからそんなこと言えるんだよ。」
「動ける動けないとか関係ないよ。みんなでやるから楽しいのに、なんでそう周りのことばっかり気にするの?」
「違う。動ける人が私のせいで優勝逃すなんてことになったら最低でしょって話!」
「だからそんなのどうでもいいじゃん!なに、あのバカ集団に何言われたらそんな考え方になるの!?」
「あの人達にとってはやり直しの利かない大事なものなんだよ?私じゃその戦力にならないから、動ける誰かに出番を譲るべきだって――」
「ほら!やっぱあの馬鹿の言いつけじゃない。そんなしょうもない駆け引きに乗っかってどうすんのさ!」
「駆け引きじゃない!正しい方を選んだだけ!!」
「ちょっと、やめてよ二人とも...。」
だんだんヒートアップしていく私と明希に、瑞希は困惑しながらも落ち着かせようとした。しかし...
「明希、そうやっていっつも暗い方向にばっか持っていくけど、ひねくれんのもいい加減にしたら?」
「いつもって何!?そういう鶴ちゃんだって、馬鹿の一つ覚えみたいにポジティブになって――」
「はあ!?じゃあウジウジ否定的になったら解決すんの?ああそう、じゃあ私もやってみようかな?」
「さっきから何なの!?自分のしたいことをすればいいんでしょ?だったら好きにさせてよ!!」
気づけば明希との喧嘩は止まる場所を完全に失い、暴走状態になっていた。
「もう、やめてったら...。」
瑞希はその腕で食い止めることをやめて立ち尽くした。二人に届かないと分かり切ったような「やめて」が、弱々しく彼女の口からこぼれ落ちる。
「そうやって自分差し置いて、良い人気取りするのが明希のしたいこと?それで正しいことしてるつもり?」
「鶴ちゃんに私の何がわかるの?」
「何も分かんないよ、そんなお人好し精神なんか。格好つけてないで前向けって言ってんの!」
「何様のつもりよ。さっきから私の気持ち、これっぽっちも分かろうともしてないくせに。」
「分かるかよ。そんな面倒臭い思考回路してるから藤島と仲良くなってしまうんだよ。」
ほろっと出た言葉が明希に届くと、身体が一瞬にしてピタッと固まった。その一言は彼女の逆鱗に触れたようで、明希は口をぐっと窄める。そして身体全体が震え始めると、潤んだ目で咄嗟に私に掴みかかり、唸った。
「あんたなんかに...あんたなんかに...!!!」
今にも涙がこぼれ落ちそうな彼女の目を見た途端、私は正気に戻された。とはいえ、いきなり「言い過ぎた」と言うのも明希の怒りを増幅させてしまいそうで、ひそめた眉が元に戻らないままでその表情を見つめるしかなかった。
しかしその時、同時に瑞希の我慢も爆発し、怒鳴り声を私たちにぶつけ始める。
「やめてって言ってるでしょ!!聞こえないの!?私の言葉!!」
あまりの大声に私と明希は驚いて瑞希を見た。
「どっちもおかしいよ!!喧嘩しに来たの!?だったらもういい、私もういい!!!!」
そう叫ぶと、瑞希は青組の待合スペースへと走り去っていった。二人でその背中を見つめる。互いの目線の先が共通していることに二人が気付いた時、私は取り返しのつかない状況になろうとしていることに焦りを覚えた。しかし、
「ごめん明希、さすがに言い過ぎたよ。」
と唇が動くより先に、明希は私を強く睨んでこう言った。
「もう鶴ちゃんなんか知らない。」
そして彼女は、瑞希とは違う方向へと走り去っていく。大切にしていたはずの存在に強く当たったことへの後悔と、まだ引き留められるという確証無き期待に揺さぶられながらフラフラと歩きだす。私は胸に突き刺さった言葉の痛みで声が出ないまま
「待って...、ねえ待ってよ...。」
と、カタカタと震えた唇だけがその言葉を書きなぐった。やがてそれが二人に届くはずがないことを知ると、諦めたように立ち止まり、たった今降り出した雨と一緒になって泣いた。
つづく。




