39.心の麻酔-瑞希編2-
登校中、詩鶴は瑞希に会った。
「あ、みっちゃん。おはよー。」
「つるりん....おはよう。」
彼女はいつもより落ち着いた雰囲気で詩鶴に挨拶を返した。
「どこ行くの?学校あっちだよ??」
学校の方向から歩いてきた瑞希に一声かけると、ただ一言
「忘れ物しちゃって。」
と言う。よほど忘れてはならない重要なものなのだろう、そう思い、私は深くは突き詰めずに手を振った。
「あ、そう。よく分かんないけど、気をつけてね。」
「うん。」
そして短い会話を交えたあと、彼女は去っていった。
瑞希とはこの前のお悩み相談会みたいな時間で沢山おしゃべりした。滅多に見ない彼女の落ち込んだ姿、打ち明けてくれた心の闇の部分に何かしてあげられた訳じゃないけど、安心したような顔を見せてくれたことが嬉しかった。
詩鶴がホッとしたような顔で後ろを振り返ると、ちょうど瑞希が曲がり角を曲がっていったのを見れた。
学校の近くまで来たとき、彼女は異変を覚えた。立ち止まって考える。やはりそうだ、瑞希の家とは逆方向の道へ進んでいった。そのとき詩鶴は考えた。
「あの道の方向に何があったっけ。」
じっと止まって考える。上った時計の秒針が詩鶴のいる地面を差そうとしたくらいの時、彼女は気づいた。
「....明希だ、明希の家だ。」
だとすれば、なぜ今あの子に会いに行く?何であんなに暗い顔をしている?
詩鶴の熱い頬に伝う、冷たい汗の一滴が朝陽の降りつもるアスファルトへと落ちる瞬間、彼女は見失った瑞希の背中へと駆け戻っていった。
下町の鶴
6章-初秋-
☆Episode.39「心の麻酔-瑞希編2-」
朝、通学途中に寄ったコンビニ風の薬局で昼食のパンを選んでいた。甘いもの、塩気の効いたもの、必要な分をかごに入れていきながら、今日もきっと来ないであろう明希のことを想い、その度に浮かぶ彼女の怯えた表情が私を責めた。
「あの子を拒みさえしなければ。」
「あの日、もっとああしていれば。」
幾千の後悔が頭のなかを駆け巡る中、商品棚に置いてあった小瓶に目をやる。
「ありがとうございました。」
買い物を終えると、私は学校とは反対の道を歩いた。
ピンポーン
呼び鈴を押し、しばらくすると明希が出てきた。
「えっ.....。」
「おはよ。明希、その....この前のことで私、その....、謝りたくて。」
明希は驚いた顔をすると、両手をバタバタと振って、焦ったような声で言った。
「あ...いや、ごめん。あれは....違うの。わ、わた...、私がおかしかったの。だから―――」
「いいの。」
「え....?」
顔の赤らめた明希を宥めて、そっと微笑んだ。
「今日は学校行かないから、明希、遊ぼ。」
そういうと、少し困った顔をしながらも明希は家に上がらせてくれた。久しぶりに入った明希の家、三人家族だった面影がまだ残る静かなリビングを見つめていると
「みっちゃん、私の部屋。」
と短く告げ、私は彼女についていった。どうやらお父さんはもうお仕事に行かれたみたいだ。
綺麗に片付けられた部屋。机には作詞帳が開かれ、書きかけの文字が。棚にはビッシリと詰まった本、タンスの上に山積みのぬいぐるみ、そのぬいぐるみのひとつがベッドで寝転がっている。明希はそれを押し退けて腰かけ
「隣、来て。座って良いよ。」
と言った。
「心配して来てくれたんだよね、ごめんね。」
「あはは。ホント、私心臓がはち切れるかと思ったよ。会いたかった。」
「私も。でも私、意気地無しだからさ、ずっと会うのが怖くて。」
「そんなことないよ。私もどうして良いか、何を言って良いか分かんなかったし。」
「でも来てくれた。....みっちゃんには本当に感謝してる。」
制服姿の私と、部屋着の明希、この前とは逆の姿のお互いに不思議な気持ちを覚えた。空いた窓から吹く初秋の涼風に二人の髪が揺れる。しばらく黙って雰囲気を味わっていると、明希は落ち着いた声で話した。
「あれからね、ずっと考えていたの。」
「うん?」
「私にとってのみっちゃんが、どういう存在なのかって。」
「.......。」
「お母さんが死んでから私、みっちゃんに何度も我が儘言って迷惑かけたじゃない。」
「そんな、迷惑なんかじゃ...。」
「私ね、無意識のうちにずっと探してたんだと思う。甘える宛っていうのかな、寂しいときにいつでも腕のなかに飛び込めるような誰かをさ。」
「そっか。」
「だから、みっちゃんには正直な話、何をしても許されるって思ってた。」
「.....。」
一呼吸の間を置いて、明希は言う。
「この前のキスのこと、本当にごめんなさい。酷いことしてしまった。それでみっちゃんがどれだけ辛い思いをするかとか、何もかんがえてなかった。」
「明希....。」
「本当は私からみっちゃんに言いに行かなきゃいけないのに、そんなことすら出来ないで、一人家に閉じ籠って、自分だけ悲劇のヒロインぶって...、私ってどこまで最低なんだろうね。もういい加減、大人にならなきゃいけないっていうのに。」
「明希、大丈夫だから。もう自分を責めないで。」
私は明希にそう言って抱きしめた。すると彼女は少し涙ぐんで、ぼやいた。
「ああ、あったかいな...。どうして人の腕の中ってこんなに心地良いんだろ。」
明希は続ける。
「今この状況で、"子供じゃないんだから"って怒れるほど強かったらどんなに良いのになぁ。何度やろうとしても出来ないままでさ。」
「良いんだよ、私がついてるから。」
「っへへ。駄目だ、やっぱり私、優しさが怖い。」
明希を抱きしめる腕をほどくと、彼女は溢れかけた涙を手で拭い、弱い笑みを浮かべた。
「みっちゃん、やっぱ私っておかしかったんだよね。あはは。」
「.....。」
私は自分の鞄に視線を落とした。明希は空気を切り替えようと立ち上がる。
「ごめん、お茶も出さずに。待ってて、今なにか食べるもの取ってくるから。」
そんな明希を引き留めるように、私は明希の腕を掴んだ。
「え?」
「待って。」
「....え、どうしたの?」
「...正直に答えて。」
頭に「?」を浮かべる明希に、私は諭すように問うた。
「本当の気持ちはどうなの。」
「......?」
「私のこと、どう思っているの。好き?」
「....あはは、そりゃあ友達として―――」
「恋愛感情として。」
居たたまれないような沈黙が二人の間に流れた。再び互いを引き裂くかもしれない問題に、明希は戸惑ったんだろう。俯いて、視線を反らし、しばらくすると彼女は今にも消えそうな小さな声で答えた。
「........き。」
「....うん?」
「.....好き。でも、それは私が異常者だから。みっちゃんにこの想いは背負わせられない。」
「そっか。告白してくれてありがとう。」
「.......私、お茶菓子とってくるね。」
部屋を出ていく明希、彼女の部屋で一人きりになった私は、胸に手を当てて大きく息を吸った。
思い違いじゃなかったこと、確かに明希の唇から"好き"の文字を聞き取れたこと、それは私の中ではまだ戸惑うものではあるけど、もしも私が躊躇うことなく彼女の心を受け止めることができるなら。そう思うと、それは確信へと変わった。
私は鞄から"それ"を取り出して見つめた。片方の手を胸に当てると、心臓がこの行動を思い止まらせようとするかのようにバクバクと肌の内側を叩く。そんな緊張を圧し殺し、蓋を開けた。手のひらにそれを開けると、戸惑いをぐっと抑えて口に放り込み、飲み込んだ。
「(んくっ......)っっ、はあ.....はあ.....。」
喉の奥へと流れていく感覚は後悔を通り越し、寧ろスッキリするほどだった。これから何が起ころうともこの身体は、心は、決して嫌がることはない。その安心感が私の気を楽にした。そして、ぼんやりしていく意識の中で、階段を上り、こちらへ向かってくる明希の足音が聞こえた。それに気づいた私は"それ"を咄嗟にポケットにしまった。
つづく。




