表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
6章.初秋
37/121

37.サフラン

【十二年前】

「よ!お出かけかい。」

街でたまたま見かけた四倉に、俺は声をかけた。

「入崎、こんなとこで会うとは。」

彼は奥さんと、娘さんを連れて休日を楽しんでいた。空も綺麗に晴れていて、こんな日に出掛けないのは勿体無いくらいの天気だった。

「どうも、いつも旦那がお世話になってます。」

「いえいえ~、どちらかと言えば私の方が世話かけてばかりですよ。」

そういうと、彼の奥さんは申し訳なさそうに笑う。すると彼は

「入崎、お前バイクじゃないのか。」

と尋ねた。普段はこんなに良い天気なら単車で出掛けたいところだが

「いやぁ、カノジョにお使い頼まれててね。バイクじゃここら辺、(駐輪代が)べらぼうに高いんだよ。」

「なるほどな。」

というわけで珍しく電車に乗って都心に来たという訳だ。都心といっても駅前の駐輪場といえば大体は安いんだが、三十分で二百円だとか馬鹿げた値段の駐輪場で密集している所もある。

「お前の方こそ、ツーリング断ったと思ったら何だ?随分と微笑ましいじゃないか。」

ハハハ、と笑いを溢しながら四倉の肩を軽く突く。彼は不器用な笑顔を見せながら、家族との休日プランを言い訳のように話していた。


「あのオジサンだあれ?」

会話に夢中になっていると、母親の背中に隠れ、服の裾にしがみついている幼い女の子が見えた。四倉家の一人娘だ。

「お父さんのお仕事仲間さんだよ。」

「おしごとなかま?」

話しかけようとその子の顔の位置までしゃがんで声をかけると

「やあ、こんにちは。」

「きゃっ...。」

「あれぇ....。」

「お母さん怖いぃ、怖いぃ...。」

ビックリして母親の背中に顔を(うず)め、泣き出してしまった。四倉は呆れ笑いで

「自分より遥かに大きくてガタイの良いオッサンに詰め寄られたら、誰だって怖いだろうよ。」

と、俺の背中に向かって声をかけた。

「オッサンって何だよ、まだ二十代だぞー?」

「今年で三十だろうが。結婚適齢期だぞ。」

「うるさいな、幸せ者のお前に言われると刺さるんだよ。」

普段、仕事以外ではあまり会うことがないから娘さんとは殆ど面識がない。だから仕方ないというとそこまでなんだが、こうも全力で怖がられると結構ショックだ...。


―――――――――――――――


「まあ、そんな感じで明希ちゃんとは何度か会ってたよ。」

「ははは、私も子供の頃にいきなり話しかけられたら泣いてたかも。」

二十六歳離れた幼なじみの詩鶴ちゃんにも馬鹿にされ、今日も珈琲の苦味に酒の如く飲まれております。

下町の鶴

6章-初秋-

Episode.37「サフラン」


瑞希と会えない日が続く。心許せるような相手がこの教室に居ないから詩鶴の居る教室へ、彼女が暇かどうか確かめにいく。これだけが心の支えとなっていた。しかし、休み時間ごとに彼女を訪ねるのも何だかしつこいような気がして、ざわつく教室の中で雨の雫を数えていた。

水玉模様の入った窓の外の風景、寂しさを誘う柔らかい雨音が子守唄のように鼓膜を撫でる。こんな日はどうしてか、懐かしい記憶が頬に触れてくる。



「ただいま。」

「明希、お帰り。学校どうだった?」

幼い頃の記憶だ。小学校に上がってからも友達は全然出来ず、時計の針が下校時間を差すのをいつも待ち遠しにしていた。

私は母の胸に飛び込んで

「会いたかった。」

と一言。それにいつも母は困った笑顔を見せていた。

「あれから友達はできた?」

「お母さんだけでいい。」

「明希、心許せる人がお母さんだけじゃ大人になれないよ。」

「じゃあ子供のままでいい。」

「我が儘言わないの。お母さんだって、いつまでも側には居られないんだよ?」

「だって知らない子と話すの、怖いもん。」

駄々をこねてばかりの私に、母はそっと頭を撫でる。

「最初はそうかもしれない。でも友達が出来るって、本当はとっても楽しいことなんだよ?」

「楽しくないもん。」

「何で分かるの?」

「.....。」

「明希、分からないことを"どうせ"って決めつけちゃ駄目だよ。」

殻に閉じ籠ったままの私の心に、新しい景色を見せようとしていた母の想いを少しばかり感じていた私は、努力しようとしては諦めてを繰り返していた。初めから嘘をつく気で「わかった」と言った私に

「偉い子。」

と言って頬に口づけした。私はそれが嬉しくて、母につくつもりでいた嘘は脆く崩れていった。

無理をしてお昼休みの時間に、一人ぼっちで机に座っていた女の子に近づいた。まだ食べきれない給食をゆっくりと食べていたその子は、私に気づくとニッコリ笑った。

「あ...えと、その...。」

「はじめまして。なんていうの?」

「え、あ。...よつくら....あき。」

「アキってよんで()?」

「うん。あの、君は...?」

「みずき。やはらみずき。」



空いた瑞希の机を見つめ、初めて会った日のことを想う。いつも話の聞き役になってくれて、自分のことは滅多に話さない心優しき親友のことを。その空いた席の空白に彼女の影を浮かべ、何を話してくれるのかを想像してみても、浮かんでくるのは優しい笑顔ばかりなのが辛い。出来ることなら私は、自分の愚痴ばかりを聞いて貰っていた彼女に少しでも恩返しがしたいのだ。早く瑞希に会いたい、会って今度は彼女の悩みを受け止める側になりたい。そんな気持ちで溢れた。


時は流れ、五時間目の終わり。今日一日の最後の休み時間を迎えると、詩鶴が教室にやってきた。

「明希ー、お疲れ~。」

「あ、お疲れ様。」

「今日の放課後さ、みっちゃんのお見舞いに行かない?」

詩鶴の誘いは、瑞希のお見舞いだった。会える期待に高揚した私は、目を輝かせて承諾した。

「おっけー!じゃあ放課後、みっちゃん()集合で良い?」

「え、現地集合するの?」

聞き返すと、詩鶴は私の耳元で

「今日も先生から逃げ切らなきゃいけないから。」

と、悪そ~うな笑みを声に乗せ、囁いた。

「ああ、そう...。勉強もちゃんとね...。」

「大丈夫大丈夫!テストは一応、四十点台で下回らないようにはしてるし。」

いや、赤点ギリギリ...!鶴ちゃん、将来がちょっと心配だよ...。

「じゃっ、そうゆーことでっ!」

そう言って詩鶴はチャイムの音とともに走り去っていった。



「はあ....、はあ.....。」

"矢原"と書かれた表札の前、瑞希の家の前につく。詩鶴は集合時間を三分遅れて、猛ダッシュで到着したばかりで、滅茶苦茶に呼吸が荒れていた。

「鶴ちゃん...、真面目に課題やっていれば息切れせずに来れたんだよ...?」

「へへ...、なんのなんの....っはあっ、頭使う方がぁっ、よっぽどしんどい....。」

「そ、そう...。」

変に思われるから息切れを直してから呼び鈴を鳴らそうと言ったら、元通りになるまで二分かかった。

詩鶴の呼吸が元に戻ってから、呼び鈴を鳴らすと瑞希のお母さんが出てきた。

「あ、瑞希ちゃんの友達です。お見舞いに来たんですけど、大丈夫ですか?」

そう聞くと

「そうなの!あ、どうぞどうぞ。」

と言って、すんなりと入れてくれた。

階段を上り、瑞希の部屋へ。扉を開け、三日ぶりに彼女と再会すると二人揃って大喜びした。

「明希、つるりん、ありがとね。わざわざ来てくれて。」

「ううん、明希も、私も"みっちゃん不足"で倒れそうになってたからさ、あはは!」

「なにそれ、ははは。」

楽しそうにはしゃぐ詩鶴。

「鶴ちゃん...!みっちゃんまだ病床なんだよ?」

「あー...ごめん、つい。」

詩鶴を注意すると、直ぐに瑞希が空気を戻そうとした。

「いや、大丈夫だよ。もう殆ど治ったようなもんだから。明日からは学校行くよ。」

そういう瑞希に

「本当!?ほんとの本当!?」

と、彼女の腕を掴んで、目をキラキラと光らせる。

「良かった...私とっても会いたかった...!」

すると

「あーーきぃ~~?みっちゃん、病人なんだよ~...?」

と、詩鶴に仕返しされた。

それからというもの、病気の彼女のお見舞いとは思えないほど三人で遊んだ。トランプをしたり、ジュースを囲んで世間話。ベタな娯楽でさえ、ひとときたりとも飽きることがなかった。そして、制服姿の私達に一人だけ寝間着姿で浮いている瑞希。いつもと違うその姿はとても可憐だった。

「ああ全く。私達、お見舞いに来たんだよね?」

「ふふ、遊びに来てるよ。迷惑なはなし。」

そう言って笑いあう三人。気づけば二時間も過ぎていた。


空もそろそろ青くなってきた頃、詩鶴が言った

「あ、ごめん。ちょっとトイレ借りて良いかな?」

その一言と共に瑞希と二人きりになった。居るだけで明るくなる詩鶴が一時的にいなくなったのが原因なのか、二人の間に十秒ほどの沈黙があった。半身を毛布に入れた状態の瑞希。そのベッドの横に座り、彼女を見上げる。居たたまれなくなった瑞希が恥ずかしそうに笑った。 

「あはは、やっぱつるりんは元気だね。部屋出ただけで温度変わっちゃったよ。」

「だね。」

また部屋が静かになる前に、お互い気を遣いあうように無理やり話題を絞り出そうとしたが、中身のない話では中々会話は続かなかった。また十秒ほど沈黙したあと、私は言おうとしてたこの前の失敗を口にした。

「あの、この前の保健室でのこと....ごめんなさい。」

「え?....?......あ~!あれね。あはは、あんなの気にしなくて良いよ。私もつるりんに投げちゃったし、ややこしくしちゃってごめん。」

「え、いや...おかげで鶴ちゃんともっと仲良くなれたから、感謝してるよ。」

「感謝なんてそんな。」

「身体、辛かったんだもんね。」

瑞希は、目線を下に外して打ち明けた。

「ただの風邪のはずだったんだけど、ちょうどアレと重なっちゃってね。」

「そっか...、それは辛いね。」

「あはは...、私としたことが。貧血起こすわ、吐き気に襲われるわで。」

「本当にごめん。」

「あ、いやいや!だから気にしないで....って気ぃ遣わせるようなこと言ったの私だよね、ごめん。」

「いや、そんな――」

「なんか私達、さっきからごめんしか言ってないね。」

瑞希の苦笑いに、私も少し口角を上げた。

「明希、目笑ってなーい。」

「あ....。」

「あはは。」

瑞希がさっきの明るい笑顔に戻り、私の作り笑いも偽物ではなくなった。


彼女は優しい声で

「寂しかった?」

と、私に言った。

「うん。」

「そっか。でも、一人でもちゃんと頑張れたんだもんね。」

彼女の言葉が母と重なる。懐かしい気持ちと相まってか、心はだんだん複雑になっていった。

「偉い偉い。」

包み込むような優しい声が鼓膜に触れた。彼女の熱い手のひらが、私の頭を夕暮れに打ち寄せる波のように撫でてくれている。私は...

「瑞希...」

横から彼女を抱きしめ、その頬に口づけた。

「えへ!?明希ったら、もう何してんの~?」

心が壊れた、というのはこういうことをいうのだろうか。優しさは、弱い炎がゆっくりと肌の奥を焼いていくように、温もりのなかで知らぬ間に深い傷を負う。彼女の母性的な友愛に、私は堪えられなかったのかもしれない。一度失った心のすみかを二度と離すまいと言わんばかりに、同じ友愛であったはずの想いは歪み、拗れておかしくなっていく。

私は両手で頬を包んで深く、深くその唇を奪った。瑞希から感じるその熱に、心臓の拍は急激に上がった。互い別々の理由で荒くなる呼吸、じたばたと抵抗する彼女へそっと目蓋を開くと


「な...、なに............して..る...の.....?」


彼女の瞳は点のように小さくなっていた。

言葉を失い、震えた声で動転する瑞希の表情で、私は我に返った。

「ごめーん、ただいま~。」

「........。」

「..............。」

「あれ...?二人とも、どうしたの?」

詩鶴に見せまいと互いに背中を向けあって、火照りきったその頬と涙を隠した。


つづく。

四年前


九月頃、明希のお母さんにお見舞いに行ったとき、あのときはまだ会話が成り立つほどには元気だった。明希がトイレで席を外している時に、お母さんに言われたことがあった。

「瑞希ちゃん、ごめんね。もう中学生だっていうのにあの子、子供みたいに甘えん坊で。」

「いえ、良いんです。それがあの子の可愛いところですから。」

「そうね、...そうかもしれない。」

彼女は病室の窓の景色に目を向けて言った。

「あの子ね、心の病気を幾つも抱えてるの。」

「え....?」

「瑞希ちゃん、明希にやたらベタベタされるでしょ?」

「まあ、あんなもんじゃないですか...?」

「そう思ってくれているなら良いんだけどね。あの子、瑞希ちゃんに会う前はよく苛められてたのよ。」

「今以上にですか...?」

「ええ。周りから無視されたり、時には暴力も振るわれたって。」

「はい?それ一体誰ですか―――」

「落ち着いて。それは明希が周りとは違うからよ。」

「だからって....。」

明希のお母さんは、私の目を申し訳なさそうな目で見て言った。

「あのね、私が死んだら瑞希ちゃんには本当に苦労を掛けさせてしまうと思う。それを今生きている内に謝っておきたかった。本当にごめんなさい。」

「え、どうしたんですか急に。」

私は彼女の言ってる意味が分からず、突然発された重たい言葉に苦笑いした。

「あの子ね、きっと私が居なくなったら貴女を母親代わりにすると思う。そしたら今以上にベタベタが増えるだろうし、我が儘言って何度も迷惑掛けてしまうかもしれない。」

「良いですよ、それで明希が幸せだって言うなら。」

「違うの。」

「え?」

「どうか、どうかあの子を大人にさせてほしい。こんなこと中学の女の子に押し付けるなんて情けないってことは分かってる...。でも、あの子がしてくることで嫌なことは、ちゃんと嫌だって伝えて欲しい。」



明希のお母さんが他界してから、私は今まで以上に彼女を親兄弟のように接した。嫌々で母親代わりのような存在になっていたんじゃない。元々、人のために何かをするのは好きだった。

でも、怒るべきとこで怒らずに、彼女を否定することから避け続けてきた私に返ってきたのは、その報いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ