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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
5章.ユウレイ蜘蛛
32/122

32.ユウレイグモ

次の日も、次の日も休みはつづく。学校でしか会わない人達とは、今すれ違うことが無い限り他人同士のような時間。私は誰もいない寝室に寝転がり、過ぎ去れば戻ることのない、今日という日の朝を見殺しにしている。畳んだ布団に腰掛けて扇風機の風に当たる。眠いと言えば眠いし、そうでないといえばそうでないこの状況は、言うなれば暇をもて余しているってヤツだろうか。

二階にはクーラーなど付いてないから、ここで居座るには多少の工夫が必要なのだ。網戸からはやかましい蝉の声、家の前を歩く人の話し声。話の内容を聞こうとしてみる度、走ってくる電車の音に掻き消されてしまう。


退屈な時間。窓に背を向けるように寝転がってみると、一匹の蜘蛛が歩いているのを見つけた。それは蜘蛛というにはあまりにもか細い足で、この小さな六畳間をまるで広い世界のように、ゆっくりとした足取りで部屋を彷徨っていた。少しつついてみようと人差し指を近づけると、おどおどとした様子で嫌がって逃げていく。それでも逃げ足は赤ん坊の這いずりより遅く、いじめてやるのも可哀想だと思えてきた。命と思えばあまりに切なく、虫と呼ぶにはどうにも憎めない生きざまだった。

蜘蛛は布団の山に上ろうとしては、登れなくて落っこちてしまう。それでも負けじと何度か登ろうとするが、結局諦めたのか、別の道を探してトボトボと歩いていく。何を探しているのか、何のために生きているのか、そんなことは私にはちっとも分からないが、蜘蛛はただひたむきに、諦めずに生きようとする。気づけばその姿に見とれていた。

時に越えられない壁にぶつかった時は、私が手のひらに乗せて手伝ってあげもした。その蜘蛛の旅路が気になってずっと見つめていたが、やがて押し入れの襖にぶつかると、ひとまず休憩と言わんばかりに動きを止めた。それを見て私も、安心して元居た位置に寝転がった。

下町の鶴

5章-ユウレイ蜘蛛-

Episode.32「ユウレイグモ」


鼻歌をいくつか歌っては止め、流れる雲を見つめてはまた歌いだし、そうやって繰り返しても中々流れない時間に欠伸する。息をふわあっと吐いて目を閉じると、何となくトイレに行きたくなった。階段を降りて一階に来ると早速

「詩鶴、何か飲みな。」

母に心配される。生憎、この家にあるエアコンは店の中に一台だけ。夏に涼もうにも、冬に暖まろうにも、お店の方に行かないとそれが出来ない。お昼は家の中の気分で居られても、夕方には居酒屋に変わるため一人になりたい時は特にしんどい。まあ、自由と便利を両方とも得られると思うなよ、という神様からの思し召しみたいなものかと、いつも脳内で皮肉るくらいには。

お花を摘み終わったあと、さっそく冷蔵庫の麦茶を取り出す。夏の身体は忙しいものだ。飲んでも飲んでも何処かから水分が出ていってしまう。いざ涼もうと、コップにカランコロンと音を立てて麦茶を注ぐのも、落ち着いて耳をすませば夏の風物詩と言えるのだろうけど、心落ち着かない暑さは感受性と風情を遠ざけてしまうものだ。

カウンターテーブルに肘を付き、コクコクと飲んでいると

「すーみませーん。」

と、店の扉越しに声が聞こえた。私は

「はーい、どちらさまで?」

と尋ねる。

「お隣の机の者です。」

声と話口調で何となく分かってはいたが、これは間違いなく河島だ。

「戸、開いてるからどうぞー。」

ガラガラガラと音を立てて扉が開く。そこには無地の半袖Tシャツに、ジーンズだけの超シンプルな格好の河島が。

「おじゃまーす。」

「どうしたの?」

「どうしたと思う?」

「え、なに。」

「そっか...。」

「え、"そっか"って何!?」

「じゃあいいや。お邪魔しました~。」

「いや、待て待て待て待ってよ。説明してよ。」

河島の服の裾を掴んで引き留める。何のことだかさっぱり分からなくて戸惑った。

「とりあえずお茶出すから話してよ。何か悪いことしちゃったなら謝るから...。」

そういうと、河島は目を丸くして言った。

「え?あ、いやいやごめん。そういうのじゃないから。」

「じゃあ何...?何か悩みでもあったの...?」

「えっと...その...。」

またあの日のように家で喧嘩でもしたのか、はたまたもっと深刻な何かを抱えているのか。私は心配になって河島を席に座らせた。グラスに氷もたっぷり入れて、麦茶を注いで渡した。

「ほら、キンキンに冷えてるから。何かお菓子とか食べよっか。あ、そうだ。この前のヤミー棒、まだ残ってるから取って来るね。お母ぁーさ―――」

「いや、ちょっと待てって。」

「...?」

「ちゃんと話すから。」

私は河島が心を開いてくれることに嬉しさを感じて、その顔にそっと微笑んだ。

「...うん、話して。私の大事な友達なんだから、辛いこと全部打ち明けてよ。ね?」


~☆~~~☆~~~☆~~~☆~~~☆~~~


両手で真っ赤になった顔を隠す。後方から、盗み聞きしていた母の失笑が聞こえてくる。

「うっくく....っふふ...っははは。」

今日は河島の誕生日だったみたいで、みんな知らずに誰からもお祝いされなかったことに拗ねて、ダメ元でここにやってきたのだとか。てっきり私は深刻な悩みがあるものだと思っていたから、変に(しお)らしい態度で優しい言葉をかけたのが馬鹿みたいに思えて恥ずかしくてならない。

「名取、今日は随分と優しいな。いやぁ~、誰も今日オレが誕生日なの知らないもんだからさあ。」

「うるさい...!初めっから言ってくれればちゃんとお祝いしてあげたのに...。」

「いや、十分嬉しいよ。だってあの名取が「お菓子食べよっか」なんて、五年も付き合ってて初めて聞いたわ。」

「それは河島が何か悩みでも抱えてるのかと思ったから。てか、付き合ってるって何だよ!?」

「友達関係だよ。え?」

なんかさっきから騙されまくってる気がする。どんだけ人をからかえば気が済むんだよ、この男は。

「名取、さっきから顔赤いぞ、大丈夫か。」

「お 前 の せ い だ よ バ カ ! !」

頭から煙を噴いているのは怒りと、恥ずかしさの両方。大声で怒鳴ると、河島もさすがに申し訳なく思えてきたのか

「ごめんごめん。でも、気を使ってくれたのは本当に嬉しかったから。」

と、軽く謝罪を入れた。私は怒鳴り散らすのを諦めた。大きくため息をつき、腰に手を当てて言った。

「で、私に何してほしいわけ。」

「うーん、そうだな。卵焼き食べたい。」

「またかよ!!お前何かとそればっかりだな。え、そんなんでいいの?せっかくの誕生日なのに?」

「んー、まあ特別贅沢したいわけじゃないし。お誕生会なんてやったことないから豪華すぎるとなんか恥ずかしいじゃん。」

「へえ?家族でとかもないの?」

「あー、それはあるけど、要は「友達いっぱい集まって~」みたいなのは全くないってこと。」

「あ~、なるほどね。でも、ああいうのって小学生まででしょ。」

「小学生まででも有るだけ十分だろ。」

「まあね。」

「うん。」

頬杖をついてボーッとしている河島。私は少しからかってやろうと、にやけ顔で聞いてみた。

「で、何。一人で来たってことは"私だけに"祝われたいってコト?」

「そうだけど?」

即答の返しに心臓を止められる。

「ちょっ....河...」

「いやまあ、"だけ"にって言うか...お前しかいないんだよ。」

「....っっはぁ!?」

「山岸今日バイトだし。」

「あ.....あ~...そゆコト....。」

こいつっっ、言葉選び何とかしろ!!めちゃめちゃドキッとしたんですけど。心臓止まったらどうするつもりだこの野郎。

「あ、そうそう。この際、誕生日とかどうでも良いからさ、なんか外で食べ歩きでもしようや。」

どうでも良いんかい。でも、ちょっと良いな。

「あ、うん。分かった。」

「めっちゃ旨いアイスクリーム屋みつけたのと、一口唐揚げに、あと駄菓子屋とか寄るのもアリだし。」

河島の提案を聞いている内に我慢できなくなり、私は即答した。

「行きます。」

「よし、決まりだな。」

「なんか奢るよ。せっかく誕生日なんだから。」

「お、サンキュー。」

「ちょっと準備してくるから待ってて。」

私は部屋へ荷物を取りに行った。軽くシャツを羽織り、日焼け止めを塗る。タンスから取り出した手提げのポーチに小さめのお財布を詰め、ヨッ、と肩に掛けて母に外出のことを伝えた。

「お母さん、ちょっと外出てくる。」

「デート?」

「違う。大いに違う。」

「ふふ、楽しんでおいで。」

「なんっか腑に落ちないなあ...。」

母のいる部屋を後に、部屋用のサンダルから、いつものスニーカーに履き替える。コンコンと爪先を蹴って足に馴染ませ、河島のところへ戻った。

「お待たせ。」

「ううん、全然待ってないよ。」

「何も言っとらんのだが。」

相変わらず隙あらば余計な一言をいってボケる河島に、思わず呆れ顔になる。

「まあ、とりあえず行こうぜ。」

そういう彼に

「ん。」

と軽く返し、家を出た。


夏の日差しを受けながら歩く町。ご近所さんとすれ違う度

「暑いねえ。」

「ええ、本当に。」

「どこかお出掛け?」

「ええ、まあそんなとこ。」

と言葉を交わし合う。この町のみんながみんな知り合いではないが、こういった交流は防犯にも繋がる。何かあればすぐ情報が行き届くから下手に悪いことは出来ないのだ。噂話が血流のように流れているのは下町特有とも言えるだろう。まあ、遠回しに表現したが、私の言いたいことはひとつ。頼むから私達二人がデートしてたと誤解されて広がらないでほしい。この町の住人全員を藤島みたいにするのは幾らなんでも無理がありすぎる。...いや、さすがにこの例え方は良くないか。

「まずはアイスから行こうぜ。暑くてしょうがない。」

「だね。案内して?」

河島の提案で行くことになったアイス屋。住宅街の路地にひっそり現れたソレは、ここら辺の住人でも知る人ぞ知る感じの見た目をしてて、よっぽどの情報通か、まぐれでもない限り発見出来ない。だって端からただの一軒家じゃん、これ。

そんな一軒家の窓を、河島はコンコンとノックして

「すみませーん、アイスくーださーいな。」

と呼ぶ。

「え、本当にここアイス屋さんなの?」

「まあ、見てなって。名取はバニラ?チョコ?」

「あ、...っと、バニラ。」

河島はコクリと頷いた。その直後、窓がガラガラと開いて

「はい、らっしゃい。」

と言いながらオバチャンが顔を出す。

「チョコひとつ、この()にはバニラで。」

この娘って...。

「あいよ、三百円ね。」

河島は先にお会計を済ませてしまった。オバチャンが奥に消えている内に、私は河島に百五十円を渡した。

オバチャンがヒョコっと窓から再び顔を出す。

「はい、チョコね。そこのお嬢ちゃん、バニラ。」

「あ、はい。どうも。」

そういってアイスを渡すと、「毎度~」と言ってまた奥に消えていった。

「河島、よくこんなとこ知ってんだね。」

「まあ、隠れスポットってやつだな。」

「いや、本当に隠れてるパターンなんてあるんだ。何かの取引してるみたいだったよ?私ら。」

「大丈夫だよ、何も変なの入ってないから。」

「いや、うん。入ってたら問題だよ。」

アイスは独特な雰囲気で、少したい焼きみたいな形をしていて、真ん中にドスンと割りばしを刺している。いかにも自家製な雰囲気だけど、クリーミーな味わいを残しつつシャーベットのような食感で、爽やかさもある不思議な食べ心地だった。


それから暫く歩いて、唐揚げを食べに行った。河島に幾つか奢ってやって、私も食べ歩き出来るくらいのサイズを買った。

「なんか女子に出してもらうと気まずいな。」

「そう?じゃ、あたし全部食べるわ。」

「待て待て待て。」

「っはは、冗談だって。気にせず食べな。」

小さな紙袋に詰められた大きな唐揚げにかぶり付くと、こちらを向いて礼を言ってきた。

「サンキューな。」

「いえいえ。ハッピバースデイ。」

何となくで祝い言葉をかけてやると、少し照れくさそうに笑っていた。

「ん~、やっぱここの唐揚げ旨いね~。」

思わず言葉が漏れてしまう。間食に唐揚げなんて罪なやつだよ、全く。えへへ。

「それにしても暑いな。」

「ね。」

「どっか公園とかで木陰探そうぜー。」

「ういっさー。」


というわけで、公園の木陰にあるベンチに到着した。途中寄った自販機で買ってきた飲み物を横に置いて、残りの唐揚げを頬張った。

木陰と言えど、吹く風は熱風ばかり。何とか冷たいジュースで涼もうとするけど、結局対して変わるわけでもない。二人だらーんと空蝉(うつぜみ)のように魂が抜けていた。

「名取、お前夏休み何かしたー?」

「うーん、特にこれといって....。あ、従兄弟きてた。」 

「従兄弟かあ。」

「セミみたいに煩い家族でさ、私もうヘットヘト。」 

「お前も大変だな。」

「まあねー。あ、でも叔母さんに髪留め買ってもらったの。」

「へえ?」

「ほら、コレコレ。めっちゃお洒落じゃない?」

「おん、綺麗だな。」

「でしょ~!っへへ、ありがと。」

嬉しくなった反動でもう一口食べる。気分の良い時にものを食べると格段に美味しさが変わるから。子供たちの遊ぶ声、相変わらずの蝉の鳴き声とともに私達も駄弁り合う。空には飛行機雲が真っ直ぐ一筋に伸びていた。

「オレも従兄弟居るけど―――」

「え、マジ?年下?上?」

「上だよ。お兄さんみたいな。」

「へえ~良いなあ。私、下しか居なくてさ。"お兄ちゃ~ん"って一回で良いから言ってみたいな。」

「ああ、俺もそんなに言ったことないな。あまり接点が無かったからさ。」

「あ、そうなんだ。」

「江戸川越えた先だから近いんだけど、そんなに遊んだ記憶がなくて。」

「意外と近いね。私、大阪だよ?」

「うわあ、遠いな...。」

「でしょ。まあ、仲はそこそこだけど。」

「仲良いのは羨ましいな。」

「まあね。」

仲が良くなかったらきっと顔すら思い出せないくらいになっているだろうな。

「家系図にしないと分かりにくいくらい遠い親戚でさ。従兄弟はよく分かんないけど、ひい婆ちゃんに良くして貰った記憶はあるな。」

「へえ、ひいお婆ちゃん居たんだ。凄い長寿だよね、きっと。」

「九十はいってるんじゃないかな。詳しくは知らないけど。」

「だよね。」

「今どうしてるんだろうな。超が付くほどの子供好きで、世話焼きで。多分親戚に子供ができたら体力なんて気にせずに行くんだろうな。俺の時、そうだったから。」

「優しいんだね。とっても良い人なんだろうな。」

「まあ、...な。従兄弟も何か、結婚したとか前に聞いたし。まだ生きてたらあの小っちゃい渡し船にでも乗って会いに行くんじゃないか?」

河島は唐揚げを頬張りながら軽く微笑んだ。なんだかその人にどこかで会ったことのあるような、そんな不思議な気持ちに包まれたが、思い出せなくて諦めた。

「名取、駄菓子屋行こうぜ。」

「あ、うん。暑いしね。涼むのも兼ねて。」


ー5章・おしまいー

【おまけコーナー(なろう版限定)】

★下町のはとぽっぽ

☆その7「唐揚げソード、茶番劇。」


「近づくな、ぶっ刺すぞ!」

そう叫ぶ他校の高校生。先生や、警察の人が彼を前に「辞めろ!」「落ち着け!」などと説得を試みている。

「放っておいてくれよ...!俺なんか誰にも必要とはされてないんだ!」

「良いからその傘降ろせ、振り回すんじゃないぞ!」


その騒ぎを聞きつけた私は、唐揚げを頬張りながら近くまで来てみた。しかし、通った道が悪かったのか私がその現場に来たとき、最初に見えたのは説得する大人たちだった。まさかと思って恐る恐る横を向いてみると

「おいお前、あっち行けよ...!叩いちゃうぞ!」

犯人、居たぁああーーー!!!

最悪だ。よりにもよって目の前に出てきてしまった。

「いや、待て。お前、人質になれ!」

そう言って男は近づいてきた。ヤバい、何か行動しないと殺される。そう思った私は、串に刺さった最後の唐揚げを口に入れ、それを引き抜いた。

「やーら!それ以上近ういあらティクッとしちゃうぞ!」

口をモゴモゴさせながら串の先端を彼に向けた。(危ないので絶対真似しないでください)

「ふざけるな!こっちは傘だぞ。そんな小さな短剣で倒せると思うなよ!」

「モグモグモグモグモグモグモグモグ...。」

「え?何だって?食ってから喋れ!」

「(ンクッ)貴様ぁ、唐揚げが無くなったぞ。」

「知らねえよ。早くこっちに来い!」

腕をがっしりと掴まれた私は、もう片方の手に持った串で

ツンツンツンツンツンツンツンツンツンツン

「痛ああああっ!!何すんだテメェ!」

周りの大人たちも焦りだして

「そこの女の子!あまりソイツを刺激するなあ!」

と警告する。

「おい、お前。」

「何だこの野郎。」

「人質になったげるから後で唐揚げ奢れ。」

私はそう言って男の胸元に背中を合わせ、その腕を私の肩に回させた。男はポカーンとしていて、状況が一ミリも理解出来ない様子だ。

そして私は、自分でも分かるくらい下手くそな演技で大人たちに助けを求めた。

「やーだ、やめてー。命だけはー、命だけはー。」


周りの気温が5度くらい下がった気がした

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